↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
118/211

第118話 握る手

墨の乾いた紙は、少しだけ波打っていた。


昨日、何度も書き直したせいだ。

役所の机の上には、同じ形の紙が三枚並んでいる。


一枚は町。

一枚は商人ギルド。

一枚はグレンフィールド村。


そして、もう一枚。

わたしの前に置かれた薄い控えには、まだ何も印がない。


雷の月の十日。

朝の役所は昨日より人の声が多かった。

窓の外で、誰かが荷車に樽を積んでいる。

木と木がぶつかる音が、規則正しく響いていた。


(——同じ紙を、四枚)


(——でも、同じ紙のままではいられない)


町の紙は町の棚に入る。

商人ギルドの紙は商人の帳簿に挟まる。

村の紙はハインリヒの家の箱にしまわれる。

わたしの控えは、たぶん屋根裏へ戻る。


同じ約束が、別々の場所で別々に生きる。


そのことが、少し怖かった。


◇◇◇


ベルマン氏は小さな銅貨を三枚、紙の端に置いた。


重し代わりだった。

銅貨の丸い縁が、墨の線の上で鈍く光る。


「まず通常伝言です」


ベルマン氏が言った。


「基本は銅貨二枚。塔を一つ越えるごとに銅貨一枚を足す。返答を求めるなら、往復分として倍」


コルネリアさんが筆を持ったまま確認する。


「町役所掲示用には、もっと短く書きます」


「ええ。商人向けの細かい計算は、こちらの控えに」


二人の言葉が、紙の上で噛み合っていく。

昨日は、通信を売るという言葉に胸が引っかかった。

今日は、その売り方をどう崩れにくくするかの話になっていた。


「急報は」


ハインリヒが低く聞いた。


コルネリアさんは、昨日わたしが書いた一行を指で押さえた。


「支払いより先に送る。送信時に支払いを求めない」


「それでよい」


「ただし、急報と判断できる者を登録します。村なら村長、町なら町役人、塔の番なら登録済みの見張り。あとで記録と照合します」


父が紙を覗き込んだ。


「登録していない者が、町役所へ直接急報札を持ち込んだら」


「受けた側は、返答だけ返して送信元へ確認します。すぐには人を出さない」


コルネリアさんは迷わず答えた。


父が紙の端を指で押さえた。


「塔をいくつも挟む時は」


「最初の塔で止める決まりが要ります。今は、記録と照合までです」


その声に、町の仕事の硬さがあった。


(——ここは、町の責任)


(——わたしが全部を決める場所じゃない)


そう思うと、少しだけ肩が落ちた。

楽になったわけではない。

手を離す場所が、一つ増えただけだった。


◇◇◇


「基金の扱いです」


ベルマン氏が、今度は銅貨を一枚だけ別に置いた。


「通常伝言一件につき、銅貨一枚を急報積立へ回す。商人ギルドが集め、月末に町役所へ報告する。町役所は急報に使われた分を村や町へ割り当てる」


コルネリアさんの眉が少し動いた。


「商人ギルドが集めるのですか」


「利用者の多くは、まず商人です。荷の到着、値段、道の様子。最初に多く使うのはこちらでしょう」


「では、町は」


「監査してください」


ベルマン氏は、さらりと言った。


「町役所が金庫を持つなら、商人は使うたびに役所へ走ることになります。役所がすべて集めるなら、窓口が詰まります。商人ギルドが集め、町役所が見る。役割を分ける方が続きます」


