↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
135/211

第135話 依頼の条件

青の月二十四日の朝、町役所の窓は半分だけ開いていた。


外から入る風は昨日よりぬるい。

紙の端が少し持ち上がり、コルネリアさんが指で押さえた。


机の上には三枚の紙が置かれている。


破壊記録。

仮灯り台の運用札。

ヴェルメル伯爵家から届いた新しい封書。


赤い封蝋はまだ割られていなかった。


(——また、赤い)


(——壊す赤じゃない)


そう思っても、指先は少し固くなった。


一昨日、わたしは同じ色の封蝋を割った。

その横には折れた引き腕があった。


今日は引き腕の代わりに、父の小さな薄刃が置かれている。


◇◇◇


使者は前と同じ黒い上着だった。


白い手袋も同じ。

けれど今日は、靴の先に少し泥がついていた。

町役所の前で馬車を降りる時、避けきれなかったのだろう。


それだけで、少しだけ遠い人ではなく見えた。


「ヴェルメル卿より、条件の書き付けをお預かりしました」


使者はそう言って、封書を差し出した。


コルネリアさんは受け取らず、まず聞いた。


「町の通信塔を使う前提ですか」


使者の手が止まる。


「その可能性を含む、と伺っています」


「では、町の記録に載せます」


コルネリアさんは短く言った。


使者の眉がわずかに動いた。

貴族の紙を、町の帳面に載せる。

そのこと自体が、使者には少し引っかかったようだった。


ベルマン氏は何も言わず、帳面を開いた。

父は薄刃をわたしの方へ滑らせる。


「開けるか」


「はい」


わたしは薄刃を受け取った。

十一歳の手には、刃の柄が少し大きい。

でも、昨日よりは迷わず持てた。


封蝋に刃を入れる。

小さな音がして、赤い欠片が紙の上に落ちた。


◇◇◇


中には、細い字で書かれた紙が三枚入っていた。


一枚目。


『守るべき通信の種別』


二枚目。


『読ませてはならぬ者』


三枚目。


『失敗時の責』


わたしは三枚目で手を止めた。


責。


責任、と書かないところに、貴族の紙の硬さがあった。

短くすると軽くなる言葉ではない。

むしろ、逃げ道が狭くなる。


「読み上げます」


コルネリアさんが言った。


使者は頷いた。


一枚目には、領地から王都屋敷へ送る人の移動予定があった。

薬と医師の手配。

税の輸送。

屋敷内の使者の行き先。


そういうものが並んでいた。


火事やけが人の急報も、最後に小さく書かれている。


わたしはそこに目を止めた。


「急報も隠すんですか」


使者はすぐには答えなかった。


「必要な場合は」


その返事のあと、誰かが小さく息を吸う音がした。


コルネリアさんの筆が止まる。


父が短く言った。


「人が死ぬ」


使者が父を見る。


父は続けなかった。

でも、それだけで十分だった。


火事。

けが人。

助け。


それを町が読めなくしたら、走る人が遅れる。

秘密を守ったせいで、人が助からない。


(——隠せば安全、じゃない)


(——読めない人が、困る時がある)


わたしは紙の端を押さえた。


「急報は、町が読める形を残す必要があります」


声は思ったより小さかった。

でも、部屋の中ではよく聞こえた。


◇◇◇


二枚目には、読ませてはならない相手が書かれていた。


盗賊。

敵対商人。

他家の使用人。

道中の宿場。


それから、家中の者。


わたしはその行を二度見た。


「家の中の人にも、読ませないんですか」


使者は、ほんの少しだけ目を伏せた。


「必要な者だけが読めればよい、とのことです」


その言い方は丁寧だった。

けれど、紙の上の言葉は冷たい。


家の中にも、読ませたい人と読ませたくない人がいる。


ノラの字をヨハンにだけ読ませたいのとは違う。

同じ屋根の下で、誰かから誰かへ隠す秘密だ。


ベルマン氏が帳面の端を指で叩いた。


「相手が多すぎますな」


「多すぎる、とは」


使者が聞く。


ベルマン氏は柔らかく笑った。

目は笑っていない。


「盗賊と宿場と家中の者を、同じ箱に入れてはいけません」


箱。


その言葉で、頭の中に小さな木箱が浮かんだ。


誰でも見える場所にある箱。

でも開けられる人は限られる。

鍵を持つ人を決める。

鍵をなくした時の決まりも決める。


(——鍵)


