第17話:義理の親子(後)
家族という言葉の定義は、明確なようで意外と曖昧である。
例えば家で長年飼われているネコは、法律上の定義で言えば所有物に過ぎないが、社会通念上は家族と見做すことが一般的だ。
しかし、ネコの方はと言えば、飼い主を「自分の世話をする召使い」くらいにしか思っていないかもしれないのが面白いところ。
換言すれば、自我を持つ生物の関係性は常に2種類存在する。
外側から規定される関係性と、当人たちが自認する関係性だ。
その観点から見ると、アイとタカシの関係性は少々歪であった。
ヤスシの死後、生活の基盤を失ったアイに対し、救いの手を差し伸べたのはタカシだった。
私設秘書としての雇用、高給、そして一児を抱える身にはありがたい柔軟な勤務条件。
だが、それらを提示された当初、アイの胸に去来したのは感謝よりも警戒だった。
――そういうこと、なのかしら
父親の愛人であった女を支援する。
その行為の裏に、別の意図を読み取るのはむしろ自然なことだった。
なにせ、ヤスシとタカシは親子である。
嗜好が似通っていたとしても、何ら不思議ではない。
しかし――
アイが雇い主から女として求められたことは、これまでに一度もなかった。
それどころかタカシは、アイをあくまで仕事上の部下として扱いながら、同時に親戚のような距離で接してきた。
誕生日やクリスマスには、アイだけでなくリカコにも欠かさず贈り物が届く。
当初は夫とアイの関係を疑っていたサクラコも、やがては顔を合わせて言葉を交わすようになり、今では一定の距離を保ちながらも穏やかな関係を築いている。
――気付けば、そういう関係が当たり前になっていた。
客観的に見れば、それはもはや雇用関係という言葉だけでは収まらない。
外から見れば「家族」と呼ばれても違和感のない関係だろう。
だが――
その関係は、制度によって裏付けられたものではない。
籍もなければ、血の繋がりもない。
そして何より、始まりが“そうではなかった”ことを、アイ自身が一番よく知っている。
打算と警戒から始まり、時間の中で形を変えてきた関係。
――だからこそ
それを今さら「家族」という一言で括られることには、どこか抵抗があった。
――それでも
その曖昧な関係の中で得てきた恩と立場がある以上、完全に距離を取ることもまた出来ない。
結果としてアイは、「身内のようなもの」として求められる役割を、受け入れ続けてきた。
会食の場は都内の高級フレンチだった。
神楽坂にある個人経営の店であり、店主とはアイもタカシも顔馴染み。
個室に通されると、そこには既にジャケットを羽織った少年がひとり、落ち着かない様子で着席していた。その後ろにはタカシの部下、一ノ瀬キョウコも控えている。
「おぉ、もう来てたかのか」
タカシが声を掛けると、少年は勢いよく立ち上がった。
かと思えば、言葉が上手く出てこないのか何かを言いたそうな様子でしばらくまごつき、最後に「……今来たとこです」と言って着席した。
通った鼻筋、長いまつ毛、長い手足。それらと全体的に細めのラインが融和して、如何にも化粧映えしそうな男の子を見て、アイには違和感しかなかった。
とても今出川の血族には見えなかったからだ。
――少なくともヤスシさんとタカシさんの血ではないわね。骨の太さが違い過ぎるもの
アイの観察するような視線が少年の顔を掠めたことでふたりの目が合ったが、それも一瞬のこと。
少年の目はビクリと跳ねると、すぐに明後日の方に逃げ出してしまった。
「こちら、俺の秘書の清水谷アイさん。こう見えて俺の親父の子供を産んだ一児の母で、そういう意味では俺のオフクロと言ってもいい」
「もう、心にもないこと言わないでください」
アイが窘めると、タカシはニヤけた表情のまま少年の方に手を向けた。
「こっちは、日野シュウジ。俺の遠縁の親戚だ。身体が弱くてずっと病院で生活していたが、最近になって退院したから、ウチで面倒見ようかと思ってるんだ」
「日野シュウジです。よろしくお願いします」
今度はアイの目を見据えたまま、少年が深々と頭を下げた。
「清水谷アイです。こちらこそ、よろしくね」
アイが笑顔を向けると、少年はまたしても視線を横に逃がした。
――あら、やっぱり女性慣れしてないのかしら?
