第88話「灯の主」
第88話「灯の主」
「――駄目です」
僕は言った。
樫の木の下で。
蒼さんの日誌を持ったまま。
「――遥さんを身代わりになんて。
そんなこと――」
「――身代わりじゃ、ないよ」
遥さんは、静かに言った。
「――白峰くん。
さっき、僕、言ったよね。
僕は残るって。
判決がなくても残ってたって」
「――……はい」
「――僕はもう、残ることを選んでるんだ。
自分で」
遥さんは。
月を見上げた。
「――三百年前僕は選べなかった。
四つ目の誓約を見つけたのに。
怖くて。
独りで。
……代わりに独りで檻に、なることを選んだ。
その前には、黄昏の山で、詩織を死なせてた」
遥さんの声が。
少しだけ震えた。
「――今度は選べる。
君たちが隣にいてくれたから。
……僕は、こっちに残る。
灯ノ里でみんなのお墓を守って。
オルガと一緒に暮らして。
陛下の判決通りに、谷の灯を守る」
遥さんは。
僕を見た。
「――それなら、門の主の役目も。
僕が背負うのが一番、自然だと思わない?」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
僕は。
答えられなかった。
理屈は分かった。
遥さんは残る。
僕は帰りたい。
遥さんが灯の主になれば。
誰も、決まりに縛られずに済む。
けれど。
「――……それでも」
僕は言った。
「――僕の代わりに、誰かが何かを背負うのは。
……嫌なんです」
遥さんは。
少しだけ笑った。
「――白峰くん。
それ、三百年前の僕と、同じこと言ってるよ」
僕は。
はっとした。
「――独りで背負いたくない。
誰にも、背負わせたくない。
……だから、全部、自分で背負う。
僕もそう思ってた」
遥さんは。
日誌を閉じた。
「――でもね。
誠も、蒼も詩織も。
僕に背負わせてほしかったんだと、思う。
少しずつ。
みんなで。
……僕はそれを、させてあげられなかった」
遥さんは。
僕の肩に手を置いた。
「――今度は、僕に背負わせて。
君の荷物を少しだけ。
……それが灯を分かつってことでしょ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
エレオノーラさんが。
僕の手を握った。
何も言わなかった。
ただ。
その手の温かさが。
言っていた。
――あなたが決めて。
けれど、独りではなく。
僕は。
長い間黙っていた。
それから。
小さく言った。
「――……みんなに話させてください」
遥さんは。
嬉しそうに頷いた。
「――うん。
それがいい」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
翌朝。
東の塔の一室に。
十五人が集まった。
壁際にエレオノーラさんと、遥さんと、オルガさん。
ルーカスさんも、花菱さんの後ろに立っていた。
僕は。
蒼さんの日誌の頁を全員に見せた。
宇佐美がそれを読み上げた。
『灯の主は、移せるのではないか。
……遥がもし、帰りたくないと言う日が来たら。
その時は、遥が灯の主になればいい』
部屋が静まった。
それから。
ざわめきが広がった。
「――……え、つまり」
姫野さんが言った。
「――白峰が帰れるってこと?」
「――遥さんが代わりに門を開ければ。
そういうことになる」
宇佐美が眼鏡を押し上げた。
「――論理的に言って。
可能性は高い。
蒼の考察は、筋が通っている。
灯の主の定義は、『灯を持つ者』ではなく。
『灯と誓約を背負う者』。
……誓約ごと灯を、分かつことができれば。
主は移る」
「――そ、そんなことできるんすか!?」
堂島が叫んだ。
古賀が僕の札を鑑定した。
「――……白峰氏の五つの誓約。
暁、潮、黄昏、星。
それとシロガネとの誓約。
……このうち、四神殿の四つは、灯に結びついていますな。
灯と一緒に、動く性質のものです」
古賀は、眼鏡を押し上げた。
「――分けられますぞ。
たぶん」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
部屋が。
歓声に包まれた。
「――やったーッ!」
「――白峰さんも帰れるっすよッ!」
「――いいね、それ!
