第11話 道具を作る
ノラの「ねぇね、すごい」を聞いた翌日から。
わたしの中では何かが明らかに動き始めていた。
父に見せた落書きを、そろそろ実際に作ってみよう——そう決めた。
(——作りたい)
その思いが頭の中でずっと裏で回っている。
朝起きてから夜寝るまで。
食事中も家事の手伝い中もノラの面倒を見ている時も。
(——わたしの手で、何かを)
魔法を発動できないなら機械でいい。
機械でだめなら紙でもいい。
紙でだめなら木の枝でも糸でも何でもいい。
要するに——わたしは自分の手で何かを動かしてみたかった。
前世のキーボードのように。
八歳の小さな手で何かを「組んでみたい」。
◇◇◇
その日の午後、わたしはエマに頼んだ。
「お母さん、糸もらってもいい?」
「糸? どんな糸?」
「細いやつ。あと木の枝も」
「ふふ、何作るの?」
「えっとね、その、おもちゃ」
——もちろん嘘だ。
でも八歳児が「計算補助具を作ります」とは言えない。
エマは少し考えてから織物部屋の棚から余り糸を一束、わたしに渡してくれた。
さらに庭の隅にあった剪定済みの細い枝も数本くれた。
「危ないことには使わないでね」
「うん」
——わたしは糸と枝を抱えて屋根裏の自分の寝床に駆け上がった。
道すがら井戸の方から声が聞こえた。
「エマさんとこのリナちゃん、また何かこさえるんだって?」
「魔力なき子がねぇ……」
「変な遊びに頭ばっかり使って、嫁の貰い手が困らなきゃいいけど」
ひそひそ声にわたしは一瞬足を止めた。
(……気にしない)
頭の中で自分にそう言い聞かせる。
彼女たちはたぶん、わたしを心配してくれている。たぶん。
それでも——
わたしは少しだけ糸と枝を強く抱きしめ直した。
◇◇◇
寝床の隅にぺたんと座って作業を始めた。
最初に作ろうとしたのは原始的な計算補助具——前世でいうところのそろばんの超簡易版だった。
(枝に糸を通して玉を作る——)
頭の中では完璧だった。
でも実際に手を動かしてみると——
(……あれ?)
糸が短い。
枝が太い。
玉に相当する小さな木片をまだ見つけてない。
ひとつめの問題に気付いた瞬間、両肩がガクッと落ちた。
(……完全に設計が甘い)
前世のエンジニアとしてわたしは何度も「事前設計」の重要性を口にしてきた。
それなのにいざ自分が八歳の身体になってみると、ものを作る前にまず必要な部品を集めることすらちゃんとできていない。
(……出直そう)
わたしは糸と枝を一旦置いて、もう一度ノートのように頭の中で設計をやり直す。
(必要なのは)
(——軸となる細い棒。今ある枝でいける)
(——軸を通す穴のある小さな珠。これがない)
(——軸を固定する両端の支え。これもない)
足りないものを整理する。
(……支えは家にある木箱の板で代用できる)
(——珠はたぶん小石を磨いて……いや、穴をどう開ける?)
(穴。穴を開けるには錐がいる)
(錐はたぶん父の工房にある)
——父の工房。
そこに行けばわたしの欲しい道具がたぶん揃っている。
◇◇◇
夕方、父が工房から戻ってきたとき、思い切って声をかけた。
「お父さん。あの、わたしも工房の道具をちょっと使ってもいい?」
父はじろりとわたしを見た。
「何を作るんだ」
「えっと……おもちゃ」
「おもちゃ……」
父は黙ってわたしを見つめた。
それから低く呟いた。
「危ない道具は触るな。錐とヤスリは貸してやる」
「ほんと!?」
「ただし俺の前でだけだ」
「うん、それでいい、それでいいの、ありがとう、お父さん」
頬がにやけそうになるのを必死に堪えた。
父の前でまた「変な顔」になっていたらたぶんまた警戒される。
(——よし。今夜の予定ができた)
◇◇◇
その夜、夕食が終わってからわたしは父の工房に行った。
父は今夜の作業として別の客から預かった懐中時計の修理をしていた。
その隣でわたしは——
小さな板の上に小石を並べて錐で穴を開けようと必死に試みていた。
カチ、カチ、と石が割れる音が何度もする。
(……割れる)
(また割れる)
小石は思った以上に硬かった。
そして思った以上に脆かった。
力の加減がまったく分からない。
「リナ」
父が振り返らずに言った。
「何やってる」
「あの、穴を開けようとして」
「小石にか?」
「うん」
「……割れるだろう、それは」
「もう何個も割れた」
「だろうな」
父が小さく笑った。
それから自分の作業台の引き出しを開けて何かを取り出した。
「これを使え」
それは薄い木の板を切り出した小さな丸い円盤だった。
すでに中央に小さな穴が開いている。
「お父さん、これなに?」
「時計の中の軸を支える台座だ。余ったやつだ。使え」
——え。
(……これ、すごい)
(直径が均一。穴が正確。素材は木で加工しやすい)
(これはまさにわたしが欲しかった玉では?)
