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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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134/211

第134話 壊れた塔の朝

青の月二十三日の朝は、昨日より明るかった。


それなのに、街道の丘は暗く見えた。


倒れた塔の支柱は、まだ地面に横たわっている。

焦げた灯り箱は町へ運ばれた。

歪んだ銅板も、父の道具箱の横に置かれている。


丘の上には、空いた場所だけが残っていた。


何もない場所は、壊れたものより目立つ。


わたしは、草の上に立っていた。

朝露で靴の先が濡れている。

足元の土は昨日の人足で踏み固められ、ところどころ黒くなっていた。


(——ここに、光があった)


(——今は、空だけがある)


父は、折れた支柱の根元を見ていた。

ヤンさんは少し離れて、丘の下の道を見ている。

ダンとニコは、昨日よりもさらに口数が少なかった。


◇◇◇


復旧は、思ったより静かに始まった。


父が支柱の割れ目を見て、使える部分と捨てる部分を分ける。

ヤンさんが古い縄をほどき、まだ使える金具を木箱に入れる。

ダンは木を運ぶ。

ニコは記録板のそばで、運んだ部品に印をつけていた。


誰も急いでいない。


急げないのだと、すぐに分かった。


昨日までなら、壊れた部品を替えればよかった。

銅板を替える。

止め木を直す。

引き腕を曲げ直す。


でも、倒された塔は違う。


「立て直すなら、足からだ」


父が言った。


「足」


「支柱だけ替えても、また倒れる」


父は土を指で削った。


「ここを固め直す。支え綱の位置も変える」


「同じ形に戻さないんですか」


わたしが聞くと、父は首を横に振った。


「同じに戻すだけなら、また同じ場所を切られる」


その言葉が胸に落ちた。


同じ形は大事だ。

でも、同じ弱さまで戻してはいけない。


(——標準化と、弱点の複製)


頭の中に前世の言葉が浮かびかけて、わたしは飲み込んだ。


ここでは、木と縄の話でいい。


◇◇◇


丘の下から、町の人が二人上がってきた。


一人は宿屋の女将だった。

もう一人は、荷車を引く若い男だ。


女将は、父たちの作業を見ると眉を寄せた。


「いつ直るんだい」


コルネリアさんが答えた。


「仮の灯りは今日中に立てます。ただし通常伝言は、確認が終わるまで止めます」


「今日中に立つなら、送れるんじゃないのかい」


女将の声は荒くなかった。

でも、困っている人の声だった。


「昨日の夜、南の薬屋から返事が来るはずだったんだよ。うちの客が熱を出してね。薬を持っているかだけ聞きたかった」


わたしの喉が、小さく詰まった。


火事でもない。

急報でもない。

でも、急ぐ用事だった。


「馬は出しました」


コルネリアさんが言う。


「ええ。朝になってからね」


女将はそう言って、目を伏せた。


責めているのではない。

ただ、間に合わなかった時間を見ている。


光なら、昨夜のうちに返事が戻ったかもしれない。

馬なら、朝を待つしかない。


「その客は」


父が聞いた。


「今は落ち着いてる。だから、文句を言いに来たんじゃない」


女将は、丘の空いた場所を見た。


「でも、光があると思っていたから、待ったんだ」


その一言が、靴の先から登ってきた。

朝露より冷たかった。


◇◇◇


若い男の方は、荷車の縄を握ったまま言った。


「俺は、北の道が通れるか聞きたかっただけです」


ベルマン氏が、静かに男を見る。


「荷の予定ですか」


「はい。昨日の夕方に返事がなければ、朝いちで別の道へ回すつもりでした」


「回したのですか」


男は首を横に振った。


「光で返ると思って、待ちました」


待った。


また、その言葉だった。


通信は速くするものだと思っていた。

でも、速いものがあると、人はそれを待つ。

待つ予定を組む。

待つ時間に、自分の仕事を合わせる。


止まった時、遅い道へ戻るだけでは済まない。

速い道がある前提で動いていた分だけ、遅れが広がる。


(——速く届く仕組みは)


(——止まった時の穴も、速く広げる)


