第142話 暗号文の癖
数える日が、三日続いた。
エマの手紙の写し。
ヤンさんの記録板の控え。
町の通信覚書。
ノラの練習の紙まで借りた。
「ねぇね、それ、あめ?」
棒線の並んだ紙を見て、ノラが聞いた。
「雨に見える?」
「ふってる」
そうか。
これは、この世界の言葉に降っている雨の量なのか。
ノラの言うことは、ときどき本に書いておきたくなる。
この世界の言葉で、どの音がよく出るか。
「い」が多い。
「の」と「に」と「し」が続く。
「を」は思ったより少ない。
かなの横に、棒線が並んでいく。
一画ずつ増えていく棒線は地味で退屈で、嘘をつかない。
(——表より長く使える道具)
(——この紙は、これから先もずっと働く)
押収された文は、机の真ん中に置いたままだった。
びっしりと詰まった、間のないかなの川。
数えた紙が育つまで、わたしはあの川に手をつけなかった。
道具なしで飛び込んで溺れるのは、前世で十分やった。
王都の書庫からは、まだ何も来ない。
あの図面の作者は、宙に浮いたままだ。
◇◇◇
四日目の朝、川を測ることから始めた。
全部で、百と十五字。
書き写しながら、おかしなことに気付いた。
癖で、わたしは五字ずつ写していた。
写し間違いを防ぐために、固まりで区切って写す。
その五字の区切りと、文のどこかが、妙に馴染む。
(——え?)
もう一度、最初から五字ずつ、薄い線で区切ってみる。
百十五字。
五字の束が、二十三。
割り切れた。
それだけなら、偶然でいい。
最後の束を見て、手が止まった。
最後の五字のうち、終わりの二字が同じ字だった。
その字は、文中でほかに一度も使われていない。
(——余りを、埋めてる)
言葉は、五で割り切れたりしない。
割り切れたのは、割り切れるように誰かが埋めたからだ。
背中に、薄い寒気が走った。
この文は、言葉の長さを隠しているだけじゃない。
意味の区切りを全部捨てて、同じ大きさの束に詰め直している。
(——言葉として書かれてない)
(——構造として、書かれてる)
◇◇◇
夕方、父が工房に入ってきた。
机の上の紙を見て、聞く。
「読めたか」
「まだ。でも、形が分かってきた」
わたしは五字の束を指した。
「言葉の切れ目じゃなくて、同じ長さで切ってある。余った場所は捨て字で埋めてある」
父は紙を見下ろした。
「歯車の歯数を揃えるのと同じだ」
「……うん」
そうだ。
父の言う通りだ。
歯車を作る人は、木目に合わせて歯を切らない。
決めた数で切る。
素材の都合より、噛み合わせの都合が先に来る。
この文を作った誰かは、言葉を素材としてしか見ていない。
先に来ているのは、束の大きさと、噛み合わせだ。
「職人だな」
父は短くそう言って、夕飯に呼びに来ただけの用件を思い出したように、戸口へ戻った。
職人。
その言葉が、夜まで机の上に残った。
◇◇◇
置き換えの表は、その夜に割れ始めた。
数えた紙が、働いた。
文の中でいちばん多い字を、この世界でいちばんよく出る音に仮置きする。
二番目を二番目に。
外れたら、入れ替える。
旧符牒の時のような芋づるではなかった。
一字ずつ、棒線の紙と突き合わせる地道な往復だった。
三度、仮置きを間違えた。
間違えるたびに最初へ戻り、入れ替えて、また数えた。
数える紙は、間違いを責めない。
ただ、合わない場所を黙って見せてくる。
割れた字を表に並べたところで、今度は別の寒気が来た。
割れた置き換えが、ばらばらじゃない。
あ、は、か。
か、は、さ。
さ、は、た。
五十音の表の上で、行がひとつずつ、ずれている。
定規で線を引いたような、ずれ方だった。
(——この表、配ってない)
(——作り方を、配ってる)
紙に書いた表は、盗まれる。
燃やし忘れる。
押収される。
でも「表をひとつずらして作れ」という決まりなら、紙は要らない。
頭の中に入れて、どこへでも運べる。
疑われたら、覚えたまま黙っていればいい。
わたしが卿に言った「取り替えられる表」の、さらに先だ。
表そのものを物として持たない。
規則だけを持つ。
(——鍵を、物にしていない)
膝の上で、手のひらが冷たくなっていた。
◇◇◇
夜更けに、文が開いた。
