第89話「最後の旅」
第89話「最後の旅」
王都を発つ前の日。
宰相のバルトロさんに呼ばれた。
王城の北側の執務室。
召喚されて、間もない頃。
治療院の薬草のことで、何度も、通った部屋。
バルトロさんは。
窓辺に立っていた。
「――白峰様」
「――はい」
「――あなたが初めてこの部屋に、
来られた日のことを、覚えておりますか」
僕は頷いた。
「――治療院の薬草が足りないって。
お願いに来ました」
「――ええ。
勇者として召喚された方が最初に、
頼みに来たのが、治療院の薬草でした」
バルトロさんは、窓の外を見た。
「――あの時私は思いました。
この方は、見るべきものを見ていると」
バルトロさんは。
振り返って。
深く頭を下げた。
「――最後まであなたは、見るべきものを見ておられた。
王国の宰相として。
……一人の老人として。
感謝、申し上げます」
「――頭を上げてください」
僕は、慌てて言った。
バルトロさんは。
顔を上げて。
ほんのわずかに。
口元を緩めた。
「――向こうの世界でも。
どうか、見るべきものを見続けてください。
……それがあなたの一番の才能ですから」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
国王陛下は。
王城の門まで、見送りに来てくださった。
「――白峰殿」
陛下は。
僕の手を取った。
「――エレオノーラを、頼むとは言えぬ。
そなたは、帰るのだからな」
陛下は。
少しだけ寂しそうに笑った。
「――だから、こう言おう。
いつでも、帰ってきなさい。
この城は、そなたの家でもある」
「――……はい」
僕は。
声が震えるのを抑えられなかった。
陛下は。
エレオノーラさんの方を見た。
「――エレオノーラ。
門まで見送ってきなさい。
……王女としてではなく。
一人の娘として」
エレオノーラさんは。
父親の胸に飛び込んだ。
陛下は。
娘の背中を、優しく叩いた。
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北への旅は。
にぎやかだった。
十三人の帰る者。
遥さんと、オルガさん。
エレオノーラさん。
花菱さんと、ルーカスさん。
小田切とシロガネ。
二十人と一頭が。
三台の馬車と、十数頭の馬で。
北の街道を進んだ。
馬の手綱は、小田切がすべて取り仕切った。
「――そっちの馬は右の前脚、ちょっと痛めてるっしょ。
今日は、荷を軽くしてやって」
「――は、はいっす!」
堂島が小田切の指示に、従って走り回っていた。
美咲さんは。
毎晩、野営地で二十人分の食事を作った。
吉岡がその横で、ひたすら、野菜を刻んでいた。
「――吉岡くん、手際、良くなったね!」
「――まあまあ、皿洗いから昇格したからね。
下ごしらえ係」
奏さんは。
毎晩、焚き火の前で歌った。
旅の歌を。
一年分の歌を。
最初の夜は。
召喚の日の歌。
次の夜は。
王都大侵攻の歌。
その次の夜は。
北の砦の歌。
一晩、一晩。
僕たちの一年が。
歌になって、焚き火の上に昇っていった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ある夜。
焚き火から少し、離れたところで。
志賀と遥さんが並んで座っていた。
僕は、薪を運ぶ途中で。
その会話を、聞いてしまった。
「――……遥さん」
「――うん」
「――向こうに帰ったら。
俺、何、すればいいと思います」
遥さんは。
少し考えて。
「――……コンビニの肉まん、食べて」
「――……は?」
「――僕の代わりに。
……それで感想、教えてよ。
門がまた開いたら」
志賀は。
しばらく黙っていた。
それから。
小さく笑った。
「――……分かりました。
全種類、食べます」
「――ピザまんも?」
「――ピザまんも。
カレーまんも。
……あとあんまんも」
「――あんまん、僕、好きだったんだ」
「――じゃあ、あんまんは三回、食べます」
遥さんは。
声を上げて笑った。
三百年、ぶりの。
大学生の笑い声だった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
北の砦では。
ガルドさんが、門の前に立っていた。
「――……坊主ども」
ガルドさんは。
十三人の帰る者を、一人ずつ見た。
剛を。
堂島を。
志賀を。
「――……達者でな」
それだけ言って。
ガルドさんは、背を向けた。
その背中が。
少しだけ丸まっていた。
ヴェルダさんが、僕たちに大きな包みを渡してくれた。
「――峠を越える分の干し肉だよぉ。
……向こうに持って、帰れるなら、持って帰りな。
異世界の干し肉なんて、珍しいだろぉ」
ローデリヒさんは。
砦の兵士たちを整列させた。
今度は。
僕は止めなかった。
兵士たちが、剣を捧げた。
その剣の列の間を。
僕たちは歩いた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ノルデの村では。
子供たちが、村の入口で待っていた。
三枝さんを見つけて。
一斉に駆け寄ってきた。
「――お姉ちゃん!」
「――歌の、お姉ちゃん!」
三枝さんは。
子供たちに囲まれて。
泣き笑いの顔で、しゃがみ込んだ。
「――ちゃ、ちゃんと覚えた?
