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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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140/211

第140話 暗号を解く

使者は、また昼に来た。


黒い上着。

白い手袋。

今日は紙包みを一つ、机の上に置いた。


「卿よりお預かりしました」


包みの中には、古びた紙が一枚。


四つに折られていた跡が、十字の山になっている。

墨は茶色く褪せ、端は手の脂で柔らかくなっていた。


長く使われてきた紙の手触りだった。


紙の上には、かなが並んでいた。


 けろ なと ふへし しま おゆおさ おえ


読めない。


いや、字は読める。

全部、知っているかなだ。


言葉には、ならない。


「これは、ヴェルメル家で長く使われてきた符牒ふちょうの写しです」


使者が言った。


「荷の知らせに使うもの。表は、お持ちしていません」


「表なしで、どうしろと」


父が聞く。


使者は、わたしを見た。


「卿のお言葉です。『新しい表が本当に要るのか、まず確かめたい。今の符牒で足りているなら、それに越したことはない』」


(——試されている)


(——ううん。違う)


これは試験というより、正しい問いだ。


今ので足りるなら、新しいものは要らない。

作り手はいつも、その問いから逃げてはいけない。


「読めるかどうか、試させてください」


わたしは言った。


「表なしで。三日ください」


使者の眉が、白い手袋より少しだけ動いた。


「三日で読めると」


「読めなければ、今の符牒で足りています。読めてしまったら——」


紙の上のかなを見る。


「新しい表が要ります」


使者は一礼して、もう一つだけ言葉を置いた。


「卿より、もう一言。『これが破られるなら、家の悩みは符牒より深い』」


意味は、聞けなかった。

使者がそれ以上を知らない顔をしていたからだ。


「写しを、置いて行って大丈夫なのですか」


代わりにそう聞いた。


「古い荷の知らせです。日付はとうに過ぎています」


使者は手袋の指を揃えた。


「卿は、紙の中身より、破られるかどうかをお知りになりたいのです」


帰っていく馬車の音を聞きながら、わたしは紙をもう一度見た。


破られるなら、家の悩みは符牒より深い。


卿はたぶん、もう答えを半分知っている。

知っていて、確かめる役をわたしに渡した。


◇◇◇


午後、わたしは工房の机に写しを広げた。


まず、自分の紙に同じものを書き写す。


 けろ なと ふへし しま おゆおさ おえ


書きながら、手が覚えることがある。


六つのかたまり。

二字。二字。三字。二字。四字。二字。


(——言葉の間が、残っている)


狼煙の符号を作った時、わたしは間を三つに分けた。

短い間。

字の間。

言葉の間。


この符牒は、字を別のかなに置き換えている。

でも、言葉の切れ目はそのまま残している。


つまり、言葉の長さが見えている。


「形は隠れてない、ってことだよね」


独り言が出た。


机の向こうで、父が小刀を動かしている。

卿に納める表の枠を、もう彫り始めている。

まだ中身も決まっていないのに。


「読めそうか」


「分からない。でも、数えることはできる」


「なら読める」


父は顔も上げずに言った。


「お前の数えは、外れん」


小刀の音が続く。

わたしは少しだけ、紙に向かう背中がまっすぐになった。


わたしは新しい紙を出して、かなを一つずつ数え始めた。


け……一回。

ろ……一回。

な……一回。

と……一回。

ふ……一回。

へ……一回。

し……二回。

ま……一回。

お……三回。

ゆ……一回。

さ……一回。

え……一回。


「お」が三回。

「し」が二回。

あとは全部、一回ずつ。


(——短い文だから、数だけでは決められない)


(——でも、よく出る字は、よく出る音)


前世でも、似たことをした覚えがある。

意味の分からないログの中で、まず同じ形を数えた。

数えてから、意味を考えた。


ただ、前世の知識がそのまま使えるわけではない。


向こうの言葉には、よく出る字の決まった並びがあった。

表で覚えるほど有名な順番だ。


この世界のかなで何がよく出るかを、わたしはまだ数えたことがない。


(——なら、作るしかない)


