フェンリル転生
7作目! なかなかの自信作! 一日に2つ投稿したい!すでに30ぐらいは予約投稿してある
森に落ちた最初の感覚は、冷たさだった。
湿った土の匂い。苔の柔らかさ。葉の隙間から差し込む朝日。
目を開けた少女は、自分の前足を見て息を呑んだ。
白銀の毛並み。小さな肉球。丸みの残る脚。
そして、声を出そうとして漏れたのは、人間の言葉ではなく――
「きゅぅ……」
(え?)
慌てて立ち上がろうとして、四足歩行に転ぶ。鼻先から土へ突っ込み、情けなく尻尾まで跳ねた。
だが本能は理解していた。
この身体は狼ではない。
神話に語られる魔獣――フェンリル。
けれど姿は、まだ子ども。
抱えられるほど小さな、幼体のフェンリルだった。
最初の一週間
親はいない。巣もない。
あるのは広すぎる森だけ。
少女はすぐ悟った。
今の自分は弱い。
この森では、可愛いは無力だ。
だから決めた。
一週間は戦わない。
逃げることだけに徹する。
一日目。
角の生えた鹿型魔物の足音を聞き、倒木の裏に潜る。
二日目。
蛇型の魔物が這う音に気づき、木の根穴へ逃げ込む。
三日目。
空から猛禽の影。影が差した瞬間、茂みに飛び込む。
四日目。
水辺で喉を潤そうとして、巨大な口が水面を割った。全力で後退。
五日目。
食べられる木の実と毒草の匂いの違いを覚える。
六日目。
風下にいれば自分の匂いは届かないと知る。
七日目。
枝のきしみ方だけで、大きな獣か小さな獣か分かるようになった。
腹は減った。足も震えた。
それでも、生きていた。
八日目。
もう木の実だけでは限界だった。
その時、鼻先が別の匂いを拾う。
煙。革。鉄。
そして、肉。
人間だ。
少女は慎重に近づいた。
草を揺らさず、枝を踏まず、風下から。
開けた場所で三人の冒険者が焚き火を囲んでいた。
剣士の青年。槍使いの大男。
そして栗色の髪の女性。
少女は木陰から顔だけ出した。すると女性と目が合った
女性が目を丸くする。
「……子犬?」
(違う、たぶんかなり違う)
だが説明はできない。
少女は鍋を見つめ、尻尾を小さく振った。
青年が笑う。
「腹減ってるみたいだぞ」
女性は干し肉を裂き、そっと投げた。
少女は一瞬警戒し、それから飛びつくように食べた。
美味しかった。
涙が出そうになるほど。
それからパンくず、肉の切れ端、少し温かいスープ。
少女は夢中で平らげた。
帰る時、女性はしゃがみ込み、頭を撫でた。
「生き延びなさい、小さな子」
少女は喉を鳴らし、森へ戻った。
その手の温かさを、忘れなかった。
少女は強くなると決めた。
だが一年経っても、身体は大きくならなかった。
相変わらず小さい。
子狼ほどの大きさ。
けれど――中身は変わる。
なら、技で勝つしかない。
まず覚えたのは、見つからないこと。
小さい身体は不利でもあり、武器でもある。
草むらに伏せれば、それだけで姿が消える。
倒木の隙間、岩陰、木の根元。どこにでも入れる。
足裏全体で着地すれば音は消える。
乾いた枝は踏まず、湿った土を選ぶ。
呼吸は浅く、一定に。
耳だけを動かし、体毛すら揺らさない。
少女は森の影になった。
次に、速さ。
体が小さい分、一歩は短い。
だから回転数で補う。
前脚で方向を定め、後脚で爆ぜるように蹴る。
背をしならせ、跳ねるように進む。
直線では低く。
曲がる時は内側へ体重を預ける。
岩場では爪を立て、泥地では滑らせる。
やがて少女は、大型の獣が向きを変える前に三度位置を変えられるようになった。
風は言葉だった。
葉の揺れ。草の倒れ方。
匂いの濃淡。冷気の流れ。
谷から吹けば湿る。
山から吹けば乾く。
右頬だけ冷えれば、木々の隙間風。
獣臭が一瞬だけ強まれば、相手は移動中。
目を閉じても位置が分かるほど、少女は風を読んだ。
冬前。
黒い巨体が現れた。
熊型魔物。立てば人の三倍はある。
少女の何十倍もの体格差。
正面から戦えば終わる。
少女は木々の間を縫って走った。
熊が腕を振るう。届かない。
懐へ入る。
脚の裏を爪で裂く。すぐ離脱。
怒り狂った熊が追う。
倒木の下をくぐる少女。
熊は引っかかり、一瞬止まる。
その瞬間、鼻先へ噛みつく。
視界を奪い、また逃げる。
何度も、何度も。
やがて熊は疲れ、膝をついた。
少女は喉元へ跳び、勝負を終えた。
春。
地面が震えた。
巨大なイノシシ型魔物が突進してくる。
鎧のような皮膚、剣のような牙。
少女は正面に立った。
相手が迫る。
寸前で横へ消える。
巨体は木へ激突。幹が折れる。
すぐに耳裏を裂き、離脱。
再び突進。
今度は岩場へ誘導。
滑った前脚。体勢が崩れる。
首筋へ一撃。
三度目の突進は崖際だった。
少女は背へ飛び乗り、体重移動で向きをずらす。
巨体はそのまま谷底へ落ちていった。
一年後
姿は幼体のまま。
抱き上げられるほど小さい。
街の人間が見れば、珍しい子犬にしか見えないだろう。
だが森の魔物たちは知っていた。
白い小さな影に出会えば、終わると。
その日。
風が異様な臭いを運んだ。
血。炎。腐敗。
そして、圧倒的な威圧感。
竜。
禍々しい魔力が空気を重くする。
少女は走った。
木々の隙間を弾丸のように抜け、一直線に。
戦場
街道は地獄だった。
衛兵が倒れ、冒険者が血を流し、馬車は燃えている。
黒い竜が翼を広げ、口元から煙を漏らしていた。
その爪の目前。
剣を杖に立つ、一人の女性。
栗色の髪。傷だらけの腕。
――あの日、ご飯をくれた冒険者。
女性は震える手で剣を構える。
仲間を庇うように。
竜の爪が振り下ろされる。
間に合え。
少女は地を裂く速度で飛び込み、女性と竜の間へ割り込んだ。
あまりにも小さな影。
竜が一瞬、目を細める。
次の瞬間。
白銀の幼いフェンリルは牙を剥き、空気を震わせる咆哮を放った。
その声は小さな体からは信じられないほど重く、森全体を揺らした。
女性が目を見開く。
「……あの時の、子……?」
少女は振り向かない。
小さな背中で、竜を睨む。
守る。
今度は、私が。




