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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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第117話 通信を、売る

朝のハーラム町は、まだ煤の匂いがした。


役所の前の石畳に、空の水桶が並んでいる。

夜通しヴェルデンへ往復した桶だ。

縁が黒く濡れて、把手に灰がこびりついている。


(——昨日は、届いた)


(——でも、届いたから終わりじゃない)


わたしは父と並んで、役所の石段の手前に立っていた。


人だかりがあった。

帰ってきた水桶隊を、町の人が囲んでいる。


「ヴェルデンの北側は」


「燃えたのは納屋だけか」


「妹が嫁いでるんだ。誰か、顔を見なかったかい」


問いはどれも短かった。

答えを待つ顔は、どれも長い夜の色をしていた。


隊の若者が、すまなそうに首を振る。


「火は止まった。けど、一軒ずつまでは分からん」


囲みの端で、女の人がうつむいた。

抱いた子供のおくるみを、何度も同じ手つきで直している。


その時だった。


「光の塔の人だね」


声をかけられて、振り向いた。

旅装の商人だった。

腰の帯に、荷紐の擦れた跡がある。


「昨日、光が火事を町へ知らせたと聞いた。ヴェルデンには、うちの取引先の納屋がある。光で聞いてもらえんか。銭は払う」


商人は手のひらに銅貨を三枚のせた。

迷いのない出し方だった。


「光は、まだヴェルデンまで届いていません」


わたしが言うと、商人は銅貨をしまわずに続けた。


「届くようになったら、いくらだ」


いくら。


その言葉が、朝の石畳の上に落ちた。


おくるみの女の人が、ちらりとこちらを見た。

銅貨を見て、目を伏せた。


(——払える人と、払えない人がいる)


(——同じ朝に、同じ場所に)


父がわたしの肩に手を置いた。


「その話は、これから役所で決める」


短い言葉だった。

でも、商人にも、わたしにも届く言葉だった。


◇◇◇


役所の机の上に、赤い縁の札が置かれていた。


昨日の夜に使ったものではない。

町側で受け取った急報札の写しだ。


「火」「ヴェルデン」「助け」の三つの文字を見るだけで、外の煤の匂いが濃くなる気がした。


雷の月の九日。

机の向こうでは、コルネリアさんが帳面を開いていた。


「まず、確認します。急報利用は町側の規則に載せるまで保留——これが仮許可の条件でした」


「分かっておる。昨日の急報は、わしの責任で送った。記録にもそう書いた」


ハインリヒが答えた。

村長は昨日より少し疲れて見えたが、背中は曲げていない。


「町側の記録にも残っています。結果として町の自警団と水桶隊がヴェルデンへ向かい、火は母屋に移る前に止まりました」


コルネリアさんの声は怒っていなかった。

ひとつずつ棚に戻していくような声だった。


「ただし、次も同じように送るなら、急報はもう試験ではありません。町の仕事になります」


扉が叩かれ、ベルマン氏が入ってきた。

いつもの身ぎれいな服に、細い革鞄。


ベルマン氏は席に着く前に、鞄から薄い紙束を出した。

すでに線が引かれ、欄が切ってある。


(——もう、表になっている)


(——昨日の今日で)


仕事の速い人の紙だった。


「通信料金の案です」


通信。

料金。


昨日の光は、人を助けるために走った。

今日の紙の上では、そこに値段がつこうとしている。


「通信を、売るんですか」


思わず声が出た。


「売ります」


短い答えだった。


「お嬢さんの顔を見れば、言いたいことは分かります。ですが、灯りの油は誰かが買います。夜番には賃金が要ります。塔は壊れ、紐も板も使えば傷みます。ただでは続きません」


父が小さく頷いた。


「ただは続かん」


工房で部品の値を数える時の声だった。


紙には三つの欄があった。

通常の短い伝言。

確認返答つきの伝言。

急報。


金額の欄は、まだ空白だった。


「急報は高くするのですか」


「高くすれば、むやみには使われません」


「でも、火事の村が払えなかったら」


「助けは遅れます」


あまりにまっすぐな答えだった。


「では、安くすれば」


「誰でも気軽に急報札を使います。迷子の山羊、隣家との喧嘩、市場の値段。急ぎでないものまで急ぎとして塔に流れ、本当の火事が埋もれます」


(——優先度のない仕事列)


