第77話「灯を分かつ」
第77話「灯を分かつ」
蝋燭の芯ほどの光だった。
遥さんの胸の奥。
闇の柱が噴き上がるその根元に。
小さな、小さな金色の点が。
今にも消えそうに。
揺れていた。
三百年。
古き魔に喰われ続けて。
それでも。
消えなかった灯。
誠さんを殺さなかった灯。
灯ノ里の家々に、分けた灯。
グラズにザハルにヴォルグに分けた灯。
志賀に、「まだ間に合う」と言わせた灯。
最後の一欠片。
「――……遥さん」
僕は、手を伸ばした。
遥さんの胸に。
その小さな、光の上に。
「――灯を分けます」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
触れた瞬間。
流れ込んできた。
遥さんの三百年が。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
放課後のゼミ室。
四人でくだらない話をしていた。
「――異世界転移したら、どうする?」
言い出したのは、誠だった。
体育会系で、声がでかくて剣道部の主将。
「――俺は剣士だな。
絶対、剣士」
「――論文、読みなよ」
蒼が眼鏡を押し上げた。
理学部から、なぜか、このゼミに、潜り込んできた変わり者。
「――僕は学者かな。
異世界の物理法則、調べたい」
「――私は聖女がいい!」
詩織が手を挙げた。
「――みんなの怪我、治してあげるの。
遥くんは?」
「――……え、俺?」
僕は。
遥は。
少し考えて。
「――……俺は、何でもいいや。
みんなと一緒なら」
誠が笑った。
蒼が呆れた。
詩織が嬉しそうに頷いた。
その三日後。
四人は、この世界に召喚された。
遥の札には。
【職業:勇者】と書かれていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
旅をした。
四人で。
誠が前で剣を振るった。
蒼が後ろで地図を読んだ。
詩織が隣で傷を癒した。
遥は。
いつも一番、前に立とうとした。
勇者だから。
みんなを守らなきゃ。
「――遥、下がれって!」
誠が何度も怒鳴った。
「――お前が前に、出なくてもいいんだよ!
俺の隣にいりゃいいんだよ!」
「――でも、俺は勇者だから」
遥はそう言い続けた。
誠は、そのたびに舌打ちして。
それでも、遥の隣に走ってきた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
最初の旅で。
門の噂を追って。
北の峠の窪みで。
四人で焚き火を囲んだ。
「――カレー、食いてえ」
誠が言った。
「――材料がない」
蒼が壁に刻んだ。
「――帰ったらみんなで作ろうね!」
詩織が笑った。
遥も笑った。
その夜。
遥は、一人で起きて。
星の見えない谷を、見下ろしていた。
門を通れるのは。
灯を持つ者だけ。
……つまり、自分、一人だけ。
その本当のことを。
遥は、誰にも言えなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
黄昏の山。
石の台座に。
光の鎖で。
遥は繋がれていた。
「――ごめん、遥。……ごめん」
蒼が泣きながら、本を開いていた。
灯移しの儀。
灯を一度、誰かに移して。
その誰かが、門を通って。
また遥に返せば。
みんな順番に帰れる。
「――……いいよ。
持っていけよ、俺の灯」
遥は笑った。
本当のことを、言えなかった自分への。
罰だと思った。
けれど。
灯は移せなかった。
裂けて。
砕けて。
金色の破片になって。
茜色の空に飛び散った。
その破片を喰らいに。
北の古き魔が、這い上がってきた。
「――……遥。
隣に立ちたかったって言ったでしょ」
詩織の白い光が。
最後に大きく燃え上がって。
古き魔を押し返して。
それきり。
詩織はいなくなった。
胸に空洞が開いた。
押し返された古き魔が。
その空洞に。
落ちてきた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
遥は、独りで北へ向かった。
誠と蒼を置いて。
胸の空洞に、古き魔を抱えて。
――僕が独りで行けば。
もう、誰も傷つかない。
星の、神殿。
遥は、独りで祭壇に立った。
四つ目の誓約を見つけた。
灯は、闇の中にこそ灯せ。
古き魔に灯を分ければ。
空洞を満たせる。
倒さずに済む。
けれど。
残っていたのは、灯の欠片だけ。
独りの欠片では、足りなかった。
分ければ。
自分が消える。
――消えたら誠が怒る。
蒼が黙る。
……追ってきた、二人が泣く。
遥は。
選べなかった。
