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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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119/211

第119話 広がる網

荷車の上で、灯り箱が鳴っていた。


木の枠と銅板が、車輪の揺れに合わせて小さくぶつかる。

雷の月の十一日。

ヴェルデンへ向かう道は、昨日の雨で半分だけ乾いていた。


「お嬢ちゃん、これ本当に売り物になるよ」


荷台の上で、マルゲルダさんが部品表をひらひらさせた。


「ただ、売り方が面倒だね」


「面倒にしました」


「うん。面倒にして正解だ」


マルゲルダさんは紙を畳んで、胴巻きの奥へしまった。


荷台には、三本脚の束と遮蔽板。

火皿の包み。

それから、料金表を貼るための板まで載っている。


(——塔が、荷物になって運ばれていく)


(——わたしの図面が、道を走っていく)


ぬかるみに車輪を取られるたび、銅板の音が変わった。

マルゲルダさんは振り返りもせずに言う。


「音で分かるんだよ。積み方が崩れたかどうか」


荷を読む人の耳だった。


◇◇◇


雷の月の終わり、街道の丘。


風の強い日だった。

草が一方向へ倒れ、わたしの髪も同じ方向へ流れる。


丘の上では、父が銅板を一枚ずつ陽にかざしていた。


「これは町用」


返す光が強い板。


「これは中継台」


少し曇った板。


グスタフ親方の工房から届いた三本脚が、丘の草の上に寝かされている。

脚の太さも、継ぎ手の金具も、村の塔と同じだった。


「同じ形だと、直すのも同じ手で済む」


父はそれだけ言って、銅板を箱に戻した。


夕方、宿場の方から男が三人、坂を上ってきた。

荷役の男たちだった。


「これが、火事を知らせた光かい」


「火事のは別の塔です。これは、これから立てる分です」


「へえ。うちの宿にも知らせが来るのかね」


男たちは塔より先に、脚元に立てかけた料金表の板を見た。


(——光より先に、値段を見る)


(——それで、いい)


隠さないと決めた値段だ。

見られるために、板にした。


◇◇◇


最初の十日で、三つの点が増えた。


ハーラム町西側の塔。

ヴェルデン道の中継台。

グレンフィールド村の古い狼煙台。


地図の上では、ほんの指三本分の距離だった。

けれど、歩けば半日。

荷車なら道のぬかるみ次第。

雨が降れば、翌日まで待つ。


それでも、光は一晩で試せた。


夜、ハーラム町から西側の塔へ、短い光が出る。

ヤンさんが読み、同じ符号を返す。

そこからグレンフィールドへ。

ダンが紐を引き、ニコが間を見た。


「短い」


ニコの声が、夜の丘に落ちる。


「間」


ダンの肩が動く。


「今」


光が出る。


わたしは横で、記録板に線を引いた。


前なら、わたしが全部数えた。

今は違う。

ダンの手が動き、ニコの声が間を止める。

父が灯り箱の熱を見て、ハインリヒの帳面に記録が残る。


(——わたしの符号が)


(——わたしの手を離れている)


怖さはある。

でも、それだけではなかった。


光が丘の向こうで返った時、足の裏から何かがすっと抜けた。

自分の手で投げたものが、自分ではない誰かの手で受け止められて返ってくる。


それは、寂しいだけのことではなかった。


◇◇◇


雨の夜もあった。


雷の月の最後の雨は、細くて長かった。

狼煙なら潰れて読めない夜に、西側塔の灯り箱は布をかけて守られていた。


「煙よりはましだな」


ヤンさんが言った。

濡れた髪を後ろへ撫でつけ、灯り箱の横に立っている。


「ただ、目が疲れる」


「読み札を大きくしますか」


「それより、交代だ」


ヤンさんは、町から連れてきた若い見張りを顎で示した。


「一人で全部見ると、最後は見えた気になる。二人で見て、一人が記録を読め」


わたしは、その言葉を紙に書いた。


二人で見る。

一人が記録を読む。


技術の話ではない。

でも、どんな歯車の話より現場の匂いがした。


◇◇◇


青の月に入って、東の荷継ぎ場に火が入った。


夕方の荷下ろしが終わる頃、新しい塔の灯り箱へ火が移される。

荷役の男たちが、手を止めて見上げた。


短い光。

長い光。


試しの符号が、薄青い空に向かって開く。


「点いた点いた」


誰かが笑った。

拍手とも歓声ともつかない声が、荷の山の間から上がる。


「おい、おれの名前も送れるのか」


荷役の一人が叫んだ。


「送れます。銅貨二枚です」


わたしが答えると、男たちはどっと笑った。

冗談だと思ったらしい。


でも、笑い声の後ろで、誰かが本当に銅貨を数える音がした。


(——こうやって、使われ始める)


