第8話:マシロ
黎和2年の2月15日。
それ以前の世界において、ダンジョンというものは地球上に存在していなかった。
世界中の誰も見たことがないダンジョン。
しかし不思議なことに、”それ”がどういうものか、おおよその共通認識は人々の中に存在していた。
つまり、中にはモンスターが住んでいて、武器やお宝などのアイテムが獲得できるところまではほぼ確定。加えて、階層構造になっていたり、ボスがいたり、謎解きの要素といった特徴を備えているのが、一般にイメージされるダンジョンである。
翻って、日本に出現した世界で唯一のダンジョンと呼称される空間は、従来のイメージとは大きく異なっていた。
モンスターもいなければ、華々しいアイテムも無い。
あるのは、魔炭と呼ばれる高級石炭だけ。
実際には万病を癒す奇跡の石も採掘できるのだが、政府の隠蔽によりその存在は隠匿されていた。
斯様の事情により、現実に存在するダンジョンは、どれだけ控えめに言っても心躍る場所とは世間に認知されていなかった。
確かに、燃料資源を輸入に頼り切っている日本には大切な鉱山であることは間違いない。
しかし、ダンジョンへの好意的な興味・関心を世間が持っていないことも確かであった。
――このイメージを変えることで、ダンジョンに人を呼び込む
それがシュウジの構想だった。
そのために必要なものとして挙げたのが、一目でわかる変化、ワクワク感、一貫性の3つである。
「まず、一目でわかる変化だけど、これはダンジョンがこれまでとは別物であることをハッキリ目に見える形で示す必要があると思う。目に見える変化があれば、無視できないのが人間だから」
「なるほどな。でも、どうすればいい?この空間みたいに芝生でも敷くか?今の内装はやや無骨だから」
薄く笑いながら少女は言う。
それがどこまで本気なのか読み取れないシュウジは、無視して自論の展開を続けた。
「今回の事故でダンジョンは封鎖された。けれど、しばらくすれば遺体回収のために自衛隊が一度は突入すると思うんだ。その時に、隊員がすぐに気付いて、かつ上司に報告せざるを得ないような変化が欲しい。岩肌に覆われてたダンジョンに芝生が敷かれてたらそりゃ驚くけど、それだけじゃワクワクしないかな」
「芝生だけでは不足か……なら、ティーセットをおまけに付けてもいいぞ!」
そう言うニヤニヤ笑いを見て、ようやくシュウジは相手が諧謔を弄しているのだと理解した。
「イヤだよ。味のしない紅茶を出されても嬉しくないもの」
「お茶請けに変容石を付けても?」
「それこそ不気味だよ!そもそも、その変容石は今までどうやってばら撒いてたのさ。ダンジョンで長く働いてる先輩たち含めて、直接見たって人に会ったことないんだけど?」
ジトりとした目を向ける。
すると、少女は少し焦ったように目を彷徨わせた。
「どうって……見付けやすいように普通に壁に埋め込んでおいたけど?確かに数を揃えられてなかったのは認める。最近は栄養不足だったから特にな……けど、おまえが見つけられなかったのは、ビビッて奥に入って来なかったからだぞ?実際、奥地まで来て変容石を持ち帰ったヤツがいるんだからな」
「ちょっと待って。大事なことを訊いてなかった! ――今まで何個の変容石を作って、何個が採掘されたの?」
「ボクがここで作ったのは6つ。そのうち4つが持ち去られた」
その回答を受けて、シュウジは頭の中で計算を始めた。
今回の件を除けば、過去3回の噴火と出現時の騒動を合わせて、これまでダンジョン関連で死亡した人間は30余名である。
「変容石を1つ作るのに必要な人間の命は、凡そ5人分で合ってる?」
「そうはいかない。命だけじゃなくて人間の感情も栄養源だから厳密な計算は難しいけど、だいたい10から20人くらいかなぁ……」
「それだと、6つ作るのに少なくとも60人の命が必要にならない?」
「ボクが最初にこの星に来た時点では、それなりに元気の蓄えがあったんだよ」
――となると、今回110名を喰らったことで、少なくとも追加で5つは石を作れる訳か
「一応の質問だけど、人の命は無しで、感情だけでも栄養としては足りるもんなの?」
「足りない」
何を今更とばかりに少女が頬を膨らませた。
「人間が生きるのに水と空気が必須だが、それだけでは足りないだろ?それと同じだ」
「何となくわかってたよ。念のため訊いてみただけ」
シュウジは肩を竦めて見せると、紅茶をひと口啜る。