代わりに。
檻になることを選んだ。
自分の空洞に、古き魔を閉じ込める。
残った灯の欠片で蓋をする。
その瞬間。
谷が夜に沈んだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
遥は、玉座の足元で膝を抱えた。
誠が何度も上ってきた。
追い返した。
斬りかけた。
それでも、誠はまた来た。
「――帰ろう遥」
――帰れない。
僕のせいで、詩織が死んだ。
僕が本当のことを言わなかったから。
誠が年を取っていく。
髪が白くなっていく。
杖をつくようになっていく。
それでも、上ってくる。
最後の日。
誠は、玉座の間の扉の前で倒れた。
「――……ごめんな遥。
俺、お前の隣に立てなかった」
――違う。
立てなかったのは、僕だ。
誠の隣に。
僕が戻れなかったんだ。
遥は。
誠を抱えて。
灯ノ里まで運んだ。
古き魔に身体を引き裂かれそうになりながら。
這うように。
それから、何十年。
何百年。
遥は、年に一度。
三つの墓の前で。
歌を歌った。
詩織が教えてくれた歌を。
『ごめん はるか』
峠の窪みに刻んだのは。
黄昏の山から、独りで北へ向かう途中。
四人で焚き火を囲んだあの窪みで。
帰り道では、なかった。
帰れなかった旅の。
途中のどこか。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
目を開けた。
僕の掌が。
遥さんの胸にあった。
その掌の下で。
蝋燭の芯ほどの光が。
ほんの少しだけ。
大きくなっていた。
けれど。
足りなかった。
古き魔の闇が。
遥さんの身体から、噴き出し続けている。
僕が灯を注いでも。
注いだそばから。
闇に喰われていく。
空洞が。
大きすぎる。
三百年分の空洞が。
「――……っ」
僕の灯が。
削られていく。
分ければ、分けるほど。
僕の中の火が小さくなる。
――独りの灯じゃ、足りない。
独りで分けたら、自分が空っぽになって消えちゃう。
詩織さんの言葉が蘇った。
その時。
僕の肩に。
手が置かれた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「――独りで背負わないでくださいまし」
エレオノーラさんだった。
その手から。
灯が流れ込んでくる。
僕の中へ。
僕を通って。
遥さんの中へ。
「――難しいことは分からんが」
剛の手がもう片方の肩に。
「――分けるもんなら、いくらでもあるぞ」
澪さんの手が。
僕の背中に。
「――……一人でやるな。
……ばか」
古賀の手。
「――白峰氏。
お約束でしょ。
最後は、みんなの力を合わせるのが」
三枝さんの手。
「――わ、私の灯も使ってください……ッ!」
桐生の手。
「――……持ってけ」
シロガネの額が。
僕の腰に押しつけられる。
そして。
志賀の手が。
僕の手の上に重なった。
遥さんの胸の上で。
「――白峰。
……俺の灯も」
志賀の灯は。
僕から分かたれた灯だった。
僕の灯と。
志賀自身の灯が。
霧の中の教室で、重なった灯。
それが。
今。
僕の手の上から。
遥さんへ流れ込んでいく。
分かたれた灯が。
さらに分かたれて。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
光が。
溢れた。
九つの灯が。
一つの流れになって。
遥さんの胸の奥へ。
蝋燭の芯ほどの光が。
膨らんでいく。
芯から。
炎へ。
炎から。
灯火へ。
古き魔の闇が。
押し返されていく。
いや。
押し返されているのでは、なかった。
闇が。
灯に触れた端から。
ほどけていく。
奪おうと伸ばした闇の腕が。
灯に触れて。
焼かれるのではなく。
温められて。
その腕が。
一瞬だけ。
戸惑うように。
止まった。
――……あたたかい?
そんな声が、聞こえた気がした。
何千もの声の中の。
小さな一つの声が。
けれど。
それは、すぐに掻き消えた。
闇が。
遥さんの身体から。
一斉に引き剥がされていく。
満たされた器には。
空洞の居場所はない。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
遥さんが。
叫んだ。
痛みではなかった。
何かが。
三百年、胸の奥に詰まっていた何かが。
一気に抜けていく叫び。
闇が。
遥さんの背中から。
肩から。
頭から。
すべて、すべて噴き出して。
玉座の間の宙に。
渦を巻いて。
集まっていく。
その渦の中心で。
メフィラの白い仮面が。
砕けかけながら。
叫んでいた。
『――器が……ッ!
