第8話「凱旋する者たち」
※冒頭は、 志賀拓真の視点でお届けします。
第8話「凱旋する者たち」
オーガの首が、ギルドのカウンターに転がった。
どすん、という重い音に酒場の喧騒が一瞬で静まり返る。
人の背丈の倍はある、赤銅色の肌をした大鬼の頭。
牙の生えた口が、だらしなく開いたままになっていた。
「討伐依頼、完了な」
俺は、血で汚れた依頼書を首の横に叩きつけた。
受付のネリが、顔を引きつらせながら、それを受け取った。
「は、はい……。
オーガ一体の討伐、確認いたしました。
……これで志賀様のパーティーは、規定の実績に達しましたので」
ネリは、一枚の銀色の札を、カウンターの上に置いた。
「本日付で、Cランクに昇格となります。おめでとうございます」
背後で歓声が上がった。
「ウッス! 志賀さん、Cランクっすよ、Cランク!」
「さすがだよなあ、志賀。二か月でCなんて、ギルドの最速記録らしいぜ」
堂島と吉岡が肩を叩いてくる。
宇佐美が眼鏡を押し上げながら、満足げにうなずいていた。
花菱と姫野が、銀の札を覗き込んで、きゃあきゃあと騒いでいる。
俺は銀の札を握りしめた。
二か月。
城を出てからたった二か月だ。
Fランクから始めて、ギルドの記録を塗り替えて、Cランク。
酒場にいる冒険者どもの目が、全部、俺に向いていた。
羨望。
畏怖。
嫉妬。
全部、俺のものだ。
――これだよ。
これが主人公ってやつだろ。
高校の頃はずっとそうだった。
サッカー部のエースで、クラスの中心で、誰もが俺の名前を知っていた。
大学に入ってそれが全部、なくなった。
俺より上手い奴も、俺より目立つ奴もいくらでもいた。
ゼミ長の選挙で、あの優等生の委員長に負けたとき。
俺は自分が、もう物語の主人公じゃないんだと思い知らされた。
でも、違った。
俺の物語は、ここから始まったんだ。
「――では、次の歌を。王都で今、一番流行っている歌でございます」
酒場の隅の舞台で、流れの吟遊詩人が、リュートを爪弾き始めた。
俺は、何気なくそちらに耳を傾けた。
そして、凍りついた。
割れたカップを、メイドの少女と一緒に拾い集めた勇者。
怯えた魔狼の檻の前で夜通し座り続けた勇者。
見習い騎士と並んで、防具を磨いた勇者。
ミルスの森で震える手で、見習いの少年の前に立った勇者。
神様に「候補」と書かれた、まだ何者でもない勇者の歌。
「……なんだそれ」
声が勝手に漏れていた。
酒場の冒険者たちが、歌に合わせて、杯を揺らしている。
「いい歌だよなあ、これ」
「王都じゃ、子どもまで歌ってるらしいぜ。候補の勇者様の歌、ってな」
「カップ拾う勇者ってのがなんか、いいんだよな」
握りしめた銀の札が、手のひらに食い込んだ。
なんでだ。
なんであいつなんだ。
オーガの首を取ったのは俺だ。
ギルドの記録を塗り替えたのは、俺だ。
なのになんでカップを拾って、荷車を押して、
ゴブリン一匹斬って震えてるだけのエセ勇者の歌が流行ってるんだ。
「……志賀さん?」
堂島が怪訝そうに俺の顔を覗き込んだ。
俺は、銀の札をポケットにねじ込んで、立ち上がった。
「おい。明日、王都に戻るぞ」
「え?」
「Cランクの凱旋だ。王様にも、城の連中にも、誰が本物か、見せてやる」
俺は、舞台の吟遊詩人を睨みつけた。
「――あのエセ勇者に、格の違いってやつをな」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
――ここからは、陽翔の視点に戻ります。