役割を分ける。


その言葉に、わたしの指が少し動いた。


読む人。

送る人。

書く人。


一昨日の丘で、ダンとニコを分けた時と同じだった。

でも今度は、人の役割ではなく、組織の役割だ。


「同じ決まりを、二か所に別々に書かない方がいいです」


思わず口を挟んだ。


三人の視線が、こちらへ向く。


「えっと」


わたしは紙の端を指で押さえた。


「料金の紙と、使用条件の紙を別々にすると、片方だけ直されるかもしれません。古い料金表に新しい条件がついたり、新しい料金表なのに古い条件のままだったりします」


前世の言葉なら、同じ決まりを二度書くな、だった。

けれど、ここではそう言わない。


「だから、一枚の覚書に番号を振って、料金と条件を同じ番号で直す形がいいと思います」


コルネリアさんの筆が止まった。


ベルマン氏の目が細くなる。


父は、わたしの指先を見ていた。


「なるほど」


コルネリアさんが言った。


「料金表を改める時は、使用条件の番号も改める。別紙にしない」


「はい」


「それは、役所向きです」


役所向き。


褒め言葉なのかは分からなかった。

でも、コルネリアさんの筆はすぐに動いた。


◇◇◇


覚書の骨は、昼前にようやく見えた。


一つ。

通常伝言は、基本銅貨二枚。

中継塔を越えるごとに銅貨一枚。

返答つきは往復分。


二つ。

通常伝言一件につき銅貨一枚を急報積立へ回す。

商人ギルドが集め、町役所へ月ごとに報告する。


三つ。

急報は支払いより先に送る。

送れる者は登録責任者に限る。


四つ。

料金表は塔と役所と商人ギルドに掲げる。

隠してはならない。


五つ。

この条件を外した塔には、リナの魂紋こんもんを刻まない。

すでに刻んだ塔でも、条件を外したら、リナの塔として扱わない。


五つ目を書いた時、部屋の空気が少し変わった。


ベルマン氏は、銅貨を指先で回していた。

コルネリアさんは、筆を洗う水を見ていた。

ハインリヒは、黙って杖の頭を撫でていた。


父は何も言わない。

ただ、わたしの控えの紙をこちらへ少し寄せた。


(——わたしの印なのに)


(——わたしだけでは決められない)


