第90話「門が開く」
第90話「門が開く」
星の神殿は、静かだった。
螺旋の階段を下りきって。
星の海の真ん中の細い、石の橋に立つと。
無数の灯の欠片が。
頭の上にも、足の下にも。
瞬いていた。
二十人と一頭が。
橋の上を一列になって渡った。
祭壇を過ぎて。
その奥のもう一本の橋へ。
その先に。
鳥居があった。
苔むした石の柱が二本。
その上に弧を描く石の梁。
柱の間は。
白い霧のように、揺らいでいて。
その向こうから。
蝉の声が聞こえた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「――……本当にあるんすね」
堂島が呟いた。
谷に来なかった仲間たちは。
初めて門を見た。
美咲さんが、両手で口を覆った。
奏さんが竪琴を抱きしめた。
姫野さんが、澪さんの袖を掴んだ。
吉岡が珍しく何も言わなかった。
宇佐美が門の柱に刻まれた文字を見上げた。
『四つの誓約を刻みし灯の主よ』
『汝が手をこの柱に触れよ』
『門は開かれん』
『されど、開きし者は此方に留まる』
「――……論理的に言って」
宇佐美の声が震えた。
「――……これを読めてよかった」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
僕は。
門の前に立った。
その隣に。
遥さんが立った。
「――……始めようか」
遥さんが言った。
「――……はい」
僕は。
札を取り出した。
【職業:勇者】
【誓約:銀牙狼シロガネ】
【暁の印:灯は、独りでは燃えず】
【潮の印:真実を分かち合え】
【黄昏の印:灯は奪えず、ただ分かつのみ】
【星の印:灯は、闇の中にこそ灯せ】
一年分の旅が。
そこに刻まれていた。
僕は。
遥さんの両手を取った。
それから。
振り返った。
「――みんな」
十九人が僕を見ていた。
「――手を貸して」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
一人ずつ。
僕の背中に、手を置いた。
エレオノーラさんが。
剛が。
澪さんが。
古賀が。
宇佐美が。
三枝さんが。
美咲さんが。
奏さんが。
志賀が。
堂島が。
桐生が。
小田切が。
吉岡が。
姫野さんが。
花菱さんが。
ルーカスさんが。
オルガさんが。
シロガネが。
僕の足に身体を寄せた。
全員の灯が。
僕の中に流れ込んできた。
温かかった。
谷で空洞を、満たしたあの時と同じ。
いや。
あの時よりも、ずっと穏やかな温かさ。
僕は。
目を閉じた。
胸の奥の灯を。
そっと掬い上げるように。
そして。
遥さんの手へ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
灯が流れた。
僕の掌から。
遥さんの掌へ。
金色の光が。
二人の手の間で揺れた。
最初は。
いつもと同じだった。
灯を分ける時の感覚。
胸の奥から、何かが抜けていって。
けれど、すぐにどこかからまた灯ってくる。
けれど。
今度は、違った。
灯と一緒に。
何かが動いた。
胸の奥に刻まれていた言葉が。
――灯は、独りでは燃えず。
暁の神殿で。
最初の誓約を、刻んだ日。
その言葉が。
ゆっくりと。
僕の中から離れて。
金色の光に乗って。
遥さんの中へ移っていく。
――真実を分かち合え。
潮の神殿で。
海が道を開けた夜明け。
――灯は奪えず、ただ分かつのみ。
黄昏の神殿で。
沈む、陽の中で刻まれた言葉。
――灯は、闇の中にこそ灯せ。
星の神殿で。
詩織さんが、刻んでくれた言葉。
四つの言葉が。
一つずつ。
僕の札から、遥さんの札へ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
僕の札が。
光った。
【暁の印】が。
ふっと薄れて。
消えた。
【潮の印】が。
消えた。
【黄昏の印】が。
消えた。
【星の印】が。
消えた。
そして。
一番、上の行。
【職業:勇者】
その文字が。
ゆっくりと。
光の粒になって。
ほどけていった。
残ったのは。
【職業: 】
空白。
その下に。
二つの行。
【誓約:銀牙狼シロガネ】
【灯:分かたれし者】
シロガネとの誓約は。
消えなかった。
それは、灯の誓約ではなかったから。
一頭の狼と、一人の人間の間の。
ただの約束だったから。
シロガネが。
僕の足に額を押しつけた。
――言っただろう。
誓約は、消えない。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
遥さんの札が。
光っていた。
【職業:なし】の文字が。
剥がれ落ちて。
その下から。
新しい文字が、浮かび上がった。
【職業:勇者】
その下に。
四つの印。
【暁の印:灯は、独りでは燃えず】
【潮の印:真実を分かち合え】
【黄昏の印:灯は奪えず、ただ分かつのみ】
【星の印:灯は、闇の中にこそ灯せ】
そして。
一番、下に。
【灯:分かたれし者】
遥さんは。
札を見つめていた。
長い間。
その手が。
震えていた。
「――……勇者」
遥さんが呟いた。
「――……三百年前と、同じ文字なのに。
……全然、違う」
遥さんは。
札を胸に抱いた。
「――……今度は独りじゃ、ない」
星の海の一つの星が。
他のどの星よりも、明るく瞬いた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
遥さんが。
門の柱に手を触れた。
その瞬間。
鳥居が。
光った。
苔むした石の柱の表面を。
金色の線が走った。
柱から。
梁へ。
梁からもう一本の柱へ。
金色の線が、門を一周して。
柱の間の白い霧が。
晴れていった。
ゆっくりと。
ゆっくりと。
その向こうに。
部屋が見えた。
長机。
パイプ椅子。
ホワイトボード。
窓の外の緑の木々。
床に落ちたペットボトル。
