第9話:躙口のその先で
黎和12年7月13日に発生した、史上4度目となる魔素噴火から10日間が経過した。
噴火当日、ダンジョンの開口部は魔素漏洩を恐れた政府により、魔素濃度が基準値に達した時点で閉鎖された。
結果として内部に111人が取り残されたことで、メディアは連日のようにこの事件を報じていたが、公式には安否不明とされている彼らの生存が絶望的であることは、誰の目にも明らかであった。
食べ物や飲み物の問題もあるが、それ以前に人は高濃度の魔素の中では生きられないからだ。
だからこそ、今回の作戦に掲げられた「生存者の救出」というお題目に対して、高村リク三等陸曹は鼻白むものを感じていた。
無論、本音と建前を使い分けるのは自衛官のみならず、社会人であれば当然の振る舞いである。
それが分かっているからこそ、ダンジョン突入前の最終ブリーフィングが終わると、リクは無表情で足早に会議室から退出した。
声を掛けられたのは、ダンジョン横の準備テントに向かう途中、駐屯基地から出てすぐのタイミングだった。
「高村三曹、顔に出てるぞ」
低くて鋭い声に一瞬ビクリと肩が震えたが、相手が同じ東部方面普通科連隊の先輩で、バディでもある米田二等陸曹と気付いてリクの表情は自然と緩んだ。
「えぇ……何も出ないように表情筋殺してたんですけど」
「表情筋が死んでたら、それはそれで意味が出てくるだろ」
米田は苦笑したが、じゃあどんな顔すればいいんだよと、リクは内心納得いかなかった。
「不服か?」
「いえ、そのようなことは……ただ、少し気が重いだけです。やる前から失敗が確定している作戦ですから」
「こら、不謹慎だぞ……ったく、そういうの言うのはココだけにしておけよ」
米田は顔に浮かべた苦笑いのまま、後輩を嗜めた。
リクは「分かってますよ」と心の中で舌打ちまじりの毒を吐いた。
「表向きの作戦目標に見込みが無いことなんざ、百も承知なんだよ。ダンジョンを10日間も封鎖しておいて、生存者がいたら奇跡だ。そう言った意味では、俺たちの失敗は最初から織り込み済みだし、むしろお上はその前提でこの後のプロセスを考えてるはずだ」
「この後のプロセス?」
「現状、ダンジョンに取り残された111名に対する政府の公式見解は『安否不明』だ。その安否を不明から確定した状態まで進めないことには、次の対応が取れないだろ。それこそ、遺族に対する見舞金の支払いだってできやしない」
リクにだって米田の発言に理があることは理解していた。しかし頭で理解したとて、それだけで波立つ心が鎮まる訳ではない。
「今さら言っても仕方ないことかもしれませんけど――」
「じゃあ言うな」
リクの発言を、米田はピシャリと止めた。
その視線に合わせて前を見ると、見知らぬ二人組がこちらに向かって来ていた。その肩には、エリートの証たる陸上総隊のベルクロが縫い付けられている。
リクと米田が敬礼をすると、先方も敬礼を返して無言で通り過ぎて行った。
「お前が言いたかったのは、ダンジョン封鎖をもう少し遅らせてれば、作業員が生埋め同然に取り残されることなんて無かったのに、ってことだろ?」
「はい」
しばらく経ってからおもむろに口を開いた米田の発言に、リクは小さく同意した。
「それも皆思ってる。だが、そのせいで魔素漏洩が起きて周囲が汚染されれば、その責任は誰が取る?過去に何度も同じ事があったせいで、ここらの人間は感覚が麻痺しているんだろう。だが、首都圏で致死性の毒性物質が噴出してるのに、さしたる混乱もなく市民が日常生活を送れてるのは、その度に政府、と言うか俺たち自衛隊が迅速に対応して、魔素の封じ込めに成功してきたからなんだぞ」
「……分かりました。作戦に集中します」
米田の言う事はいちいち正論だったが、「それでも」と心のどこかで思ってしまうリクは、そう言って会話を打ち切った。
リクを含めた突入部隊の隊員は、準備テントで迷彩服から重防護衣に着替えた。
その後、リクはバディである米田と、手袋と袖の隙間、長靴と裾の隙間などをお互いにダクトテープで目張りし、装備点検を行った。
「防護マスクの気密よし」
「酸素ボンベの残量よし」
周囲でも同じようにバディでの指差し確認が行われていて、テントの中は一時的に同じような文言で溢れ返った。
