開門
その瞬間。
空が割れた。
赤い裂け目が一気に広がり、夜空全体へ走る。
宮殿が震え、雪原がうなる。
レナが部屋から飛び出してきた。
「始まった!?」
裂け目の奥から、巨大な手が伸びてくる。
白でも黒でもない。
金属のような灰色の腕。
爪は山のように大きい。
そして二つの赤い目が、向こう側で開いた。
フィリアが低く告げる。
「……王が来る」
空を裂いた門の向こう。
赤い亀裂の奥で、二つの目が開いていた。
夜空そのものより巨大。
冷たく、無機質で、感情のない赤。
そこから伸びる灰色の腕が、世界の縁を掴む。
ぎし、ぎし、と空が軋んだ。
レナは剣を握る手に汗をにじませる。
「……あれ、サイズ感おかしくない?」
フィリアは静かに答える。
「王だから」
説明になっていない。
裂け目がさらに広がる。
現れた顔は、竜にも狼にも見えた。
巨大な顎。
幾重にも重なる牙。
角の代わりに並ぶ金属質の棘。
だが皮膚ではなく、全身が灰色の装甲に覆われている。
生物と兵器の中間。
その存在が半身を覗かせただけで、吹雪が逆巻き、氷域の地面がひび割れた。
フィリアが告げる。
「名はゼノグラード」
「最初に作られ、最後まで壊れなかった王」
ノヴァは思った。
名前からして強そうで面倒。
ゼノグラードが口を開く。
声ではない。
重圧だった。
空気が沈み、宮殿の柱が砕け、レナが膝をつく。
「くっ……!」
呼吸が苦しい。
遠くの雪山が崩れ、氷原に亀裂が走る。
ただ存在しているだけで災害。
フィリアが前へ出る。
青い冷気を放ち、レナの前に壁を作る。
「下がって」
「これは私たちの領域」
レナが悔しげに歯を食いしばる。
ノヴァはその横を通り過ぎた。
小さな足で。
まっすぐ前へ。
ゼノグラードの赤い瞳が、ノヴァを捉える。
数秒の沈黙。
そして初めて言葉が響いた。
「……核、発見」
声は機械のようで、低く割れている。
「回収開始」
巨大な腕が振り下ろされた。
山が落ちてくるような一撃。
レナが叫ぶ。
「ノヴァ!!」
フィリアが跳ぶ。
空中で両手を広げ、王の腕へ蒼い氷鎖を何十本も撃ち込む。
腕が途中で止まる。
「今!」
ノヴァは走った。
氷原を一直線。
その背後に白銀の神狼の幻影が現れる。
小さな体と、天を覆う巨獣の影。
対比が異様だった。
ゼノグラードの腕へ飛び乗り、装甲の継ぎ目へ爪を突き立てる。
火花。
金属音。
そして――浅い。
硬すぎる。
ノヴァの耳が寝た。
嫌なタイプだった。
ゼノグラードの腕が震える。
装甲の隙間から赤い光が走る。
次の瞬間、衝撃波。
フィリアの氷鎖が砕け、ノヴァごと吹き飛ばされた。
レナが駆け出し、空中でノヴァを受け止める。
「大丈夫!?」
ノヴァは少しふらつきながら立つ。
大丈夫ではある。
だが相手は今までで一番硬い。
フィリアが唇を噛む。
「普通の攻撃じゃ通らない……」
ゼノグラードが門をこじ開ける。
肩。胸。翼。
その全身が世界へ現れ始める。
門の裂け目が悲鳴を上げ、空から火花のような赤雷が落ちる。
地面が沈む。
氷の宮殿が崩れ始めた。
レナが叫ぶ。
「このまま出てきたら終わる!」
フィリアが頷く。
「完全顕現したら、世界が耐えない」
ノヴァは王を見上げる。
小さな幼体のまま。
それでも瞳は静かだった。
逃げる気はない。
フィリアがノヴァの横に立つ。
「私が門ごと凍らせる」
「その一瞬だけ、王の核が露出する」
レナが剣を構える。
「そこを叩くのね」
フィリアはノヴァを見る。
「できる?」
ノヴァは答えず、前足を上げた。
ぺし。
フィリアの腕に軽く肉球。
やる。
そういう意味だった。
フィリアは笑った。
「よし、妹」
ノヴァの耳が寝た。
そこだけは訂正したかった。
崩れゆく氷の宮殿。
裂けた空。
半身を現した王ゼノグラード。
落ち続ける赤雷。
世界の終わりみたいな景色の中で、三人だけが立っていた。
フィリアは両手を広げる。
「一度しかできない」
蒼い瞳がノヴァを見る。
「だから外さないで」
ノヴァは頷く。
レナは剣を握り直した。
「私は?」
「死なないで」
「雑!」
フィリアが息を吸う。
周囲の温度が、一気に落ちた。
雪原の雪が空へ舞い上がる。
氷山が軋み、海が凍り、雲まで白く染まっていく。
彼女の銀髪が宙に浮き、足元から巨大な魔法陣が広がった。
宮殿の残骸。
山脈。
地平線。
北天氷域すべてを覆う、蒼い紋様。
レナが目を見開く。
「……国一個分はあるわよ!?」
フィリアは静かに告げる。
「ここは、私の家だから」
そして両手を閉じた。




