悪意との戦闘②
ハルネ中央広場。
噴水を囲む大きな石畳の空間。
避難してきた市民たち。
剣を構える衛兵。
冒険者たち。
そして、南区画から駆け戻ってきたレナ。
「ノヴァ!」
白い小さな影が噴水の縁へ着地する。
ぜぇ、と荒い息。
レナは一瞬で察した。
「……無茶したわね」
ノヴァはふらつきながらも前へ出る。
その直後。
広場の入口に、闇が流れ込んだ。
石畳を侵食し、柱を飲み込み、人々が悲鳴を上げる。
闇の中心から、黒衣の青年セレスが姿を現す。
悠然と歩き、手袋についた氷を払う。
「逃げ足も速いんだね」
レナがノヴァの前に立つ。
「ここから先は通さない」
セレスは彼女を一瞥し、少し笑う。
「君も来ていたか。ちょうどいい」
その背後。
南側の路地からミレアも現れた。
くるくる回りながら手を振る。
「お兄ちゃーん! こっちも邪魔されちゃったー!」
レナの顔が険しくなる。
「兄妹……!」
市民たちの間に動揺が走る。
敵が二人。
しかも街中を混乱させた張本人。
衛兵隊長が声を張り上げた。
「盾兵、前列! 市民は後退しろ!」
冒険者たちも武器を抜く。
槍使い。魔術師。弓兵。
レナはノヴァへ視線を落とした。
「立てる?」
ノヴァはふん、と鼻を鳴らす。
立てる。
かなりきつい。
でも立てる。
レナは苦笑した。
「そう言うと思った」
彼女はしゃがみ、ノヴァの首布をきゅっと結び直す。
「じゃあ、一緒にやろう」
ノヴァの尻尾が一度だけ揺れた。
セレスは広場全体を見回した。
避難民。衛兵。冒険者。
中央に立つノヴァとレナ。
満足げに頷く。
「素晴らしい」
「舞台としては完璧だ」
ミレアが笑いながら石像の上に座る。
「ねー、誰から壊す?」
レナが剣を構える。
「好きにはさせない」
セレスは片手を上げた。
その瞬間、広場を囲む建物の影が一斉に伸びる。
黒い壁となって周囲を封鎖した。
逃げ道が消える。
市民たちが悲鳴を上げる。
「落ち着け!」と衛兵隊長が怒鳴る。
セレスは微笑む。
「安心して。今日は全員、観客だ」
ノヴァの瞳が冷える。
――違う。
ここにいる全員が、守るべき側だ。
観客なんかじゃない。巻き込むな
ミレアが指を鳴らした。
広場の石畳から黒い獣たちが湧き出る。
狼。熊。鳥。蛇。
数十体。
衛兵たちが迎え撃つが、数が多い。
ノヴァは走った。
疲労で足は重い。
だが、まだ速い。
狼影の喉を裂き、熊影の脚を凍らせ、鳥影を噴水へ叩き落とす。
レナが背中合わせで戦う。
「右!」
ノヴァが右へ跳ぶ。
レナの剣が蛇影を両断。
「前!」
ノヴァの冷気が正面の獣群を止める。
呼吸が合っていた。
言葉はいらない。
冒険者たちも続く。
魔術師の火球。
弓兵の連射。
槍使いの突撃。
衛兵隊長が吠える。
「白いのを援護しろ! 一番前で戦ってる!」
白いの。
ノヴァは少し不満だったが、今は許した。
市民たちも後方から石や水桶を運び、負傷者を助ける。
誰一人、諦めていなかった。
雑兵の影が消えた時。
広場中央に、静寂が落ちる。
セレスがゆっくり拍手した。
「いい連携だ」
ミレアもにこにこしている。
「楽しくなってきた!」
レナが剣先を向ける。
「ここからが本番ね」
ノヴァは低く構えた。
疲れている。
体も痛い。
でも、周りには仲間がいる。
一人じゃない。
中央広場の雪の上で、白い小さなフェンリルは牙を剥いた。
今度こそ――ここで終わらせる。
石畳の上には砕けた影の残骸。
傷ついた衛兵。息を切らす冒険者。
レナの肩にも浅い切り傷が走っている。
そして正面には、なお余裕を崩さぬセレスと、楽しげに笑うミレア。
ノヴァは荒い呼吸を整えながら立っていた。
足が震える。
胸が焼ける。
視界の端が少し暗い。
さっき街全体を凍らせた反動は、まだ体に残っている。
レナが横目で見る。
「……だめ。これ以上は無茶よ」
ノヴァは返事をしない。
代わりに一歩、前へ出た。
セレスが目を細める。
「またやる気かい?」
ミレアは嬉しそうに跳ねた。
「見たい見たい!」
ノヴァの中で、静かに答えが出ていた。
この兄妹は、数で押してくる。
影を増やし、人を巻き込み、街を戦場にする。
なら。
戦場ごと止めればいい。
ノヴァは目を閉じた。
耳に入るのは、広場のざわめき。
泣く子どもの声。
誰かを庇う衛兵の息遣い。
レナの、押し殺した不安。
守る。
その一点だけが、力になる。
小さな体の奥底。
さらに深く。
今まで届かなかった場所へ、意識を沈める。
凍てつく海のような魔力。
牙を持つ嵐のような本能。
フェンリルという名に宿る、神話の核。
ノヴァはそれを引き上げた。
空気が、鳴った。
きぃん――と、ガラスを擦るような高い音。
次の瞬間。
ノヴァを中心に、白銀の波が広がった。
石畳。噴水。建物。塔。門。
広場から街路へ。
街路から屋根へ。
屋根から城壁へ。
ハルネ全体が再び凍りつく。
今度は前回より深く、強く。
黒い壁となっていた影の封鎖は氷塊に変わり、粉々に砕けた。
水路から這い出ていた黒泥は途中の形のまま凍結。
建物の影に潜んでいた魔物たちも、氷像となって止まる。
空から降る雪は吹雪へ変わる。
人々の髪に、肩に、鎧に白が積もる。
誰もが息を呑んだ。
季節そのものが塗り替えられていた。
セレスが腕をかざし、影で防ぐ。
だが影そのものが凍る。
「……馬鹿な」
彼の声に初めて焦りが混じる。
ミレアも笑顔を失っていた。
「お兄ちゃん、これやば――」
言い終わる前に、足元から氷が這い上がる。
彼女は慌てて跳び退くが、袖が凍りつき砕けた。
「つめたっ!?」
ノヴァの瞳は、静かだった。
怒りではない。
ただ、止めるという意志だけ。
レナが真っ先に叫ぶ。
「今よ! 凍ってるうちに叩く!」
衛兵隊長が続く。
「前進! 白いのが道を作ったぞ!」
冒険者たちが駆け出す。
槍が氷像の影獣を砕き、魔術師の炎が凍った闇を爆ぜさせる。
弓兵の矢がセレスへ集中する。
市民たちから歓声が上がる。
絶望しかけていた空気が、一気に反転した。




