第84話「魔王の裁判」
第84話「魔王の裁判」
裁判の朝。
王都の空は灰色だった。
王城の西の大法廷。
円形の石造りの広間。
すり鉢のように、中央へ向かって、低くなっていく階段状の席。
そのすべての席が。
埋まっていた。
貴族たち。
騎士たち。
神殿の神官たち。
そして、上の方の席には。
王都の民たち。
パン屋の主人。
鍛冶屋の親方。
治療院の、マルタさん。
子供を抱いた母親。
入りきれなかった人々が。
法廷の外の広場を、埋め尽くしているという。
すり鉢の底に。
三つの席があった。
正面の高い席に。
裁きを下す者。
国王レオンハルト陛下と、その両脇に、貴族院の判事が四人。
右手の席に。
訴える者。
貴族院議長、グレゴール・ヴァイスハイト。
そして。
左手の低い木の柵の内側に。
訴えられる者。
結城遥。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
遥さんは。
柵の内側で、背筋を伸ばして座っていた。
手枷はなかった。
陛下がそれだけは、許さなかったのだという。
けれど。
その周りを、八人の衛兵が、取り囲んでいた。
槍を構えて。
僕たちは。
遥さんのすぐ後ろの席にいた。
弁護する者の席。
この国の法では。
訴えられた者の側に立って、語る者を一人、立てることができる。
それは僕だった。
勇者として、ではなく。
遥さんの隣に立つ者として。
「――……緊張してる?」
遥さんが振り返らずに小さく聞いた。
「――……してます」
「――僕も」
遥さんは、少しだけ肩を揺らした。
笑ったのだと思う。
「――三百年、魔王、やってたのに。
こういうの一番、苦手なんだ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鐘が鳴った。
法廷が静まり返った。
陛下が立ち上がった。
「――これより結城遥の審理を始める」
陛下の声は。
どこか、疲れて聞こえた。
「――訴える者、グレゴール・ヴァイスハイト。
訴えを述べよ」
グレゴール議長が立ち上がった。
銀灰色の髪。
紺色の礼服。
胸に金の天秤の紋章。
そして、その下に職業札。
【職業:法官】
議長は。
法廷をゆっくりと見渡した。
上の席の民たちまで。
一人ずつ目を合わせるように。
それから。
口を開いた。
「――三百年」
低くよく通る声。
「――三百年、我々は、夜の明けぬ谷を恐れて、生きてきました」
法廷の空気が変わった。
「――北の空が黒く閉ざされ。
その闇の底から、魔物が這い出し。
村が焼かれ。
街が襲われ。
……我らの父が。
母が。
子が。
兄弟が」
議長は。
一枚の羊皮紙を掲げた。
「――ここに。
三百年分の記録があります。
魔王軍によって、失われた命の記録です。
……すべてを読み上げれば、三日三晩、かかるでしょう」
議長は、羊皮紙を置いた。
「――ですから一つだけ読み上げます」
議長の目が。
陛下の上で止まった。
「――三年前。
北の砦にて。
王太子、アルベルト殿下。
魔王軍の襲撃により戦死」
法廷が。
どよめいた。
陛下の顔が。
苦しげに歪んだ。
エレオノーラさんが。
僕の隣で。
拳を握りしめた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「――この者は」
議長は、遥さんを指さした。
「――その魔王軍の王であった。
三百年、玉座に在った。
そのことをこの者は、自ら、認めています」
議長は、遥さんに向き直った。
「――結城遥。
問う。
あなたは、魔王であったか」
遥さんは。
立ち上がった。
「――はい」
「――あなたの配下の魔将たちは。
王国の村を襲ったか」
「――……はい」
「――三年前。
北の砦を襲った魔王軍は。
あなたの軍であったか」
遥さんは。
一瞬、目を閉じた。
「――……はい」
法廷がざわめいた。
上の席から。
誰かが叫んだ。
「――人殺しッ!」
その声が引き金になった。
「――アルベルト殿下を返せッ!」
「――俺の親父は、北の村で――」
「――魔王を許すなッ!」
声が重なる。
渦を巻く。
