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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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151/211

第151話 神殿の介入

教会の戸口で、エルナ様が春の埃を払っていた。


「リナ。ちょうどよかった」


布を持つ手が、わたしを手招きする。


「祭壇の布を替えるの。高いところ、お願いできる?」


朝の教会は、蝋燭と古い木の匂いがした。

わたしは踏み台に乗って、祭壇の後ろの布の角を外していった。


十二歳の手は、去年より一つ上の鈎まで届く。


布を外しながら、棚の蝋燭を目が勝手に数えていた。

十二本。うち三本が短い。


(——次の祭りの前に、三本足りなくなる)


数えなくていいものまで数えるのは、前世からの癖だ。

在庫の棚を見ると、頭が先に動いてしまう。


「お客様が来るんですか」


布が新しいのは、祭りの前か、客の前だ。


エルナ様は少しだけ間を置いてから、答えた。


「ええ。神殿本部から」


指が、胸の古い魔石に触れていた。


◇◇◇


昼前に来たのは、灰色の司祭服の人だった。


髪をきっちりまとめて、襟元に聖律教の印。

顔は穏やかで、目だけが帳面をめくるように動く。


リーゼ司祭だった。


「お久しぶりです、エルナ様。——リナさんも」


一年ぶりに聞く、丁寧で静かな声だ。


「巡察の順路が、今年は早めに回ってきました。道が乾きましたので」


(——道が乾いたら、客が来る)


テオドール様と、同じ言い方だった。

春は、いろんな人の足を一度に解く。


エルナ様が椅子を勧め、白湯を出した。

教会では、茶ではなく白湯が出る。


リーゼ司祭は帳面を開いて、村の祭務をひとつずつ確かめていった。

祭りの日取り。祈りの言葉。誰が生まれて、誰が亡くなったか。


「丘の灯りの合図は、神殿の合図と混ざっていませんね」


「混ぜていません」


エルナ様より先に、わたしが答えた。


「試す日と時刻は、今も先に知らせています。祭りの夜は塔を休ませます」


リーゼ司祭は頷いて、帳面に短く何かを書いた。

一年前に交わした約束が、ちゃんと帳面の上で生きていた。


それが終わってから、帳面を閉じて、わたしを見た。


「リナさんは、王都へ招かれているそうですね」


手の中の白湯が、小さく揺れた。


「……まだ、決めていません。家族で話すところです」


「そうですか」


責める響きはない。

それなのに、続きを待つ間が長かった。


「祭司の帳面は、商人の馬より足が速いことがあります。王都の神殿から、先にあなたの名前が届きました」


(——神殿からも)


テオドール様は、名前が先に歩くと言った。

歩いた先は、王都の工学者の机だけではなかったらしい。


◇◇◇


「ひとつ、お耳に入れておきたいことがあります」


リーゼ司祭は、白湯をひと口飲んでから言った。


「昨年の、商会の一件です。押収された紙の束が、審問のために王都へ送られました。その中に——」


そこで、言葉を選ぶ間があった。


「写字室に回された紙が、一枚ありました」


「写字室、ですか」


「神殿の、古い書物を写し継ぐ部屋です。審問所で読める者がいない字は、私どもへ回ってきます」


エルナ様の指が、また胸の魔石に触れた。


「その紙には、欄外に短い書き込みがありました。古い祈祷文にだけ残る方言の字です。祭司学校でも、上の段の写本でしか見ません」


「それは——」


声が、思ったより硬く出た。


「それは、どういう紙だったんですか」


「分かりません。私が知るのは、鑑定の結びだけです。商いの悪事の紙の束に、神々の古い字が一枚交じっていた。妙な取り合わせだ、と」


(——わたしは、その紙を見ていない)


解いた文は、全部ふつうの字だった。

五字の束も、埋め草も、ずらしの規則の表も。

字はどれも、どこにでもある字だった。


でも原本の束は、王都へ行った。

わたしが見たのは、写しだけだ。


写す人は、読める字しか写さない。

読めない字は、写しから落ちる。


(——見たい)


その紙を、この目で。

古い字なら、並び方がある。並び方があるなら、読めなくても「形」は見える。


見れば、何か分かるかもしれないのに。


(——あの設計の人は)


(——神々の古い字を、知っている)


