第82話「王都の灯」
第82話「王都の灯」
北の砦の門が見えた時。
城壁の上で、誰かが叫んだ。
「――帰ってきたっすよおおおッ!」
堂島だった。
城壁の上から。
身を乗り出して。
両腕をぶんぶんと振り回して。
次の瞬間。
門が内側から開け放たれた。
兵士たちが、溢れ出してきた。
歓声と一緒に。
その先頭を。
堂島が全力で走ってきた。
そして。
剛に体当たりするように抱きついた。
「――剛さんッ!
剛さんッ!
生きてるっすねッ!」
「――おう。
……生きてる」
剛は、堂島の背中をばしばしと叩いた。
二人とも泣いていた。
二人とも、それを隠そうとはしなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ガルドさんは。
門の前に立ったまま。
動かなかった。
僕が目の前まで歩いていくと。
太い腕を組んだまま。
僕の顔をじっと見下ろした。
「――……坊主」
「――ただいま、戻りました」
「――全員か」
「――全員です。
……それと一人、増えました」
僕は、後ろを振り返った。
肩までの黒い髪の青年が。
志賀の隣で、少し、緊張した顔で立っていた。
ガルドさんは。
遥さんを見た。
長い間。
それから。
ふっと息を吐いた。
「――……アルベルト殿下が、最後に言っておられた」
ガルドさんの声が、低くなった。
「――『魔王も、元は、誰かの息子だったのだろうな』と。
……三年前、この門を出る前の晩にな」
遥さんの肩が。
震えた。
ガルドさんは。
組んでいた、腕をほどいた。
そして。
遥さんの前まで歩いていって。
その痩せた肩を、一度だけ叩いた。
「――……よく、帰ってきたな坊主」
遥さんは。
三百年、年上のはずの遥さんは。
ガルドさんの前で。
子供のように、頭を下げた。
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砦で二日、休んだ。
ヴェルダさんが、山ほどの料理を作ってくれた。
シロガネの首の赤い布を見て。
「――ほら、やっぱり似合ってるねぇ」と目を細めた。
ローデリヒさんが、砦の兵士たちを整列させて。
僕たちに剣を捧げた。
僕は慌てて、それをやめてもらった。
そして。
三日目の朝。
王都から早馬が来た。
国王陛下の親書だった。
『勇者一行、ならびに北の砦の全将兵に告ぐ。
王都へ帰還せよ。
民が待っている』
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王都の門を、くぐった瞬間。
音が降ってきた。
歓声。
拍手。
鐘の音。
大通りの両側を。
人が埋め尽くしていた。
窓から。
屋根の上から。
街路樹の枝の上から。
花びらが降っていた。
赤い花。
白い花。
黄色い花。
「――勇者様ーッ!」
「――お帰りなさいーッ!」
「――北の空、見ましたよーッ!」
僕は。
馬の上で。
どうしていいか、分からなかった。
「――……手を振ってくださいまし」
隣の馬から。
エレオノーラさんが、小さく言った。
「――勇者様が固まっていては、民が困りますわ」
「――……はい」
僕は、ぎこちなく手を上げた。
歓声が一段と大きくなった。
剛は、もっとぎこちなく、手を振っていた。
古賀は、なぜか、ものすごく、慣れた仕草で手を振っていた。
「――お約束ですぞ。凱旋パレードは」と、呟きながら。
澪さんは、外套のフードを、深く被っていた。
三枝さんは、真っ赤になって、桐生の背中に隠れていた。
桐生は、無表情のまま、三枝さんを隠していた。
志賀は。
一番、後ろで。
俯いていた。
大通りの人々の中には。
志賀の顔を、知っている者も、いるはずだった。
ドルマン侯爵の手先として。
王都で何をしていたのか。
けれど。
誰も、志賀に石を、投げたりはしなかった。
ただ。
人々は、志賀の隣の青年を。
肩までの黒い、髪の痩せた青年を。
不思議そうに見ていた。
あれは、誰だろうと。
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王城の前庭に。
懐かしい顔が並んでいた。
「――白峰ッ!」
宇佐美が駆け寄ってきた。
いつもの冷静さは、どこにもなかった。
眼鏡がずれて。
息を切らせて。
「――……論理的に言って」
宇佐美は、僕の両肩を掴んだ。
「――……お前は、無茶をしすぎだ」
「――ごめん」
「――謝るな。
……帰ってきたから許す」
その後ろから。
「――白峰くん!」
美咲さんが、僕の手を取った。
「――ちゃんと食べてた!?
ちゃんと寝てた!?
……痩せてる!
絶対、痩せてる!
今夜は、わたしがちゃんと作るからね!」
「――いいね、それ。
歌になる」
奏さんが竪琴を抱えて笑っていた。
「――『北の空が光った日』。
もう、王都中の酒場で歌ってるよ。
……本物が帰ってきたなら、二番を書き足さなきゃ」
「――まあまあ、白峰」
吉岡が大きな、包みを差し出した。
「――おにぎり。
峠で落としたんだって?