ほどけた言葉を、間を補いながら並べていく。
つぎのには、きたのみちをつかえ。
ひかりのとうのみえるみちを、とおるな。
しるしは、ふたつのいし。
荷の指図だった。
北の道を使え。
光の塔の見える道を、通るな。
二つの石。
それは、どこかの道端の目印だろう。
読めたのに、まだ場所の分からない言葉が、紙の上に残った。
読み終えて、わたしは窓の外を見た。
丘の上の、低い仮灯り台。
あの光が見える道を、誰かが避けて荷を動かしている。
塔は、ただ知らせを運んでいるだけじゃなかった。
立っているだけで、誰かの道を曲げていた。
息を一つ、吸って吐いた。
倒された朝の、折れた支柱を思い出す。
焦げた灯り箱と、泥のついた銅板。
(——網は、見張りにもなってる)
(——だから、壊しに来たんだ)
便利だから狙われた、だけじゃない。
見られたら困る誰かが、あの道の先にいる。
これは父とコルネリアさんと、卿に伝えなければならない。
荷の道が変わったなら、追う側の道も変えられる。
翌朝いちばんの通常伝言で、町へ「あいたい」とだけ送ろう、と決めた。
中身は、光に載せない。
解いたばかりのわたしが、誰より分かっている。
光は速くて、誰にでも見える。
でも。
報せの文をまとめながら、わたしの頭は別のところにいた。
◇◇◇
夜。
清書を終えた机の上で、解いた構造をもう一度並べてみた。
言葉の間を消す。
同じ長さの束で切る。
余りは捨て字で埋める。
表は配らず、作り方を配る。
ひとつひとつは、思いつける。
わたしだって、間を消すことは三日で思いついた。
これは、全部が揃っている。
最初から、ひとそろいの道具として設計されている。
入口で隠し、束で揃え、規則で配る。
(——言葉を守ろうとした人の形じゃない)
(——仕組みを組んだ人の形だ)
商会の頭目が、商いの合間に思いつく形ではない。
代々の符牒を少しずつ直してきた家の形でもない。
椅子の上で、足の裏がじわりと冷えた。
これは、外から来た設計だ。
誰かが、ひとそろいで作って、渡した。
この商会の中の、誰の頭でもない。
そこまで考えて——気付けば、息が浅くなっていた。
束で揃える。
規則で配る。
意味より構造。
その手つきを、わたしは知っている。
知っているどころではない。
前世のわたしは、毎日その手つきで物を作っていた。
そして——つい先日も、同じ手つきを見た。
入口で確かめ、中継を軽くして、比較の紙を分けた——あの古い図面。
椅子から立ち上がっていた。
棚の上に、わたしが自分で写した紙がある。
古い技師団図面の、左端だけの写し。
手が、勝手にそちらへ伸びていた。
■あとがき・解説
第142話は、押収された暗号文をリナが解き、その「作り」に何かを感じてしまう回でした。
今回は「束で切る」「埋め草」「規則を配る」についてゆるく書いていきます。
■この話で出てきた言葉
■「束で切る」——意味の単位ではなく、構造の単位
押収された文は、言葉の切れ目ではなく五字ずつの束で書かれていました。
実際の暗号の世界でも、文を決まった長さの組に区切って書く習慣があります。
言葉の長さという手がかりを消すためです。
意味の都合より、処理の都合を先に立てる。
これは「言葉を書く人」ではなく「仕組みを組む人」の発想です。
■「埋め草」——割り切れるのは、埋めたから
言葉は、都合よく五で割り切れたりしません。
最後の束の余りを捨て字で埋める——この一手間で、束の大きさが揃います。
リナが最初に寒気を覚えたのはここでした。
埋め草は、文ではなく構造を整えるためだけに存在する字だからです。
■「規則を配る」——鍵を物にしない
置き換えの表を紙で配れば、紙は盗まれ、押収されます。
でも「五十音の表をひとつずらして作れ」という規則なら、紙は要りません。
リナがヴェルメル卿に提案した「取り替えられる表」の、さらに一歩先。
鍵を物として持たず、頭の中の規則として持つ考え方です。
ひとつひとつは思いつけても、全部が最初から揃っている。
その「ひとそろいの設計」に、リナは見覚えのある手つきを感じてしまいました。
机の上には、あの古い図面の写しがあります。
次の話もお楽しみに。




