不吉な鐘
第三坑道の入口で、誰もが息を呑んだ。
巨獣は天井すれすれの大きさだった。
鉄色の角。
岩を削る牙。
脚が一歩踏み出すたび、地面が震える。
鼻息は蒸気となって吹き出し、赤い瞳が闇の奥で燃えている。
鉱夫の一人が震える声で呟いた。
「……坑道喰らい《グラヴォル》だ……」
レナが顔をしかめる。
「有名なの?」
「昔話で聞くだけだ! 山の底に棲む災厄だって……!」
ノヴァは前へ出た。
伝説だろうが何だろうが、目の前にいるなら現実である。
グラヴォルが咆哮した。
耳をつんざく重低音。
次の瞬間、突進。
坑道の床を砕きながら一直線に突っ込んでくる。
狭い。速い。重い。
普通なら避け場がない。
だがノヴァは跳んだ。
壁へ。
そのまま岩壁を蹴って天井近くへ走る。
巨獣の角が下を薙ぎ払い、木材や荷車が粉々に砕けた。
レナが叫ぶ。
「全員、左右へ散って!」
鉱夫たちが転がるように退避する。
ノヴァは天井から落下し、巨獣の首筋へ爪を振り下ろした。
――ぎぃん!
火花。
まるで鉄を引っかいた音。
硬い。
爪が浅く滑っただけだった。
ノヴァは着地し、少しだけ嫌そうな顔をした。
レナが横へ滑り込み、剣で前脚を斬りつける。
こちらも浅い。
「装甲が厚い……!」
グラヴォルが尾を振る。
岩の塊のような尾が唸りを上げる。
レナはとっさに伏せる。
後ろの支柱がまとめてへし折れた。
坑道が軋む。
上から土砂がぱらぱら落ちる。
この場所で長引けば、全員生き埋めになる。
ノヴァの耳が動く。
音。
呼吸。
足音。
体内の振動。
装甲は硬い。
だが完全ではない。
前脚を踏み込む瞬間、肩の付け根が少し開く。
首を振る時、喉下に隙間ができる。
関節。可動部。
森で熊型魔物と戦った時と同じだ。
硬い相手ほど、柔らかい場所がある。
ノヴァはレナを見る。
レナも気づく。
「……関節?」
ノヴァが頷く。
言葉はいらない。
レナがにやりと笑った。
「了解、相棒」
レナが正面へ飛び出す。
「こっちよ、鈍足!」
グラヴォルが怒り、彼女を追う。
その突進を、レナは紙一重で回避。
岩壁へ激突。
坑道全体が揺れ、壁面にひびが走る。
鉱夫たちが悲鳴を上げる。
「レナ! 坑道!」
「今だけ我慢して!」
ノヴァはその背後へ回り込んでいた。
巨獣が振り向く瞬間。
右前脚に体重が乗る。
肩が開く。
そこへ――
白い牙が突き刺さる。
ぐしゃり。
初めて肉を裂く感触。
グラヴォルが絶叫した。
巨体が暴れ、坑道の天井から土砂が落ちる。
ノヴァはすぐ離脱。
肩口から赤黒い血が流れた。
効く。
その時。
坑道のさらに奥から、また鐘が鳴った。
――ゴォォォン。
グラヴォルの傷が、みるみる塞がっていく。
レナの顔色が変わる。
「回復した!?」
鉱夫の老人が叫ぶ。
「違う! あれは古い採掘鐘だ!」
「地下深くの採掘場にあった、魔力増幅の鐘……!」
ノヴァの瞳が細くなる。
鐘が鳴るたび、巨獣が強化される。
つまり倒すには――
レナも同じ結論に達した。
「本体は奥の鐘!」
だが目の前には巨獣。
後ろには崩れかけた坑道。
奥には取り残された人々。
時間がない。
レナが剣を構える。
「ノヴァ。私がこいつを引きつける」
ノヴァが即座に首を振る。
危険すぎる。
「でも鐘を壊さなきゃ終わらない!」
グラヴォルが再び鼻息を荒げ、角を向ける。
レナは笑った。
少し怖がっている時の笑い方だった。
「信じてるわよ、相棒」
そして走る。
巨獣の正面へ。
「来なさい、鉄牛!」
ノヴァは一瞬迷い――次の鐘が鳴る前に、闇の奥へ駆け出した。
背後で轟音。
レナと巨獣の戦いが始まる。
前方には、地の底から響く不吉な鐘。
そして、その奥で待つものがいた。




