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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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129/211

第129話 観察から、妨害へ

青の月の二十日。


朝の道には、まだ夜の湿り気が残っていた。

荷車の車輪が泥を浅く切り、細い跡を街道の方へ伸ばしている。


わたしは父の少し後ろを歩いていた。

短い足で急ぐと、みぞおちのあたりが痛くなる。

それでも足を緩める気にはならなかった。


(——また、丘の塔)


(——昨日はお金の話だった)


(——今日は、何が起きたんだろう)


商人ギルドから来た使いは、細かいことを言わなかった。

ただ「街道の丘の塔で、また変なことが」とだけ伝えた。


その言い方が、かえって嫌だった。

壊れたなら、壊れたと言う。

燃えたなら、燃えたと言う。


変なこと。


その曖昧さが、小さな棘のように残っていた。


◇◇◇


塔の下には、ヤンさんが立っていた。


腕を組んでいる。

顔はいつもより険しい。

その足元に、磨いた銅板が一枚置かれていた。


光を返すために、父とグスタフ親方が何度も磨いた板だ。

昨日まで、昼の光を薄く映していた。


今は、その真ん中に白い傷が走っている。


「割れては、いない」


父が膝をついた。


太い指が、傷の上をなぞらずに止まる。


「石か」


「たぶんな」


ヤンさんが顎で地面を示した。


塔の脚の脇に、小さな石が二つ落ちている。

片方は泥に沈み、片方には銅の粉が少しだけ付いていた。


石のそばの泥に、足跡が残っていた。


つま先が細く、踵の縁が深い。


見覚えのある形だった。

一昨日、白い線と一緒に塔の脚を半円に回っていた足跡。


「同じ足だ」


ヤンさんが言った。


(——見に来た足が)


(——今度は、傷をつけに来た)


顔は見えない。

名前も分からない。

でも、足だけは、二度同じ場所に立っていた。


わたしは銅板を覗き込んだ。


鏡のように磨いた面が、傷のところだけ光を散らしている。

短い光と長い光を作る前に、光そのものが歪む。


(——灯り箱じゃない)


(——引き腕でもない)


(——光を返すところを、傷つけた)


壊し方が、乱暴なのに細かかった。

塔を倒すわけではない。

火をつけるわけでもない。


でも、このままでは遠くの塔で読みにくくなる。

読みにくい光は、間違った光に近い。


父が低く言った。


「今日は、この板では送らん」


「代えはあるか」


ヤンさんが聞く。


「ある。だが、ここには置いていない」


父の声は静かだった。


静かだから、余計に重かった。


◇◇◇


銅板だけではなかった。


塔の上に登った父が、すぐに呼んだ。


「リナ」


わたしは梯子を途中まで登り、父の手を借りて足場へ上がった。

高いところの風は、地面より少し冷たい。

下を見ると、膝の力が抜けそうになった。


でも、父の指が示した場所を見た瞬間、怖さの向きが変わった。


遮蔽板の横の止め木が、外れていた。


板そのものは残っている。

引き腕も折れていない。

でも、止め木がないせいで、遮蔽板は少しだけ余計に開く。


短く切ったつもりの光が、半端に伸びる。

長く出したつもりの光が、閉じる時に引っかかる。


「誰かが抜いた」


父が言った。


「落ちたんじゃないの」


わたしは聞いた。


聞きながら、違うと分かっていた。


父は足場の隅を指した。

そこに、止め木が一本置かれている。


落ちたのではない。

外して、そこへ置いたのだ。


(——使えば、壊れていると分かる)


(——でも、使う前には、気づきにくい)


胸の中が冷たくなった。


これは塔を倒す攻撃ではない。

間違った光を出させる攻撃だった。


父が止め木を拾い、差し直した。


「直せる」


「うん」


「だが、直せるからいいわけじゃない」


父の言葉に、わたしは頷いた。


ネジ一本。

止め木一本。

銅板の傷一本。


どれも小さい。

でも、小さいから見落とす。


小さいから、毎回全部を疑うことになる。


◇◇◇


塔を下りると、ベルマン氏が来ていた。


いつもの上等な服ではなく、裾を少し上げた歩きやすい格好だった。

額に薄く汗が浮いている。


「間に合いましたか」


「壊れてはいません」


父が答えた。


ベルマン氏は、銅板と止め木を順に見た。


細い目が、さらに細くなる。


「観察では、ありませんな」


その言葉で、空気が一段冷えた。


昨日までの足跡や白い線は、見るための跡だった。

今日の傷は、動きを鈍らせるための跡だった。


「見張りは」


父が聞く。


ベルマン氏は、首を横に振った。


「道の分かれ目に置きました。塔の真下ではありません。夜の間、誰も見なかったと」


「見張りがいても、抜けるか」


「ええ」


ベルマン氏は短く答えた。


「道を見る者は、塔の上までは見ません。塔を見る者は、道の奥までは見ません」


(——役割を分けた)


(——でも、分けた隙間がある)


