考えたこともない
◯センゴク
俺はため息をついてタオルを洗濯機に放り込んだ。
漫画は別の奴に教わるか。
だが、玄関に向かおうとしたところで気がついた。
サカキの漫画をリビングに置き忘れたことに。
リビングに戻ると、さっきまでびしょ濡れになっていた床がきれいに掃除され、ソウマの妹であるハルがキッチンで料理をしている。
包丁が野菜を切る音、鍋が沸騰する音、炊飯器で米が炊けていく音。
この音を聞いていると何だかずっと遠い昔を思い出す。
ずっと、ずっと昔。
俺がこの道を選ぶよりもずっと昔。
「大丈夫?」
俺は、はっと我に返った。
ハルがこちらを覗き込んでいる。
確かに言われてみてわかった、ソウマに顔が似ている。
ハルはにっと笑った。
「せっかくだから夕飯食べていってよ。センゴクさん」
「何で俺の名前」
「お兄ちゃんとあんな言い争いするのセンゴクさんしかいないだろうなって思ったので。あ、そういえばまだ挨拶してなかった」
「さっきソウマから聞いたよ。妹なんだろ?」
「はい。妹のハルです」
「俺のこと何でわかったんだ?」
「センゴクさんはこの家では有名人だから。お兄ちゃん、高校の頃にあなたのことで相当悩んでたからねえ」
俺はさすがに何も言えなくなった。
「サカキさんと仲良くなってからはちょっと変わったみたいだったけど」
「サカキに会ったことがあるのか?」
「よく遊びに来てたから」
その時、ピーと甲高い音が聞こえた。
「あ、ご飯も炊けたみたい。私、お兄ちゃん呼んでくるからセンゴクさんそこに座ってちょっと待ってて」
バタバタと2階へ駆け上がって行くハルの後ろ姿を見つめてから、俺はサカキの漫画が入った茶封筒に手を伸ばした。
“センゴクさんはこの家では有名人だから”
「・・・」
なんとなく伸ばした手を俺は途中で止めて、ダイニングテーブルに向かった。
誰の席かも知らないが椅子に座って、誰もいない前の席を見つめた。
ここでソウマは両親と妹に俺の話をしたのだろう。
“あの時、何もしていないのに、暴力を振るわれた僕たちの気持ちを君は少しでも考えたことがあった?”
なかった。
全くなかった。
ただただソウマたちオタク軍団は俺にとって目障りな存在で、ちょうどいいストレス発散の相手だったんだ。
そんな俺のことソウマはここで何と話したのだろうか。
「ちょっとほら我が儘言わないで」
そんなハルの声と一緒に階段を降りてくる足音が聞こえる。




