64話 漆黒のフェンリル
王都から半日。
草原と針葉樹林が続く、冷たい風の吹く地帯。
レナ、フィリア、ノヴァ、そして転がるようについてくるパウは、被害現場へ向かっていた。
道中、荷馬車の商人たちが口々に語る。
「黒い影だった!」
「空を飛んで笑ってた!」
「羊を三頭まとめて持っていった!」
レナが顔をしかめる。
「情報が全部いや」
フィリアは冷静。
「でも少し興味ある」
ノヴァは先頭を走りながら、鼻を鳴らした。
知らない気配。
強い。
そして――少し、似ている。
夕方。
一行は深い森へ入った。
木々の間に、異様な静けさがある。
鳥も鳴かず、獣の匂いも消えている。
ノヴァの耳が立つ。
風上。
枝の上。
いる。
次の瞬間。
どさっ。
目の前に何かが着地した。
地面が沈む。
土煙が舞う。
レナが剣を抜く。
「来た!」
煙が晴れる。
そこにいたのは――狼。
いや、フェンリル。
ノヴァと同じ種族に見える。
だが全てが逆だった。
毛並みは夜のような漆黒。
瞳は赤。
体格はノヴァの三倍。
幼体サイズのノヴァに対し、こちらは成獣に近い。
背には三対の翼。
尻尾は二本。
そして口元には、いたずらっぽい笑み。
「やっと見つけた」
低いが若々しい声。
レナが固まる。
「しゃべった!?」
フィリアも珍しく目を開く。
漆黒のフェンリルは、赤い瞳でノヴァを見下ろす。
「白いの。お前、なんでそんなに小さい?」
ノヴァはむっとした。
初対面で失礼だった。
レナが腕を組む。
「こっちも聞きたいことあるんだけど」
黒いフェンリルは彼女をちらりと見る。
「人間が喋った」
「普通に失礼ね!?」
黒き獣は胸を張る。
翼がばさりと広がる。
「我が名はゼルク」
「北天の狩人、漆黒のフェンリルだ」
言い切った直後。
木の上から羊が一頭落ちてきた。
どうやら途中で隠していたらしい。
レナが指差す。
「家畜泥棒じゃない!」
ゼルクは少し気まずそうに視線を逸らした。
「狩りだ」
「窃盗よ」
ゼルクは再びノヴァを見る。
今度は真面目な顔だった。
「白いの、お前……強いな」
ノヴァは首を傾げる。
ゼルクは鼻を鳴らす。
「月まで届く一撃、見た」
「面白かった」
レナが驚く。
「見てたの!?」
「空からな」
つまりこの黒いフェンリル、月面決戦まで観戦していた。
フィリアが呟く。
「観客席が高い」
ゼルクが前足で地面を掻く。
「だから決めた」
「お前と戦う」
赤い瞳が燃える。
翼が広がり、森全体に圧が走る。
木々がざわめく。
レナがため息をつく。
「やっぱそうなるのね……」
ノヴァはじっと見返す。
小さな白銀の幼体。
対する、巨大な漆黒のフェンリル。
しばし沈黙。
そしてノヴァは――
くわえていた干し肉を差し出した。
ゼルクが固まる。
レナも固まる。
フィリアだけが頷いた。
「外交」
ゼルクは干し肉とノヴァを交互に見る。
「……なにこれ」
ノヴァはもう一度差し出す。
友好的な意味だった。
ゼルクの耳がぴくりと動く。
少しだけ尻尾も揺れる。
レナがニヤつく。
「ちょろそう」
黒きフェンリル、ゼルク。
強敵か。
新たな仲間か。
ただの食いしん坊か。
白銀の幼体フェンリル・ノヴァ。
漆黒の翼持つフェンリル・ゼルク。
両者の間には、一本の干し肉。
世界の均衡が、今そこにあった。