これだけの容姿である。病院にいたら、看護婦さんたちにそれはもうチヤホヤされそうなものなのである。それとも、何か事情があるのかしらとアイが思案していると、少年の後ろに控えていたキョウコが口を開いた。
「それでは、わたしはこれで。お迎えに上がりますので、終わりの頃にまたお声掛けください」
「せっかくだし、一ノ瀬さんも一緒にどう?」
部屋を出ていこうとするキョウコにタカシが水を向けたが、キョウコは「いえ、仕事がありますので」と言ってそのまま退室してしまった。
入れ替わるように店のウェイターが注文を取りに現れた。
「お飲み物はいかがなさいますか?」
「わたしはサンペレグリノ」
「わたしも同じものを」
タカシに続いてアイが言った。
残るシュウジはと言えば、メニューを探しているのか周囲に視線を這わせていた。
「メニューをお持ちしましょうか?」
「いえ、大丈夫です。ぼくはお水ください」
シュウジがおずおずとした様子でそう言うと、ウェイターは少し怪訝そうな表情を浮かべた。
「銘柄はいかがいたしましょう?」
「……お水の銘柄ですか?」
「アクアパンナにして」
遮るようにタカシが言うと、ウェイターは一礼して部屋を出て行った。
「この通り、シュウジは病院育ちだから一般常識に疎いところがある。ま、その点に関しては今後の課題だな」
タカシが鷹揚に言うと、シュウジは恐縮するように下を向いた。
「シュウジくんからしたら、突然こんなところに連れてこられて、このオバさん誰って感じよね。何か質問があれば、遠慮なく訊いていいからね」
場の空気を解そうと思ってアイが水を向けたが、シュウジが何も言わなかったため、場には予期せずして沈黙が流れることとなった。
――えっ、わたしがスベったの?
そんな焦りはもちろん顔には出さなかったが、タカシは面白いものを見たとばかりに笑顔だった。
「アイさん、勘弁してやってくれ!シュウジはいろいろと慣れていないんだ。まず、知らない人と話すのに慣れてないし、アイさんみたいな美人にも慣れてない、なっ!」
そう言ってタカシが隣に座る少年の細い肩を抱くと、シュウジはコクリと頷いた。
その反応が可愛くて、アイの心の中は自然と温かくなった。
その後、飲み物と前菜がテーブルに並べられ、午餐が始まった。
最初の話題として取り上げられたのは、政治家秘書としてのアイの仕事についてである。
「ひと口に政治家秘書って言っても、公設秘書と私設秘書に分けられる。公設秘書の方は、議員会館にある俺の事務所を切り盛りしたり、政策の立案、と言っても叩きは俺が考えるんだが、そういうのをやってくれている。で、アイさんは私設秘書だ。俺のポケットマネーで雇っている」
「ふぅん……私設秘書は何をする人なんですか?」
シュウジはイマイチわかっていない様子だったが、それでも相手が返しやすいよう、無難な球をタカシに返していた。その球が、今度はアイの方にタップパスで飛んできた。
「アイさん、私設秘書ってなにするのー?」
「んー……ひと言で言えば、なんでもよ。ウチだと公設秘書の方たちが永田町周りの対応をして、私設秘書が地元対応をする役割分担だけど、その全て。それこそ、陳情を整理したり、会合や会食の日程調整、記者対応からスケジュール調整まで、必要なことは何でもするわ」
「なんだか大変そうですね……」
やはりシュウジはピンと来ていない様子だったが、変な知ったかぶりをしないだけ、アイの印象は悪くなかった。
「それだけじゃないぞ。アイさんはほら、華があるだろ。居るだけで場が和むから、冠婚葬祭や緩い会合では一緒に出てもらってるんだ。一部では熱烈なファンもいて、大御所の中には『タカシは来なくていいからアイさん連れて来い!』なんて言う人もいるくらいだ」
「……そういうものですか」
その淡泊な反応は、アイのみならずタカシも意外だった様子。一瞬言葉に詰まっていたが、店員が鴨胸肉のロティを持って入室したことで場は仕切り直しとなった。
「ねぇ、シュウジくんは、ちょっと質問してもいいかしら?」
