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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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144/211

第144話 黒い手の正体

役所の奥の間は、いつもの部屋より狭かった。


窓がひとつ。

机がひとつ。

椅子が六つ。


人払いがしてある。

廊下には町の書記がひとり立ち、誰も近づけない。


ヨハンは、自警団の上着で来ていた。


家で会う兄とは、少し顔が違う。

目の配り方が、戸口と窓を先に見る顔になっている。


それでも、わたしを見つけると眉だけで笑った。


机の上に、わたしは解いた紙を置いた。


つぎのには、きたのみちをつかえ。

ひかりのとうのみえるみちを、とおるな。

しるしは、ふたつのいし。


コルネリアさんが読み上げる声は、低かった。


読み終えると、部屋の中で最初に動いたのはヨハンだった。


「二つの石」


兄は壁の地図に歩み寄った。


「北の細道の先だ。水車小屋の旧道に、分かれ道がある。古い道標が二つ、並んで立ってる」


「確かか」


父が聞く。


「迷子の子を探した時、自警団で通った。間違いない」


あの日の捜索の道が、こんなところでつながった。


(——助けた道と、追う道が、同じ道)


◇◇◇


「商会の見当も、つきました」


ベルマン氏が、厚い帳面を机に置いた。


いつもの薄い革鞄ではない。

ギルドの帳場から持ち出してきた、貸し借りの台帳だった。


「この半年、北の道筋で荷の動きが増えています。塩、鉄、それから染料。どれも、相場が動く前に動く荷です」


ベルマン氏の指が、頁の上を滑る。


「買い付けの名義は別々ですが、銭の出どころをたどると一つに集まる。ギルドに属さない、西方の独立商会です」


「名前は」


コルネリアさんが聞いた。


「ザイデル商会。頭目は、ロドリク・ザイデル」


その名前が、狭い部屋に置かれた。


黒い手。


足跡と白い線と、倒された塔。

その向こうにいた誰かに、初めて名前がついた。


「どんな人ですか」


わたしは聞いた。


「商人です」


ベルマン氏は、短く答えてから続けた。


「早馬の中継で伸びた男です。各地の相場をいち早く知り、買い、値が上がってから売る。速さで儲ける商いです」


「会ったことは」


「二度だけ。値切らない男です」


値切らない。


その言葉に、卿の顔が一瞬重なった。


「卿と同じ、ですか」


「いいえ」


ベルマン氏は、はっきり首を振った。


「卿は、薄くなるから値切らない。ザイデルは、時を買っているから値切らない。値段の代わりに、速さで払わせる男です」


同じ言葉の、まるで違う中身だった。


(——あ)


(——そういうこと)


腑に落ちる音が、自分の中でした。


光の塔は、知らせを速くした。

誰にとっても、同じだけ速くした。


相場の知らせが光で走れば、先回りの儲けは消える。

ザイデルの速さは、ザイデルだけの速さだったから値打ちがあった。


「網は、あの人の商売を壊してたんですね」


「ええ」


ベルマン氏は頷いた。


「ですから、壊し返しに来た。そして自分は、別の速さを買った」


別の速さ。


机の上の、間のないかなの川。

あの暗号が、ザイデルの買った速さだ。


◇◇◇


卿の使者が、初めて口を開いた。


「卿の調べも、お伝えします」


白い手袋が、薄い紙を一枚出す。


「押収した荷の出どころは、ザイデル筋の倉でした。ここまでは、ベルマン殿の帳簿と合います」


「ここまでは」


コルネリアさんが聞き返す。


使者は、少しだけ間を置いた。


「指図の文の中に、荷の道筋がもう一つ書かれていました。解読いただいた文とは別の便です。その道筋は——ヴェルメル家の荷の来月の予定と重なります」


部屋が静かになった。


来月の予定。


まだ動いていない荷の道を、敵の指図が知っている。


「それは」


わたしは言いかけて、止まった。


家の外に出ていないはずの紙が、外にある。


使者の白い手袋が、紙を畳んだ。


「この先は、卿にのみ、口頭で」


そう言って、紙を懐へ戻す。


誰も、続きを聞かなかった。

聞いてはいけない続きだと、全員が分かっていた。


廊下で、書記の小さな咳払いがひとつ聞こえた。


わたしは、邸の二階の窓を思い出していた。


動かない人影。

見ないことになっている音。


(——読ませない相手は、家の外だけじゃない)