すり鉢の底に、向かって降り注ぐ。
遥さんは。
動かなかった。
ただ。
その声の一つ一つを。
目を逸らさずに、受け止めていた。
衛兵の一人が、槍の石突きで、床を叩いた。
「――静粛にッ!」
声が少しずつ静まっていく。
けれど。
法廷の空気は。
もう、さっきまでとは違っていた。
熱い。
重い。
怒りの匂いがした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「――弁護する者」
陛下が言った。
「――白峰陽翔。
述べよ」
僕は立ち上がった。
法廷のすべての目が。
僕に集まった。
勇者様、と。
誰かが呟いた。
その声には。
戸惑いが混じっていた。
勇者様がどうして、魔王を庇うのか。
「――遥さんは」
僕は言った。
声が震えないように。
腹に力を込めて。
「――嘘をつきませんでした。
魔王だったことも。
魔将たちが、村を襲ったことも。
……三年前のことも」
僕は、法廷を見渡した。
「――けれど。
それは、すべてではありません」
「――すべてでは、ないとは」
議長が言った。
「――遥さんの中には、古き魔がいました。
三百年、ずっと。
遥さんは、それを自分の身体の中に封じて。
自分の灯で蓋をして。
……三百年、抑え続けてきたんです」
「――その古き魔とやらが、魔王軍を動かしていたと?」
「――はい」
「――証拠は」
議長が言った。
静かに。
冷たく。
「――……三百年前の記録があります。
椎名蒼という遥さんの仲間が、残した手記が。
それに谷には証人も――」
「――手記」
議長が言った。
かすかに。
口の端を上げて。
「――三百年前の魔王の仲間が、書いた手記。
それが魔王の無実の証拠だと」
議長は、法廷に向き直った。
「――皆さん。
罪人の友が、罪人を庇う文書を残した。
それは、証拠ではありません。
……弁明です」
法廷に。
同意のざわめきが広がった。
僕は。
言葉に詰まった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「――さらに」
議長は続けた。
「――申し上げなければ、ならないことがあります」
議長は。
懐からもう、一枚の紙を取り出した。
「――勇者殿の一行は。
魔王を連れ帰っただけではありません」
議長の灰色の目が。
僕の後ろの席を見た。
志賀を。
「――志賀拓真。
かつて、ドルマン侯爵の手先として、王国を裏切り。
魔王軍のメフィラと通じ。
殿下を夜会で魔女と罵った者」
志賀の肩が強張った。
「――この者もまた勇者殿の一行に加わり。
今、ここに平然と座っている」
法廷が再び、ざわめいた。
「――魔王と裏切り者。
勇者殿は、その二人を、庇い連れ歩いている」
議長は。
僕に向き直った。
「――勇者殿。
あなたの誠実さを、疑うつもりはありません。
しかし。
あなたは、あまりにも人を信じすぎる」
議長は、陛下に一礼した。
「――陛下。
私は、二つのことを求めます」
指を一本、立てる。
「――一つ。
結城遥に極刑を」
法廷が息を呑んだ。
二本目の指。
「――二つ。
勇者、白峰陽翔殿、ならびに異界より召喚された、
全ての者を、貴族院の保護下に置くこと」
「――保護下……?」
宇佐美が思わず声を上げた。
議長は、宇佐美を一瞥した。
「――魔王は倒れた。
しかし、王国の外にはまだ脅威がある。
魔王の残党。
野心を抱く隣国。
……勇者殿の力は、王国の宝です。
宝は、守らねばならない」
議長は、ゆっくりと言った。
「――聞くところによれば。
北の谷には、異界へ通じる門があるとか」
僕の背中が。
冷たくなった。
なぜ、それを知っている。
門のことは。
十五人とエレオノーラさんと、陛下とバルトロさんにしか――。
「――勇者殿が異界へ去れば。
王国は、宝を失う。
……ゆえに門は、王国の管理下に置くべきです。
勇者殿の軽率な判断から、王国を守るために」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
法廷が。
揺れた。
賛成の声。
反対の声。
戸惑いの声。
勇者様がいなくなる?