足元の土が、少し沈んだ気がした。

昨日の折れた引き腕とは違う感触だった。


これは、生活の遅れだ。


◇◇◇


ダンが、運んでいた木材を地面に置いた。


音が少し大きかった。


「俺たちが、送れなかったからですか」


女将が驚いた顔をした。


「あんたたちを責めに来たんじゃないよ」


「でも、塔があれば」


ダンの声が、そこで切れた。


ニコが読み札を抱え直す。


「あったら、読めたかもしれません」


小さな声だった。


ヤンさんが二人の間に立った。


「塔が折れたのは、お前らのせいじゃねぇ」


「でも」


「でも、次に立つなら見る。怖くても見る。それが仕事だ」


ダンは唇を噛んだ。


ニコは、読み札の端を握った。


わたしは何か言おうとして、すぐには言えなかった。


慰める言葉はある。

けれど、軽い言葉を置くと、二人の手から仕事の重さを奪ってしまう気がした。


信号士は、ただ光を出す人ではない。

届かなかった時の顔も見る人になる。


それは、昨日までよりずっと難しい仕事だった。


◇◇◇


仮灯り台は、昼前には形になった。


高い塔ではない。

倒れた支柱の残りと、町から運んだ木を組み合わせた低い台だ。

灯り箱は別の塔から借りた古いもの。

銅板も、光は弱い。


引き腕はつけた。

ただし、布時計の小箱はまだつけない。


父は、穴の位置を測りながら言った。


「手で動かせる。布時計は後だ」


「後退ですか」


わたしが聞くと、父は首を一度だけ振った。


「仮だ」


それだけで、十分だった。


これは、手動を完成形に戻すことではない。

壊れた接続口を検査し、信号士が止められる状態で光を戻すための仮の形だ。


コルネリアさんも、記録板に書いた。


仮灯り台。

通常伝言停止。

急報は町役所許可。

布時計接続は復旧確認後。


ひとつずつ、紙の上に置かれていく。


「今日、光を出すんですか」


ニコが聞いた。


ヤンさんは、仮の台を見上げた。


「夕方に一度だけだ。合図は、試験」


ダンが息を吸う。


「俺が引いてもいいですか」


ヤンさんはすぐには答えなかった。


ダンの手を見た。

木材を運んで赤くなった手。

昨日まで、木札を握って白くなっていた手。


「怖いか」


「怖いです」


ダンは答えた。


「なら、ニコと二人で引け」


ニコが顔を上げた。


ヤンさんは続ける。


「一人で怖がるな。二人で見ろ」


◇◇◇


夕方を待たずに、町へ戻る馬が丘を下りていった。


女将の頼んだ薬の返事を取りに行く馬。

北の道の返事を取りに行く馬。

光が止まった穴を、馬が埋めている。


遅い。

でも、残っている道だ。


わたしは、仮灯り台を見上げた。


低い。

歪んでいる。

昨日までの塔とは違う。


それでも、灯りを置く場所がまたできた。


腹の底に、安心とは違うものがあった。

安心するには、まだ早い。


光は戻せる。

でも、戻した光を信じてもらうには、もっと時間がかかる。


丘の上を、青の月の風が抜けた。

仮灯り台の縄が、きし、と鳴った。


夕方、この丘に一度だけ光が戻る。


ダンとニコの、二人の手で。


■あとがき・解説


第134話「壊れた塔の朝」でした。


今回は、壊された信号塔を直す回です。

ただし、部品を直すだけでは終わりません。


光信号が町の生活に入り始めていたからこそ、止まった時には小さな実害が出ます。

薬屋への確認、荷の道の確認。

どちらも国を揺るがす大事件ではありません。

けれど、生活の中では十分に重い遅れです。


■この話で出てきた言葉


■「仮灯り台」——復旧までの一時的な台


倒された塔をすぐ元通りにするのではなく、低い台を一時的に立てています。

これは完成形ではありません。

安全確認と信号士の手動停止を優先した、復旧途中の形です。


■「手動に戻す理由」——後退ではなく安全確認


第120話で布時計を使った半自動送信は成立しています。

しかし、接続口が壊された直後に同じように機械を載せると危険です。

まず人が止められる形で光を戻し、接続口を確認してから布時計へ戻す。

今回はそういう復旧手順です。


■「止まった時の実害」——便利さの裏側


速い通信があると、人はそれを前提に予定を組みます。

だから、通信が止まった時は、単に昔の速さへ戻るだけではありません。

待つはずだった時間、動くはずだった荷、届くはずだった返事に遅れが出ます。


次の話もお楽しみに。


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