卿があの紙に書いた一行が、形を持ち始めている。


◇◇◇


「もう一つ、符合があります」


コルネリアさんが、古い記録簿を開いた。


「偽急報の日です」


青の月の十二日。

西の宿場手前から来たことになっていた、馬車横転の嘘。


「ベルマン殿。この日の荷の記録は」


ベルマン氏が台帳をめくる。

指が、一つの行で止まった。


「……ザイデル筋の名義の荷が、西の宿場を昼に通っています。町の応援が、空振りで出払っていた刻限です」


息を呑む音が、どこかでした。

たぶん、わたしの音だった。


あの嘘は、ただの嫌がらせではなかった。


応援を空振りさせ、道と目を空けさせて、その隙に荷を通した。


「笠の男」


ヨハンが低く言った。


「あの日、札を持ち込んだやつだな」


「おそらくは、ザイデルの手の者です」


コルネリアさんが答えた。


「断定はまだできません。ですが、嘘の使い方が同じです。速さで、人の目をずらす」


◇◇◇


段取りは、昼までに決まった。


ヨハンの自警団が、二つの石の道を見張る。

卿の手の者が、ザイデル筋の倉を調べる。

塔の網は、北の道筋の塔だけ夜番を増やし、見たものを記録する。


追わないのは、わたしと父だけだ。


「俺たちは戻る」


父が立ち上がった。


「リナは、次の指図が押収されたら解く。それが仕事だ」


ヨハンがわたしの頭に、手のひらを一度だけ載せた。


「足跡の型は控えてある。街道の丘のやつだ」


「うん」


「捕まえたら、靴と比べる。お前が三度数えた足だ」


兄はそう言って、先に部屋を出ていった。


自警団の歩幅で、廊下を鳴らしながら。


◇◇◇


帰り道、馬車の中で、わたしは膝の上の鞄を抱えていた。


ロドリク・ザイデル。


名前は、ついた。


速さで儲けて、速さを潰されて、速さを買い戻そうとした商人。

動機も、道筋も、商いの言葉で全部説明がつく。


説明がつくのに、わたしの中の引っかかりは消えていなかった。


あの暗号は、ザイデルが買ったものだ。

五字の束も、埋め草も、ずらしの規則も。


買い物は、説明がついた。


売り物を作った手には、まだ名前がない。


窓の外で、街道の丘の仮灯り台が遠ざかっていく。


明日から、追う日々が始まる。


追う人たちが捕まえるのは、たぶん、買った人だ。


作った人は——


わたしはたぶん、まだ、あの二枚の紙の前に戻ることになる。


■あとがき・解説


第144話は、黒い手に名前がつく回でした。


今回は「速さの独占」「符合」「買った人と作った人」についてゆるく書いていきます。


■この話で出てきた言葉


■「速さの独占」——情報の早さは、それ自体が商品


ザイデル商会は、早馬の中継で「誰より先に相場を知る」ことで儲けてきました。


光の塔は知らせを速くしましたが、それは「みんなを同じだけ速くする」変化です。


独り占めしていた速さが、公共の速さに変わる。

通信インフラの登場が既存の商売を壊す——これは現実の歴史でも繰り返されてきた構図です。


■「符合」——記録は、あとから語り出す


偽急報の日にザイデル筋の荷が宿場を通っていた。


この符合を見つけたのは、コルネリアさんの記録簿とベルマン氏の台帳でした。


事件のさなかには意味を持たなかった記録が、あとから並べると一本の線になる。

退屈な帳面を付け続ける人たちが、この回の影の主役です。


■「買った人と作った人」——名前がついても、終わらない


頭目の名前は分かりました。

動機も商いの言葉で説明がつきます。


でも、あの暗号を設計した手には、まだ名前がありません。


リナの言う「紙の外に、まだひとりいる」が、この先の物語に残る問いです。


次の話もお楽しみに。


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