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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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113/211

第113話 町役人コルネリア

ハーラム町の役所は、紙の匂いがした。


乾いた紙ではない。

人の手で何度もめくられ、墨を吸い、湿った春の風を含んだ紙の匂いだった。


入口の脇には、順番を待つ人たちが並んでいる。

荷車の通行札を持った男の人。

井戸の修理費について話している女の人。

穀物袋の数を書いた板を抱えた老人。


町は、帳面の上でも動いている。


(——木と銅だけじゃない)


(——ここでは、名前と印で物が動く)


父は、丸めた部品表を片手に持っていた。

もう片方の手には、小さな木箱がある。

中には、昨日まで見ていた引き腕の見本と型板の欠片が入っていた。


「緊張してるか」


父が小さく聞いた。


「少し」


「嘘を言わなくていい」


「かなり」


父は短く笑った。


笑っただけで、それ以上は何も言わなかった。

わたしの背中を押すでもなく、代わりに答えるでもなく、ただ横に立ってくれている。


それがありがたかった。


◇◇◇


呼ばれた部屋は、広くはなかった。


窓際に大きな机があり、その上に帳面が三冊重なっていた。

壁には町の簡単な地図が掛けられている。

街道と井戸。

詰所、南の市場、西の狼煙台。


地図の隅に、赤い印がいくつかついていた。

たぶん火事や事故の記録だ。


机の向こうに座っていた女の人が、顔を上げた。


灰色の事務服。

きっちり結った髪。

手には筆。


笑ってはいなかった。

でも冷たい顔でもなかった。


「グレンフィールド村のアルベルトさんと、リナさんですね」


「はい」


父が答えた。


「町長補佐のコルネリアです。町長は今、市場の水路確認に出ています。信号塔の件は、わたしが聞きます」


リナちゃん、ではなかった。

嬢ちゃん、でもなかった。


リナさん。


その呼び方だけで、少し姿勢を正したくなった。


コルネリアさんは、父の手元を見た。


「まず、置いてください」


父が部品表を机に広げる。

紙の端が丸まろうとしたので、父は木箱を重しにした。


コルネリアさんは、部品表を上から下まで一度で読んだ。

読んだ、というより、抜けている欄を探している目だった。


「灯り箱。遮蔽板。引き腕。操作紐。銅板。油。芯。設置場所。中継予定地」


そこで筆が止まった。


「で、責任は誰が」


最初の質問は、それだった。


◇◇◇


父が答えた。


「村側の塔は、俺とグスタフが作ります。村長ハインリヒの仮設許可も取っています」


「町側は」


「町の詰所か、西の狼煙台に置きたいと考えています」


「置きたい、では許可になりません」


コルネリアさんは、筆先を紙から離さなかった。


「町の建物に置くなら、町の道具です。壊れた時に誰が止めるのか。誤って光った時に誰が責任を負うのか。夜番が勝手に使った時に誰が罰するのか。それを書いてください」


胸の奥が少し縮んだ。


責められているわけではない。

でも、机の上に足りないものを一つずつ置かれている感じがした。


(——そうだ)


(——わたしは、動くかどうかばかり見ていた)


光は届いた。

短い光と長い光も作れた。

町から返事も来た。


でも、返事をくれたのはヨハンで、あれは試験だった。

町の道具になるなら、兄だから分かってくれる、では足りない。


「町側の操作は、町の人がするべきだと思います」


わたしが言うと、コルネリアさんの目がこちらへ向いた。


「理由は」


「町の合図になるからです。村の人が町の屋根から勝手に光を出したら、町の人が困ります」


コルネリアさんは少しだけ頷いた。


「続けて」


「ただ、最初は使い方を覚える人が必要です。村側と町側で同じ符号表を持って、送った時刻と読んだ時刻を書きます。急報には、まだ使わないほうがいいです」


「なぜですか」


「急報に使うには、送り手が誰か分からないと怖いからです」


言ってから、わたしは自分の手を見た。


小さな手だった。

筆を握るには足りるけれど、町の責任を握るには小さい手だ。


でも、怖いものは分かる。


速いものは、間違いも速く運ぶ。


コルネリアさんは、筆で帳面の余白を軽く叩いた。


「それは、規則のどこに載りますか」


「まだ、載っていません」


「では、載せる必要があります」


その声は平らだった。

でも否定ではなかった。


◇◇◇


コルネリアさんは、新しい紙を一枚出した。


紙の上に線を引く。

縦に五本。

横に何本も。


「日付。時刻。送り元。受け取り先。操作者。内容。返答の有無」


筆が迷わず進んだ。


「光が出たら、ここに書きます。見間違いでも書きます。返答がなければ、それも書きます」


父が紙を覗き込んだ。


「記録簿ですか」


「はい。道具が増えるなら、帳面も増えます」


コルネリアさんは、わたしを見た。


「リナさん。手で引くのですか」


「最初は、手で引きます」


言ってから、すぐに付け足した。


「でも、手だけを前提にはしません。狼煙では、布と時計で短い煙と長い煙を作りました。光でも、後から同じ布と時計をつなげます」


コルネリアさんの筆が止まった。


父が木箱を開ける。

中から小さな引き腕の見本を取り出し、机の上に置いた。


「手で引く紐も、布と時計で引く装置も、ここを引きます」


父が穴を指した。


「箱の中身を勝手に変えず、この穴だけを同じにする」


コルネリアさんは、見本を手に取った。

引き腕を光にかざし、穴の位置を見た。


「つまり、町として見るべき点は、これが同じだけ動くかどうか」


「はい」


「中に布を載せるか、人が紐を引くかは、その後の話」


「はい」


胸の奥で、何かがぴたりとはまった。


技術の話をしているのに、コルネリアさんは中身を追いかけすぎない。

町が見るべき場所を切り分けている。


(——この人は、入口を見ている)


