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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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143/211

第143話 図面と暗号と、わたし

朝の丘は、いつもの音で動いていた。


封紙を確かめるニコの声。

布を巻き直すダンの手。

記録板の上を滑る炭筆。


壊された朝から、まだひと月も経っていない。

なのに、この音はもう日常の顔をしている。


その日常の上で、わたしは四文字だけを送った。


あいたい。


ダンが布を確かめ、ニコが止め板に手を置く。

遮蔽板が開いて、閉じて、また開く。


短い光と長い光が、町へ向かって駆けていった。


「これだけですか」


ニコが聞いた。


「これだけ」


「急ぎなのに」


「急ぎだから」


ニコは少し考えて、それ以上聞かなかった。


解いた指図の中身は、鞄の中の紙にある。

光には載せない。


空の上を、中身のない言葉だけが走っていく。


(——見られてもいい言葉だけが、速く飛べる)


(——本当の言葉は、まだ歩くしかない)


◇◇◇


昼、工房の机の上に、わたしは二枚の紙を並べた。


右に、古い技師団図面の左端の写し。

発信地の印。

受けた塔番。

時刻。


左に、昨日まとめた暗号の構造のメモ。

言葉の間を消す。

五字の束で切る。

余りは埋める。

表は配らず、作り方を配る。


右の紙と、左の紙。


塔の図面と、敵の暗号。


作られた場所も、使われ方も、まるで違う。


なのに、並べると遠い親戚のような顔をしている。


入口で確かめる。

中を軽くする。

仕組みを先に立てて、言葉や物を後から流し込む。


(——同じ手つき)


(——でも)


わたしは右の紙の余白を見た。


テオドール様の添え書きにあった言葉。

王都技師団の旧蔵資料。

実用記録なし。


この図面は、古い。

書庫の棚で長いこと眠っていたものだ。


左の暗号は、今、生きて使われている。

昨日も、たぶん今日も、どこかの荷の底で。


同じ誰かの手つきだとしたら。


(——いつの人なの)


古い紙の人が、まだどこかで生きているのか。

古い紙の人の道具だけが、人から人へ流れてきたのか。

それとも、似た手つきの人が、別々の時代に二人いたのか。


ふと、バルドゥス爺さんの声を思い出した。


古代に、「眼」を持つ存在がいた。

世界の根っこに触れて、世界の外へ消えた。


爺さんの家で聞いた伝承だ。


(——まさか)


