第14話 村の評判
あれから四十日ほど経って、父が二つ目の計算珠盤を職人ギルドの知り合いに見せたのは、ちょうど雷の月の二十五日のことだった。
父はそれを布の袋に入れてハーラム町への定期便の馬車に乗せた。
朝、わたしと家族で見送った。
「お父さん、無事に帰ってきてね」
「ああ」
それだけだった。
(……結果が分かるのはいつだろう)
父が帰ってきたのは二日後の夕方。
珠盤は父の手元に戻っていた。
ただ、父の顔は何かを噛みしめているような表情だった。いつもとは少し違う。
「お父さん、どうだった?」
「ふむ」
それだけ父は言った。
詳しいことはその日は教えてくれなかった。
(……気になる)
わたしの頭の中では可能性が無限大に分岐していた。
(うまくいった? でもならもっと嬉しそうな顔をするはず)
(失敗した? でもならもっと申し訳なさそうな顔をするはず)
(微妙……?)
父はしばらく自分の中で何かを整理しているように見えた。
◇◇◇
翌日、村でちょっとした変化が起きた。
朝、エマと一緒に井戸に行ったら村のおばあさんがわたしの目をまっすぐ見て笑った。
「リナちゃん、聞いたよ。あんたすごい道具を作ったんだってね」
「え、あ、その……」
——え?
(……どこから聞いたの?)
「ハーラム町の商人さんが昨日、馬車から降りるなり村で噂してたよ。『グレンフィールド村の時計師の娘が子供のくせに大人の職人にも作れない道具を自作した』って」
「あら、商人さんがどこで見たんでしょう」
「アルベルトさんが珠盤を職人ギルドに持ち込んだとき、ちょうど商人ギルドの使いが居合わせたんだとよ。そっから話が一気に広まったらしい」
その情報の早さに、わたしは内心で目を見開いた。
「家族の誇りだね、エマさん」
エマは少しだけ恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑った。
「ええ、本当に。リナがいい子に育ってくれて」
「うん、お母さん」
わたしは口の中で頷くしかできなかった。
(……お父さん、しれっと噂を広めたな。気が早いよ)
頭の中で文句を言いつつも、わたしの口元は勝手に緩んでいた。
◇◇◇
その日の午後、わたしの家にお客さんが来た。
「すまんな、エマさん、アルベルト。少しいいか」
野太い声と、土間の床をぐらりと揺るがすような足音。
声の主は——
身長がたぶん百八十センチを超える筋骨隆々の大男だった。
顔に古い火傷の痕があって、太い黒い髭で半分覆われている。
鍛冶屋特有の煤と煙の匂い。
——村の鍛冶屋の親方、グスタフだった。
わたしは初めて間近で彼を見た。
正直、ちょっと怖かった。
「グスタフさん、お久しぶり」
エマがいつもの調子で彼を居間に通した。
グスタフはわたしの顔をちらりと見て太い眉を少しだけ寄せた。
「……ふん」
最初のひと声は低かった。
品定めをするような目だった。
たぶんわたしのことを「八歳の魔力なき者がこさえた玩具など」と内心で半分くらいは思っている。
それは表情に出ていた。
別に責めるつもりはない。村の大人としてまっとうな反応だと思う。
「お前さんが噂のリナ嬢ちゃんかい」
「あ、う、はい」
「お前さんが面白い道具を作ったって話、聞いたぞ」
——え。
——その話、もう町の方まで広まってるんだ。
父が奥の工房からゆっくりと姿を見せた。
「グスタフ。話が早かったな」
「ハーラム町の連中が噂してたんでな。気になって足が勝手に動いた」
グスタフがどすんと椅子に腰を下ろした。
木の椅子がぎいと悲鳴を上げた。
「嬢ちゃん、見せてもらえるか。噂のやつ」
わたしはこくりと頷いた。
◇◇◇
棚から最初に作った——少し荒削りの——計算珠盤を、グスタフに見せた。
グスタフは太い指で玉を一つぱちんと動かした。
その瞬間、彼の眉の動きがわずかに変わった。
玩具を見る目から職人の目に切り替わった——気がした。
次にもう一つ。
そしてぱちん、ぱちん、ぱちんと何個か慣れた手付きで動かしてみた。
「……ほう」
野太い声が最初より少し低く響いた。
「これ、リナが自分で考えたんかい」
「あの、夢で見たんです」
「夢?」
「うん」
「……ほう」
グスタフがもう一度玉をいくつか動かした。
彼の指は思った以上に繊細だった。
「これな、嬢ちゃん」
「うん」
「これは職人の発想じゃねぇ」
——え。
(……まずい? 怒られる?)
「これは——」
グスタフがわたしをまっすぐ見た。
火傷の痕があるいかつい顔が、急にこちらを覗き込んできた。
「これは商人の発想だ」
「商人?」
「ああ。職人ならもっとこう、見た目の美しさを追う。歯車の数とか装飾とか。だが嬢ちゃんのこれはひたすら計算するためだけに作られてる。無駄がない」
——あ、
(——なるほど。プロは見るところが違う)
「だからこれは職人ギルドより商人ギルドの方が絶対気に入る」
グスタフはにやりと笑った。
そしてわたしの父を見た。
「アルベルト、お前これ、嬢ちゃんにもう一個作らせろ。ハーラム町の商人ギルドに本格的に持ち込んでみろ」
父はふむと頷いた。
「俺もそう思っている。だがそうなると——」
「俺も手伝う」
え。
(……グスタフさん、いま何て言った?)