二番」
「――覚えた!」
子供たちが、一斉に歌い出した。
一番と。
二番を。
最後まで。
村長が。
遥さんの前に来た。
「――谷に戻られるのですな」
「――はい」
「――では」
村長は。
皺だらけの顔で笑った。
「――時々、山を下りていらっしゃい。
子供たちに、歌の三番を教えて、くださいましな」
遥さんは。
目を丸くした。
「――……三番、あったんですか」
「――おや。
ご存じない?」
遥さんは。
三枝さんを見た。
三枝さんは。
首を傾げて。
それから、はっとした顔をした。
「――あ、あります……!
さ、三番……!」
遥さんは。
笑った。
「――……詩織、三番まで教える、つもりだったんだ。
……二番の途中で、峠に行っちゃったけど」
三枝さんは。
遥さんの手を取った。
「――お、教えます。
今夜。
遥さんに」
「――僕に?」
「――は、はい。
……そ、そうすれば、遥さんが子供たちに教えてあげられます。
わ、私がいなくなっても」
遥さんは。
三枝さんの手を握り返した。
「――……ありがとう」
その夜。
ノルデの宿の一室で。
三枝さんは、遥さんに三番を教えた。
何度も。
何度も。
遥さんが最後まで歌えるようになるまで。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
峠を越えた。
氷の回廊は。
もう、怖くなかった。
雪は少なく。
空は晴れて。
氷喰らいの砕けた鱗が。
陽の光を浴びて、きらきらと光っていた。
峠の窪みで一晩、休んだ。
壁の落書きは。
そのまま残っていた。
『ここで 四人で カレーが食べたいと 話した』
『材料がない by 蒼』
『帰ったら みんなで 作ろうね しおり』
『ごめん はるか』
『迎えに来ました しらみね』
遥さんは。
その落書きの前に、しゃがみ込んだ。
そして。
短剣を借りて。
『ごめん はるか』の横に。
新しい文字を刻んだ。
『ありがとう はるか』
それから。
十五人が。
一人ずつ。
自分の名前を刻んだ。
白峰。
大河内。
柚木。
古賀。
宇佐美。
三枝。
美咲。
奏。
志賀。
堂島。
桐生。
小田切。
吉岡。
姫野。
花菱。
一番、最後に。
エレオノーラさんが、この世界の文字で、自分の名前を刻んだ。
その隣に。
オルガさんが。
蒼さんに教わったという拙い平仮名で。
『おるが』
壁は。
三百年前の四人と。
今の二十人の名前で。
いっぱいになった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
谷が見えた。
峠の頂から。
もう、黒くはなかった。
緑が増えていた。
三週間前よりもずっと。
灯ノ里の家々の屋根が。
陽の光を受けて光っていた。
そして。
その向こうに。
崩れた魔王城と。
その地下の星の神殿と。
その奥の門。
「――……着いたね」
遥さんが言った。
僕は。
頷いた。
谷を見下ろす僕の隣に。
エレオノーラさんが立っていた。
何も言わずに。
ただ。
僕の手を握っていた。
明日。
門が開く。