塔の上では、登録されたばかりの塔番が遮蔽板の紐を握っていた。


その顔を見て、わたしは気付いた。


目の下に、影がある。


「昨日は西の宿場の番でした」


塔番は、聞く前に言った。


「人がいないんで。今夜はこっち」


言いながら、あくびを噛み殺す。

紐を持つ手は確かだった。

でも、まぶたは確かではなかった。


(——塔は十日で建つ)


(——人は十日では育たない)


帰り道、父は黙っていた。

わたしも黙っていた。


荷継ぎ場の光は、振り返るたびに小さくなった。

それでも、暗くなった道の先で長いこと見えていた。


◇◇◇


青の月の十日。

ハーラム町役所の机に、地図が広げられた。


紙の折り目が浮いている。

ベルマン氏が銅貨を四隅に置くと、道の線が少しだけまっすぐになった。


「ここからここは、一晩で確認済み」


丸と丸の間に、線が一本。


「ここは雨の日に不安定。晴れの日のみ」


点線が一本。


地図の上には、七つの丸があった。


ハーラム町。

グレンフィールド村。

ヴェルデン村。

西の宿場。

東の荷継ぎ場。

街道の丘。

ヤンさんの狼煙台。


ひと月前、頭の中で別々だった場所が、薄い茶色の線でつながっている。


コルネリアさんが、別の紙へ同じ番号を書き写していた。

通信覚書の番号。

塔の番号。

登録した見張りの名前。


「リナさん。次の問題です」


顔を上げずに、コルネリアさんが言った。


「塔が増えると、信号士が足りません」


荷継ぎ場の塔番の、目の下の影を思い出す。


光を出す箱は作れる。

部品表がある。

料金表も、覚書もある。


でも、読む人が足りない。

夜に立つ人が足りない。

止める人も足りない。


ダンとニコの顔が浮かんだ。


「信号士は、塔の数だけ要る」


父が短く言った。


ヤンさんが、壁際からぼそりと足す。


「目だけじゃない。待てる手が要る」


それから、父は机の端に小さな箱を置いた。


狼煙の時に使った、布の穴を読む箱。

父が布時計と呼び始めた仕組みだ。

グスタフ親方が、引き腕の穴に合う金具を作り直してくれていた。


「明日の夜、通常伝言で試す」


コルネリアさんの筆が止まる。


「布を、載せるのですね」


「同じ引き腕を引かせる。駄目なら、すぐ止める」


「急報には」


「使わない」


父の返事は短かった。


急報は、助けを呼ぶ光だ。

そこへ初めての仕組みを載せるには早い。

最初は、失敗しても人が困らない伝言で試す。


(——まず、急がない言葉で)


(——止め方まで、確かめる)


窓の外は、もう薄暗かった。


地図の上の七つの丸を、人がつないでいる。

そこに立つ足と、夜を見る目と、間を待てる手。


明日の夜。


その線の一本を、初めて機械が引く。


■あとがき・解説


第119話は、信号塔網が地図の上で広がり始める回でした。


今回は時間を少し進めています。

作中では、雷の月十一日から青の月十日まで。

誕生日は跨いでいないので、リナは十一歳のままです。


新しい装置を足したのではなく、既にある灯り箱、遮蔽板、部品表、通信覚書を複数地点へ広げています。


■この話で出てきた言葉


■「布時計」——布の穴と時計の拍で動く小箱


第104話で狼煙を半自動化した時に使った仕組みです。


布の穴を読み、時計の拍に合わせて腕を引く。

人が毎回同じ間を作らなくても、同じ短長を出せるようにするための小箱です。


今回の段階では、急報にはまだ使いません。

まず通常伝言で止め方まで試すため、工房で光信号塔の引き腕に合わせています。


■「信号塔網」——点が線になる


一つの塔だけでは、合図は一方向にしか届きません。


塔が増え、読み手が増え、記録が揃うことで、点だった場所が線になります。

今回は、ハーラム町を中心に、グレンフィールド村、ヴェルデン村、街道沿いの拠点へ広がりました。


■「見えた気になる」——現場の危険


ヤンが言った「一人で全部見ると、最後は見えた気になる」。


これは、通信の現場でかなり重要な言葉です。

光を読む仕事は、ただ目が良ければいいわけではありません。

疲れた時に誤読しない仕組み、二人で見る仕組み、記録を読み返す仕組みが必要になります。


■「待てる手」


信号士に必要なのは、速く動く手だけではありません。


間を待てる手。

急ぎたい時に止まれる手。


第116話のニコの役割が、ここで信号士全体の条件として広がり始めています。


次の話もお楽しみに。


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