(——町として、何を受け取るかを決めている)


前世で、担当範囲を分ける時の感覚に少し似ていた。

全部を一人で抱え込むと、どこかで壊れる。


灯り箱は光を出す。

遮蔽板は光を切る。

引き腕は動きを受け取る。

信号士は見て、引いて、記録する。

町は、使っていい合図を決める。


それぞれが一つずつ役目を持てば、壊れた時に探せる。


コルネリアさんは引き腕を机に戻した。


「技術は借ります。ですが運用は町が握ります」


父が頷いた。


「そのつもりです」


「本当に?」


コルネリアさんは父ではなく、わたしを見た。


「リナさん。あなたは、自分が作った道具を、町が止めると言った時に止められますか」


息が詰まった。


止める。


動いたものを止める。

届いたものを、使わないと決める。


(——嫌だ)


最初に浮かんだのは、それだった。


だって、やっと届いた。

ヨハンの返事が、光で返ってきた。

あの光を見た時、胸の奥が熱くなった。


でも、その熱だけで町の屋根を使うわけにはいかない。


わたしは、膝の上で手を握った。


「止めます」


声は思ったより小さかった。


でも、もう一度言った。


「町の人が危ないと思うなら、止めます。そのかわり、なぜ止めるのかを記録してください。直す場所が分かるように」


コルネリアさんは、初めてほんの少しだけ口元を動かした。


笑った、というほどではない。

でも、無駄ではなかったという顔だった。


「よろしい」


◇◇◇


条件は、五つになった。


町側の塔は、西の狼煙台か自警団詰所のどちらかに置くこと。

市場や神殿の近くには置かないこと。

急報の合図には、正式な符号表ができるまで使わないこと。

光を出した時は、必ず記録簿に書くこと。

操作する人の名前を、先に町へ届けること。


父が聞いた。


「部材の購入は」


「銅板と油は、町の名義で一度買います。費用の分け方は、ベルマン氏も入れて別に決めます」


ベルマン氏の名前が出た。


商人の帳面と、町の帳面。

同じ紙でも、見ているものが違う。


コルネリアさんは、小さな木札を一枚取り出した。

そこに短く文字を書き、町の印を押す。


乾いた音がした。


「仮許可です」


木札の上の墨が、まだ少し光っていた。


父が両手で受け取る。


わたしも横から覗き込んだ。


そこには、光信号塔という文字があった。

その下には、仮設と試験、記録必須という文字が並んでいた。


町の帳面に、わたしたちの光が載った。


それは嬉しいことのはずなのに、胸の奥が少し重かった。


名前が載るというのは、許されることでもあり、逃げられなくなることでもある。


「では、次です」


コルネリアさんが言った。


父が顔を上げる。


「まだありますか」


「あります」


コルネリアさんは、記録簿の空欄を筆の先で示した。


「塔は置けます。道具の入口も分かりました。では、誰が送るのですか」


その問いに、部屋の空気が少し変わった。


「送る人の名前がなければ、町の規則には載せられません」


窓の外で、馬車の車輪が石畳を鳴らした。


わたしは、木札の濡れた印を見つめた。


光の道は、塔だけでは足りない。


次に必要なのは、塔を動かす人の名前だった。


■あとがき・解説


第113話は、光信号塔を町の役所へ持ち込む回でした。


前回までは「同じ塔を作れるか」が中心でした。

今回はその先にある「誰が使い、誰が止め、誰が記録するのか」という運用の話です。


今回は「記録簿」「責任の分担」「インターフェース」についてゆるく書いていきます。


■この話で出てきた言葉


■「記録簿」——動いたことを残す帳面


通信は、送ったら終わりではありません。

いつ、誰が、どこへ、何を送ったのか。

返事があったのか、なかったのか。


これを残しておかないと、失敗した時に原因を追えません。


現代のシステムでいうログに近い役割です。

リナは前世の言葉を出していませんが、失敗を後から調べられる形で残す感覚は同じです。


■「責任の分担」——一人で全部を抱えない形


コルネリアは、技術そのものを否定しているわけではありません。

ただ、町に置く以上は町が運用を握るべきだと考えています。


灯り箱を作る人、操作する人、記録する人、使っていい合図を決める人。

それぞれの役目を分けておくと、何かあった時に直す場所が分かります。


これは組織運用の基本でもあり、プログラミングでいう責務分離にも近い考え方です。


■「インターフェース」——中身を替えても同じ入口で扱う


今回、コルネリアが理解した大事な点は「町が見るべきなのは引き腕の動き」ということでした。


手で紐を引くのか。

後から「布時計」で動かすのか。


布時計は、布の穴を読み、時計の拍で同じ間を作る小さな仕組みです。

第104話で狼煙を半自動化した時の「布と時計」を、ここでは短くそう呼んでいます。


そこは将来変わっても、灯り箱側から見れば同じ穴が同じだけ動けばよい。

これが入口をそろえる考え方です。


第104話で狼煙の半自動化は成立しています。

光信号ではすぐ布時計を載せず、まず手動でも自動でも同じ接続口を使えるように整えています。


コルネリアの登場で、光信号は「リナたちの発明」から「町の制度」へ少し入りました。


次の話もお楽しみに。


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