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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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115/211

第115話 手に職

黒い板の端が、少し白くなっていた。


昨日、何度も動かしたせいだ。

白く塗った薄い木片がこすれて、板の角に粉がついている。


集会所の机には、符号表と読み札が並んでいた。

父は新しい道具を持ってこなかった。

灯り箱も、銅板も、操作紐もない。


あるのは、昨日と同じ白い木片。

黒い板。

それから、短い溝と長い溝を刻んだ読み札だけだ。


(——ここで増やすのは、道具じゃない)


(——できる人を増やすんだ)


昨日の練習で、全員が読めたわけではなかった。

光が見えている間だけなら追える。

でも、消えている間を数えようとすると止まる。


それは当たり前だった。


誰も、今までそんなものを読んできていない。


◇◇◇


ダンは、昨日より早く来ていた。


入口近くの椅子に腰を下ろし、読み札を親指でなぞっている。

短い溝。

長い溝。

少し空いたところ。


力仕事をする人の手は厚い。

それでも、溝を追う親指の動きは思ったより細かかった。


「来てくれたんですね」


わたしが言うと、ダンは顔をしかめた。


「昨日、村長に言われた」


「嫌でしたか」


「嫌というか」


ダンは読み札を持ち上げた。


「字を読めって言われると逃げたくなる。けど、これなら昨日のを一つ覚えてた」


父が黒い板を置いた。

白い木片を短く見せる。

隠す。

長く見せる。


ダンの親指が、読み札の上を進んだ。


「短い。長い」


そこで止まる。


「……間」


「はい」


わたしは頷いた。


ダンは少しだけ目を丸くした。

自分で言った言葉が正しかったことに驚いた顔だった。


「今の、当たりか」


「当たりです」


「へぇ」


それだけ言って、ダンはまた読み札に目を落とした。

笑わなかった。

でも、椅子から立とうともしなかった。


◇◇◇


村長ハインリヒは、昨日の名簿を広げた。


名前の横に三つの欄がある。


読む。

送る。

書く。


昨日までは、一人の名前を一行に書くだけだった。

今日は、名前の横に丸をつける場所が分かれている。


「全員に全部を求めるのは、無理がある」


ハインリヒが言った。


「町へ出す名簿には、役目も書く。誰が読むのか。誰が塔を動かすのか。誰が記録するのか」


父が頷く。


「一人で全部できる者は少ない。だが、二人で組めば回る」


その言い方で、胸の中の何かがかちりとはまった。


前世で、ひとつの仕事を無理に一人へ背負わせた時のことを思い出す。

設計も実装も、確認も運用も。

全部を一人で持つと、どこかで必ず折れる。


ここでも同じだ。


読む人。

送る人。

記録する人。


別々の仕事なら、入口を分けられる。


「読む練習をする人は、まず読み札です」


わたしは机の上に三枚の札を並べた。


「送る練習をする人は、白い木片と黒い板です。記録を書く人は、読まれた符号を帳面に残します」


「最初から、げんき全部か」


ダンが聞いた。


わたしは首を横に振った。


「いいえ。一つずつです」


短い符号を一枚。

長い符号を一枚。

間だけの札を一枚。


全部を一度に覚えさせない。

昨日、それで足が止まった。


一つできたら、次の一つへ進む。


◇◇◇


集会所の扉が、遠慮がちに開いた。


入ってきたのは、わたしより少し上の男の子だった。

背は高くない。

袖は少し短く、爪の間に土が残っている。


畑からそのまま来たような手だった。


ハインリヒが顔を上げた。


「ニコか」


男の子は肩をすくめた。


「兄ちゃんが、ここへ行けって」


「今日は畑ではないのか」


「兄ちゃん二人がいるから」


そう言ってから、ニコは机の上を見た。

読み札。

黒い板。

白い木片。


その目は、字を見る目ではなかった。

道具を見る目だった。


「これ、魔力いるんですか」


部屋の空気が少し止まった。


ハインリヒは答えなかった。

父も、すぐには口を開かない。


わたしは、ニコの手を見た。

土のついた爪。

日に焼けた指。

それから、握ったままの袖口。


「いりません」


わたしが答えた。


「光を出す灯り箱には油がいります。塔を動かすには決まりがいります。でも、読むことには魔力はいりません」


ニコは、こちらを見た。


「ほんとに」


「はい」


少し遅れて、ハインリヒが頷いた。


「魔力の有無は、名簿の条件に入っておらん」


その言葉は、静かだった。

でも、ニコには大きく聞こえたようだった。


「検査で、ないって言われたんです」


ニコは早口で言った。


「水も出せないし、火もつけられない。畑でも兄ちゃんたちより遅い。だから、ここもだめだと思って」


わたしは、うまく息を吸えなかった。


その言葉は知っている。


魔力がない。

