第9話「決闘」
第9話「決闘」
三日後の王城の訓練場は、人で埋め尽くされていた。
石畳の訓練場を囲むように、臨時の観覧席が組まれている。
その最前列の中央に王が座っていた。
傍らには、バルトロさんと、エレオノーラさん。
騎士たち。
魔術師たち。
メイドや、料理人や、庭師たち。
そして、城門を開け放った前庭の向こうには、
城下から詰めかけた民衆が、黒山の人だかりを作っていた。
「なんでこんなに人が……」
控えの天幕の中で、僕は思わずつぶやいた。
「志賀が、ヴェルンの連中に言いふらしたらしい。
異界の勇者同士の決闘だってな。
でそれが王都じゅうに広まった」
剛が天幕の隙間から外を覗きながら言った。
「難しいことは分からんが、祭りみたいになってるぞ」
天幕の中には、城に残った四人が集まっていた。
剛と澪さんと美咲さんと、奏さん。
「白峰くん、これ、ちゃんと食べて」
美咲さんが、小さな包みを差し出した。
中には、小ぶりな握り飯が二つ。
「この世界のお米、ボルグさんに頼んで、探してもらったの。
少しぱさぱさだけど、ちゃんと塩むすびの味がするから」
「……ありがとう、美咲さん」
一口かじる。
懐かしい塩の味がした。
合宿所の研修室で、美咲さんが配ってくれた、あのおにぎりと同じ味だった。
「……白峰くん」
澪さんが僕の前に立った。
手には、薬草の匂いのする小さな布袋。
「……これ、持ってて。痛み止めの薬草。噛めば、少しは楽になるから」
「ありがとう、柚木さん」
「……それと」
澪さんは、少しだけためらってから、小さな声で言った。
「……負けてもいいから。怪我、しないで」
僕は布袋を、胸のポケットにしまった。
職業札のすぐ隣に。
「わたしは歌わないよ」
奏さんが竪琴を抱えたまま、ふわりと笑った。
「勝っても負けても今日のことは、
ハルトくんが自分で決めた後に、歌にする。
だから、好きなように戦っておいで」
「……うん。ありがとう、奏さん」
天幕の外で角笛が鳴った。
「時間だ」
剛が僕の背中を、大きな手でばんと叩いた。
「行ってこい陽翔。お前は間違ってない」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
訓練場の中央で志賀が待っていた。
黒い革の鎧。
手には、刃を潰した訓練用の長剣。
決闘は刃引きの剣で行う。
それが、ガルドさんが立会人を引き受ける条件だった。
「よお、委員長。逃げなかったんだな」
志賀は、剣を肩に担いで、にやりと笑った。
「褒めてやるよ。その度胸だけはな」
「……志賀。約束は覚えてるよね」
「お前こそ、覚えてんだろうな。負けたら、全員の前で頭を下げるんだぞ」
観覧席の端に、志賀の仲間たちが座っていた。
堂島が拳を振り上げて叫んでいる。
小田切がにやにやと笑っている。
花菱さんと姫野さんが、退屈そうに爪をいじっている。
宇佐美と吉岡と桐生と古賀。
そして、その一番端に、三枝さんが、小さく縮こまるようにして座っていた。
その両手には、白い包帯が巻かれていた。
あの日、澪さんがこっそり渡した包帯だった。
訓練場の外れには、鎖で繋がれた魔狼の姿も見えた。
首輪の紋様が鈍く赤く脈打っていた。
「双方、前へ」
ガルドさんの低い声が訓練場に響いた。
僕と志賀は、五歩の距離を置いて向かい合った。
「決闘の規定を告げる。
武器は刃引きの剣のみ。
職業の力の使用は認める。
だが、相手の命を奪うことは、これを固く禁ずる。
一方が降参するか、立ち上がれなくなるか、
あるいは、俺が止めた時点で決着とする」
ガルドさんは、僕と志賀を交互に見た。
「異存は」
「ねえよ」
「ありません」
ガルドさんが片手を高く掲げた。
訓練場が水を打ったように静まり返った。
「――始め!」
その声が終わるか終わらないかのうちに。