ランチも佳境に入ったところで、アイはシュウジに再度アタックしてみることにした。当のシュウジは、「はい」とは言うものの、その様子はどこか自信なさげ。
「名字は日野って言ってたけど、お父さんは誰なの?タカシさんの親戚で日野って名字、聞いたこと無いけど」
「父は北畑ノボルです。母は父の愛人で、ぼくを認知しなかったので母の姓を名乗っています」
シュウジは淀みなく答えたが、疑念は晴れない。
一応、筋は通っている。
北畑家はタカシの母の姉、つまり叔母が嫁いだ東北の名家で、ノボルはタカシの従兄にして地元に根を張る建設会社の社長だった。その地域への影響力から、タカシが初出馬する際には候補地として真剣に検討されたほどである。
結果的に、長期的なキャリアと党の意向を勘案した結果、タカシが北畑家に頼ることはなかった。
それでも、親戚付き合いは今でも当然続いている。
また、週刊誌にすっぱ抜かれたこともあるほどのノボルの女癖の悪さを考えれば、認知してない子供のひとりやふたりいたとしても不思議ではない。
――それでも、ノボルさんの血には見えないのよねぇ
無論口に出すことはしなかったが、アイにはますますシュウジが分からなかった。
やがて、食後のコーヒーとデザートのジェラートが終わり、伝票を持った店員が部屋に入ってきた。その店員にクレジットカードを渡して追い出すと、タカシはシュウジにも「トイレはいいのか?」と訊いて言外に退室を促した。
ふたりきりになったところで、タカシが出し抜けに口を開いた。
「で、アイツをどう見た?」
「どうもこうも……まず、シュウジくんは本当にノボルさんの子供ですか?こういう事言うのはアレかもしれませんが、ちょっと信じられないです」
「ほう、どうしてそう思う?」
タカシは気分を害した様子もなく、楽しげに質問を投げた。
「まず、外見です。シュウジくんとノボルさん、正反対じゃないですか!」
ノボルは筋骨隆々で浅黒い肌をした、典型的な建設業界の人間である。それがどうやったら、シュウジのような対極の子供の親になるのか。
「それに、シュウジくんのような子供を、北畑家が手放しますか?これまで病院で治療させていたなら、尚更です」
「なるほどね。やっぱりノボルくんの子供じゃあダメか……もう少し設定練らないとなぁ」
なんら悪びれる様子もなく、タカシはあっけらかんと自分の説明が嘘であることを認めた。まるで、相手を騙す意図がなかったのだから、自分は嘘をついたのではなく冗談を飛ばしたに過ぎないとでも言わんばかりの態度だったが、どうあれアイとしては笑えない冗談だった。
「それで、あの子は誰なんですか?」
「魔素噴火の生き残り。自衛隊が保護して、すぐに死んじゃった生存者がいただろ?それがあれ」
事もなげに衝撃の事実を口にしたタカシ。
——この人、本気で言っているの?
先程まで目の前にいた少年が国家機密級の存在だと知り、アイの腕に鳥肌が立った。
「心配しなくても大丈夫よ。総理の許可も得ているから」
「……彼を、どうするつもりなんですか?」
「言っただろ?俺の養子にするって。ただ、俺の家で引き取るのは難しい。女手もなければ、俺に多感な中学生の面倒なんて見れないしな」
「……それで?」
——嫌な予感がした
「それで、アイさんに頼みがあるんだ。
――アイツを家で引き取って、面倒見てもらいたい」
藪から棒に飛んできた、特大の爆弾。
これには流石のアイも混乱し、その顔からは表情が抜け落ちてしまった。
――ウチで引き取る?我が家にはあの子と同じ14歳の娘がいるんですけど!
言い返そうとしたタイミングで、個室の扉が開いてシュウジが入ってきた。
シュウジはアイを見遣ると、今度は視線を逃すことなく、「お待たせしました」と少し気恥ずかしそうな笑みを向けた。
綺麗な笑顔の中に納められた、一点の曇りもない瞳。
――こんな子を、ウチで?
リカコの顔が脳裏をよぎる。
同い年の少女と、この少年を同じ屋根の下に置く――その意味を、タカシはどこまで理解しているのか。
アイは小さく息を吐き、目の前の少年に視線を戻した。
「……おかえりなさい」
そのひと言が、意外なほど自然に口をついた。