前世で見た障害報告のようだった。

担当を分ければ、責任ははっきりする。

けれど、担当の境目には必ず隙間ができる。


そこを誰かが歩いている。


◇◇◇


昼前、ハーラム町へ戻る途中で、ダンとニコに会った。


二人は西側の道の端に立っていた。

ダンは木札を握っている。

ニコは、その横で口を結んでいた。


ヤンさんが先に気づいた。


「どうした」


ダンは、すぐには答えなかった。

大きな肩が、少しだけ縮んでいる。


「朝、町の手前で」


ニコが代わりに言った。


「知らない人に、ぶつかられました」


「ぶつかられた?」


「はい」


ニコは、自分の肩を押さえた。

押さえた指が、布の上で少し震えていた。


痛いのか。

怖いのか。

その両方なのか。


わたしには、すぐに分からなかった。


「塔に近づくな、と」


その場の音が消えたように感じた。


荷車の音も、町の入口の声も、遠くへ下がる。


ダンがようやく口を開いた。


「次に光を出したら、手を折るって」


太い手が、木札を握りしめていた。

指の節が白くなっている。

手の甲に、爪の跡が薄くついていた。


たぶん、ずっと握っていたのだ。


わたしは、何か言おうとして言葉を失った。


銅板の傷より、止め木より、その手の方が怖かった。


信号塔は直せる。

銅板も替えられる。

止め木も作れる。


でも、夜に立つ人が怖くなったら。

起動の紐に触る手が震えたら。

読む人が、読めた光を読めないふりをしたくなったら。


(——そこを狙うの)


胸の奥が、ぎゅっと縮んだ。


ヤンさんがダンの前に立った。


「誰だ」


「分かんねぇ」


「顔は」


「帽子を深くかぶってた」


ダンの声は小さかった。


ヤンさんは舌打ちをしなかった。

怒鳴りもしなかった。


ただ、ダンの握った木札を見て言った。


「今日は塔に上がるな」


ダンが顔を上げる。


「俺、逃げたみてぇじゃ」


「逃げろと言ってるんじゃねぇ」


ヤンさんの声は低かった。


「脅されたことを記録する。お前が黙ると、次に脅されたやつが一人になる」


ダンの口が、少しだけ開いた。


ニコが小さく頷いた。


「記録、します」


「ああ」


ヤンさんは言った。


「今日は、それが仕事だ」


◇◇◇


町役所の机の上に、三つの印が並んだ。


銅板の傷。

遮蔽板の止め木。

信号士見習いへの脅し。


コルネリアさんは、一つずつ書き取った。

筆の音が、乾いた紙の上を走る。


「これは、事故ではありません」


「はい」


わたしは頷いた。


「信号塔への妨害として記録します。通常伝言は、街道の丘を通す分だけ一時停止。急報は、別の塔を使える場合のみ迂回。使えない場合は、馬を出します」


馬。


その言葉が、妙に古く聞こえた。

少し前まで、それが当たり前だったのに。


コルネリアさんは顔を上げた。


「リナさん」


「はい」


「速い仕組みは、止められた時も速く影響が出ます」


その通りだった。


線がつながったから、一本傷つけば遠くまで止まる。

人がつながったから、一人脅されれば他の人も怯える。


ベルマン氏が、地図の端に小さな石を三つ置いた。


街道の丘。

西側の道。

町の入口。


「三つです」


ベルマン氏は言った。


「同じ朝に」


父が地図を見た。


「手が足りんな」


誰も、すぐには答えなかった。


見張りを増やした。

名簿も作った。

記録も残した。


それでも、三つの石は地図の上に残っている。


わたしは、その石を見つめた。


石は小さい。

でも、小さい石が三つ置かれただけで、地図の線が少し暗く見えた。


(——見られている、だけじゃない)


(——削られている)


光を通すために作った線が、誰かの手で少しずつ曇らされている。


わたしの手のひらに、汗がにじんだ。


今はまだ、塔は立っている。

でも、塔が立っているだけでは、通信網は守れない。


■あとがき・解説


第129話「観察から、妨害へ」でした。


今回は、信号塔網への攻撃が一段進みました。


塔を倒すような大きな破壊ではありません。

銅板を傷つける、止め木を外す、信号士見習いを脅す。


どれも小さい出来事です。

けれど、小さいからこそ見落としやすく、毎回すべてを疑うことになります。


■この話で出てきた言葉


■「妨害」——壊す前に、正しく動かなくすること


完全に破壊しなくても、通信網は弱らせることができます。

光を歪ませる。

板の動きをずらす。

人の手を怖がらせる。


今回は、そうした「直せるけれど削られる」攻撃を描きました。


■「役割の隙間」——分担した場所の境目


塔番は塔を見る。

道の見張りは道を見る。


役割を分けることは大切ですが、分けた境目には隙間も生まれます。

誰かがそこを狙い始めたことが、この話で見えてきます。


次の話もお楽しみに。


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