悪意のかすかな気配
ノヴァはしばらく川辺に立ち尽くした。
三日後。ハルネの街。
罠かもしれない。
挑発かもしれない。
でも放ってはおけない。
踵を返し、野営地へ戻る。
焚き火は小さくなっていた。
レナは毛布にくるまり、寝ぼけ顔で起き上がる。
「……ノヴァ?」
ノヴァが近づくと、レナは何も聞かず毛布を持ち上げた。
「寒かったでしょ。おいで」
ノヴァは一瞬迷った。
その後、するっと毛布の中へ入った。
あたたかい。
レナは半分眠りながら背を撫でる。
「……また無茶な顔してる。何かあったのね」
ノヴァは小さく鼻を鳴らす。
話せなくても、不思議と伝わる人だった。
「明日、聞くから。今は寝なさい」
ノヴァは目を閉じる。
私は私。
何者かなんてどうでもいい。
でも――守りたいものは、ちゃんとある。
そのためなら、どこへでも行ける。
翌朝。
レナは伸びをしながら言った。
「なんか、毛布の中がもふもふで最高だった」
ノヴァは少し照れたので、朝食の干し肉を奪った。
「あっ、こら!」
そして二人は、東へ向かった。
三日後に壊れるという街、ハルネへ。
その道の先で待つものが、
これまでとは比べものにならない災厄だとも知らずに。
東への街道は、次第に賑やかになっていった。
荷馬車。旅人。行商人。
ハルネの街へ向かう人の流れだ。
ノヴァはレナの肩に乗せられていた。
「楽でしょ?」
違う。
人が多すぎて歩きにくいから、半ば強制的に抱えられただけである。
子どもたちが指をさす。
「見て! 白い犬!」
違う。
「猫かも!」
もっと違う。
レナは笑いながらノヴァの頭を撫でた。
「うちの相棒よ」
ノヴァは少しだけ満足した。
昼過ぎ。
城壁に囲まれた大きな街が見えてきた。
東方交易の中継地、ハルネ。
石造りの門。高い見張り塔。
露店が並び、人々の声が絶えない。
活気に満ちた街だった。
三日後に壊れるようには、とても見えない。
レナが門番へ身分証を見せる。
「冒険者ギルド所属、レナ。調査依頼で来たわ」
門番は頷き、ノヴァを見る。
「……その子も?」
「重要戦力」
門番は笑った。
「かわいい戦力だな」
ノヴァは前足を上げた。
ぺし。
門番の額に肉球が当たる。
レナが吹き出した。
街に入ると、香辛料の匂いと焼き菓子の甘い香りが漂っていた。
市場では値切り声が飛び交い、楽師が笛を吹いている。
噴水広場では子どもたちが走り回っていた。
だがノヴァは、落ち着かなかった。
匂いが多すぎる。
人。食べ物。家畜。土。鉄。香水。
その中に、かすかに混じる。
甘く腐った臭い。
ミレアと同じ系統。
ノヴァは低く唸った。
レナが顔を引き締める。
「いるのね」
二人はまずギルドへ向かった。
ハルネ支部のギルド長は、痩せた神経質そうな男だった。
丸眼鏡を押し上げながら言う。
「異変? ありませんな。平和そのものです」
レナは机に肘をつく。
「失踪者も? 奇病も? 魔物の増加も?」
「何も」
ノヴァは男の靴を嗅いだ。
土埃。インク。革。
そして、かすかに瘴気。
男は慌てて足を引っ込めた。
「な、なんですその獣は!」
ノヴァはじっと見た。
怪しい。
レナも気づいたらしい。
「……あなた、最近どこへ行った?」
男の額に汗がにじむ。
「し、仕事で倉庫街へ……」
その瞬間。
外から悲鳴が響いた。