――バン
リクの装備点検を終えた米田が、その背中を引っ叩いた。少し強めの平手だったが、それが先輩からの無言の励ましであることを理解したリクは、作戦を前にいま一度気を引き締めた。
重防護衣に防護マスクと酸素ボンベという完全装備のリクたち突入部隊の隊員たちは、ダンジョン開口部のすぐ近くにて待機となった。そうして、別班が行なっている突入前対応の進捗を見守る。
突入前対応とは、ダンジョンの封鎖に一部穴を開けて魔素濃度計を差し入れての濃度チェックから始まり、特殊な工作器具で人が通れるサイズの空間を作る作業、ドローンによる内部映像の確認と続き、現在は光源等の必要機材の搬入が行われていた。
部隊長の間ではそれらの対応状況が無線で適宜共有されている。
作戦の工程を理解しているリクたち下士官も、周囲の状況から自分たちの出番が近づいていることを感じ始めていた。
やがて、救出班を指揮する中隊長は命令を待つ50名の隊員の前に立つと、全員を見渡し、右手を耳元に添えてから口元を動かした。
同時に、リクの耳元にあるレシーバーから、ノイズ混じりの硬い声が響いた。
「今し方、突入前作業班より対応完了の連絡があった。これよりダンジョンへの突入を行い、生存者の救出を行う。作戦開始!」
隊長の号令を受けて隊員たちは一斉に動き出し、封鎖された開口部に開けられた隙間から、闇の口へと吸い込まれていった。
開口部に突入すると、その空間は別働隊が持ち込んだ何台ものバルーン投光器の明かりによって、煌々と白く照らし出されていた。
リクがブーツを踏みしめて先に進むと、すぐに死体――ひと目で死んでいることが判別できる、生者の色ではない、青緑に染まった人間の肉体――がいくつも視界に飛び込んできた。
その中にはツルハシを握りしめている死体が十数体あり、彼らが最後まで諦めず封鎖部分の突破を試みたことが見て取れる。
彼らの肉体は風船のようにガスで膨れ上がり、顔の眼球は飛び出し、舌は口から押し出されている。図らずもその顔貌を直視してしまったリクは、不意に腹の底から込み上げて来るものを感じた。
――ここで吐いて防護マスクの内側をゲロ塗れにしたら俺が窒息する
その一念で歯を食いしばる。
下を向いて数秒、なんとかせり上がってきたものを押し戻すことに成功した。
――パン
身体を固くして衝動に耐えていたリクの背中に、米田の平手が飛んできた。
それは先ほどよりもだいぶ優しく、後輩への気遣いが滲んでいる。
顔を上げて「大丈夫です」と言うと、防護マスク越しにくぐもった声が漏れる。
バディの頷きを確認し、リクは事前の指示通りに死体をボディバッグに詰める作業に取り掛かった。
作業を始めてまず感じたのは、気持ち悪さだった。
「かつて人間だったもの」の柔らかく、それでいてパンパンに張った不気味な弾力は、たとえ手袋越しであってもさぶいぼが立つ。
未だ21歳、災害から人々を救助することに憧れて自衛隊を志したリクではあるが、ここまで腐敗が進んだ死体に触れるのは初めての経験。
その経験の浅さゆえに直面している鳥肌が立つ様な不快感を、リクは奥歯を噛みしめ、歯の痛みで上書きした。
死体を詰めたボディバッグは無機質な管理タグを付けられ、入口に積み上げられていった。 その傍らには、三脚に固定された小型の作戦状況表示板が置かれ、緑の数字1つ、それに2つの赤い数字を暗がりに浮かび上がらせていた。
緑の数字は魔素濃度であり、値は「7.4」。これは平時の3前後よりは高いが、健康への影響があるとされる10と比べれば十分なバッファーがあり、自衛隊員のひとつの安心材料となっていた。
ちなみにダンジョンの封鎖は亜空間安全対策ガイドラインに則り、この数値が21.0に達した時点で断行されていた。魔素噴火の翌日時点では封鎖したダンジョンの開口部外側でも8.7という比較的高い数値を記録していたことを鑑みるに、今回の対応はこれでもギリギリだったと言える。
赤い数字は「23」と「0」。死体と生存者の回収数だ。
この合計が111となれば任務は完了。
しかし、それに満たない場合、作戦は第二段階に移行する。
つまり、躙口を越えての捜索作戦だ。