首を振る。


あれは何百年も昔の、伝承の中の話だ。

この図面はせいぜい、おじいさんの、そのまたおじいさんの頃のもの。

暗号にいたっては、昨日今日の生きた道具だ。


つながるはずがない。


つながるはずがないのに、一度浮かんだ連想は、灰の中の火種みたいにくすぶり続けた。


考えは、そこから先へ進まない。

進む材料が、まだ何もない。


ただ、一つだけ。


どの答えだったとしても、最初に紙へ線を引いたその誰かは——


わたしと同じ場所を見て、わたしと同じ順番で考えている。


わたしの他にも、いるのかもしれない。


そう思った瞬間、二つの気持ちが同時に立った。


ひとつは、温かいもの。

この世界で誰にも話せなかった考え方を、紙の向こうの誰かが知っている。

ひとりじゃないのかもしれない。


もうひとつは、冷たいもの。

その誰かの道具は今、塔を壊す側の荷の底で働いている。


会いたいのか、会いたくないのか。

自分でも分からなかった。


◇◇◇


夕方、台所でノラが紙と睨み合っていた。


おにい。


三文字で止まっていた、あの紙だ。


「ねぇね」


「なに」


「これ、やっぱりおくりたい」


ノラは紙を両手で持っていた。


「ひかりは、だめなんでしょ」


「光だと、途中の塔の人がみんな読んじゃうからね」


「おにぃちゃんだけが、いい」


エマがかまどの前から振り返って、わたしを見た。

任せる、という目だった。


わたしはノラの隣に座った。


「ノラ。手紙にしよう」


「てがみ、おそい」


「うん、遅い。でも、誰にも読まれない」


わたしは紙の畳み方を見せた。


書いた面を内側にして、二度畳む。

端に糊を引いて、ぴったり閉じる。


「これで、開けた人にしか読めない。開けたら、跡が残る」


「あとが、のこる」


ノラは畳んだ紙の端を、小さな指でなぞった。


「とちゅうでだれかがあけたら、わかるの?」


「分かる。糊が破れるから」


言いながら、わたしは少し笑いそうになった。


布時計の小箱に貼った封紙と、同じだ。

壊されないための守りではなく、触られたことに気付くための守り。


塔を守る決まりが、妹の三文字を守る形と、同じところにいる。


ノラは続きを書き始めた。


おにい。

げんきですか。

ノラは、じをれんしゅうしています。

こんど、ひかりでおくります。


最後の一行に、わたしは声を出さずに笑った。


光で送るつもりなのだ。

いつか。


「ねぇね、ひかりでは、いつおくれるの?」


「いつかね」


「いつかって、いつ」


「ノラがもっと字を覚えて、わたしがもっと考えたら」


ノラは納得していない顔で、それでも糊の端をぎゅっと押さえた。


小さな封がひとつ、台所の机の上で乾いていく。


エマは自分の手紙の最後に、一行を足していた。

覗くつもりはなかったけれど、見えてしまった。


ノラの封は、ノラだけのものです。あなたも封のまま読みなさい。


お母さんは、わたしが説明するより先に、封の意味を分かっていた。


「お母さんも、誰かに内緒の手紙、書いたことある?」


聞いてみると、エマは笑って、答えなかった。


答えないことが、答えのような気もした。


エマの手紙に同封して、明日の荷で町へ出す。

ヨハンのところへは、三日かけて歩いて届く。


遅い。

でも、ひとりにだけ届く。


◇◇◇


夜、丘の方から光が返った。


ダンが届けてくれた読み取りの控えには、短い言葉が二つ。


あす、あさ。

やくしょ。


明日の朝、役所で。


コルネリアさんの返事だ。

卿の使いにも、声がかかっているはずだった。


鞄の中の紙を確かめる。


解いた指図。

北の道。

塔の見える道を避ける。

二つの石。


明日、この言葉たちは追う人たちの机に載る。

ヨハンの自警団も、たぶん動く。


工房から、父が顔を出した。


「明日は、俺も行く」


「うん」


「お前は解く係だ。追う係じゃない」


それだけ言って、引っ込んだ。


追う係じゃない。


その言葉が、思ったより深いところで、ゆっくり効いた。


言葉の先で、誰かが捕まるかもしれない。

その重さまで十一歳が背負うことはない。


父はたぶん、そう言ってくれている。


寝る前に、わたしはもう一度だけ、二枚の紙を見た。


右の古い図面。

左の新しい暗号。


紙の向こうの誰かへ、声に出さずに聞いてみる。


(——あなたは、誰)


答えはない。


灯りを消すと、二枚の紙は同じ闇の中に沈んだ。


明日は、追う日が始まる。


■あとがき・解説


第143話は、図面と暗号を机に並べて考える、静かな回でした。


今回は「速い言葉と歩く言葉」「封」「いつの人」についてゆるく書いていきます。


■この話で出てきた言葉


■「速い言葉と歩く言葉」——通信路の使い分け


リナが光で送ったのは「あいたい」の四文字だけ。

解いた指図の中身は、紙のまま鞄で運びます。


見られてもいい言葉だけが速く飛べて、本当の言葉はまだ歩くしかない。


何をどの道で運ぶかを選ぶこと自体が、通信の設計の一部です。


■「封」——妹の三文字と塔の封紙


ノラの手紙は、畳んで糊で閉じました。


開けた人にしか読めなくて、開けたら跡が残る。


これは布時計の小箱に貼った封紙と同じ考え方です。

壊されないための守りではなく、「触られたことに気付く」ための守り。


同じ原理が、塔の運用と妹の内緒を両方守っている——この対比を書きたくて、この回を作りました。


■「いつの人」——時間という新しい謎


図面は書庫で眠っていた古いもの。

暗号は、今まさに使われている生きた道具。


同じ手つきだとしたら、その誰かはいつの人なのか。


まだ生きているのか、道具だけが流れてきたのか、それとも別々の二人なのか。


リナの「わたしの他にも、いるのかもしれない」には、温かさと冷たさが同時に入っています。

ひとりじゃないかもしれない希望と、その誰かの道具が塔を壊す側で働いている現実と。


明日は、解いた指図が追う人たちの机に載ります。


次の話もお楽しみに。


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