歌になる!」
「――まあまあ、よかった、よかった……!」
美咲さんが泣いていた。
三枝さんが泣いていた。
剛が天井を見上げていた。
けれど。
その歓声の中で。
志賀だけが。
腕を組んで黙っていた。
「――……白峰」
志賀が言った。
部屋が少しずつ静まった。
「――それでいいのか」
全員が志賀を見た。
志賀は。
壁際のエレオノーラさんを、ちらりと見た。
それから。
僕を見た。
「――お前が帰ったら。
王女様はどうなる」
部屋が。
しんと静まった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
誰も、何も言わなかった。
何人かは。
気づいていたのだと思う。
僕とエレオノーラさんのこと。
美咲さんが、両手で口を覆った。
奏さんが目を伏せた。
澪さんは。
窓の外を見ていた。
僕は。
立ち上がった。
「――……昨日の夜」
僕は言った。
「――エレオノーラさんに、好きだって言った」
部屋の何人かが、息を呑んだ。
堂島が、「うおっ」と、声を漏らして、剛に肘で突かれた。
「――エレオノーラさんも、同じだって言ってくれた。
……それから。
帰ってくださいって言われた」
僕は。
エレオノーラさんを見た。
エレオノーラさんは。
壁際で背筋を伸ばして立っていた。
けれど。
その手は。
ドレスの裾を握りしめていた。
「――母さんに会いに帰ってくださいって。
決まりに縛られて、残る僕じゃなくて。
自分で選んだ僕の隣に立ちたいって」
僕は。
十五人の顔を見た。
「――だから。
今、ここで言います。
……自分で選んだことを」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「――僕は帰ります」
部屋が。
静まり返った。
「――母さんに会いに帰ります。
ちゃんとただいまって言って。
この一年、何があったのか、話して。
大学をちゃんと卒業して。
……それから」
僕は。
エレオノーラさんを、まっすぐに見た。
「――それから、もう一度、選びます。
今度は、門の決まりに急かされずに。
誰の代わりでもなく。
自分で」
エレオノーラさんの目が。
大きく揺れた。
「――でも、門は、三か月で閉じるかもしれない。
二度と開かないかもしれない」
宇佐美が静かに言った。
「――うん」
僕は頷いた。
「――分かってる。
……それでも。
今、ここに残ったら。
僕は一生、母さんにただいまを、言えなかったことを背負う。
それは、エレオノーラさんが一番、嫌がることだと思う」
エレオノーラさんが。
小さく頷いた。
涙をこらえるように。
唇を噛んで。
その時。
遥さんが言った。
「――探すよ」
全員が遥さんを見た。
「――門をもう一度、開ける方法。
僕が灯の主になったら。
三か月で門が閉じても。
……探し続ける」
遥さんは笑った。
「――三百年、待てたんだ。
一年でも、十年でも待てる。
蒼の日誌も、まだ全部は、読めてないしね」
オルガさんが。
遥さんの隣で杖を鳴らした。
「――あたしも手伝うよ。
魔族は、長生きだからね」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
エレオノーラさんが。
前に進み出た。
十五人の前に。
「――皆様」
エレオノーラさんの声は。
王女の声だった。
凛として。
揺らがずに。
「――わたくしは、この国の跡継ぎです。
兄上が遺したこの国を、守る役目があります。
……白峰様の世界へ、ついて行くことはできません」
エレオノーラさんは。
僕を見た。
「――ですから待ちます」
その声が。
ほんの少しだけ震えた。
「――白峰様がもう一度、選ぶその日まで。
遥様が門を開けるその日まで。
……何年でも」
エレオノーラさんは。
微笑んだ。
「――待つのは得意ですのよ。
兄上が遠征から、帰るのをいつも、待っていましたもの」
部屋の何人かが。
泣いていた。
剛が。
腕で目元を乱暴に拭った。
「――……難しいことは分からんが。
王女様、かっけえな」
「――……かっこいいっす」
堂島が鼻をすすった。
澪さんが。
窓の外を見たまま。
小さく言った。
「――……ばか、ばっかり」
けれど。
その声は。
とても優しかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その日の午後。
僕は、厩舎に行った。
シロガネが。
藁の上で丸くなっていた。
赤い布を首に巻いて。
僕が近づくと。
シロガネは、顔を上げた。
銀色の目が。
僕を見た。
「――シロガネ」
僕は。
シロガネの前にしゃがみ込んだ。
「――僕、帰るんだ。
向こうの世界に」
シロガネは。
黙って僕を見ていた。
「――向こうには、狼はいない。
……一緒には行けない」
【誓約:銀牙狼シロガネ】。
札の一番、最初に刻まれた誓約。
首輪を引きちぎって。
僕を選んでくれた狼。
「――ごめん。
連れて行けなくて」
シロガネは。
立ち上がった。
そして。
僕の額に。
自分の額を押しつけた。
あの日。
首輪が千切れた日と同じように。
温かかった。
――知っている。
そう、言われた気がした。
――お前は帰る。
俺は、ここにいる。
けれど、誓約は消えない。
シロガネは。
額を離して。
厩舎の入口に、立っていた小田切の方を見た。
それから。
もう一度、僕を見た。
――こいつのことは任せておけ。
小田切が。
こちらに気づいて。
ばつが悪そうに頭を掻いた。
「――……な何だよ」
僕は。
笑った。
泣きながら。
「――シロガネをよろしくね、小田切」
小田切は。
しばらく黙っていた。
それから。
そっぽを向いて。
「――……任せとけっしょ」