「お父さん、ありがとう……!」
「お前、本当に何を作るつもりなんだ」
「ええっと、おもちゃなんだけど……その、ちょっと特殊なおもちゃで」
「……ふむ」
父はそれ以上追及しなかった。
わたしの両手に木の円盤を十数枚まとめて置いてくれた。
——わたしは心の中で深く頭を下げた。
◇◇◇
寝床に戻った。
枝を二本、両端に固定した小さな木箱の板に穴を開ける。
父にもらった小さな丸い木の円盤を糸でつなぐ。
円盤と円盤の間にはわずかな隙間を作って横にスライドできるようにする。
(……これは)
(これはたぶんいける)
何度も試した。
円盤がうまく動かない。糸が捻れる。固定が緩い。
(失敗。でも止めない)
何度もばらして組み直す。
夜の屋根裏は静かで、わたしの手が立てるカタカタ、コトコトと小さな音だけが響いていた。
そして——
真夜中近くになって、
ようやく、
ひとつの「玉」が軸の上をすーっとスライドした。
たった一個。
ひとつの玉がひとつの軸の上を、わたしの指で動いた。
それだけのこと。
——だけど、
わたしは寝間着の袖で目尻をぐっと拭った。
(……動いた)
(動いた、動いた、わたしの手で動いた)
ちょっとだけ洟をすすった。
それからまた次の玉の固定に取り掛かった。
(まだ序の口)
ノラが寝床で寝返りを打って「ねぇね……」と寝言を呟いた。
わたしは小さく笑って、もう一個の玉を軸に通した。
——明日も続きをやろう。
そう決めて、わたしはやっと毛布の中に潜り込んだ。
両手にはまだ作りかけの「おもちゃ」をしっかり抱えたまま。
■あとがき・解説
第11話は、リナがついに自分の手で「何かを作る」ために動き出す回でした。
ただ、ものづくりというのは、頭の中で完璧に見えていても、いざ手を動かすと驚くほど思い通りにいかないものです。
この回はその「思い通りにいかなさ」をたっぷり描いた話でもありました。
ここで少し、エンジニアの世界の言葉を紹介させてください。
■この話で出てきた言葉
■「試作・プロトタイピング」
英語で「プロトタイピング」と呼ばれる、ものづくりの作法のひとつです。
いきなり完成品を目指して作り込むのではなく、まずざっくりとした試作品を一度組んでみる。
そして「あれ、ここの寸法が合わない」「思ったより動きが渋い」と気付いたら、そこから直していく。
これを何度も繰り返して、本物の完成形に近づけていきます。
リナが糸と枝を抱えて寝床に駆け上がり、座り込んでまず糸を通そうとしたあの場面。
あれはまさに最初の試作を作っている瞬間でした。
紙の上では完璧に見えても、実物に置き換えたとたん、糸が短い、枝が太い、玉がない……と問題が一気に噴き出してきます。
「実物にしてはじめて見えてくる問題がある」というのは、現代のエンジニアでもまったく同じです。
■「デバッグ」
プログラムが思い通りに動かないとき、その原因を探って直す作業のことを「デバッグ」と言います。
英語の「バグ(虫)」から来た言葉で、虫を取り除く、というイメージです。
プログラマーの仕事は、新しいコードを書く時間よりも、このデバッグに使う時間の方が長いとよく言われます。
リナが小石に錐で穴を開けようとして、カチカチと割り続けていたあの場面。
「割れる、また割れる」と心の中で呟きながら、力の加減を変えて何度も試していたあれもまた、立派なデバッグでした。
うまくいかなかった原因を観察して、次の試行に活かす。
これはコードでも工作でも、根っこの作業は同じなのです。
■「設計と試作の違い」
頭の中で完成図を描くのが「設計」。実際に手で組み上げるのが「試作」。
この二つは似ているようで、まったく別の作業です。
頭の中で「枝に糸を通せばできる」と思っていても、実物の枝は太く、実物の糸は短い。
現実は、頭の中の設計図より、いつもちょっとだけ意地悪です。
それでもリナは止まりませんでした。
父にお願いして錐とヤスリを借り、夜の工房で何個も小石を割り続け、ついには父が時計用の余り部品を分けてくれて、ようやくたった一個の玉が軸の上を「すーっ」と動きました。
たった一個の玉。だけど、ずっと自分の指で動いた最初の一個。
リナがこっそり袖で目尻を拭ったその場面は、たぶんこの物語のひとつの原点になります。
「魔力なき者」と判定された彼女が、それでも自分の手で何かを動かせることを、初めて自分で証明した夜でした。
次の話もお楽しみに。