志賀の姿が消えた。
いや、消えたのではない。
速すぎて、目で追えなかったのだ。
気がつくと志賀は、すでに僕の懐に飛び込んでいた。
青白い魔力を纏った剣が、下から斜めに跳ね上がってくる。
「――っ!」
とっさに剣を立てた。
エレオノーラさんとの稽古で、何百回、何千回と繰り返した受けの型。
体が勝手に動いていた。
金属同士がぶつかる甲高い音。
腕が根元から痺れた。
受け止めた。
受け止めたはずなのに。
体ごと後ろに弾き飛ばされていた。
石畳の上を背中から転がる。
肺から空気が押し出された。
「おいおい一発目からそれかよ」
志賀の声が遠くに聞こえた。
「まだ、本気の半分も出してねえんだけど」
観覧席からどよめきが上がった。
堂島の下品な笑い声。
僕は、剣を杖にして立ち上がった。
腕がまだ痺れている。
指先の感覚が薄い。
速い。
重い。
エレオノーラさんの剣とは、まるで違う。
彼女の剣は、正確で無駄がなくて美しかった。
志賀の剣は、荒々しくて、乱暴でそして、とてつもなく強かった。
「ほら、来いよ。勇者サマ」
志賀が剣先で手招きした。
息を吐く。
肩の力を抜く。
親指はここ。
小指で締める。
僕は踏み込んだ。
――打ち込む。
弾かれる。
――打ち込む。
いなされる。
――打ち込む。
かわされて、脇腹に剣の腹を叩き込まれる。
石畳に膝をつく。
鈍い痛みが、脇腹から全身に広がっていった。
口の中に鉄の味がした。
「遅えんだよ」
志賀が僕を見下ろしていた。
「お前の剣、全部、見えてんだよ。
教科書通りで、素直すぎて欠伸が出るわ」
立ち上がる。
打ち込む。
弾かれる。
蹴り飛ばされる。
立ち上がる。
打ち込む。
受け流される。
剣の柄でこめかみを殴られる。
視界が白く弾けた。
気がつくとまた、石畳の上に倒れていた。
観覧席がしんと静まり返っていた。
最初は上がっていたどよめきも、笑い声も、もう聞こえない。
ただ、誰かの息を呑む音だけが、やけに大きく響いていた。
「……もう、いいだろ」
志賀の声に、苛立ちが混じり始めていた。
「降参しろよ、委員長。お前じゃ、俺には勝てねえ。分かってんだろ」
分かっている。
最初から分かっていた。
それでも。
僕は石畳に手をついた。
腕が震えていた。
脚が震えていた。
それでも、剣を握る手だけは離さなかった。
ゆっくりと立ち上がる。
「……まだだ」
志賀の顔が歪んだ。
「――勇者様、頑張れ!」
突然、甲高い声が訓練場に響いた。
観覧席の端だった。
そばかすの少年が、身を乗り出して叫んでいた。
トマスくんだった。
「勇者様は、ぼくを守ってくれた! ぼくの命の恩人なんだ! 頑張れ!」
それが合図だったかのように。
「ハルト様あっ!」
メイドたちの席から、リゼさんの声が上がった。
両手を胸の前で握りしめて、泣きそうな顔で叫んでいた。
「頑張ってください、ハルト様!」
「勇者様、負けるな!」
治療院の負傷兵たちが、松葉杖を振り上げていた。
「カップ拾いの勇者様!」
「荷車押しの勇者様!」
城門の向こうの民衆の中から、子どもたちの声が上がった。
果物売りの女性が、膝にハンカチを巻いていた男の子を、肩車していた。
男の子が小さな拳を振り上げていた。
「おにいちゃーん! がんばれー!」
声が広がっていく。
一つまた一つ。
訓練場を囲む人々の声が、波のように、重なり合っていく。
胸のポケットが熱くなった。
ミルスの森のときと同じだった。
いや、あのときよりもずっと強い。
職業札の炎が、燃え上がるような熱を放っていた。
熱は胸から肩へ肩から腕へ、腕から指先へと、
奔流のように駆け抜けていく。
痺れていた腕に力が戻った。
震えていた脚が、地面をしっかりと踏みしめた。
霞んでいた視界が澄み渡った。
志賀の剣の軌道が見えた。
「――なっ」
