第141話 解読の手筋
しま、は、つく。
そう置いてみた瞬間から、紙の上の景色が変わった。
し、は、つ。
ま、は、く。
割れた二文字を、ほかのかたまりへ差し込んでいく。
けろ なと ふへ【つ】 【つく】 おゆおさ おえ
三字のかたまりの最後が「つ」。
荷の知らせで、「つ」で終わる三字。
「にもつ」
声に出してみる。
なら。
ふ、は、に。
へ、は、も。
筆が走り始めた。
(——芋づるだ)
(——一つ割れると、割れた字が橋になる)
◇◇◇
でも、橋はそこで一度途切れた。
残ったかたまりに、判明した四文字が一つも入っていない。
けろ なと 【にもつ】 【つく】 おゆおさ おえ
けろ。
なと。
おゆおさ。
おえ。
知らない字ばかりが残っている。
灯りの油が、ちり、と小さく鳴った。
夜は深い。
家の中はもう静かだ。
(——あと少しだけ)
知っている熱だ。
前世のわたしを、最後まで机に縛りつけた熱。
わたしは一度筆を置き、両手を上げて伸びをした。
残りは四かたまり。
手筋は見えている。
なら、これを終えたら寝る。
そう決めてから、筆を取り直した。
決めて持つ筆は、決めずに持つ筆より静かだった。
◇◇◇
四字のかたまりを見る。
おゆおさ。
お。ゆ。お。さ。
一字目と三字目が、同じ「お」。
(——繰り返しの形)
置き換えは、字を変える。
同じ字が同じ字であることまでは、変えられない。
「お○お○」の形をした、四字の言葉。
荷の知らせに出る言葉で。
みなみ、の。
形が、ぴったり重なった。
「……みなみの」
お、は、み。
ゆ、は、な。
さ、は、の。
すぐ隣の二字へ移る。
おえ。
み、○。
道の知らせで「み」から始まる二字。
みち。
え、は、ち。
紙の上で、南の道が開いた。
けろ なと 【にもつ】 【つく】 【みなみの】 【みち】
◇◇◇
残りは二つ。
けろ。
なと。
荷の知らせの骨組みなら、ここは「いつ」だ。
二字の「いつ」を、わたしは並べてみる。
あす。
ひる。
あさ。
よる。
四つの候補に、判明した字は入っていない。
数でも決められない。
二つ並ぶなら、順番がある。
日が先で、刻が後。
あす、の、ひる。
あす、の、よる。
あさ——は、それだけで刻だ。
(——あす ひる)
(——明日の昼)
決め手は薄い。
ここだけは、当てずっぽうが少し混じる。
それに、困ったことに「ひる」と「よる」はどちらも「る」で終わる。
形だけでは選べない。
今夜のわたしに決められるのは、ここまでだ。
それでも、仮に置いてみた。
け、は、あ。
ろ、は、す。
な、は、ひ。
と、は、る。
【あす】 【ひる】 【にもつ】 【つく】 【みなみの】 【みち】
あす ひる にもつ つく みなみの みち。
——読めた。
明日の昼、荷物が着く。
南の道。
荷の知らせとして、何の引っかかりもなく通る文だった。
通ってしまった。
わたしは筆を置いた。
嬉しさより先に、冷たいものが背中を通った。
この符牒を、ヴェルメル家は長く使ってきた。
荷の知らせに。
たぶん、もっと大事な知らせにも。
わたしに解けたものは、わたし以外にも解ける。
灯りを消して、寝床に入った。
前世のわたしなら、解けた夜は眠れなかった。
解けた勢いで、次の何かを開いていた。
今夜は、目を閉じたらすぐ朝になった。
約束は三日。
かかったのは、一晩だった。
◇◇◇
朝、父に紙を見せた。
父は最初から最後まで読み、それから聞いた。
「確かか」
「最後の二つは、当てが入ってる。でも、残りは全部つながった」
「当てとは」
「ここ。『ひる』か『よる』か、形だけだと選べない」
父は紙を見たまま、少し考えた。
「荷は、昼に着くと書く」
「どうして」
「夜に着く荷は、知らせない。着いてから言う」
夜道の荷は、知らせ自体が盗まれる元になる。
時計の部品を運んできた父の、現場の言葉だった。
ひる、で決まった。
形で割って、数で割って、最後の一字は人の暮らしで割れた。
「なぜ破れた」
父の問いは、いつもまっすぐだ。
わたしは新しい紙に、三つ書いた。
一つ。
言葉の間が残っていた。