だからできない。

だから数えられない。

だから最初から呼ばれない。


わたしも、そう見られたことがある。


「やってみますか」


わたしは白い木片を取った。


黒い板の向こうへ置く。

父に合図する前に、ニコが机へ近づいた。


ダンが椅子を少し引く。


「座れよ」


ニコは一瞬だけ迷い、それから座った。


◇◇◇


最初は、短い光だけにした。


父が板を横へずらす。

白が見える。

すぐに隠れる。


「短い」


ニコが言った。


次は長い。


白が見えている時間が、少し伸びる。


「長い」


「はい」


次に、短い光を二つ。


父が、見せる。

隠す。

見せる。

隠す。


ニコは指を折った。


「短い、短い」


「そうです」


思ったより速い。


でも、それだけなら驚くことではない。

問題は、間だった。


父が白い木片を短く見せる。

少し隠す。

もう一度、短く見せる。

今度は長く隠す。

長く見せる。


ニコの指が止まった。


「今の、畑の種みたいです」


「種?」


わたしが聞き返す。


「近くに二つ。離して一つ」


ニコは机の上を指で押した。


「豆をまく時、近すぎるとだめです。離しすぎてもだめって兄ちゃんに言われます。今の間が、それに似てました」


ダンが声を出して笑った。


「お前、種で読むのか」


「だって、字より分かる」


ニコは少しだけむっとした。


でも、わたしは笑えなかった。


(——そうか)


(——間を、自分の知っているものに置き換えている)


文字を知らなくても、距離は知っている。

魔力がなくても、畑の間隔は分かる。

手が覚えているものを使えば、符号は急に近くなる。


「もう一度、お願いします」


今度は、ニコが父に言った。


父は同じ動きをした。


ニコは小さく口の中で数えた。


「近い、近い。離す。長い」


読み札の上で、指が止まる。


「これ」


指先は、正しい札の上にあった。


◇◇◇


昼前には、机の上が粉で白くなっていた。


白い木片は角が丸くなっている。

黒い板には、何度も動かした跡がついた。


読み札の溝も、指でなぞられて少し滑らかになっていた。


帳面には、名前が増えていた。


ダン。

読む、一つ。

送る、可。


ニコ。

読む、短長と間。

送る、未。

書く、不可。


不可、という字だけ見ると冷たい。

でも、横に丸が一つある。

それだけで、そこには入口ができていた。


ハインリヒは帳面を見下ろした。


「町へ出す名簿には、まだ正式とは書けんな」


ニコの肩が少し落ちる。


けれど、ハインリヒは筆を置かなかった。


「だが、見習いなら書ける」


父が小さく頷いた。


「信号の番をする者だ。信号士見習い、でよかろう」


信号士見習い。


その言葉が、集会所の中に落ちた。


まだ村の中だけの名前だ。

町の帳面に通るかも分からない。

でも、名前がついた瞬間、ただの手伝いではなくなった。


ニコは、自分の手を見た。


土の残った爪。

白い粉のついた親指。

読み札の溝をなぞった跡。


「これ」


ニコは顔を上げた。


「仕事になりますか」


誰もすぐには答えなかった。


窓の外で、風が麦の若葉を揺らしている。


ハインリヒが、ゆっくりと帳面に筆を入れた。


ニコの名前の横に、小さく一行が増える。


信号士見習い。


「仕事にするために、今、名をつけた」


その言葉を聞いた時、ニコの指が読み札の上で止まった。


もう逃げるためではない。

次の溝を探すために、止まっていた。


■あとがき・解説


第115話は、信号士訓練の後半です。


前回は「文字を読むこと」と「符号を読むこと」を分けました。

今回はそこから一歩進めて、信号士を仕事として扱い始めます。


道具を増やす回ではありません。

既にある白い木片、黒い板、読み札を使い、誰が何をできるのかを切り分けています。


■この話で出てきた言葉


■「信号士見習い」——新しい仕事の入口


信号塔は、作っただけでは社会の中で動きません。

誰が読むのか。

誰が送るのか。

誰が記録するのか。


この三つを分けることで、読み書きが得意な人だけでなく、符号や間を覚えられる人も参加できるようになります。


■「魔力がなくても読める」——職能の条件を変える


ニコは魔力がない少年です。

水も火も出せないため、自分は最初から外されると思っていました。


でも、光信号の読解には魔力がいりません。

必要なのは、短い・長い・間を見分けることです。


これは、リナ自身の「魔力なき者でもできることがある」というテーマの小さな広がりでもあります。


■「知っている感覚へ置き換える」——学び方の違い


ニコは符号の間を、畑で種をまく時の距離にたとえました。


文字として覚えるのではなく、自分の手が知っている感覚に置き換える。

そうすると、見慣れない符号が少しだけ近くなります。


信号士は、こうした小さな工夫から職能として形になっていきます。


次の話もお楽しみに。


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