志賀が目を見開いた。
踏み込む。
息を吐く。
肩の力を抜く。
親指はここ。
小指で締める。
力を入れるのは、振り下ろす最後の一瞬だけ。
僕の剣は、志賀の剣の内側を、滑るように抜けていった。
刃引きの剣の切っ先が、志賀の頬を浅くかすめた。
志賀の頬に一筋の赤い線が走った。
訓練場が静まり返った。
志賀は呆然と、自分の頬に手を当てた。
指先に付いた赤い血を見つめた。
「……は?」
そして、次の瞬間。
その顔が見たこともないほどの怒りに、歪んだ。
「――ふざけんなよ、エセ勇者があああッ!」
志賀の剣が青白い光に包まれた。
いや、青白い光ではない。
青と黒が混ざり合った、禍々しい光だった。
刃引きの剣の潰された刃の上に、魔力の刃が、ぎらりと形を成していく。
それは斬るための剣だった。
いや――殺すための剣だった。
僕の体から熱が引いていった。
職業札の炎が、力を使い果たしたように、しぼんでいくのが分かった。
膝から力が抜ける。
志賀の剣が振り下ろされる。
避けられない。
そう思った瞬間だった。
がきぃん、と耳をつんざくような金属音が響いた。
志賀の魔力の刃が、僕の鼻先で止まっていた。
止めていたのは、一本の分厚い大剣だった。
「――そこまでだ」
ガルドさんだった。
大剣一本で、志賀の剣を、微動だにせず受け止めていた。
その傷だらけの顔に、僕が見たこともない、冷たい怒りが浮かんでいた。
「決着だ。勝者、志賀拓真」
訓練場にガルドさんの声が響いた。
けれど、歓声は上がらなかった。
ガルドさんは大剣を引いた。
それから、志賀を見下ろした。
「……一つだけ言っておく魔剣士」
低い、低い声だった。
「今のは殺すための剣だった。
決闘の規定に反する剣だ。
立会人として俺は、それを見逃さん。
二度目はないと思え」
志賀は何も言わなかった。
ただ、荒い息をつきながら、頬の傷に手を当てていた。
その目は、ガルドさんではなく、僕を睨みつけていた。
僕は、石畳の上に仰向けに倒れていた。
空が青かった。
どこまでも青かった。
負けた。
それでも、不思議と悔しさはあまりなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「――約束だ」
剛の肩を借りて、ようやく立ち上がった僕に、志賀が言った。
頬の傷は、もう血が止まっていた。
「全員の前で、言えよ。自分は、エセ勇者でしたってな」
訓練場が静まり返った。
王も、バルトロさんも、エレオノーラさんも。
騎士たちも、メイドたちも民衆も。
全員が僕を見ていた。
僕は、剛の肩から手を離した。
ふらつく足で一歩、前に出る。
それから、観覧席の王に向かってそして、
訓練場を囲むすべての人々に向かって、深く頭を下げた。
「約束ですので申し上げます」
声がかすれた。
けれど、訓練場の隅々にまで届いたと思う。
「僕は、今日から勇者を名乗りません」
どよめきが起きた。
僕は顔を上げた。
「……と言いたいところなんですが。
実は僕、これまで一度も、自分で勇者を名乗ったことがないんです」
どよめきがぴたりと止まった。
「鑑定板には、勇者の候補と出ました。
だから、僕はずっと、候補のつもりでいました。
勇者かどうかは、僕にも分かりません。
偽物かどうかも分かりません。
分からないことは、分からないとしか言えません」
僕は志賀のほうを向いた。
「だから、志賀との約束はこう守ります。
僕は、これからも勇者を名乗りません。
候補の白峰陽翔です。
それでいいかな」
志賀は、口を半開きにしたまま固まっていた。
そのとき。
「――名乗らんでも、わしらが呼ぶわい!」
城門の向こうから、しわがれた声が飛んできた。
『銀の竪琴亭』のカウンターの端で、
杯を掲げていた、あの白髪の老人だった。
「カップを拾う勇者様!