だから言葉の長さが見えた。
二つ。
繰り返しの形が残っていた。
同じ字は、置き換えても同じ字のままだった。
三つ。
書き方が決まっていた。
荷の知らせの骨組みは、誰が書いても同じだった。
朝食の時、ノラが聞いてきた。
「かえるさん、よめた?」
「読めたよ」
「なんて?」
「あしたのおひるに、にもつがくるって」
ノラはしばらく考えて、真顔で言った。
「かえるさん、はたらきもの」
エマが吹き出して、台所の湯気が少し揺れた。
けろ、は、あす。
かえるさんは最初から、明日を知らせていた。
「なら、新しい表は」
工房に戻ると、父が続きを引き取った。
「この三つを潰します」
言葉の間を消す。
繰り返しの形を崩す——置き換えの上に、並べ替えを重ねる。
そして表は、取り替えられる形で作る。
破った手で、破られない形を作る。
順番として、これ以上正しいものはなかった。
◇◇◇
三日目の昼、約束どおり使者が来た。
わたしは解いた文と、破れた理由の紙を渡した。
使者は読んだ。
白い手袋の指が、紙の上で一度だけ止まる。
「一晩、ですか」
「はい」
「卿に、そのままお伝えします」
使者は紙を丁寧に畳んだ。
「新しい表の件、卿は対価の書付を改めて送るとのことです。額は、町の相場見立てをコルネリア殿に確かめた上で、と」
「町を通すんですね」
「責は分ける。紙に書いた通りに、だそうです」
卿の言葉は、いつも約束の形をしていた。
それから使者は、革鞄をもう一度開けた。
「実は、もう一つ預かっております」
新しい紙が、机に置かれた。
「先日、卿の領地で荷が一つ、止められました。運び手が逃げ、荷の底からこれが出たそうです」
「運び手は」
「捕まっていません。顔を見た者もいません」
また、顔のない誰かだ。
紙の上には、かなが並んでいた。
びっしりと。
間がない。
言葉の切れ目が、どこにもない。
かなの川が、端から端まで一本につながって流れている。
わたしは、自分が書いた破れた理由の紙を思い出した。
さっき、この人に渡したばかりの紙だ。
一つ。
言葉の間が残っていた。
この紙には、間がない。
(——同じことに、気付いている)
(——わたしが一晩かけて気付いたことに、この誰かは、とっくに)
「卿のお言葉です」
使者が言った。
「『あなたの目に、見てもらいたい紙がある。読めるかどうかではない。これを作った者が、何を知っているかを知りたい』」
紙の中のかなは、一字も読めない。
なのに、作った誰かの手だけが、紙の向こうにうっすらと立っていた。
■あとがき・解説
第141話は、前話の暗号の答え合わせ回でした。
答えは「あす ひる にもつ つく みなみの みち」。
解けた方、おめでとうございます。
今回は「繰り返しの形」「芋づる」「最後は暮らしで割る」についてゆるく書いていきます。
■この話で出てきた言葉
■「繰り返しの形」——置き換えても、同じ字は同じ字
今回の決め手は「おゆおさ」でした。
一字目と三字目が同じ。
この形は、どんな表で置き換えても消えません。
「お○お○」の形をした四字の言葉を探せば、「みなみの」に辿り着けます。
単純な換字暗号のいちばん大きな弱点です。
■「芋づる」——一字割れると、橋になる
「しま=つく」が割れた瞬間、「し=つ」「ま=く」がほかの言葉に刺さっていきます。
暗号解読は、全部を一度に解くのではなく、確かな一字を橋にして渡っていく作業です。
だからこそ、作る側は「最初の一字」を割らせないことが大事になります。
■「最後は暮らしで割る」——ひる、か、よる、か
「ひる」と「よる」はどちらも「る」で終わるので、形では選べません。
決め手になったのは、お父さんの「夜に着く荷は、知らせない」という現場の言葉でした。
数学だけでは最後の一歩が埋まらないとき、人の暮らしの決まりが鍵になる——実際の暗号解読史でも、運用の癖から破られた暗号はたくさんあります。
そして最後に届いた、間のない、びっしりのかなの紙。
作った誰かは、リナと同じことに気付いているようです。
次の話もお楽しみに。




