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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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120/211

第120話 点が、線になる

青の月の十一日。


街道の丘は、昼の熱をまだ少しだけ残していた。


草の先が湿っている。

夜になる前の風が、灯り箱の横を抜けていく。


わたしは記録板を膝の上に置き、木炭の先を削った。


目の前には灯り箱。

その前に遮蔽板。

横から伸びた引き腕には、細い金具が一つ増えている。


手で引くための紐も残っていた。

でも今夜は、その横に小さな木箱が置かれている。


狼煙の時に使った布時計を、光信号用に直したものだ。

中には、短い伝言を写した布が巻かれている。


油二樽。

明朝着。


西の宿場からハーラム町へ知らせる、通常伝言だった。


「急報ではない」


父が言った。


「だから試す」


「はい」


わたしは頷いた。


布時計は、言葉を勝手に考えない。

布に写された穴を読み、決まった拍で引き腕を動かすだけだ。


それでも、手で短い光と長い光を作るより、間は揃う。


(——同じ入口)


(——同じ光)


工房で揃えた穴。

役所でコルネリアさんに見せた引き腕。


その場所に、今夜は布時計の金具がかかっていた。


◇◇◇


ヤンさんは丘の縁に立っていた。


いつもの狼煙台ではなく、今日は中継の様子を見るためにこちらへ来ている。

腕を組み、遠くの塔をじっと見ていた。


「来た」


短く言ったのは、ニコだった。


わたしには、まだ何も見えなかった。

少し遅れて、西の方角で小さな光が開く。


短い。


間。


短い。


終わりの合図。


「四番塔から、開始です」


ニコが読み札に指を置いた。


四番塔は、西の宿場にいちばん近い小塔だ。

そこから三番塔、二番塔、ヤンさんの西側塔へ順に町へ近づく。

今夜の通常伝言は、二番塔から西側塔へ回して町へ入れる。


ダンは操作紐を握っていない。

その代わり、布時計の横にある小さな木のつまみに手を添えていた。


「起こすぞ」


「まだ」


ニコの声は大きくなかった。

でも、ダンの手は止まった。


「終わりの間を待って」


「今ので終わりだろ」


「終わりでも、間は要ります」


ダンが舌打ちをしかけて、やめた。

そのまま息を吐く。


ヤンさんが、少しだけ口の端を上げた。


「待てたな」


「……まだ何もしてねぇ」


「それが仕事の時もある」


少し長い間のあと、ニコが頷いた。


「今」


ダンが木のつまみを押した。


布時計の中で、かち、と小さな音がした。

布が一目進む。

針が穴を読み、細い金具が引き腕を少しだけ動かす。


遮蔽板が開いた。


短い光が、街道の丘から次の塔へ向かう。


わたしは息を止めた。


もう一度、かち。


間。


次は長い光。


布時計は、父の小さな振り子に合わせて同じ拍で動く。

ダンの手は、つまみの上ではなく、止め板の近くに移っていた。


送る手ではない。

止める手だ。


◇◇◇


途中で一度、布がかすかに引っかかった。


音が半拍だけ遅れる。


ダンの肩が動いた。


「止めるか」


「まだ光は出てません」


ニコが言った。


父はすぐに布の端を指で押さえた。

浮いた糸を爪でならし、針の戻りを見た。


「続けられる」


「間は」


わたしが聞くと、ニコが読み札から顔を上げた。


「まだ文字の間です。次に行けます」


ダンは止め板から手を離さなかった。


「本当に行くぞ」


「今」


ニコの声で、布時計がまた動き出した。


長い光。


間。


短い光。


伝言は、最後まで空へ出た。


わたしは木炭で記録板に線を引いた。


四番塔、開始確認。

街道の丘、布時計で送信。

返答待ち。


ただの三行なのに、手のひらが汗ばんだ。


◇◇◇


返答は、すぐには来なかった。


丘の上で、誰も喋らなくなる。


灯り箱の火が小さく揺れた。

虫の声が、急に大きく聞こえる。


「三番、遅いな」


ダンが呟いた。


「もう一回、起こすか」


「まだ」


ニコが首を振る。


「返答の時間を越えてない」


「布なら、同じのをもう一回送れるだろ」


「送れるから、待つんです」


その言葉に、ダンは口を閉じた。


前なら、手が焦って紐を引いたかもしれない。

今は、布時計が同じ伝言をもう一度出せる。


だからこそ、勝手に動かしてはいけない。


(——機械で楽になるところと)


(——機械だから危ないところがある)