召喚から二か月が過ぎた。
その日の昼過ぎ、王都の大通りは、ちょっとした騒ぎになっていた。
「おい、見ろよ。異界の勇者パーティーだってよ」
「ヴェルンで、二か月でCランクになったっていうあの?」
大通りの両脇に、人だかりができていた。
その真ん中を二台の馬車と一台の荷車が、ゆっくりと進んでいく。
先頭の馬車の御者台に志賀が座っていた。
真新しい黒い革の鎧。
腰には、柄に宝石をあしらった長剣。
城を出たときよりも、顔つきがずっと精悍になっていた。
その隣で堂島が、野次馬に向かって得意げに手を振っている。
二台目の馬車には、花菱さんと姫野さんの姿が見えた。
二人とも、城にいた頃よりも、ずっと華やかな服を着ていた。
宇佐美は窓辺で、退屈そうに頬杖をついている。
吉岡と桐生と古賀の姿も見えた。
そして、最後尾の荷車。
荷車には荷物が山のように積まれていた。
その荷物の山にしがみつくようにして、三枝さんが座っていた。
小柄な体が、荷馬車の揺れに合わせて、頼りなく揺れている。
荷車の後ろには、一頭の獣が、鎖で繋がれて歩いていた。
銀色の毛並みの大きな狼。
「……あ」
思わず声が漏れた。
間違いない。
あの魔狼だった。
けれど、その姿は、二か月前とはまるで違っていた。
銀色の毛並みは、あちこちが抜け落ち、泥と乾いた血にまみれていた。
肋骨が浮き出て見えるほど痩せていた。
後ろ脚を引きずっていた。
そして、その首には、黒い革の首輪が、きつく食い込んでいた。
首輪に刻まれた赤黒い紋様が、脈打つように、鈍く明滅している。
金色の瞳には光がなかった。
「……白峰くん」
隣で澪さんが僕の袖を小さく引いた。
「あの首輪……。治療院の本で、見たことがある」
「なに?」
「……隷属の首輪。
魔物の意思を痛みで縛りつける道具。
この国では、使うことも、売ることも禁じられてるって」
僕は拳を握りしめていた。
荷車が僕たちの前を通り過ぎる。
その瞬間。
魔狼の耳がぴくりと動いた。
光のない金色の瞳がゆっくりとこちらを向いた。
僕を見た。
濁った瞳の奥で何かが、かすかに揺れたような気がした。
けれど、次の瞬間、首輪の紋様が赤く光った。
魔狼の体がびくりと痙攣する。
その瞳は再び、ただの虚ろなガラス玉に戻っていた。
「おら、ポチ、ちんたら歩くなって」
荷車の上から小田切が鎖を乱暴に引いた。
魔狼は、引きずられるようにして、人混みの向こうへ消えていった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
王城の謁見の間に、志賀たち十人が並んだ。
玉座の王と、傍らに控えるバルトロさん。
壁際には、ガルドさんと騎士たち。
そして、王の隣にエレオノーラさんが立っていた。
城に残った僕たち五人は、謁見の間の隅に控えていた。
「Cランク昇格、ってことで、一応報告に来てやったぜ、王様」
志賀は膝もつかずに、銀の札を掲げてみせた。
「オーガも、ワイバーンの幼体も全部、俺たちが狩った。
ヴェルンのギルドじゃ、最速記録らしい」
「……見事な働きだ」
王は静かにうなずいた。
「魔物の討伐は、民の安寧に繋がる。礼を言おう」
「礼なんかいらねえよ。それより」
志賀は謁見の間をゆっくりと見回した。
その視線が、隅に立つ僕のところでぴたりと止まった。
「聞いたぜ、委員長。王都じゃ、お前の歌が流行ってるんだってな」
志賀の口元が歪んだ。
「カップ拾って荷車押して、
ゴブリン一匹斬って震えてる勇者サマ、だっけ?