前世の言葉が浮かぶ。


共通鍵。

鍵管理。


でも、口には出さない。


ここでは、箱と鍵の話でいい。


「読ませたくない相手は、ひとまとめにできません」


わたしは言った。


「盗賊に読ませないための守りと、家の中で読む人を限る守りは違います」


コルネリアさんがそのまま紙に書いた。


守る相手を分けること。


◇◇◇


三枚目の紙は、一番短かった。


『秘匿に失敗した場合、設計者は相応の責を負うものとする』


そこだけ、部屋が静かになった。


相応。


その言葉は便利だ。

便利すぎる。

あとからいくらでも広げられる。


父の指が、机を一度だけ叩いた。


「曖昧だ」


使者の顔が少し固くなる。


「詳細は、後日の契約で」


「後では遅いです」


コルネリアさんが言った。


「町の通信塔を通るなら、町にも責任があります。設計した者だけに責を置く書き方は認められません」


ベルマン氏も頷いた。


「商人の契約でも同じです。箱を作った者と、鍵を配った者と、鍵をなくした者は同じではありません」


使者は黙った。


白い手袋の指が、紙の端を一度だけ整えた。

迷う手つきだった。

この人も、持ち帰る言葉の重さを知っているのかもしれない。


わたしは三枚目の紙を見た。


手が少し冷えている。


前世でも、似た文を何度も見た。

障害が起きたら、作った人が悪い。

使い方を決めた人も、運用を変えた人も、鍵を放置した人も消えてしまう。


(——全部、作った人のせいにする紙)


喉の奥が詰まった。


でも、ここで黙ると、その紙はそのまま進む。


「わたしは、作る人です」


声を出すと、父がこちらを見た。


「でも、誰に渡すかを決める人ではありません。いつ使うかを決める人でもありません」


使者の視線が、わたしに向いた。


子供を見る目ではなかった。

測る目だった。


「ですから、責任は分けてください」


◇◇◇


コルネリアさんは新しい紙を出した。


そこに三つの空欄を作る。


守る知らせ。

読む人。

失敗した時に責任を負う人。


空欄の横に、小さな四角がいくつも並んだ。

町役所の紙らしい、逃げ道の少ない形だった。


「こちらを、町としての返答案にします」


コルネリアさんが言う。


「一つ。急報は町が読める形を残すこと」


筆が動く。


「二つ。読ませない相手を一括りにしないこと」


また、筆が動く。


「三つ。失敗時の責任は、設計者だけに置かないこと」


筆先が止まらず、さらに下へ進む。


発信者。

鍵を持つ者。

運用を許可する者。


それぞれの欄が、紙の上に分かれていった。


使者が口を開きかけた。


ベルマン氏が先に言った。


「ヴェルメル卿にお伝えください。秘密は高く売れます。ですが、責任の置き場がない秘密は、商売にも町にも載りません」


使者は、ゆっくり頭を下げた。


今度は前より少し深かった。


◇◇◇


使者が帰ったあと、部屋には三枚の紙が残った。


ヴェルメル家の条件書。

町の返答案。

そして、何も書かれていない予備の紙。


わたしは予備の紙を見ていた。


暗号。


その言葉は格好よく聞こえる。

秘密の文字。

選ばれた人だけが読める合図。


でも、机の上にあるのはそんなものではなかった。


薬の手配。

道の予定。

家の中で読ませない相手。

失敗した時の責任。


秘密にするということは、誰かの暮らしを守ることだ。

そして、誰かから見えなくすることだ。


父が薄刃を布で拭いた。


「作れるか」


短い問いだった。


わたしは少し考えた。


「たぶん、作れます」


父は頷く。


「受けるか」


今度はすぐに答えられなかった。


作れることと、受けていいことは違う。


コルネリアさんの紙には、まだ三つの空欄が残っている。


守る知らせ。

読む人。

失敗した時に責任を負う人。


わたしは、その空欄を見た。


「受けるか」


父の問いには、まだ答えていない。


赤い封蝋の欠片が、紙の端で小さく乾いていた。


■あとがき・解説


第135話「依頼の条件」でした。


今回は、暗号そのものを作る前に、依頼の条件を整理する回です。

秘密の文字を作れるかどうかより先に、何を守り、誰に読ませず、失敗した時に誰が責任を負うのかを確認しています。


■この話で出てきた言葉


■「守る知らせ」——暗号にする対象


暗号は、何でも隠せばよいものではありません。

薬の手配や道の予定のように隠したいものもあれば、火事やけが人の急報のように町が読めないと困るものもあります。

まず「何を隠すのか」を分けないと、仕組みは危険になります。


■「読む人」——鍵を持つ相手


作中では、箱と鍵のたとえで整理しています。

誰が読んでよいのか、誰には読ませないのか。

ここを曖昧にすると、どれほど良い暗号でも運用で壊れます。


■「責任を分ける」——作る人だけに背負わせない


暗号を作った人、使う人、鍵を持つ人、運用を許可する人。

それぞれ役割が違います。

失敗時の責任を全部「作った人」に置くと、実際の問題が見えなくなります。


暗号は格好いい秘密文字ではなく、誰かの生活を守るための約束でもあります。


次の話もお楽しみに。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。