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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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121/211

第121話 偽りの便り

青の月の十二日。


朝の街道は、昨日の夜よりずっと明るかった。

草の露が靴の先に触れて、冷たい水の線を残す。


わたしは記録板を抱え、父の横を歩いていた。


「三番塔ですか」


「ああ」


父は短く答えた。


昨日の返答遅れを、確かめに行く。

理由は未確認。

そう記録したからには、確かめなければならない。


(——疑いのまま帳面に残すと、人のせいにしやすい)


ヤンさんの言葉が、まだ耳に残っていた。


◇◇◇


三番塔は、街道の脇の低い丘に立っていた。


大きな塔ではない。

木の脚を土に打ち込み、上に灯り箱を載せた中継台だ。

夜には頼もしく見えた光も、朝に見ると木と金属と煤の集まりに戻っている。


見張りの男は、わたしたちを見るなり頭を下げた。


「昨夜は遅れました」


声が硬い。

責められる前から、もう肩が縮んでいた。


父が灯り箱の脚を見た。

ヤンさんは、その男の顔ではなく記録板を見た。


「何があった」


「記録役が、荷車の車輪を外す手伝いに呼ばれました。すぐ戻ると言って、戻りが遅くなって」


「お前は一人で見たのか」


「はい」


「返答が遅れた理由はそれでいい。だが、次は一人で見たと記録しろ」


男は、さらに頭を下げた。


「すみません」


「謝る前に書け」


ヤンさんの声は荒くなかった。

でも、逃げ道を残さない声だった。


わたしは記録板の端に書き足した。


三番塔。

昨夜の返答遅れ。

理由、記録役不在。

一人読み。

翌日確認済み。


(——よかった)


(——人を責める記録じゃなく、次に防ぐ記録になった)


そう思った時、遠くで短い光が開いた。


朝の光の中では見えにくい。

けれど、たしかに赤い札を使う時の呼び出し合図だった。

急報の呼び出しは、通常伝言より長く開く。

西の小塔から三番塔までなら、朝でも拾える。


ヤンさんの顔から、少しだけ表情が消えた。


「急報だ」


◇◇◇


急報は、西の宿場手前から来たことになっていた。


馬車横転。

けが人二人。

助け。


短い言葉だけが、光で走ってきた。


わたしたちは三番塔からハーラム町へ向かった。

急報は、西側塔へ回さず二番塔から町へ直接入る短い経路を使う。

途中で同じ急報が二度、中継されるのを見た。

灯り箱が開き、遮蔽板が閉じる。

手で引く塔もあれば、昨夜の試験のあと、停止役を置いたまま布時計を載せている街道の丘の塔もある。

読み手が符号を声にし、止め役が板の戻りを見る。


正しかった。


間も、返答待ちも、記録も。

布時計の拍も。

昨日あれだけ確かめた線は、今日もちゃんと動いていた。


だから、余計に怖かった。


「リナさん」


町役所に着くと、コルネリアさんがすぐに顔を上げた。

机の上には、赤い縁の急報札が置かれている。


「内容は受け取りました。町の自警団を出します」


「確認は」


わたしが言いかけると、コルネリアさんは筆を止めなかった。


「急報は、確認してからでは遅い時があります」


「はい」


その通りだった。


火事の時も、けが人の時も、先に走る。

それが急報のための決まりだった。


廊下の向こうで、足音が増えた。

革の靴が床を叩く音。

鎧の金具が触れる音。

誰かが水袋を持ってこいと叫ぶ声。


ヨハンが、詰所の方から駆けてきた。


「リナ」


「お兄ちゃん」


「西の宿場手前だな」


「うん」


「行ってくる」


短い。

それだけ言って、ヨハンはまた走り出した。


わたしは、その背中に何も言えなかった。


(——早い)


(——早く届いたから、人がもう動いている)


