第10話:権力者たち(前)
島津ヨリコは総理大臣になって以来、ある一つの悪習をヤメていた。
それまで日に2箱は開けていた、煙草である。
権力の座に着いてからというもの、ストレスと無縁な日は一日たりとも無かった。それでも喫煙衝動を抑えられていたのは、本人の強い自制心の賜物である。
「人は見た目が9割」なんて言葉もあるが、政治家はイメージが10割。
党と、何より国を預かる身として、マイナスイメージに繋がりかねない要因は極力取り除かなければならないのだ。
しかし、そんなヨリコも、この十日余りは秘書に命じてピースを買いに走らせようか、何度悩んだか分からない。就任4年目にして最大のストレスに襲われた原因は、言うまでもなく先日の魔素噴火にある。
前兆なしの魔素噴火により111名が取り残され、うち110名の死亡が確定したのが昨日のこと。
そして今日は、ここまでの状況を踏まえて今後どのような対応を取るか話し合うため、政権の幹部たちが総理官邸の一室に集まっていた。
参加者はヨリコの他、柿内幹事長、鷹司財務大臣、犬飼外務大臣、猪野沢防衛大臣、それに亜空間庁長官の今出川タカシ。
それぞれの前にはコーヒーの入ったカップが置かれていたが、誰ひとりとして手を付ける者はいない。全員が沈痛な面持ちをしているが、半分はお互いの出方を伺っての演技――ヨリコはそのように推測していた。
「今日集まってもらったのは他でもないわ。先日発生した魔素噴火を受けて、この先どう対応するか、意識合わせをさせて欲しいの」
このタイミングで会議の参加者に声を掛けたのは、昨日の自衛隊突入を受けてようやく事態が見えてきたからである。ただ、加えてそもそも事が起きてから今日に至るまでは上を下への大騒ぎで、落ち着いて話をする時間が取れなかったからという理由も大きい。
そのせいでヨリコの血色はいつにもまして悪く、厚く塗られたファンデーションの下には黒ずんだクマが浮かんでいた。
口火を切ったヨリコに反応して、早速とタカシが手を挙げた。
「会議を始めるにあたって、先ほど入ってきた情報を共有させていただいても?」
タカシは未だ当選3回の39歳。この中では圧倒的な若手である。しかし、居並ぶ党の大先輩たちを前にしても、臆する様子は微塵も見せなかった。
それは本人の能力や資質によるものか、かつての絶対権力者、今出川ヤスシ元総理の息子としての矜持によるものか。
――もしかすると、わたしのことも「親父の昔の部下」くらいの認識なのかも
末席に座を占めながら、顔色の悪い重鎮たちよりもよほど堂々としているタカシを見て一瞬そんなことを思ったヨリコは、「もちろん」と発言を促した。
「昨日の昼前に自衛隊によるダンジョンへの突入が行われ、死者110名と生存者1名が保護されたことは皆さんご存じの事と思います。その生存者ですが……先ほど搬送先の施設で息を引き取ったとのことです
「はぁ!?」
突然投下された爆弾に、ヨリコは自分でも気付かないうちに声を上げており、すぐに会議室は騒然となった。
「どういうことだ!」
「原因は?」
「何があった?」
閣僚たちが口々にタカシを追及したが、当の本人は悠然と場を見渡し、沈黙が下りるのを待った。
そうして「あなたがたが静かにしない限り、わたしは喋りませんよ」とでも言いたげに視線を流し、全員が口を噤んだところでようやっと言葉を発した。
「魔素中毒です。対象は救助した時点で既に魔素が全身に回っていました。亜庁の施設に収容した時点で既に手の施しようがなく、そのまま衰弱死しました」
「昨日のニュースで『ダンジョンから生存者を救出』の速報まで流れたんだぞ!国民の落胆をどうする気だ!」
タカシの淡々とした物言いに、柿内幹事長が語気を荒げた。今年が選挙イヤーということもあり、幹事長が方々からの突き上げを受けているのはヨリコも知っている。きっと大多数の国民以上に落胆は激しいだろう。