ははっ。
笑えるわ。
俺たちがオーガの首を取ってる間に、お前は城で、
良い子ちゃんごっこして、それを歌にしてもらって、喜んでたわけだ」
「……志賀。あの歌は奏さんが勝手に――」
「どうでもいいんだよ、そんなことは」
志賀は、吐き捨てるように言った。
「いいか。
王都の連中は勘違いしてんだよ。
本物の勇者が誰なのか、分かってねえ。
だから、俺が教えてやりに来たんだ」
謁見の間がざわめいた。
王の眉がわずかに動いた。
エレオノーラさんの表情が、すっと冷えていくのが分かった。
けれど、僕の目は、志賀ではなく、その後ろに向いていた。
十人の列の一番後ろ。
三枝さんが、うつむいて立っていた。
その両手が小刻みに震えていた。
手のひらは赤く腫れ上がり、
いくつもの水ぶくれが潰れて、痛々しくただれていた。
重い荷物の紐を毎日、何時間も握り続けたのだろう。
「……三枝さん。その手」
僕が思わず声をかけると、三枝さんは、びくりと肩を震わせた。
慌てて両手を背中に隠す。
「な、なんでもないです……。ご、ごめんなさい……」
「なんでもなくないよ。すごく、痛そうだ」
「だ大丈夫です……。
わ、私、戦闘じゃ、役に立たないから……。
に荷物くらい持たないと……」
「……柚木さん」
僕が振り返るより先に澪さんがすでに鞄を開けていた。
小さな軟膏の壺を取り出して、三枝さんの前に歩み寄る。
「……手、出して」
「え、あ、柚木さん……」
「……いいから」
澪さんは、三枝さんの手首をそっと取った。
ただれた手のひらに軟膏を指先でゆっくりと塗っていく。
三枝さんの肩が小さく震えた。
「……痛かったね」
澪さんの小さな声。
三枝さんの目からぽろりと一粒、涙がこぼれた。
「おい、三枝。何やってんだよ」
志賀の声が冷たく響いた。
三枝さんは、弾かれたように、澪さんの手から自分の手を引き抜いた。
「ご、ごめんなさい……! ご、ごめんなさい……!」
三枝さんは、何度も頭を下げながら、列の後ろへと戻っていった。
澪さんは、軟膏の壺を手にしたまま、じっと志賀を見つめていた。
その目は静かでけれど、これまで見たことがないほど、冷たかった。
列の中ほどで古賀が床に視線を落としていた。
桐生は無表情のまま、窓の外を見ていた。
吉岡は気まずそうに、視線をさまよわせていた。
誰も、三枝さんを庇わなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
謁見が終わった後、王城の前庭で、僕は志賀を呼び止めた。
「志賀。話がある」
「なんだよ、委員長。説教か?」
志賀は、面倒くさそうに振り返った。
その後ろには、堂島と小田切が控えていた。
「三枝さんのこと。それとあの魔狼のことだ」
僕は志賀の目をまっすぐに見た。
「三枝さんは結界師だ。
荷物持ちじゃない。
あんなに手が腫れるまで、一人に荷物を背負わせるのは、おかしいよ」
「あ? あいつが自分で持つって言ったんだよ」
「断れないって、分かっていて言わせたんだろう」
志賀の目がすっと細くなった。
僕は、小田切のほうを向いた。
「小田切。
あの首輪、隷属の首輪だよね。
この国では、禁止されている道具だって聞いた」
「……は? 何言ってんの? 証拠あんの?」
小田切は鼻で笑った。
けれど、その目が一瞬、泳いだのを僕は見逃さなかった。
「それにあの子は怪我をしてる。
後ろ脚を引きずってた。
ちゃんと手当てをしてあげてほしい」
「あの子、って。
魔物だぞ?
