第85話「真実を分かち合え」
第85話「真実を分かち合え」
二日目の法廷は。
一日目よりも、さらに人で溢れていた。
すり鉢の席は、立ち見で埋まり。
外の広場には、昨日の倍の人が集まっていた。
勇者が魔王を庇っている。
その噂は、一晩で王都中に広がったらしい。
遥さんは。
柵の内側に座っていた。
一晩、地下の牢で過ごして。
顔色は悪かった。
けれど。
背筋は昨日と、同じように伸びていた。
僕は、そのすぐ後ろに立った。
「――……眠れました?」
「――三百年ぶりに、牢屋で寝たよ」
遥さんは、小さく笑った。
「――……玉座の足元より、ずっと寝心地、良かった」
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鐘が鳴った。
「――弁護する者。
証人を」
陛下が言った。
僕は立ち上がった。
「――最初の証人をお呼びします。
北の砦の守将。
ガルド殿」
法廷の扉が開いた。
ガルドさんが入ってきた。
鎧を着て。
剣を帯びて。
三年前、アルベルト殿下を、この門から、送り出したその姿のまま。
ガルドさんは。
証人の席に立って。
陛下に一礼した。
「――ガルド殿」
僕は言った。
「――三年前の北の砦の戦いについて。
教えてください」
ガルドさんは。
しばらく黙っていた。
それから。
低い声で語り始めた。
「――三年前の冬。
王都から知らせが来た。
『魔王軍は、東の峡谷に集結しつつある。
北の砦は、手薄で構わない。
兵の半数を、東へ回せ』と」
法廷が静まった。
「――殿下は、その知らせに従われた。
兵の半数を、東へ送った。
……その三日後。
魔王軍が北から来た」
ガルドさんの拳が。
震えていた。
「――東には、何もいなかった。
知らせは偽りだった」
「――その知らせは誰から」
「――貴族院、軍務局を通じて。
……当時の軍務局長は」
ガルドさんは。
右手の席を見た。
「――グレゴール・ヴァイスハイト殿だ」
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法廷が。
どよめいた。
議長は。
表情を変えなかった。
「――異議を申し上げます」
議長が静かに立ち上がった。
「――軍務局は、各地の報告を、取りまとめて、伝えるだけの部署です。
偽りの報告が、上がってきたのなら。
それは、報告を上げた者の責任。
私の責任ではありません」
議長は、法廷を見渡した。
「――それに。
今は、魔王の罪を問う場です。
三年前の軍の誤報と、何の関係が」
「――あります」
僕は言った。
「――アルベルト殿下を死なせたのは。
魔王軍の剣だけではない。
……そのことを、知ってほしいんです。
この法廷の全員に」
僕は、陛下に向き直った。
「――二人目の証人をお呼びします」
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扉が開いた。
そこに立っていたのは。
泥だらけの小田切だった。
髪はぼさぼさで。
外套は裂けて。
頬はこけて。
十日間、ほとんど、眠らずに、馬を走らせてきたのが一目で分かった。
その腕に。
小さな老婆を背負っていた。
灰色のぼろ布を、何枚も重ね着して。
頭の両側から、捻じれた小さな角を生やした。
法廷に悲鳴が上がった。
「――ま、魔族だッ!」
「――魔族が王城に――」
衛兵たちが、槍を構えた。
小田切は。
槍の穂先の前で。
老婆を背負ったまま。
一歩も退かなかった。
「――……替え馬、六頭、潰したっしょ」
小田切は、かすれた声で言った。
「――北の砦から峠まで。
峠から谷まで。
……谷からここまで。
婆ちゃん、落とさないように、ずっと背中にくくりつけて」
小田切は。
僕を見た。
「――……白峰。
遅れて悪い」
僕は。
何も言えなかった。
ただ。
首を横に振った。
小田切の背中から。
オルガさんが下りた。
杖をついて。
すり鉢の底を、ゆっくりと歩いて。
証人の席に立った。
そして。
法廷を見上げた。
何百という、人間の目を。
恐怖と嫌悪と敵意の目を。
濁った白い目で。
まっすぐに。
「――オルガ、と申します」
しゃがれた声が。
法廷に響いた。
「――夜の明けぬ谷の底の灯ノ里の。
……墓守でございます」
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オルガさんは語った。
三百年前のことを。
四人の若者が、この世界に来たこと。