ただし一方で、亜空間庁長官という今回の件で一番責任を問われかねない立場にいるタカシが落ち着き払っているのには違和感を覚えた。
「結果的に上げて下げることになってしまったことは残念でなりません。ただ、国民も我々も、最初から生存者の救出が絶望的なことは理解していたはずです」
「そもそも、我々自衛隊が命懸けで救出した生存者を、無理やり亜空間庁の医療施設へ移送したのはタカシくん、キミのとこの『ダン特』だぞ! 」
タカシに対して、今度は防衛大臣の猪野沢タケルが嚙みついた。
ダンジョン対応特務班、通称「ダン特」。
この組織は、亜空間庁創設時に自衛隊の特殊作戦群や医官を引き抜いて創設された小規模なエリート部隊である。元自衛隊でありながら指揮命令系統は亜空間庁に属するダン特は、省庁間の縄張り争いにおける象徴のような存在であった。
「キミは他人事のように言うが、生存者はキミたちの不手際で死なせてしまったのではないのか!?こんなことなら対象は防衛医大に運び込むべきだった!今回の件はキミたちが自衛隊の手柄を横取りしようとして起きたんだぞ!」
「対象は高濃度魔素の被曝者です。結果として死亡してしまったことは悔やまれますが、彼を我が庁の施設へ移送したのは法に基づいた国家安全保障上の適正なプロセスである。手柄を横取りしようなんて思惑は微塵もありませんよ……と言うより、この国難に際して手柄がどうとか、そんな疚しい考えは浮かびもしませんでした」
「なにを!……そもそも、今回の悲劇が起きたのは君のところが定めた『亜空間安全対策ガイドライン』が不完全だったからだぞ!」
タカシの飄々とした物言いに、猪野沢が語気を強めて机を叩いた。
「あれは魔素噴火の前兆として魔炭の急速生成が起きる前提で作られていたし、ダンジョン内に100名以上が取り残されるようなケースも想定されていなかった!そんな欠陥マニュアルのせいで、現場の自衛隊員たちは、目の前で逃げてくる民間人を見殺しにして防壁を閉めるしかなかったんだぞ!キミは今回の件、どう責任を取るつもりなんだ!? 」
「はて、責任と言われましても……あのガイドラインの通りに現場の自衛官が行動してくれたからこそ、魔素の漏洩は防がれ、一般市民が普段通りの生活を送れているんじゃないですか。私は自衛隊の迅速な決断を高く評価していますし、一方で我々が責任を追及される謂れはありません」
「……責任の所在は今は置いておきましょう」
防衛大臣と亜空間庁長官のやり取りがヒートアップしたところに、財務大臣の鷹司マモルが割って入った。
「わたしが気にしているのは、生存者がゼロとなると、いよいよ我が国の経済に希望が見えないということです。今朝のワイドショーでも専門家たちが『この生存者を調べれば、魔素を無効化する新薬が作れるかもしれない』とか『魔素を克服できれば、魔炭採掘が一気に進んで日本はエネルギー大国になる』なんて煽ってました。それが実は死んでましたとなると、話が大きく変わってしまいます」
その今朝のワイドショーはヨリコもチェックしていた。せっかく政府寄りのコメンテーターが「今回の災害は悪い事ばかりじゃない」というトーンで明るい未来を語ってくれたのに、その梯子を外してしまうことになる。
鷹司は全員が押し黙ったのを見て、更に言葉を重ねた。
「懸念していることは他にもあります。今回の魔素噴火で、ダンジョンの危険性が改めて認識されました。となると、現在我が国に経済支援をしている諸外国が何を言ってくるか……少なくとも現状のように、ダンジョン利権と引き換えに金を出させるのは難しくなるでしょう。それに、下手をすれば今の支援が期限を待たずに打ち切られる可能性だってあります」
島津政権成立の直前より、日本は米中露から大規模な経済支援を受けていた。その時に日本が差し出したのがダンジョンにおける調査権であり、各国はそれぞれダンジョン内に鉱区を割り当てられていた。その条約期限は来年末となっているが、財政再建中の日本としては少なくともあと数年、できれば十年は猶予が欲しいというのが偽らざる本音である。