ウケる。
委員長、マジで魔物に感情移入してんの?」
「……ははっ」
志賀が笑った。
乾いた冷たい笑いだった。
「いいねえ、委員長。
正義の味方ごっこ。
さすが歌になる勇者サマは違うわ」
志賀はゆっくりと僕に歩み寄った。
その顔をすぐ目の前まで近づける。
二か月前の城門の前と同じように。
「そんなに言うこと聞かせたいならよ。力で、聞かせてみろよ」
「……どういう意味だ」
「決闘だよ」
志賀はにやりと笑った。
「三日後。
王城の訓練場で俺とお前の一対一。
どっちが本物の勇者か、はっきりさせようぜ。
王様にも、騎士どもにも、城下の連中にも全員の前でな」
前庭がしんと静まり返った。
遠巻きに見ていた騎士たちや、メイドたちが、息を呑むのが分かった。
「俺が勝ったら、お前は、二度と勇者を名乗るな。
王都の連中の前で、自分はエセ勇者でしたって、頭を下げろ」
志賀は楽しそうに続けた。
「お前が勝ったら――まあ、ありえねえけど――お前の言うこと、
何でも一つ聞いてやるよ」
僕はしばらく黙っていた。
戦いたくはなかった。
志賀はゼミの仲間だ。
どれだけ嫌われていても、どれだけ馬鹿にされても、それは変わらない。
仲間に剣を向けたくはなかった。
けれど。
荷車の上で揺れていた、三枝さんの小さな背中。
ただれた手のひら。
光を失った金色の瞳。
「……分かった」
僕は顔を上げた。
「受けるよ、志賀」
「へえ」
「その代わり僕が勝ったら、二つ約束してほしい」
「二つ? 一つって言ったろ」
「一つ目は、三枝さんを、荷物持ちとしてじゃなく、仲間として扱うこと」
志賀の眉がぴくりと動いた。
「二つ目は、あの魔狼の首輪を外して、ちゃんと手当てをすること」
小田切が、「は?」と声を上げた。
「ちょ、志賀、それは――」
「いいぜ」
志賀は、小田切の言葉を遮って笑った。
「どうせ、勝つのは俺だ。約束なんて、いくつしたって同じことだろ」
志賀は背を向けて歩き出した。
「三日後だ。逃げんなよ、エセ勇者」
その背中が、城門の向こうに消えていくのを、僕は黙って見送った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その夜。
王城の訓練場に、僕は一人で立っていた。
月明かりの下で木剣を握る。
親指はここ。
小指で締める。
打ち込む直前に一度、息を吐く。
素振りを一回。
二回。
三回。
「……勝てるとお思いですか」
背後から静かな声がした。
振り返ると、エレオノーラさんが、訓練場の入り口に立っていた。
月明かりに照らされたその顔は、いつもよりも、少しだけ青ざめて見えた。
「……分かりません」
僕は正直に答えた。
「僕はまだ一度も、エレオノーラさんから一本を取れていません。
志賀は二か月で、オーガを倒せるようになった。
……たぶん、勝てないと思います」
「では、なぜ、受けたのです」
「三枝さんとあの魔狼のためです」
エレオノーラさんは唇を引き結んだ。
「……負ければ、あなたは勇者の名を失います。
民の前で偽物だと頭を下げることになる」
「はい」
「それでも、構わないと?」
僕は少しだけ考えてそれから、笑った。
「エレオノーラさん。
僕、実は一度も、自分で勇者だって名乗ったことがないんです」
「……え?」
「みんながそう呼んでくれているだけで。
僕自身はずっと、候補だと思っているので」
木剣を構え直す。
「だから、名を失うのは別に怖くないんです。
怖いのは三枝さんや、あの魔狼を、
このまま見過ごしてしまうことのほうで」
エレオノーラさんは、しばらく何も言わなかった。
月明かりの中でその青い瞳がじっと僕を見つめていた。
やがて、彼女は、訓練場の隅に立てかけてあった木剣を、一本、手に取った。
「……構えなさい」
「え?」
「三日しかありません。今夜から、稽古の時間を倍にします」
エレオノーラさんは木剣を構えた。
その切っ先は、ほんのわずかに震えていた。
「あなたが負けて、民の前で頭を下げる姿など。
……わたくしは、見たくありませんので」
「……はい!」
月明かりの訓練場に、木剣の打ち合う音が、夜更けまで響き続けた。