……今度は落とすなよ」
そして。
少し離れたところに。
小田切が立っていた。
馬の手綱を握って。
そっぽを向いて。
シロガネが。
小田切の足元に歩いていった。
そして。
小田切の手に。
鼻先を押しつけた。
小田切は。
しゃがみ込んで。
シロガネの首を抱きしめた。
「――……お帰り」
小さな声だった。
「――……お前も、ちゃんと帰ってきたな」
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謁見の間。
国王レオンハルト陛下が、玉座から立ち上がって。
僕たちを迎えた。
その隣に。
宰相の、バルトロさん。
そして、大広間の両側には。
王国の貴族たちが、ずらりと並んでいた。
「――勇者、白峰陽翔殿」
陛下が言った。
優しい声だった。
エレオノーラさんに、よく似た目をしていた。
「――よくぞ、戻られた。
王国のすべての民に代わって。
……心からの感謝を」
陛下は。
玉座の段を下りてきて。
僕の手を取った。
大広間がざわめいた。
国王が自ら、段を下りる。
それがどれほど、異例のことなのか。
僕にも分かった。
「――陛下、僕一人の力ではありません」
僕は言った。
「――ここにいる仲間たちと。
砦の皆さんと。
王都の皆さんと。
……すべての人の灯が、あったからです」
陛下は、目を細めた。
「――エレオノーラから、手紙で聞いていた通りの方だ」
それから。
陛下の目が。
僕の後ろに移った。
肩までの黒い、髪の青年の上に。
「――そちらの方は」
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僕は。
一瞬、迷った。
ここで本当のことを言えば。
大広間は、どうなるだろう。
三百年。
この国の人々は、魔王を恐れてきた。
夜の明けぬ谷を恐れてきた。
アルベルト殿下も。
数えきれない兵士たちも。
魔王軍との戦いで、命を落とした。
けれど。
潮の印。
真実を分かち合え。
僕は、遥さんを振り返った。
遥さんは。
僕を見て。
小さく頷いた。
――大丈夫。
自分で言うよ。
遥さんが前に出た。
そして。
陛下の前に、膝をついた。
「――結城、遥と申します」
その声は。
掠れていたけれど。
大広間の隅々まで届いた。
「――三百年前。
この国に勇者として、召喚されました。
……そして」
遥さんは。
顔を上げた。
「――昨日まで。
魔王と呼ばれていた者です」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大広間が。
凍りついた。
一瞬の完全な沈黙。
それから。
悲鳴が上がった。
貴族の誰かが後ずさった。
衛兵たちが、一斉に槍を構えた。
近衛の騎士たちが、陛下の前に飛び出した。
「――陛下をお守りしろッ!」
「――魔王だと!?」
「――勇者殿は、魔王を王城に連れてきたのか!?」
剛が遥さんの前に出た。
志賀が遥さんの隣に立った。
エレオノーラさんが、声を張り上げた。
「――静まりなさいッ!
この方は、もう、魔王ではありませんッ!
わたくしがこの目で――」
その時。
大広間の右側。
貴族たちの列の先頭から。
一人の男が進み出た。
背の高い。
銀灰色の髪を、きっちりと撫でつけた。
五十がらみの男。
深い紺色の礼服の胸に。
金の天秤の紋章が光っていた。
「――殿下」
男が言った。
低くよく通る声。
大広間のざわめきが、その一言で、すっと引いた。
「――殿下のお言葉は、ありがたく、拝聴いたしました。
しかし」
男は。
遥さんを見下ろした。
冷たい灰色の目で。
「――この者が魔王であったことは。
この者、自身が認めたことです」
男は、陛下に向き直って。
深く一礼した。
「――陛下。
王国法、第一条に基づき。
貴族院議長、グレゴール・ヴァイスハイトが、申し上げます」
男は、顔を上げた。
「――この者を裁判にかけるべきです。
三百年の罪を問うために」
大広間が。
再び、ざわめいた。
けれど、今度のざわめきは。
恐怖ではなかった。
同意のざわめきだった。
僕は。
グレゴールという、男の胸の天秤の紋章を見ていた。
その紋章の下に。
ちらりと職業札が覗いていた。
【職業:法官】
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その夜。
美咲さんの作ってくれた夕食を。
十人以上で囲んだ。
城の厨房の隣の小さな食堂。
けれど。
誰も、あまり箸が進まなかった。
遥さんは。
食堂の隅で。
窓の外を見ていた。
「――……ごめんね」
遥さんが言った。
「――僕が来なければ。
みんなもっと、素直に喜べたのに」
「――そんなことないです」
三枝さんが言った。
「――遥さんが自分で言ったの。
……す、すごかったです」
「――そうだ」
志賀が言った。
「――隠してたら、もっとひどいことになってた。
……俺がそうだったから分かる」
遥さんは。
少しだけ笑った。
宇佐美が眼鏡を押し上げた。
「――論理的に言って。
裁判はむしろ、好機だ」
全員が宇佐美を見た。
「――椎名蒼の手記がある。
オルガ殿の証言も取れる。
三百年前に、何があったのか。
遥さんが何をしてきたのか。
……公の場ですべてを明らかにできる」
宇佐美は、僕を見た。
「――白峰。
お前の誓約にあっただろう。
真実を分かち合え」
僕は頷いた。
「――うん」
それから。
窓の外を見た。
王都の夜。
家々の窓に、灯りが灯っていた。
このたくさんの灯りの一つ一つが。
四日前、北の空に光を送ってくれた。
その人たちに。
本当のことを伝えたい。
「――遥さん」
僕は言った。
「――一緒に話しましょう。
三百年分の本当のことを。
この国の全員に」
遥さんは。
窓の外の灯りを見つめて。
それから。
ゆっくりと頷いた。
「――……隣にいてくれる?」
「――はい」
「――俺もだ」
志賀が言った。
剛も。
エレオノーラさんも。
澪さんも。
古賀も。
宇佐美も。
一人ずつ頷いた。
遥さんは。
もう、何も言わなかった。
ただ。
窓の外の灯りに向かって。
小さく頭を下げた。