それは、わたしが望んだことだった。


◇◇◇


待つ時間は、送る時間より長かった。


町役所の窓から見える空は、青く晴れていた。

こんなに晴れているのに、足だけが重い。


机の上では、赤い急報札が裏返しにされていた。

コルネリアさんはその横で、受信時刻と出動人数を書いている。


父は壁際に立っていた。

何かを直す道具袋を持っているのに、今は何も直せない。

親指が袋の口を一度押さえ、離した。


ダンとニコは扉の近くにいた。

二人とも、泥のついた靴のまま立っている。


「あれでよかったのか」


ダンが小さく言った。


「間は、合ってた」


ニコが答える。


「いや、そうじゃなくて」


ダンは言葉を探した。


「本当に、助けが要るんだよな」


誰も、すぐには答えなかった。


急報は、そういうものだった。

本当に助けが要ると信じて走らなければならない。


信じるために作った線だった。


◇◇◇


戻ってきたのは、昼を少し過ぎた頃だった。


最初に聞こえたのは、馬の荒い息だった。

次に車輪の音。

それから、人の声。


ヨハンが先頭で役所の前に戻ってきた。

額に汗が浮いている。

腕にけが人を抱えてはいなかった。

後ろの荷車にも、壊れた車輪は載っていない。


それを見ただけで、指先が冷えた。


「何もなかった」


ヨハンが言った。


「宿場手前の番人は、急報など出していないと言っている。馬車も倒れていない。けが人もいない」


廊下が、少しざわついた。


誰かが低く舌打ちをした。

別の誰かが「じゃあ、誰が」と言った。


コルネリアさんは立ち上がらなかった。

筆を置き、記録板を一枚ずつ見た。


「受信した塔は」


「二番塔です」


町役所の記録係が答える。


「二番塔は、どこから受けましたか」


「三番塔です」


「三番塔は」


「西の小塔から」


「西の小塔は」


記録係の手が止まった。


紙の上に、小さな空白があった。


そこには、本当なら最初に送った場所を書くはずだった。

けれど、最初の塔で名前を見る決まりはまだなかった。

急報の時は、内容を先に通す。

誰の手から始まったかを、後で確かめる。


後で。


その二文字が、急にひどく遠く感じた。


◇◇◇


「つまり、誰が出したか分からんのか」


戻ってきた自警団の一人が言った。


汗を拭く手が荒い。

空振りで走らされた怒りと、何もなかった安堵が混ざっている声だった。


「調べます」


コルネリアさんが答える。


「今すぐに」


「次も嘘だったら、また走るのか」


別の声がした。


「走らなければ、本物だった時に人が死にます」


コルネリアさんの声は揺れなかった。

けれど、机の上の指は白くなっていた。


わたしは赤い急報札を見た。


赤い縁。

火。

けが人。

助け。


その短い言葉のために、町の人が走った。

ヨハンが走った。

水袋を持った人が走った。


そして、何もなかった。


(——急報の仕組みは、間違って動いたんじゃない)


(——正しく動いたから、嘘も届いた)


胸の奥が、ぎゅっと縮んだ。


◇◇◇


ヤンさんが、窓の外を見ていた。


「光は、嘘を見分けん」


ぼそりと言った。


その言葉は、部屋の中に落ちた。


「煙もそうだ。鐘もそうだ。打てば鳴る。上げれば見える。問題は、誰が打ったかだ」


誰も反論しなかった。


父が道具袋の紐を結び直した。

結び目を作って、ほどいて、また結ぶ。


「装置は、受け取った通りに動く」


父が言った。


「はい」


わたしは頷いた。


「だから、受け取る前を決めなければならない」


父の言葉が、ゆっくり頭の中に沈んでいった。


受け取る前。


誰が最初に出したのか。

その人が、本当にその場所の責任者なのか。

急報札を持っていてよい人なのか。


昨日、わたしたちは線を通した。

今日、その線を嘘が走った。


「リナさん」


コルネリアさんが、わたしを見た。


「これは、町の規則の問題です。ですが、あなたにも考えていただきます」


「はい」


「速くするなら、速さに見合う保証が要ります」


その言葉に、わたしは小さく息を吸った。


(——速いほど、嘘も速い)


(——送り手を保証しないといけない)


前世で何度も見た失敗の形が、別の姿で立ち上がる。

ログはある。

経路もある。

でも、最初に入力した人の保証がない。


それは、穴だった。


◇◇◇


夕方、役所の机の上には二枚の記録板が残った。


一枚は、急報が通った記録。

もう一枚は、空振りだった記録。


同じ時刻。

同じ塔。

同じ返答。


違うのは、最後に書かれた一行だけだった。


発信者、未確認。


わたしはその文字を見つめた。


赤い縁の急報札は、机の端に伏せられている。

昨日は箱の奥で眠っていた札だ。

今日は、町の人の足を動かした。


でも、助ける相手はいなかった。


次に赤い札が来た時、誰かがほんの一拍だけ迷うかもしれない。

その一拍で、本物のけが人が待つことになるかもしれない。


窓の外で、夕方の光が細くなっていく。

光はまっすぐだった。

まっすぐで、速かった。


だからこそ、嘘も同じ速さで走った。


わたしの指先に、赤い札の角が小さく食い込んだ。


■あとがき・解説


第121話は、信号塔網の「影」が初めて表に出る回でした。


前回は通常伝言が無事に通りました。

今回は急報が正しく通ったのに、その中身が偽りだった、という話です。


装置や信号士が失敗したのではありません。

むしろ仕組みが正しく動いたからこそ、嘘も速く届いてしまいました。


■この話で出てきた言葉


■「偽りの便り」——急報が嘘だった時


急報は、確認してから動くと遅い場合があります。


火事やけが人の知らせは、まず信じて走らなければなりません。

だからこそ、そこに嘘が混じると信頼が揺らぎます。


■「発信者、未確認」——経路と送り手は別


どの塔を通ったかは記録できます。

しかし、最初に誰が送ったのかを確かめる仕組みが弱いと、あとから追うしかありません。


今回の問題は、通信経路ではなく「最初に入力した人」の保証です。


光信号は、見えた通りに次へ渡す仕組みです。

途中の塔がまじめに働いても、最初の入力が嘘なら、嘘が正しい形で運ばれてしまいます。


■「速さに見合う保証」——便利さを支えるもの


通信が速くなるほど、良い知らせも悪い知らせも速く広がります。

そして嘘も同じ速さで走ります。


便利さを社会に載せるには、速さだけでなく、誰が責任を持って送ったのかを示す仕組みが必要になります。


ここでリナが考え始めたのは、暗号そのものではありません。

まず必要なのは、誰が送ったのかを町と村の運用で確かめることです。


技術で何でも一気に解決するのではなく、まず現場で守れる決まりに落とす。

第2部の通信網は、そういう順番で少しずつ強くなっていきます。


次の話もお楽しみに。


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