わたしは手紙の束を思い出した。

エマがヨハンへ書いた手紙。

ヤンさんの記録板。

町の通信覚書。


この世界の言葉で、どの音がよく出るのか。

それを数えた紙は、表より長く使える道具になる。


今夜は間に合わない。

だから今夜は、もっと近道をする。


◇◇◇


夕方、ノラが工房に入ってきた。


机の上の紙を覗き込む。


「ねぇね、それなに?」


「読めない字」


「ノラ、読めるよ」


ノラは胸を張って、一番最初のかたまりを指でたどった。


「け、ろ」


「うん。字は読めるね」


「けろ。……かえるさん?」


思わず笑ってしまった。


「かえるさんかもしれない」


ノラは満足して、エマに呼ばれて台所へ戻っていった。


笑ってから、ふと手が止まった。


ノラは正しい。


これは「けろ」と読める。

読めるのに、意味が違う場所にある。


字の置き換えは、読める形をした読めなさだ。

読める部分から、崩せるはずだった。


エマが茶を持ってきてくれた。

椀を机の端に置く時、紙を見ないようにしてくれたのが分かった。


「夕飯までには切り上げてね」


「うん」


「目が近い。紙から離れて」


お母さんの言うことは、いつも符牒より正しい。


◇◇◇


夕飯の間、わたしは何度か箸を止めた。


「リナ」


エマに名前を呼ばれて、椀に戻る。


「ごめんなさい」


「謝らなくていいけど、豆は逃げないよ」


ノラが笑った。


「ねぇねのあたま、いま、かえるさんでいっぱい」


そうかもしれない。

頭の中で、けろ、が跳ねている。


父は黙って食べていた。

食べ終わると、先に工房の灯りをつけに行った。


◇◇◇


夜、灯りの下でもう一度、六つのかたまりを見た。


 けろ なと ふへし しま おゆおさ おえ


これは荷の知らせだ。

使者がそう言った。


なら、中身はだいたい決まっている。


宿で隊商の人たちが話すのを、聞いたことがある。

明日の昼に荷が着く。

南の道が崩れた。

塩が遅れる。


荷の知らせは、いつも同じ骨組みでできている。


いつ。

なにが。

どうする。

どこ。


荷の知らせに必ず入る言葉を、わたしは紙の隅に書き出した。


あす。

ひる。

にもつ。

つく。

みなみ。

みち。


(——人は、決まった形で書く)


(——置き換えても、形は形のまま残る)


二字の言葉が、この文には四つある。


けろ。

なと。

しま。

おえ。


そして荷の知らせには、必ず「どうする」が入る。


つく。

でる。

おくれる。


「どうする」は、「なにが」のすぐ後ろに来ることが多い。

この文で三字のかたまりは一つだけ。

その、すぐ後ろ。


しま。


もし「しま」が「つく」なら。


し、は、つ。

ま、は、く。


わたしは三字のかたまりを見た。


ふへし。


最後の字が「し」——「つ」で終わる三字の言葉。


指先が、すっと冷たくなった。


「○○つ」。


荷の知らせで、「つ」で終わる三字。


(——にもつ)


炭筆を持ち直す。


もしそうなら、芋づるだ。

一つ割れれば、割れた字が次のかたまりに刺さっていく。


窓の外はもう暗い。

台所から、夕飯の匂いがしている。


三日ください、と使者に言った。


その三日が、急に長すぎる約束に思えてくる。


炭筆を握り直した。


紙の上のかなから、目が離せなくなっていた。


■あとがき・解説


第140話は、ヴェルメル家の古い符牒にリナが挑み始める回でした。


本文に出てきた暗号文は、実際に解けるように作ってあります。

よかったら、リナと一緒に考えてみてください。

答え合わせは次話です。


今回は「言葉の間」「数える」「決まった形」についてゆるく書いていきます。


■この話で出てきた言葉


■「言葉の間」——区切りが見えると、長さが漏れる


この符牒は字を別のかなに置き換えていますが、言葉の切れ目はそのまま残しています。


つまり「二字の言葉」「三字の言葉」という形が丸見えです。


実際の暗号の歴史でも、区切りを残したまま置き換えだけをした暗号は、まず形から崩されました。


■「数える」——意味より先に、回数を見る


リナは最初に、どのかなが何回出るかを数えました。


短い文では決め手になりませんが、「よく出る字は、よく出る音」という考え方は暗号解読の基本中の基本です。


リナが「この世界の言葉で何の音がよく出るか」を数えた紙を作ろうとしているのは、その先の布石です。


■「決まった形」——人はいつも同じ骨組みで書く


荷の知らせには「いつ・なにが・どうする・どこ」が必ず入ります。


暗号を解く側から見ると、この決まった形こそが最大の手がかりです。


中身を隠しても、書き方の癖は隠れない——この考え方は、この先の話でも大事になってきます。


次の話もお楽しみに。


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