それが、今日いちばん強く分かったことだった。


魂紋は、わたしのものだ。

けれど、通信塔はもうわたし一人のものではない。


油を買う人がいる。

夜に起きている人がいる。

塔を許可する人がいる。

お金を集める人がいる。

急報を出す責任を負う人がいる。


わたしの印は、その人たちの手の中を通っていく。


◇◇◇


「リナさん」


コルネリアさんが、清書した紙をこちらへ向けた。


「この五つ目は、町の規則としては少し難しいです」


「はい」


「町は、あなたの印そのものを管理できません。町が管理するのは、塔の設置許可と操作登録と記録です」


「はい」


「ですから、こう書きます」


コルネリアさんは、ゆっくり読み上げた。


「町は、リナの魂紋が刻まれた塔について、本覚書の条件を満たすものを町側の通信塔として許可する」


紙の上の言葉は、わたしの言葉より硬かった。

でも、意味は残っていた。


「つまり、町は印を縛らない。条件を満たした塔だけを、町の塔として扱う」


「はい」


「それなら、町の規則に載ります」


わたしは小さく息を吐いた。


ベルマン氏が、今度は商人ギルド用の文を読み上げる。


「商人ギルドは、本覚書の条件を満たす塔に限り、通信料金の徴収と急報積立の管理を行う」


ハインリヒが顎を上げた。


「村は」


「村は、急報を出す責任者を決める。まずは村長ハインリヒ。塔番を置くなら、その名を町へ届ける」


コルネリアさんが答えた。


ハインリヒは何度か頷いた。


「わしが生きておるうちは、わしじゃ」


「後任が必要になったら、届け出を」


「そこまで書くのか」


「書きます」


コルネリアさんは即答した。


ハインリヒは少しだけ苦い顔をしたが、反論はしなかった。


◇◇◇


最後に、父が紙を手に取った。


父は長い文章を読むのが速くない。

一行ずつ、指で追う。


ベルマン氏もコルネリアさんも、急かさなかった。

役所の外では、昼の鐘が近いことを知らせる小さなざわめきがあった。


父の指が、五つ目のところで止まった。


「リナ」


「うん」


「これでよいか」


父は、わたしに聞いた。


ベルマン氏ではなく。

コルネリアさんでもなく。

わたしに。


胸の奥が、少し熱くなった。


「うん」


言ってから、言葉を足した。


「全部、わたしの思った通りではないです」


父が頷く。


「うん」


「でも、わたし一人で持つより、続くと思います」


父の指が紙から離れた。


「なら、よい」


その短い言葉で、決まった。


◇◇◇


署名は、思ったより静かだった。


ベルマン氏が、商人ギルド長として名を書く。

文字は細く、角が揃っている。


コルネリアさんが、町長補佐として名を書く。

迷いのない筆だった。


ハインリヒが、村長として名を書く。

少し太い字で、最後の線が強かった。


父は、保護者と製作責任者として名を書いた。

いつもの職人の字だった。


最後に、わたしの番になった。


手が小さいせいで、筆の軸が少し重い。

紙の端を父が押さえてくれる。


リナ。


そう書くだけなのに、ひどく時間がかかった。


名前の横に、まだ本物の印はない。

魂紋の形は、完全には決まっていない。

だから今日は、細い横線と斜め線を仮の印として添えた。


父のねじに刻まれていた印を、少しだけ思い出す。


本物の時計師は、自分の印を作る。


(——わたしも、作る)


(——でも、使うのはわたしだけじゃない)


筆を置くと、手のひらに汗が残っていた。


◇◇◇


ベルマン氏が立ち上がった。


「では、これで仮契約です」


「仮、ですか」


わたしが聞くと、ベルマン氏は微かに笑った。


「まだ塔は少なく、人も少ない。まずはこの条件で始める。動かしながら直す。お嬢さんの言い方なら、そういうことでしょう」


動かしながら直す。


その言葉は、少しだけ前世の匂いがした。


ベルマン氏が右手を差し出した。

最初は父へ。

父が握る。


次に、コルネリアさん。

指先に墨が少しついた手だった。


次に、ハインリヒ。

杖を左手に持ち替えて、しっかり握る。


最後に、ベルマン氏の手がわたしの前で止まった。


「お嬢さん」


父が何も言わずに、少しだけ場所を空けた。


わたしは立ち上がった。

椅子から降りる時、足が床に触れて小さく音がした。


ベルマン氏の手は大きかった。

指は細いけれど、商人の手だった。

紙と銭と荷の重さを知っている手。


わたしの手は、その中にすっぽり入った。


強くは握られなかった。

でも、離されもしなかった。


「これから、よろしくお願いいたします」


ベルマン氏が言った。


子供に向ける声ではなかった。

取引相手に向ける声だった。


「はい」


喉が少し詰まる。


「よろしくお願いします」


手を離すと、掌に革と墨と銅貨の匂いが残った。


わたし一人のものではなくなる。


その最初の手触りが、掌に残っていた。


ベルマン氏は革鞄を閉じた。

けれど、すぐにもう一度開いた。


中から、折りたたまれた地図の端が見えた。


「では次に」


ベルマン氏は、地図を机の上へ置いた。


「どこまで伸ばすかを決めましょう」


■あとがき・解説


第118話は、通信料金と魂紋条件を一枚の覚書にまとめる回でした。


前回は「通信を売る」ことへの違和感が中心でした。

今回は、売るならどう売るか。

誰が集め、誰が見て、誰が責任を負うかを詰めています。


リナの印は、リナだけのものです。

けれど、通信塔はもうリナ一人のものではありません。


■この話で出てきた言葉


■「通常伝言」——急報ではない知らせ


荷の到着、値段、道の様子。

急ぎではあるけれど、命に関わる急報ではない知らせです。


料金を取るのは、通信網を続けるためです。

同時に、その一部を急報積立へ回すことで、火事やけが人の知らせを先に送れるようにしています。


■「同じ決まりを二か所に書かない」


料金表と使用条件を別々にすると、片方だけ直される危険があります。


リナは前世の設計感覚を、役所の紙の作り方に置き換えました。

一枚の覚書に番号を振り、料金と条件を同じ番号で直す。


これは、後の大きな制度設計にも繋がる小さな癖です。


■「握る手」


今回の最後で、ベルマン氏はリナとも手を握りました。


子供としてではなく、取引相手としてです。

ただし、それはリナが全部を支配するという意味ではありません。


商人、役人、村長、父、そしてリナ。

それぞれが別の責任を持つことで、通信網はリナ一人の発明から社会の仕組みへ移り始めました。


次の話もお楽しみに。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。