長机の上の合宿のしおりの束。
合宿所の研修室。
召喚されたあの日の。
あの、部屋。
床の魔法陣の光が。
まだかすかに残っていた。
窓の外は。
夕方の光。
蝉が。
鳴いていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
誰も、動けなかった。
美咲さんが。
膝から崩れ落ちた。
「――……しおり。
白峰くんが、徹夜で作ったしおり……」
古賀が。
眼鏡を外して泣いていた。
「――……時間が経っていませんぞ。
あの日のままですぞ……」
宇佐美が震える声で言った。
「――……あちらの時間は、止まっていたのか。
いや、門が召喚の瞬間に繋がっているのか。
……論理的に言って。
どちらでも、いい」
宇佐美は。
眼鏡を押し上げた。
「――……帰れる」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
別れは。
一人ずつだった。
オルガさんが。
十三人の帰る者の手を、一人ずつ握って回った。
「――ちゃんと帰るんだよ。
……ちゃんと生きるんだよ」
小田切は。
シロガネの首に、腕を回したまま。
十三人を見送った。
「――……向こうで馬、見かけたら。
俺のこと思い出せっしょ」
剛が。
小田切の頭を、ぐしゃぐしゃに撫でた。
「――難しいことは分からんが。
……お前いい奴になったな」
小田切は。
顔を真っ赤にして、そっぽを向いた。
花菱さんは。
十三人に手紙を一通ずつ渡した。
「――向こうのお母さんに。
それとみんなにも。
……莉愛、いっぱい書いた」
ルーカスさんが。
花菱さんの肩を抱いていた。
「――花菱さん」
美咲さんが言った。
「――……結婚式、見られないの残念」
花菱さんは。
泣き笑いの顔で。
「――門がまた開いたら。
来て」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
志賀は。
遥さんの前に立った。
「――……遥さん」
「――うん」
「――肉まん、全種類、食べます」
「――あんまんは、三回ね」
「――三回、です」
遥さんは。
志賀の胸の札を、指でとんとんと叩いた。
【職業:なし】
【灯:分かたれし者】
「――お揃い、じゃなくなっちゃったね」
遥さんの札には、今、【勇者】と書かれていた。
志賀は。
少しだけ笑った。
「――……似合ってますよ。
勇者」
それから。
志賀は。
遥さんに深く頭を下げた。
「――……あんたが、『まだ間に合う』って、言ってくれなかったら。
俺、ここにいなかった」
遥さんは。
志賀の頭に、手を置いた。
「――……白峰くんの隣、頼んだよ」
「――……はい」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
澪さんは。
エレオノーラさんの、前に立った。
二人は。
しばらく黙って、見つめ合っていた。
それから。
澪さんが言った。
「――……泣かせたら、許さないって。
あいつに言っといて」
エレオノーラさんは。
小さく笑った。
「――わたくしが、泣かされるのですか。
白峰様に?」
「――……うん。
あいつたぶん、そういうばか」
エレオノーラさんは。
澪さんの手を取った。
「――柚木殿。
……ありがとうございました」
「――……何が」
「――全部、ですわ」
澪さんは。
何も、言わなかった。
ただ。
エレオノーラさんの、手を一度だけ強く握り返した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
最後に。
僕とエレオノーラさんが残った。
門の前で。
向かい合って。
他のみんなは。
少し、離れたところで、待っていてくれた。
「――……白峰様」
「――……はい」
エレオノーラさんは。
笑っていた。
泣かないように。
一生懸命に。
「――お母様によろしくお伝えくださいまし。
……異世界の王女が、息子さんを、一年、お借りしましたと」
「――……はい」
「――それから」
エレオノーラさんは。
僕の両手を取った。
剣だこのある、硬い手で。
「――カレー、というものを。
いつか、わたくしに、作ってくださると、約束しましたわね」
峠の窪みの夜。
焚き火の前で。
「――……はい」
「――その約束はまだ、果たされていません」
エレオノーラさんの目から。
涙がこぼれた。
もう、こらえきれずに。
「――ですから。
これは、さよならではありませんわ。
……約束を果たしに来てくださるまで。
待っています」
僕は。
エレオノーラさんを、抱きしめた。
強く。
強く。
「――必ず作ります」
僕は、言った。
「――材料がなかったら。
向こうの世界から、持ってきます。
……だから、待っていてください」
エレオノーラさんは。
僕の胸の中で。
小さく頷いた。
「――……はい」
僕は。
エレオノーラさんの額に。
そっと唇を寄せた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
遥さんが歌い始めた。
あの、子守唄を。
一番。
二番。
そして、三枝さんに教わった三番。
その歌に送られて。
一人ずつ。
門をくぐった。
剛が。
堂島が。
宇佐美が。
美咲さんが。
奏さんが。
姫野さんが。
吉岡が。
古賀が。
三枝さんと、桐生が手を繋いで。
澪さんが。
志賀が。
一人、くぐるたびに。
金色の光が揺れて。
その姿が向こう側の研修室に現れた。
最後に。
僕が残った。
振り返った。
星の海の真ん中の細い、橋の上に。
エレオノーラさんと。
遥さんと。
オルガさんと。
小田切と。
花菱さんと、ルーカスさんと。
シロガネが。
並んで立っていた。
シロガネが。
長く。
長く。
遠吠えをした。
歌のような声だった。
僕は。
深く頭を下げた。
それから。
門をくぐった。