旅の途中で、一人が死んだこと。
一人が魔王になったこと。
二人が友を、置いて、帰れずに谷に来たこと。
誠さんが七十を過ぎるまで、魔王城へ上り続けたこと。
遥さんが一度も、誠さんを殺さなかったこと。
「――殺せと古き魔は命じたのです。
何百回も。
何千回も。
……けれど、遥様は一度も従わなかった。
誠様が来るたびに、自分の腕を、自分で押さえつけて。
血を流しながら追い返した」
法廷が静まっていた。
オルガさんは続けた。
遥さんが灯ノ里の家々に、灯を分けて回ったこと。
光のない谷で。
はぐれ者たちが、生きていけるように。
「――あたしは、角の生えかけの子供でした。
群れから追い出されて。
谷の底で凍えて、死にかけていた。
……遥様の灯が、あたしを温めてくださった」
オルガさんは。
柵の内側の遥さんを見た。
「――三百年、あたしは見てきました。
遥様がどれだけ古き魔に抗ってきたか。
年に一度、墓の前でどんな顔で歌っていたか」
オルガさんの声が。
震えた。
「――あの方は、魔王ではありませんでした。
魔王の檻、だったのです。
三百年、独りでこの世界を守り続けた檻」
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議長が立ち上がった。
「――魔族の言葉を信じろと?」
冷たい声だった。
「――魔王の配下だった魔族が。
魔王を庇う。
それこそ、何の証拠にも――」
「――あたしの言葉が、信じられないなら」
オルガさんが、議長を遮った。
「――これを」
オルガさんは。
ぼろ布の懐から。
一冊の古びた帳面を取り出した。
「――蒼様の日誌です。
王都にある手記とは別の。
……蒼様が亡くなるまで毎日、つけていた日誌」
宇佐美が息を呑んだ。
「――それと」
オルガさんは、帳面の間から。
一枚の紙を抜き出した。
「――三年前。
メフィラが、谷に持ち帰った手紙を。
あたしがこっそり写したものです。
……あの女が魔王城の書庫に隠していた」
僕は、その紙を受け取った。
そして。
読んだ。
声に出して。
『北の砦の兵、半数を東へ移す手筈は整った。
冬至の三日後、北より攻めよ。
王太子は砦に残る。
これで改革派は頭を失う。
約束の報酬は、ドルマン経由にて。
G・V』
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法廷が。
爆発した。
怒号。
悲鳴。
椅子が倒れる音。
「――G・V……!?」
「――グレゴール・ヴァイスハイト……!?」
「――議長が魔王軍と……!?」
陛下が立ち上がった。
その顔は。
真っ白だった。
「――……グレゴール」
陛下の声が。
震えていた。
「――これは何だ」
議長は。
立ったまま。
動かなかった。
その顔から。
表情が消えていた。
それから。
ゆっくりと。
口を開いた。
「――偽造です」
議長の声は。
落ち着いていた。
「――魔族の老婆が、持ってきた紙切れ。
誰が書いたか、分かったものではない。
私を陥れるための――」
「――議長」
宇佐美が立ち上がった。
両手に帳簿を抱えて。
「――ドルマン侯爵家の裏帳簿です。
花菱莉愛が、ミレアの侯爵家の別邸から、持ち出しました。
……三年前の冬至の月。
グレゴール・ヴァイスハイトから、ドルマン侯爵へ。
金貨、三千枚」
宇佐美は、帳簿を掲げた。
「――そして、同じ月。
ドルマン侯爵から、『北の客人』へ。
金貨、二千枚」
花菱さんが立ち上がった。
震える足で。
けれど、まっすぐに議長を見て。
「――莉愛は見ました。
侯爵の屋敷で。
夜中に裏口から来る銀色の髪の人。
侯爵は、その人を、『議長閣下』って呼んでました」
花菱さんの声が。
法廷に響いた。
「――莉愛は嘘つきでした。
いっぱい嘘をつきました。
……だから、分かるんです。
嘘をついてる人の顔」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
議長は。
長い間。
黙っていた。
法廷のすべての目が。
議長に注がれていた。
それから。
議長は。
胸を張った。
「――私は」
よく通る声で。
法廷の隅々まで、届く声で。
「――法官、グレゴール・ヴァイスハイトの名に、かけて誓います。
私は、ドルマン侯爵と、密かに通じたことなど一度もない。
魔王軍と通じたことも一度もない。
アルベルト殿下の死に、私は一切、関わっていない」
その瞬間だった。
ぴしりと。
小さな音がした。