門って何だ?
異界に帰る?
貴族の席から。
議長に同調する声が次々と上がった。
「――議長の言う通りだ!」
「――勇者殿は、王国のものだ!」
「――魔王を庇うような判断を、する者に門を任せてはおけん!」
美咲さんが、立ち上がりかけた。
奏さんがその腕を掴んだ。
堂島が拳を握りしめていた。
小田切の席は空いていた。
剛が低く唸った。
「――……難しいことは分からんが。
こいつ最初から、これが目的だったんじゃねえか」
僕もそう思った。
遥さんの裁判は。
入口に過ぎない。
議長の本当の狙いは。
僕たちを。
門を。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その時。
遥さんが。
口を開いた。
「――議長」
法廷が少しずつ静まった。
遥さんは。
柵の内側で。
まっすぐに、議長を見ていた。
「――僕の罪は、僕が負います。
極刑でも構いません」
「――遥さんッ!」
志賀が叫んだ。
遥さんは、振り返らなかった。
「――僕は三百年、止められなかった。
古き魔を。
魔将たちを。
……アルベルト殿下を、殺した軍を。
止められなかったのは、僕の弱さです」
遥さんの声が。
震えた。
「――だから、僕は裁かれます。
でも」
遥さんは。
議長を見た。
その目は。
三百年、玉座の足元で、膝を抱えていた青年の目ではなかった。
「――この子たちを、閉じ込めるのは、やめてください。
帰りたい子は、帰してあげてください。
……三百年前、僕たちは帰れなかった。
同じ思いを、この子たちにさせないで」
法廷が。
しんと静まった。
上の席の母親が。
抱いた子供の頭を、そっと撫でていた。
パン屋の主人が。
腕を組んで俯いていた。
議長は。
しばらく遥さんを見つめていた。
それから。
冷ややかに言った。
「――魔王の情けに、すがるつもりはありません」
議長は、陛下に一礼した。
「――陛下。
本日の審理は、ここまでと、いたしましょう。
明日、判決を」
陛下は。
長い間黙っていた。
それから。
重い声で言った。
「――……明日。
弁護する者の証人を、呼ぶことを許す。
判決はその後とする」
鐘が鳴った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
法廷を出る時。
遥さんは、衛兵に囲まれて、地下の牢へ連れて行かれた。
その背中に。
石が一つ投げられた。
剛がそれを盾で弾いた。
石を投げたのは。
小さな男の子だった。
泣いていた。
「――……お父さんを返せ」
男の子はそう、言った。
遥さんは。
立ち止まって。
男の子を見た。
そして。
深く、深く頭を下げた。
何も言わずに。
男の子は。
もう、石を投げなかった。
ただ。
母親の腕の中で、泣き続けていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その夜。
東の塔の一室で。
十四人が集まっていた。
一つだけ。
空いた椅子があった。
「――小田切は」
桐生が言った。
「――……十日前からいない」
吉岡が答えた。
「――馬、一頭、連れて。
北に行くって。
……それだけ言って」
「――北……?」
その時。
扉が乱暴に叩かれた。
開けると。
宇佐美が息を切らせて立っていた。
両手に分厚い帳簿を抱えて。
「――白峰」
宇佐美の目が。
眼鏡の奥で燃えていた。
「――見つけた。
……議長が門のことを知っていた理由」
宇佐美は、帳簿を机の上に叩きつけた。
「――ドルマン侯爵家の裏帳簿だ。
花菱がミレアから持ってきてくれた。
……ドルマンに、金を流していた貴族の名前が、ここにある」
宇佐美は。
帳簿の一頁を開いた。
花菱さんが。
その横で青い顔で頷いた。
「――……莉愛、侯爵の屋敷で見たことがあるの。
夜中にこっそり来てた銀色の髪の人」
頁の一番上に。
その名前はあった。
『グレゴール・ヴァイスハイト』