近年はダンジョンの活動が鈍くなっていたこともあって、どの国も調査に熱心でなく、今回の魔素噴火で外国籍の調査員が取り残される事態にならなかった。今後予想されるタフな交渉を前に、その事だけが唯一の救いだった。
「三国は新しく何か言ってきてるの?」
「いえ、既にご報告の通りです。ダンジョンにはいつから入れるんだ、最新情報を寄越せと各国からは連日矢の催促。それに、アメリカからは救助活動に自国の部隊を派遣してやるとのしつこい売り込みがきてました。それも昨日で落ち着きましたが……今のところ、経済支援については何も言ってきていません」
ヨリコが水を向けると、外務大臣の犬飼ソウは神経質そうに言葉を紡いだ。
「まぁ、人死にが出ている以上、どの国もこのタイミングでお金のことは言ってこないでしょう。今後の課題ね」
――今後の課題
今回の問題が産業、経済、外交のすべてに波及している以上、今後解決すべき課題が現在進行形、かつ幅広い分野で積み上がっている。
そのことを全員が認識しているからこそ、会議室の空気はどこまでも重苦しかった。
「今回ダンジョンで見つかった地下への階段が新たな交渉材料になったらいいのですが……」
猪野沢防衛大臣の呟くような発言に、ヨリコは厳しい視線を送った。
「階段の話、まだ外部には漏れていないでしょうね」
「は、はい。発見した突入部隊の10名には、私から直接、特定秘密保護法に基づく最高レベルの箝口令を敷きました。メディアはおろか、自衛隊内部でも上層部しか知りません」
まだまだひよっ子と見て侮っているのか、先ほどまでタカシには上からの物言いをしていた猪野沢は、しかし総理大臣にひと睨みされると、途端にその体を小さくした。
それを権力に弱い小物の振る舞いと思う人もいるだろう。しかし、ヨリコは猪野沢に対して「分かり易く、かつ扱い易い典型的な組織人」としてあくまでフラットに評価していた。
「メディアが嗅ぎ付けたらまた騒ぎ出すだろうし、外国から横槍が入るのも目に見えているわ。自衛隊はその前にダンジョンの地階がどうなっているか、一次調査を行いなさい。秘密裏、かつ迅速に調査計画を作成し、わたしに提出するように」
「かしこまりました」
ヨリコの言葉に、猪野沢は深々と頭を下げた。
「ぼくからも、ひとつ確認しておきたいことがあるんだけど、いいかな?」
話がひと段落するのを待っていたのか、会議が始まってからほとんど口を閉じて事の推移を見守っていた自進党のナンバー2、幹事長の柿内ショウブが口を開いた。
場の全員から無言の同意が得られたことを確認すると、柿内は一度どう切り出そうか言葉を探す様に視線を外しながら自分の頬を撫で、それからヨリコを見据えて言葉を続けた。
「今更言うまでもないが、ダンジョン開発の推進は島津政権の目玉政策だった。ダンジョンから魔炭を取得してエネルギー自給率を向上させ、貿易収支を改善すると同時に雇用を創造する。これまではそれが上手く回っていたから良かったが、今回の事故を受けて政府に強い疑問を抱いた国民は少なくないだろう。実際、野党は『魔素噴火で人死にが出たのは安全対策を軽視した政府による人災だ』と大合唱を始めているし、一部のメディアも大喜びで政府批判を展開している。恐らく、現時点で支持率調査が行われればその数字は目も当てられないだろう。そのような状況を踏まえた上で、だ……今年の選挙、総理はどのようにお考えか?」
ヨリコが黙っていると、柿内は更に言葉を重ねた。
「島津総理の政策が間違っていたとは思わない。今回事故が起きたのはあくまで結果論だ。ただ、選挙まで時間が無いのは紛れもない事実。ここは、総理にも思い切った決断をして頂ければと思っている」
――思い切った決断
柿内幹事長がその単語を口にした瞬間、場の空気は一瞬で凍り付いた。