(ありがたい。ありがたいけど——面白がられているだけ? それとも、何かを試されている?)
「俺は別に金が欲しいわけじゃねぇ。だが嬢ちゃんがこんなもんを作ったってのが、純粋に面白い」
グスタフが太い人差し指でわたしの肩をぽんと軽く叩いた。
「お前さん、いつでも俺の工房に来ていいぞ。鉄でも銅でも木でも何でも扱える。お前さんの『夢』を形にする手伝いをしてやる」
——わたしは口を開けたまましばらく言葉を失った。
頭の中では、グスタフ親方の工房と父の工房とこれから作りたいいろいろなものの可能性がばらばらと駆け出し始めていた。
(——機械式計算機)
(——論理ゲート)
(——パンチカード)
(——あれもこれも)
「リナ、リナ、ちょっとリナ」
エマがわたしの肩を軽く揺すった。
「あ、ご、ごめんなさい、お母さん」
「ぼうっとしてないでグスタフさんにお礼を言いなさい」
「あ、はい」
わたしはぺこりと頭を下げた。
「グスタフさん、ありがとうございます。お願いします、親方さん」
「おう」
グスタフはもう一度にやりと笑って立ち上がった。
ぎいと椅子がまた悲鳴を上げた。
去り際に彼は振り返ってわたしを見た。
「……リナ。一個だけ聞いていいか」
「はい」
「お前さん、本当に八歳か?」
——え。
(——踏み込まれた)
(この人、やっぱり怖い。これ以上は答えちゃいけない)
「……たぶん」
「たぶん、って何だ。その答えは」
グスタフが声を上げて笑った。
玄関の戸を開けて出ていった。
戸が閉まったあと、わたしと父はしばらく目を見合わせた。
父がぼそりと呟いた。
「リナ」
「うん」
「忙しくなるぞ」
わたしはこくりと頷いた。
胸の中で激しく何かが燃え始めていた。
■あとがき・解説
第14話は、リナの作った計算珠盤が、いよいよ家の外へと広がっていく回でした。
そして、新しい登場人物——鍛冶屋の親方グスタフが姿を現した回でもあります。
今回は技術用語というより、「噂が広まる」ことと「職人と商人のものの見方の違い」について、少し書かせてください。
■この話で起きたこと
■「噂の広がる速さ」
リナの作った道具を父アルベルトがハーラム町の職人ギルドに持ち込んだのは、雷の月の二十五日。
それから二日後の朝には、もう村のおばあさんが井戸でその話を口にしていました。
「商人さんが昨日、馬車から降りるなり村で噂してた」という、その情報の速さ。
これは現代の言葉でいう口コミにかなり近いものです。
電話もインターネットもない世界で、人から人へ「面白いもの」の話が伝わっていくスピードは、実は今のSNSにも負けないくらい速いことがあります。
人は「ちょっと変わった話」「他の人に教えたい話」を見つけると、放っておけない生き物だからです。
リナの作ったあの小さな珠盤が、たった二日で村の井戸端まで届いた事実は、彼女の「ものづくり」がもう家の中だけのものではなくなったという、ひとつの合図でした。
■「職人の発想」と「商人の発想」
グスタフ親方が珠盤を一目見て言った言葉。
「これは職人の発想じゃねぇ。これは商人の発想だ」
これはとても面白い指摘でした。
職人は、ものを丁寧に、美しく、長く使えるように作る人たちです。歯車の数を増やしたり、装飾を彫り込んだり、機構そのものに惚れ込んで凝りに凝った仕上げをする。「いいものを作りたい」が出発点。
商人は、ものを売る人たちです。「誰が買うのか」「いくらで売れるのか」「使う人にとって何が便利なのか」を考える。だから商人の発想で作られた道具は、目的に対して無駄がないものになりやすい。
リナの珠盤は、「計算を速くする」というたった一つの目的に向けて必要最低限のものだけで組まれていました。だからグスタフはその一目で見抜いたのです。
職人と商人、どちらが上ということはありません。両方の発想が噛み合うと良いものが生まれる、というだけの話です。
■「面白がる大人」がいるということ
グスタフが「俺は金が欲しいわけじゃねぇ。嬢ちゃんがこんなもんを作ったってのが、純粋に面白い」と言ってリナの肩を叩いた場面。
子供のすることを「面白がってくれる大人」が一人いるだけで、その子の世界はぐっと広がります。
親以外の大人が、自分の作ったものを真剣に見て、笑って、また見せてくれと言ってくれる。
これは、子供にとってちょっとした衝撃に近い体験です。
そして話の最後で、グスタフはひとつだけ踏み込んだ質問をしました。
「お前さん、本当に八歳か?」
リナの答えは「たぶん」。
彼女の中身を知っている読者からすると、ひやりとする一言です。
八歳児の体に前世の記憶を抱えるリナにとって、これは何より重い問いの一つでした。
次の話もお楽しみに。