背中を、冷たい指でなぞられた気がした。


◇◇◇


「リーゼ様」


エルナ様が、静かに口を開いた。


「その話を、この子に聞かせた理由を伺っても?」


リーゼ司祭は、すぐには答えなかった。


帳面の角を指で揃えてから、言った。


「リナさんの名前は、その審問の記録にも出てきます。文を解いた者として」


「……はい」


「王都には、神殿の目もあります。古い字の出どころを探す者もいれば、古い字に近づく者を覚えておく者もいます」


丁寧な声のまま、そこだけ少し、ゆっくりになった。


「あなたが王都で何かを問われた時、知らずに踏むのと知っていて踏まないのとでは違います。ですから、お耳に入れました」


「それは、ご忠告として受け取っていいものですか」


エルナ様の声は穏やかで、でも一歩も引いていなかった。


「祭司として、です」


リーゼ司祭は、初めて少しだけ笑った。


「この子は、村の祭司と共に歩いています。前にそう申し上げました。その言葉は、今も帳面に残っています」


「ならば、王都でもそのように」


エルナ様が帳面の角に指を当て、リーゼ司祭は目を細めて頷き返した。

その先は、わたしには読めない言葉で交わされていた。


◇◇◇


リーゼ司祭は、午後の早いうちに発っていった。


次の村の祭務が、まだ三つ残っているらしい。


戸口で見送ったあと、教会の中は急に広くなった気がした。


エルナ様は祭壇に戻って、朝に替えたばかりの布の端を、もう一度まっすぐに直した。

直さなくても、まっすぐだった。


「リナ」


「はい」


「行くかどうかは、あなたの家が決めることよ。わたしは口を出さない」


布から手を離して、エルナ様はわたしを見た。


「でも、行くと決めたら教えて。王都の神殿に、わたしから先に文を出します。この子は村の祭司と共に歩いてきた、と。帳面より先に、わたしの字で」


目の奥が、じわりと熱くなった。


一年前、この人は「唱えたのはわたし」と言って、わたしの前に立ってくれた。

今度は、わたしが行く先にまで、先回りして立とうとしている。


「……ありがとうございます」


「それと」


エルナ様の声が、少しだけ柔らかくなった。


「気をつけてね」


聞き慣れた言葉のはずだった。


でも今日のそれは、いつもより重いところに落ちた。

神殿の帳面と、審問の記録と、王都の目。

その全部を知った上での「気をつけてね」だ。


「……はい」


わたしは、はいとしか言えなかった。


◇◇◇


帰り道、畑の脇で立ち止まって、夕方の空を見た。


頭の中で、紙が一枚、ずっとちらついている。


見たことのない紙。

商いの悪事の束に交じった、神々の古い字。


あの暗号の設計は、外から来たものだった。

この商会の中の、誰の頭でもない。

そこまでは、去年のわたしが確かめた。


その「外」に、今日、一つ属性が増えた。


(——古い字を、読める)


(——もしかしたら、書ける)


作者の分からない図面。

言葉を構造で見る癖。

神々の古い字。


同じ一人なのか、別々なのか、それすら分からない。


確かめられる場所は、たぶん一つしかない。


原本の束がある場所。

写字室がある場所。

技師団の棚がある場所。


夕方の風はまだ冷たいのに、足の裏だけが、先に歩き出したがっていた。


■あとがき・解説


第151話は、神殿の視線が「商会の暗号事件」と「王都行き」の両方に重なってくる回でした。


今回は「写字室」「欄外の書き込み」「知っていて踏まない」についてゆるく書いていきます。


■この話で出てきた言葉


■「写字室」——読めない字の行き先


印刷が広まる前の世界では、本は人の手で写して残すものでした。

現実の中世でも、修道院の写字室スクリプトリウムが書物の保存と複製を担っています。


この世界では、神殿の写字室が古い祈祷文の方言を写し継いでいます。

だから「誰も読めない字」が見つかると、巡り巡って神殿に届くのです。


審問所と神殿という別々の組織が、紙一枚で繋がる。

情報の流れは、組織図の線とは違うところを通ります。


■「欄外の書き込み」——本文より雄弁な余白


古文書の研究では、本文よりも余白の書き込みが手がかりになることがよくあります。

書いた人の癖、使った言葉、何のためにその紙を持っていたか。


リナが解いた暗号文は、ぜんぶ普通の字でした。

けれど彼女が見たのは写しだけで、原本の束には見ていない紙がある。


「自分が確かめた範囲」と「実際にあった範囲」の差。

そこに、次の謎が滑り込んできます。


■「知っていて踏まない」——リーゼ司祭の善意


リーゼ司祭は、リナの敵ではありません。

彼女は秩序を守る側の人で、その立場のまま、できる範囲の親切をしています。


「知らずに踏むのと、知っていて踏まないのとでは、違います」


警告は、相手を縛るためにも、守るためにも使えます。

同じ言葉がどちらに転ぶかは、これから先の王都で決まっていくはずです。


次の話もお楽しみに。


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