味は無くとも温かさが臓腑に染みる。
息を吐いてから話を続けた。
「じゃあ、やっぱり今のダンジョンの中に、新しいエリアを作ろう。今のエリアはそのままに、新エリアに繋がる出入口を追加する。一目でわかるようにね。
――その先を進むと、これまでとは全く違う空間、それこそ中に太陽があって、山や川、森なんかもある広大なスペースが広がっている。思い切った模様替えになるけど、できそう?」
「できる」
「そして、そこには変容石が納められた宝箱が随所に配置されていて、一方で人間を見ると襲ってくるモンスターもいる。自在に犬を出せるんだから、モンスターだって作り出せるでしょ?」
「捕まえたところでボクの家から連れ出せないモンスターでよければ、いくらでも作れる」
シュウジの提案は、さながらゲームの世界のダンジョンを再現することであった。根底にあるのは、退屈極まりない炭鉱よりも、RPGのように冒険可能なマップの方が遥かに人を惹きつけるだろうという考えである。
少女の同意により、技術的なハードルはクリアされた。
「よし、じゃあこの方向で進めよう。これならワクワク感があるし、モンスターに襲われて人間が死んでもおかしくないでしょ?」
「襲ってくるモンスターがいるのに、人間は命懸けでボクの家にやって来るものなのか?」
「そこは見せ方次第かな。モンスターの強さはまちまちでいい。それこそ、ドラゴンみたいに空を飛んで火を吹くようなヤツから、さっきのワンコくらいのレベルまで。大事なのは一貫性なんだ」
「さっきからおまえは一貫性と言っているが、どういう意味だ?」
疑問の声を上げる少女の手元には、いつの間にか小ぶりの平皿に盛られたクッキーが置かれていた。少女に合わせてシュウジが口に含んでみたが、やはり味はしなかった。
無味無臭のクッキーを嚥下してから、言葉を継いだ。
「定義が定まってるってことだよ。基本は弱いはずのワンコは、弱いままじゃなきゃいけない。急に銃で撃っても倒せなくなったり、空を飛んだりしたらおかしいでしょ?そんなことが起きれば、すぐに見放されると思う。
――人間はリスクそのものよりも、リスクが計算できない事の方に嫌悪感を持つ習性があるから」
「なんだ、その習性は?ちょっと理解できないな」
少女から再び訝しむように疑問の声があがった。
「一つ例を挙げよう。人間の世界には宝くじってものがあるんだ。一口500円とかで買って、当選すれば3億円とかが貰えるギャンブル。だけど、期待値はマイナスでまず当たらない。キミなら買う?」
「期待値がマイナスなら買うわけないだろ、馬鹿馬鹿しい」
吐き捨てるような物言い。それに対してシュウジも小さく頷いて同意を示した。
「ぼくも考えは同じ。だけど、買う人がいるから宝くじが無くならない訳だ。リターンよりリスクが大きいって分かってても、リスクはどこまでいっても最初に払った分だけ。最悪500円で済むってわかってるから、安心して夢を買える。逆に、もし戦って得られる期待値がプラスだったとしても、ワンコのリスクが本当にワンコ1匹分か、それともドラゴンかわからない状況じゃ、一部の命知らず以外は手を出せなくなる。リスクが見えないことほど不安なことはないからね」
「つまり、リスクさえ見えていれば損すると分かっても安心するのか?人間とは、なんとも背理な生き物なのだな」
少女がヤレヤレと息を吐いているのを横目に、シュウジは言葉を重ねた。
「基本的な方向性に賛成してくれるなら、あとはもう少しワクワク感を強める仕組みを考えたいけど……変容石は今と同じく使い捨てで良いとして、変容石の効果は必ずしも治癒に限定しなくていいんでしょ?なら、治癒以外のバリエーションをもう少し増やしたい」
「そうだな。それで人が集まるなら良いんじゃないか?」
少女の投げ遣りな物言いに、思わずシュウジは苦笑した。
「一応説明しておくと、変容石のバリエーションを増やして『もっと何かあるんじゃないか?』って期待感を高めることで、より関心を集めようって狙いね。黄色が治癒なら、他の色の魔石で別種の奇跡を起こせるようにしよう」
「そこまでは分かる。が、具体的にはどうする?」
「パッと浮かぶのだと、知能向上、身体能力向上、若返り、容姿改善あたりかな。もちろん、地球の物理法則に反しない範囲でね」
「妥当だな。不老不死なんかよりは余程現実的だ」
どこか冷めた様子を見せる少女。
――不老不死の変容石は作れるの?