実際に越境するのは今この場で作業している50名の内、事前に抽出された10名のみである。そしてリクはその10名に含まれていた。
そうならないことを祈りながら、リクは泥と体液にまみれた遺体と格闘し続けた。だが、無情にも躙口前の広場から全ての肉塊が消えた時、表示板が灯していた数値は「106」と「0」であり、期待していた値には届かなかった。
「各員に告げる。現時点までで106名の収容を完了。第一段階は終了し、これより第二段階へ移行する」
表示板を見つめて一瞬呆けていたリクの耳に、中隊長からの冷徹なオーダーが届いた。
「躙口の向こうは、無線の通じない危険地帯だ。現在時刻イチイチフタマル(11:20)。活動限界はきっちり30分だ。作戦通り、捜索は躙口前広場までとしろ。仮に5名の捜索が叶わなくても、本坑道には入るなよ。それでは、幸運を祈る」
ザッという電子音と共に、中隊長からの通信が途絶えた。
越境を命じられている10名は躙口前に集合すると、2つのセルから5名に分かれて内部に侵入した。
重装備を身に付けているため、ほとんど匍匐前進である。
そうして躙口を抜けると、躙口前広場は前後左右の壁面から表出した魔炭によって、眩いばかりの青紫で満たされていた。言うまでもなく、魔素噴火による影響である。
その明かりの下、4名の肉体はすぐに見つかった。セルの前に倒れていたからだ。
恐らく逃げ惑う作業員に押されて倒れたところを踏みつけられ、動けなくなったまま亡くなったのだろう。
残るは1名。
「加藤と鈴木は右から広場を回って人がいないか確認しろ!米田と高村は広場の中央部だ!それ以外の者は死体をボディバッグに詰めろ!」
無線が使えない空間にあって、部隊の指揮を任されている曹長は怒鳴るようにして指示を飛ばした。無線のクリアな音声とは違う、生々しく濁った音だった。
「了解!」
リクたちも腹から声を出して返事をする。
「まずは6番坑道まで歩く。俺は左側を見るから、おまえは右側に注意を払え」
バディである米田の指示を受け、リクは右手前方に視線を流しながら広場の中央を進んでいった。
広場はサッカーコートよりひと回り大きいくらいなので、条件さえ良ければ端から目視での確認も不可能ではない。
しかし、光源の明度が低いのと、何より防護マスクのせいで視界が悪い。
近づいての確認は必須だった。
――最後のひとりはいったいどこだ?
時間が限られていることへの不安なのか、さっさと対象を見つけてこの場から逃げ出したいだけなのか、リクは自分の背後に背を焼くような焦燥を感じた。
何かに急かされるような気持ちを必死に抑え、米田と歩調を合わせて足を進める。
「なんですか、アレは!」
広場の中央部が視程に入ったところで、リクが思わず声を上げた。
米田もすぐさま反応した。
ふたりの目線の先には、地面に空いた横幅3メートル程の穴があった。近づいて見てみると、その穴の中は地下へと続く階段となっており、さらにその階段の縁にはひとりの子供が横たわっていた。
何もなかったはずのところに、地下への階段が存在しているだけでも驚きである。
しかしリクがより驚愕したのは、その傍らに寝そべっている肉体がまったく腐敗しておらず、まるで寝ているように見える事だった。
「……美しい」
子供の髪はボサボサで、着ているツナギはところどころ汚れている。しかし、中性的なその顔立ちはマスク越しに見ても非常に整っていた。
無論、マスクをしているリクに外の臭いは分からない。しかし、死臭が「見える」この地獄のような空間で、この子供の周囲だけが切り取られたように清浄だった。
あまりの異常さに、リクは背筋に冷たいものが走るのを感じた。華奢な肉体と相まって、リクにはこの子供が魔女の呪いで眠りについた姫のようにさえ思えた。
――カン!カン!カン!
一瞬呆気に取られていたリクの横で、米田が背中の酸素ボンベをカラビナで3回叩いた。対象発見の合図である。
「高村、何してる!」
促されたリクは、顔を出した状態で子供をボディバッグに収容すると、米田と協力して躙口まで運んだ。
30分後、開口部に置かれた表示板には魔素濃度の「7.3」と死者の「110」が並び、
――そして、生存者の欄には「1」が灯っていた。




