守りたいもののために①
竜は、笑った。
喉の奥で岩が擦れるような低い音。
目の前に立つのは、抱えられるほど小さな白い獣。
脅威として認識するには、あまりにも小さい。
黒竜は鼻先から熱い息を吐き、少女へ顔を近づけた。
その風圧だけで土が舞い、周囲の兵士たちは顔を覆う。
だが少女は退かなかった。
四肢を踏みしめ、耳を伏せ、牙を見せる。
蒼い瞳だけが、まっすぐ竜を射抜いていた。
女性冒険者が叫ぶ。
「逃げて! お願い、逃げなさい!」
少女は動かない。
黒竜の爪が振り上がる。
落ちれば、石畳ごと砕ける一撃。
次の瞬間。
少女の姿が消えた。
轟音。
爪は空を裂き、街道を抉る。
砕けた地面の横を、白い影が駆け抜けていた。
速い。
あまりにも小さく、あまりにも速い。
竜が首を振るより先に、少女は前脚を踏み込み、鼻先へ跳ぶ。
鋭い牙が黒い鱗の隙間へ突き立った。
黒竜が吼える。
血が散る。
わずかな傷。
だが確かに届いた。
周囲の冒険者たちが息を呑む。
「傷を……つけた?」
「子犬みたいなあれが……?」
少女は着地すると同時に横へ走る。
炎のブレスが放たれた。
赤熱した奔流が地面を舐め、荷車を溶かす。
だが少女はすでに別の位置にいた。
風を読む。
熱が来る前に流れを知り、進路を外す。
一年間、森で磨いた感覚がここで牙を剥く。
竜が翼を広げる。
空へ逃げる気だ。
少女は即座に走った。
倒れた槍、割れた盾、燃える車輪――障害物を足場に跳ぶ。
三段。四段。五段。
最後に衛兵の大盾を蹴り、空中へ。
竜の顔面へ一直線。
白い体当たりが片目を打ち抜いた。
黒竜が絶叫する。
翼が乱れ、巨体が地へ落ちる。
激震。
地面が揺れ、近くの兵士が転ぶ。
少女は着地してすぐ女性の前に戻った。
肩で息をしながらも、背は低く構えられている。
女性は震える声で言った。
「……どうして……」
少女は答えられない。
話す言葉は持たない。
だから一瞬だけ振り向き、その手に鼻先を押しつけた。
女性の目に涙が滲む。
「あの時の……本当に……」
黒竜が立ち上がる。
片目から血を流し、怒りで大地を震わせる。
先ほどまでの侮りは消えていた。
今、竜は理解した。
この小さな獣は、玩具ではない。
災厄だ。
竜の全身に魔力が集まる。
口元が赤く輝き、周囲の空気が歪む。
大規模なブレス。
街道ごと焼き払うつもりだ。
冒険者たちは立てない。
衛兵たちも動けない。
女性が少女を抱きかかえようと手を伸ばす。
「だめ! 一緒に――」
少女はするりと避け、前へ出た。
小さな背中。
その背に、白銀の毛が逆立つ。
空気が凍った。
熱に満ちていた戦場へ、真冬の嵐のような冷気が広がっていく。
少女の口元から白い息が漏れる。
フェンリルの力。
幼体のままでも、神話の名は偽りではない。
竜が炎を吐く。
少女は咆哮した。
白銀の衝撃波が走り、炎と激突する。
灼熱と氷結。
赤と白。
二つの力がぶつかり、世界が軋んだ。
そして――。