興味本位の質問が脳裏を掠めたが、何となく、口には出せなかった。
「……まぁいい、それらの奇跡を石に込めるのは造作もない。あとは、新しいエリアをどうするかだな。おまえはドラゴンやら宝箱と言ってたが、それらがどういったものか、正直ボクにはよく分からないから、ちゃんと説明してくれ」
少女は指をパチンと鳴らすと、テーブルの上に紙と色鉛筆が現れた。
「これに書けってこと?」
「ああ、思いつく限り描いてくれ。人間どもが再び我が家に侵入してくるまで、時間はまだまだあるだろうから」
――ぼくはあんまり絵心があるほうじゃないんだけど
そんな言い訳を心の中でしつつ、シュウジは絵と、必要に応じて文字で補いながらダンジョンにおける新しいエリアの地図やモンスターの特徴を記述した。
その都度、少女は描かれた内容を具現化してシュウジに確認を求めた。
ゴブリン、スライム、オークにドラゴン。それらの実像を確認し、細かい修正を指示したのち、シュウジはふと思い付いたことを口にした。
「ねぇ、新エリアでは一緒に行動している人数に応じて、遭遇するモンスターの種類を出し分けることはできる?」
「できる。ボクの家では地球の物理法則だって捻じ曲げられるんだ。それくらいは朝飯前だが、しかしどうしてだ?」
「せっかく強いモンスターを用意しても、それを数の暴力で攻略されたんじゃ意味ないと思ったんだ……例えば、6人以上の集団に対しては強いモンスターが襲ってくるみたいな法則を作れば、バランスが取れるんじゃないかな」
そもそも、「パーティーを組んでダンジョン攻略」という、ファンタジーのお約束がピンと来ない。
なぜ5―6人の人数制限が暗黙の了解となっているのだろうか。
もっと人数を集めて、物量作戦を仕掛けない理由を説明しているファンタジー作品を、シュウジはこれまで見たことがなかった。
もっとも、世界を滅亡から救うための魔王討伐の旅ですら軍隊ではなく数人から成る勇者パーティに任せるのがファンタジーのリアリティである。
非現実の現実に対して何を言ったところで無為もいいところだ。
シュウジの提案に、少女は思案気な表情を浮かべた。
「そんな制限を設ければ、我が家を訪れる人間の数が減ってしまうような気がするが、問題ないのか?」
「うん。集団で根こそぎ魔石を奪われるよりはよっぽどいいよ。それに少人数なら一気の攻略は難しいから、人間を長期的に呼び込める」
「まぁ、それはそうか」
少女が一応の納得を示したところで、シュウジはずっと気になっていたことを訊いてみることにした。
「ねぇ、ひとつ質問してもいい?」
「なんだ?」
「他の人たちを殺したのに、なんでぼくのことは生かそうと思ったの?」
「別に……他のヤツらが我が家から逃げようと必死になっている状況で、ひとりだけ内側に入ってくるヤツがいたから興味を持っただけだ」
――コイツは人間じゃないし、同じ炭鉱仲間を大量に殺した厄災だ
そこまで分かっていつつも、しかし少女の憮然としたその態度がシュウジにはちょっと可愛らしく感じられた。
「ねぇ、もうひとつ訊かせて」
「自分で一つって言っただろ」
「キミって、名前はなんて言うの?」
シュウジが被せて質問すると、少女は左右に視線を泳がせ、それからぶっきらぼうに言った。
「……むかし、マシロって呼ばれてたことはある」
「マシロかぁ。いい名前だね」
「うるさい!」
少女が空になったティーカップを投げてきたので、シュウジは慌てて手で顔を守った。弾かれたティーカップは、地面に落ちる前に光の粒子になってその場から消滅した。