地図の上では、四番塔と三番塔の間は一本の線だった。

細い茶色の線。

指でなぞれば一瞬でつながる。


でも、夜の丘では違った。


誰かが光を見ている。

誰かが符号を読んでいる。

誰かが布時計を起こす。

誰かが止め板に手を置く。

誰かが記録を残す。


そのどれか一つが欠けると、線はそこで黙る。


◇◇◇


遠くで、光が開いた。


一度。


間。


もう一度。


「返答」


ニコが言った。


声の端が、少しだけ明るくなった。


ダンの肩から力が抜ける。


「遅ぇよ」


「遅いって記録する」


わたしはそう言って、板に線を足した。


三番塔、返答遅れ。

再送なし。

人員一名の可能性。


ヤンさんが横から覗き込んだ。


「嬢ちゃん」


「はい」


「可能性じゃなく、あとで確かめろ。疑いのまま帳面に残すと、人のせいにしやすい」


木炭の先が止まった。


わたしは一度息を吸って、書き直した。


三番塔、返答遅れ。

理由は未確認。

翌朝確認。


「これでいいですか」


「いい」


ヤンさんが短く言った。


その言い方が、なぜか少しだけ優しかった。


◇◇◇


伝言は、そこから少しずつ進んだ。


三番塔から二番塔へ。

二番塔からヤンさんの西側塔へ。

西側塔からハーラム町へ。


全部の塔に布時計が載っているわけではない。

今夜、布で送ったのはこの丘だけだ。


ほかの塔では、人が紐を引く。

それでも、引く場所は同じだった。

手で引いても、布時計で引いても、同じ引き腕が同じだけ動く。


父は灯り箱の横で、止め板の戻りを確かめていた。


「板は戻る」


「はい」


「布をつないでも、閉じる力は足りている」


父は引き腕の穴を軽く叩いた。


その音が、小さく胸に残った。


入口を揃える。

中身を変えても、外へ出る光は変えない。


前世の言葉を、そのまま口にすることはできない。

でも、父の指が示した穴を見ていると、胸の奥でうまく形になった。


手で送ることは、戻ったのではない。

布で送ることも、終わりではない。


同じ場所を動かせるから、必要な時に替えられる。


◇◇◇


最後の返答が、町の方から返ってきた時、空はすっかり暗くなっていた。


ハーラム町の屋根の上で、小さな光が二度開く。


終わり。


通常伝言、到着。


わたしは記録板の最後に線を引いた。


油二樽。

明朝着。

通常。

布時計送信、一塔のみ。

再送なし。

三番塔のみ返答遅れ。


字にすると、ひどく地味だった。


でも、顔を上げると違った。


西の宿場から街道の丘へ。

街道の丘から次の塔へ。

次の塔からヤンさんの塔へ。

そして町へ。


暗い丘の向こうに、見えない線が一本通っていた。


「行ったな」


ダンがぽつりと言った。


「行きました」


ニコが頷く。


ヤンさんは、二人を見た。


「今夜の信号士は、お前らだ」


ダンが目を丸くした。


「俺は引いてねぇぞ」


「止める手を置いてた」


ヤンさんは短く言った。


「そいつは仕事だ」


ニコが小さく言った。


「俺は、読んだだけです」


父は灯り箱を閉じながら首を振った。


「読まなければ、動かしていいか分からない」


ダンは何か言い返そうとして、口を閉じた。

ニコは自分の指を見た。


土の残る爪。

短い溝を何度もなぞった指。


「俺でも、線になるんだ」


ニコの声は、夜に消えそうなほど小さかった。


でも、聞こえた。


わたしは記録板を抱きしめるように持った。


(——そうだ)


(——線は、光だけでできていない)


塔。

灯り箱。

遮蔽板。

布時計。

符号表。

記録板。

待てる手。

止められる手。

次の人に渡せる人。


それが揃って、ようやく点は線になる。


◇◇◇


片づけを始める頃、ヤンさんが木箱の中を見た。


赤い縁の急報札が、一番奥に差してある。


今夜は使わなかった札だ。


「通常が通ったなら、次は急ぐ奴が来る」


ヤンさんが言った。


「急報ですか」


「人は、早い道を見つけると早く使いたがる」


ヤンさんは箱を閉じた。


ぱたん、と乾いた音がした。


「だから、急がない伝言で遅れを見つけたのはよかった」


父が灯り箱を布で包む。


「明日、三番塔を確認しよう」


「はい」


わたしは記録板の端を押さえた。


地図の上の線は、きっと今日より綺麗に見える。


でも、わたしはもう知っている。


線の上には、いつも人が立っている。


そして、線は人を選ばない。


早い道は、早く使いたがる人を呼ぶ。


——それが、どんな人でも。


■あとがき・解説


第120話「点が、線になる」でした。


今回は、光信号塔に布時計をつないだ初めての実運用です。


第104話の狼煙で使った「布に写した短長を、時計の拍で送る」仕組みを、光信号塔の引き腕へ接続しました。

第112〜113話で引き腕の穴や動き方を揃えていたので、手で引いても布時計で引いても同じ遮蔽板が動きます。


ただし、これは無人化ではありません。

布にない伝言は送れませんし、引っかかった時に止める人も必要です。

ダンは「引く人」から「起動して止める人」へ、ニコは「読む人」から「間と返答を監督する人」へ少し役目が広がりました。


■この話で出てきた言葉


■「布時計」——布と拍で同じ動きを作る仕組み


穿孔布に写した短い伝言を、時計の拍に合わせて読みます。

今回は短い通常伝言だけを送れる段階です。


■「止める手」——自動化後に残る人の役目


機械が動いても、人の役目は消えません。

間違いそうな時に止める、返答を待つ、記録に残す。

信号士の仕事は、ここから監督の仕事へ広がっていきます。


■「通常伝言で試す」——急報に載せる前の安全確認


急報は失敗できない通信です。

だから最初の半自動運用は、油の荷が明朝着くという通常伝言で試しました。


次の話もお楽しみに。


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