議長の胸元。
金の天秤の紋章の下。
職業札が。
割れていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
法廷が。
凍りついた。
議長が。
自分の胸元を見下ろした。
職業札に。
一本の黒い亀裂が走っていた。
その亀裂が。
伸びていく。
枝分かれして。
蜘蛛の巣のように。
札の表面を覆っていく。
【職業:法官】
その文字が。
亀裂に沿って。
ひび割れて。
剥がれ落ちていく。
ぱらぱらと。
古い漆喰のように。
遥さんの【魔王】の文字が、剥がれ落ちた、時と同じように。
けれど。
その下からは。
何も、浮かび上がってこなかった。
ただ。
最後に。
【職業:なし】
それだけが。
残った。
「――……な」
議長の口から。
声が漏れた。
「――……なぜ。
なぜ、だ」
古賀が立ち上がった。
眼鏡の奥で。
目が淡く光っていた。
「――鑑定、しましたぞ」
古賀の声が、法廷に響いた。
「――法官の戒律。
『法の前にて、偽りを語るなかれ』。
……法官の名にかけて、偽りを誓った瞬間。
戒律は破られました」
古賀は。
眼鏡を押し上げた。
「――職業札は、嘘をつきませんぞ。
議長」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
議長は。
膝から崩れ落ちた。
金の天秤の紋章が。
胸元から外れて。
石の床を転がった。
からん、からん、と。
乾いた音を立てて。
誰も。
議長に手を差し伸べなかった。
議長に同調していた貴族たちは。
目を逸らしていた。
陛下が。
衛兵に命じた。
「――グレゴール・ヴァイスハイトを、拘束せよ。
……アルベルトの死に関する、取り調べを行う」
衛兵たちが、議長を両脇から抱え上げた。
議長は。
抵抗しなかった。
ただ。
連れていかれる、その間際に。
一度だけ。
僕を振り返った。
「――……なぜ」
議長が言った。
「――なぜ、お前たちは。
宝を手放せる。
……力を。
魔王を倒した力を。
なぜ、自分のものにしない」
僕は。
答えた。
「――灯は、奪えないからです」
議長は。
意味が分からないという顔をした。
それから。
扉の向こうに消えた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
法廷が。
静かになった。
陛下が。
ゆっくりと、玉座に腰を下ろした。
長い、長い沈黙。
それから。
陛下は。
柵の内側の遥さんを見た。
「――結城遥」
遥さんが立ち上がった。
「――そなたの罪を問う」
陛下の声は。
静かだった。
「――そなたは、魔王であった。
そなたの名の下に、多くの民が死んだ。
それは消えぬ」
遥さんは。
頷いた。
「――されど」
陛下は続けた。
「――そなたは三百年、檻であり続けた。
古き魔をその身に封じ。
誰にも知られず。
誰にも感謝されず。
……独りで」
陛下の目が。
潤んでいた。
「――アルベルトは、言っておった。
『魔王も、元は、誰かの息子だったのだろうな』と」
陛下は。
立ち上がった。
「――判決を言い渡す」
法廷のすべての人が。
息を止めた。
「――結城遥。
極刑は課さぬ」
ざわめきが起きかけて。
陛下の次の言葉に遮られた。
「――その代わりに。
命ずる。
夜の明けぬ谷の灯ノ里に戻り。
その生涯をかけて。
三百年、そなたの名の下に、失われた命を弔え。
そして」
陛下は。
上の席の民たちを見上げた。
石を投げた、男の子とその母親を。
「――二度と谷に夜が来ぬよう。
灯を守り続けよ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
遥さんは。
柵の内側で。
深く、深く頭を下げた。
声は出なかった。
ただ。
肩が震えていた。
志賀が。
柵を乗り越えて。
遥さんの隣に立った。
剛が。
エレオノーラさんが。
澪さんが。
古賀が。
宇佐美が。
三枝さんが。
桐生が。
小田切が。
一人ずつ。
柵を越えて。
遥さんの周りに立った。
僕も。
遥さんの隣に立った。
上の席から。
拍手が起きた。
最初は。
一人だった。
治療院の、マルタさん。
それから。
パン屋の主人。
鍛冶屋の親方。
そして。
石を投げた男の子の母親が。
男の子を抱いたまま。
片手で自分の膝を叩いていた。
男の子は。
泣き腫らした目で。
遥さんをじっと見ていた。
それから。
小さな手を。
ぱちん、と。
一度だけ叩いた。