それからの時間は、試行錯誤の時間である。
シュウジは頭を絞り続け、アイディアを次々に紙に起こした。
マシロはモンスターを実体化させると、度々それらをシュウジに嗾けて襲わせたので、まさか冗談だろうとは思いつつ、その都度シュウジは芝生の上を逃げ回る羽目になった。
勿論シュウジは抗議したが、マシロは楽しそうに笑うばかりなのでいつしか文句を言う気力も失せていた。
どれくらいの時間が経っただろう。
考える、書き出す、確かめる。
そのループを幾度となく繰り返し、新エリアのマップ、100種類近くのモンスターの種類と習性、それに生息地なんかが決まったところで、不意にマシロが何かに反応するように明後日の方に顔を向けた。
「どうしたの?」
「どうやら、お迎えが来たようだぞ」
「お迎え?」
「人間どもが再び我が家に侵入してきたってことだ」
――バカな、早すぎる
自衛隊が突入するとなれば、ダンジョンの魔素濃度が基準値以下まで下がっているということになる。とすれば、シュウジはこの空間に少なくとも数日は滞在したことになるが、その実感はまるでなかった。
「どうあれここで別れた方がいいだろう。約束通り、おまえの事は生きて返してやる。それに奇跡を一つだったな」
「あぁ、ありがとう。どれかと言えばだけど、若返りの石が欲しいな」
なんとなく、一番高値が付きそうだとの理由である。
対するマシロは一瞬きょとんとして、それから無言で手を差し伸べてきた。
「ほら、おまえも」
促されるまま、意味が分からずに手を出す。
すると少女はシュウジの手を力強く握った。
「手の皮、意外と厚いんだな」
「ダテにダンジョンで働いてないからね」
「そんな働き者のシュウジにご褒美だ。
――自分の理想の姿をイメージしろ」
その言葉で、全てを理解した。
「変容石をくれるんじゃなかったのかよ!」
「ボクは奇跡を授けてやるとは言ったが、石として与えるとはひと言も言ってないぞ」
マシロが頬を隆起させ、口角を大きく歪ませた。
「シュウジ、おまえはボクに教えてくれたよな。人間を惹きつけるには見た目のインパクトとワクワク感が大事だと。それに、人は自分の都合で真実を隠蔽すると」
「なにをバカな……」
「ほら、イメージしろ。おまえはどうなりたいんだ?」
少女の口から投げ込まれたそのひと言は、意志とは関係なしに心の中に波紋を広げた。
急な眩暈と、時間感覚の喪失。
一瞬、もしくはもっと長い時間をかけて、シュウジの脳内には過去の様々な記憶が浮かび上がった。
初めて見た冬の富士山――
夢中になって追いかけたサッカーボール――
退屈な学校の授業風景――
なんとなく、自分から距離を置いていたクラスメートたち――
パパ活で大金を稼ぐホムラ――
魔素への恐怖以上に、身体が辛かったダンジョンでの労働――
自分が周囲から尊重されない感覚――
そんな映像と感情が、走馬灯のように駆け巡った。
「なるほどな。もう一つ、教えてくれたことを思い出したよ。人間は強欲だと。そしてよくわかった。少し変わってはいるが、所詮おまえも人間だとな。
――協力には感謝する。それじゃあ、また」
遠くなっていく意識の中、マシロの楽しそうな声が聞こえる。
言葉と笑い声。
それらが重なって妙に聞き取りづらく感じられる。
――視界の暗転、喉の渇き、消毒液の匂いと蛍光灯の明かり
再び意識を取り戻した時、シュウジがいたのは病院の白いベッドの上だった。
点滴の針が刺さった左腕を眺めながら、シュウジはぼんやりと思った。
――腕が、白い