荷車を押す勇者様!
見習いの坊主の前に立った勇者様!
名乗るも名乗らんも、わしらが勝手にそう呼ぶんじゃ!」
一瞬の静寂。
それから、民衆の中から笑い声が上がった。
温かい笑い声だった。
「そうだ、そうだ!」
「候補でもなんでもいい! うちの坊やにとっちゃ、あんたが勇者様だ!」
「勇者様ー!」
子どもたちが声を揃えて叫んだ。
メイドたちが拍手を始めた。
騎士たちが、剣の柄で盾を打ち鳴らし始めた。
治療院の負傷兵たちが、松葉杖で床を叩いた。
その音はやがて、訓練場全体を揺るがすほどの、
大きなうねりになっていった。
勝者は志賀だった。
けれど、その日、訓練場に響き渡ったのは、
敗者に送られる、拍手と歓声だった。
観覧席の王が、静かに目を閉じていた。
バルトロさんが、革の帳面に、さらさらと何かを書き留めていた。
エレオノーラさんは、両手を胸の前で固く握りしめたまま、
じっと僕を見つめていた。
その青い瞳が、うっすらと、濡れているように見えた。
志賀は、その歓声の中で一人、立ち尽くしていた。
「……なんでだよ」
誰に向けたともつかない、かすれた声だった。
「勝ったのは、俺だろ……。なんで、誰も俺を見ねえんだよ……」
志賀は、剣を石畳に叩きつけて背を向けた。
堂島と小田切が慌ててその後を追う。
観覧席の端で、古賀が志賀の背中をじっと見つめていた。
いや、志賀の背中ではない。
志賀の腰に下げられた職業札を。
鑑定士のスキルで、何かを見ていた。
「……曇ってる」
古賀の唇が小さく動いた。
「志賀の札の文字……今、ほんの少しだけ曇った」
その声を聞いた者は、誰もいなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その夜。
治療院の寝台の上で、僕は、澪さんに全身に軟膏を塗られていた。
「……怪我、しないでって言ったのに」
「ごめん」
「……謝ってほしいわけじゃないって、言ったのに」
「……ごめん」
澪さんは黙って、包帯を巻き続けた。
その手は、いつもよりも、ほんの少しだけ震えていた。
「……でも」
包帯の端を結びながら、澪さんが小さく言った。
「……かっこよかった」
僕が顔を上げたときには澪さんは、
もう背を向けて、薬草の鞄を片付けていた。
胸のポケットから職業札を取り出す。
決闘の最後に、しぼんでしまったはずの炎の紋様は。
今は、親指の先ほどの大きさで、静かに温かく灯っていた。
第9話をお読みいただき、 ありがとうございます。
陽翔、 負けました。
裏話をすると、 この決闘の結末は、 最後まで迷いました。
陽翔が勝つ展開も、 実は一度、 最後まで書いてみたんです。
でも、 読み返して、 「これは違う」と思いました。
陽翔は、 剣を握って、 まだ二か月。
志賀は、 才能もあり、 実戦も積んでいる。
ここで陽翔が勝ってしまったら、 それは「主人公補正」です。
それって、 まさに志賀たちが信じている「テンプレ」そのものなんですよね。
この物語の陽翔は、 テンプレではなく、 積み重ねで強くなる主人公です。
負けた陽翔に、 たくさんの人が拍手を送った。
今の陽翔には、 それで十分だと思っています。