頭の中に、前世の障害対応が浮かびそうになった。

急ぎの知らせを置く場所に雑談が流れ続けると、本当の障害が見えなくなる。


「ですから、規則が必要です」


コルネリアさんが筆を立てた。


「誰が急報と判断するか。虚偽だった場合に誰へ罰を出すか。費用は誰が負うか——で、責任は誰が」


◇◇◇


わたしは、役所の前の朝を思い出していた。


銅貨を三枚のせた商人の手。

銅貨を見て目を伏せた、おくるみの女の人。


「ベルマン氏」


「はい」


「料金は必要だと思います。ただで続けると、油も人も足りなくなります」


「ええ」


「でも、命の急ぎを、先にお金で止めたくありません」


ベルマン氏の細い目が、少しだけ深くなった。


「では、どうしますか」


その問いは、わたしを試すようでもあり、待つようでもあった。


わたしは膝の上で手を握った。

十一歳の手は小さい。

それでも、この手で線を引かなければならない。


「急報は、先に送ります」


コルネリアさんの筆が動いた。


「費用は後で責任者に請求します。村長、町役人、登録された見張り。誰の判断で急報を出したかを記録します」


「払えない村は」


ベルマン氏が聞く。


「町と商人ギルドで、急報の共通基金を作ります。普段の伝言料金から少しずつ急報分を取って、普通の連絡で塔を使う人が、火事やけがの時のために支える形にします」


父がこちらを見る。


「お前さん、それは」


「全部をただにしない。でも、火の前で財布を探させない」


言葉にしてから、少しだけ息が楽になった。


ベルマン氏は口元に手を当てた。


「よい案です。商人としては、通常伝言の料金に上乗せする理由が立ちます」


「ベルマン氏。それだけだと、普通の伝言をたくさん使う商人が、急報の使い方を決めることになりませんか」


ベルマン氏の指が止まった。


「お金を多く出す人が、口も多く出すようになるかもしれません。商人ギルドがお金を出すから荷物の知らせを優先してほしい。町が塔を管理するから村の知らせは後にしてほしい。そうなったら、急報の意味が変わります」


ベルマン氏は何も言わなかった。


怒ってはいない。

むしろ、こちらがそこまで言うのを見ている顔だった。


「ですから、料金表だけでは足りません」


わたしは鞄から小さな紙片を出した。

屋根裏で何度も書いて、消して、残った言葉だけを書いた紙。


「わたしの魂紋こんもんを刻む塔には、使い方の約束も一緒につけたいです」


コルネリアさんの筆が、また止まった。


「魂紋」


「わたしの作ったものだと示す印です。この印があるなら、この条件で使う、という約束も一緒に残します」


ベルマン氏が、ゆっくり背もたれから身を起こした。


「以前の、製造権の話ですね」


「はい。印のある通信塔では、急報をお金で止めない。料金表を隠さない。操作する人を登録する。記録を残す。商人でも町でも村でも、この約束を外した塔には、わたしの印を使わせません」


言い終えると、手のひらに汗がにじんでいた。


言い過ぎたかもしれない。

十一歳の子供が、町役所で商人ギルド長と町長補佐に向かって、条件を並べている。


(——でも、ここで言わないと)


(——塔だけが先に広がる)


計算珠盤の時と同じことになる。

誰が作ったか分からない別物が、どこかで勝手に使われていく。


今度は、ただの道具ではない。

火事やけが人を運ぶ光だ。


◇◇◇


しばらく誰も話さなかった。


外で荷車が止まり、馬が鼻を鳴らした。

役所の奥から誰かの咳が聞こえる。


「お嬢さん。商人として言えば、これは厄介です」


膝の上の手に力が入る。


「ですが、よい厄介さです。料金だけで作ると、通信は金を持つ者の道具になります。規則だけで作ると、動きが遅くなります。印と条件を合わせるなら、商人も役人も、最初からその枠の中で計算できます」


コルネリアさんが、静かに頷いた。


「町としても、助かります。リナさんの印がある塔の最低条件として扱えるなら、仮許可から本許可へ移す時の土台になります」


ハインリヒが杖で床を軽く叩いた。


「難しいことは分からん。じゃが、昨日のような火を金で止めんというなら、わしはそれでよい」


父が、わたしの前に置かれた紙を少し押さえた。

紙が机の上でずれないように。


「リナ」


「うん」


「書け」


◇◇◇


コルネリアさんが新しい紙を出した。


左側には、ベルマン氏の料金表。

通常伝言。

返答つき伝言。

急報。


右側には、まだ何も書かれていない欄ができた。


使用条件。


筆を持つと、指先が少し震えた。

この震えは、怖いからだけではない。


通信を売る。


その言葉はまだ好きになれない。

でも、売らなければ続かないものがある。

売り方を決めなければ、もっと悪い形で売られてしまうものがある。


わたしは最初の一行を書いた。


「急報は、支払いより先に送る」


墨が紙に染みていく。


役所の前の商人は、いくらだと聞いた。

おくるみの女の人は、目を伏せた。


この一行は、あの伏せた目のための一行だ。


赤い縁の札の横に、黒い文字が置かれた。

料金表の隣に、魂紋の約束を書く欄ができた。


■あとがき・解説


第117話は、初めての急報の翌日に、通信へ料金と利用条件を付ける話でした。


前回、光は人を動かしました。

今回は、その光をどう続けるかを決め始めます。


ただにすれば続かない。

高すぎれば命が届かない。


この二つの間に、リナの魂紋の考えが入ってきます。


■この話で出てきた言葉


■「通信料金」——続けるためのお金


塔の灯りには油が要ります。

夜番や記録係にも手当が要ります。

紐や遮蔽板も、使えば傷みます。


通信料金は、通信を金儲けにするためだけのものではありません。

同じ仕組みを続けるために、誰が費用を負担するかを決める仕組みでもあります。


■「急報は、支払いより先に送る」


火事やけが人の知らせは、財布を探している間に遅れてはいけません。


リナは、急報を無料にしたわけではありません。

先に送って、責任者と記録を残し、費用はあとで扱う形を提案しました。


速さと責任を両方残すための案です。


■「魂紋」——印と使い方の約束


魂紋は、リナが自分の作ったものに残そうとしている印です。


ただの署名ではありません。

この印があるものは、こういう条件で使う。

この条件を外すなら、リナの印は使わせない。


第1部で考え始めた「自分の作ったものの行き先を見守る」ための仕組みが、通信網にも使われ始めました。


次の話もお楽しみに。


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