私の器が……ッ!
三百年……ッ!
三百年、喰らってきたのに……ッ!』
遥さんの身体が。
崩れ落ちた。
僕の腕の中へ。
軽かった。
信じられないほど、軽かった。
「――遥さんッ!」
遥さんの目が。
ゆっくりと開いた。
両方の目が。
黒かった。
紅い色は。
どこにもなかった。
「――……あ」
遥さんが言った。
自分の手を見て。
自分の胸を見て。
「――……静か、だ」
その目から。
また涙がこぼれた。
「――……三百年、ずっとうるさかったんだ。
頭の中で。
胸の中で。
奪え、喰らえ、って。
……静かだ」
遥さんの胸の奥で。
灯が燃えていた。
小さく。
けれど、確かに。
蝋燭の芯ではなく。
ちゃんとした灯火として。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
遥さんの外套の内側から。
何かが滑り落ちた。
一枚の札。
三百年前の職業札。
古賀がそれを拾い上げて。
息を呑んだ。
そこには。
かつて、【職業:勇者】と、書かれていたのだろう。
その文字は。
黒く焼け焦げたように、塗り潰されていて。
その上に赤い文字で。
【職業:魔王】と、刻まれていた。
けれど。
今。
その赤い文字が。
ひび割れて。
剥がれ落ちていく。
ぱらぱらと。
古い漆喰のように。
その下から。
新しい文字が、浮かび上がった。
【職業:なし】
そして、その下に。
もう、一行。
【灯:分かたれし者】
古賀が札を遥さんに差し出した。
遥さんは、震える手で、それを受け取った。
しばらく見つめて。
それから。
小さく。
笑った。
「――……なしか」
志賀が。
自分の札を取り出して。
遥さんの札の隣に並べた。
【職業:なし】
【灯:分かたれし者】
同じ文字。
「――お揃いっすね」
志賀が言った。
遥さんは。
二枚の札を見比べて。
それから。
声を上げて笑った。
泣きながら。
笑った。
「――……うん。
お揃いだ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その時。
玉座の間が。
揺れた。
天井から。
巨大な石が、崩れ落ちてくる。
宙に渦を巻いていた闇が。
膨れ上がっていた。
遥さんから、引き剥がされた、古き魔の本体と。
メフィラ。
外のひとかけらと。
内のすべて。
それが。
一つになろうとしていた。
『――器は要らない』
声がした。
もう、メフィラの声ではなかった。
何千もの声が、一つに溶け合った。
谷そのものが、喋っているような。
『――器など要らない。
私が私のまま、外へ出ればいい。
檻は壊れた。
……もう、何も私を閉じ込めてはおけない』
闇が。
天井を突き破った。
魔王城の最上階が。
内側から弾け飛ぶ。
崩れ落ちる、石の向こうに。
谷の空が見えた。
いや。
空ではなかった。
闇だった。
谷の天井を、覆っていた闇が。
すべて。
一つの巨大な、何かに集まっていく。
形のない形。
腕でも、顔でもない。
ただ。
巨大な。
空洞。
夜、そのものが。
起き上がった。
『――灯を寄越せ』
空洞が言った。
『――世界中の灯を。
すべて。
喰らって。
喰らって。
……今度こそ、満たされる』
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
僕は。
遥さんを支えながら。
立ち上がった。
崩れかけた、玉座の間の真ん中で。
九人と一頭と。
そして、もう一人が。
空洞を見上げていた。
「――……あれは」
遥さんが言った。
「――僕の中にいたものだ。
……三百年、ずっと」
遥さんの目は。
怯えていなかった。
ただ。
ひどく。
悲しそうだった。
「――あれは、ずっと言ってた。
寒い、寒いって。
……僕の灯を喰らいながら。
ずっと」
僕は、札を取り出した。
四つの誓約。
暁の印:灯は、独りでは燃えず。
潮の印:真実を分かち合え。
黄昏の印:灯は奪えず、ただ分かつのみ。
星の印:灯は、闇の中にこそ灯せ。
「――遥さん」
僕は言った。
「――一緒に来てください」
遥さんが僕を見た。
「――三百年前遥さんが見つけて。
選べなかった誓約。
……今度は、みんなで選びます」
遥さんの目が。
大きく揺れた。
それから。
ゆっくりと。
頷いた。
「――……うん」
遥さんは。
僕の隣に。
立った。
前ではなく。
隣に。
三百年、ぶりに。




