第73話「魔王城の門」
第73話「魔王城の門」
魔王城へ続く坂は、骨のように、白かった。
灯ノ里から、谷のさらに奥へ。
岩を削って作られた幅の広い坂道。
その石畳が。
闇の中でほのかに白く浮かび上がっている。
光を喰う谷で。
なぜ、その石だけが白く見えるのか。
古賀が鑑定して。
そして、黙った。
「――……古賀?」
「――……いえ。
知らない方がよいかと」
古賀はそれ以上、言わなかった。
誰も、聞かなかった。
九つの灯を掲げて。
白い坂を上る。
その坂の終わりに。
門があった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
巨大な門だった。
北の砦の城門の三倍はあった。
黒い鉄の扉。
その表面に。
びっしりと、何かが刻まれていた。
顔、だった。
無数の顔。
苦悶に歪んだ。
叫ぶように、口を開けた。
人間の魔族の獣の顔。
それが鉄の扉の表面で。
ゆっくりと。
蠢いていた。
「――……悪趣味ですわね」
エレオノーラさんが、吐き捨てるように、言った。
門の前の広場に。
軍勢がいた。
影の兵。
人の形をしていた。
鎧を着て。
剣を持って。
けれど、その鎧の中身は。
空洞だった。
兜の隙間から。
闇だけが覗いている。
一体、二体、ではない。
百、二百、でもない。
広場を埋め尽くして。
坂の両側の岩壁にも、張りついて。
門の上の城壁にも、並んで。
千を超えていた。
そして。
門の上に。
一人の女が立っていた。
黒いドレス。
長い銀の髪。
白い、白い肌。
紅い唇が。
ゆっくりと、弧を描いた。
「――来たのね。
灯の候補」
メフィラ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「――歓迎するわ」
メフィラの声は。
不思議とよく通った。
叫んでいるわけでもないのに。
耳のすぐ横で、囁かれているように。
「――三百年前のあの子は。
独りで来たわ。
仲間を里に置いて。
……健気でしょう?
誰も、巻き込みたくないって」
メフィラは、僕の後ろの八人を見渡した。
「――あなたは、ぞろぞろと連れてきたのね。
王女。
盾。
薬師。
鑑定士。
結界師。
影使い。
狼。
……それに」
紅い瞳が。
志賀の上で止まった。
「――私の器だった出来損ない」
志賀が誠さんの剣の柄を握った。
「――器じゃねえって、言ったろ」
「――ええ、聞いたわ」
メフィラは、楽しげに笑った。
「――だから、今度は。
出来損ないとして、ここで死になさい」
メフィラが。
細い指を一本。
前に向けた。
千の影の兵が。
一斉にこちらを向いた。
鎧の軋む音が。
地鳴りのように。
谷の闇を震わせた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
最初の一波は。
壁、だった。
影の兵が横一列に並んで。
盾を重ね合わせて。
押し寄せてきた。
黒い鉄の壁。
それが坂の幅、一杯に広がって。
僕たちを坂の下へ押し戻そうと迫ってくる。
「――剛ッ!」
「――おうッ!」
剛が前に出た。
金色に灯る盾を構えて。
両足を石畳に打ち込むように踏みしめて。
「――【不動】ッ!」
激突。
鉄と鉄が。
いや。
灯と闇が。
ぶつかり合う。
剛の盾が黒い壁の真ん中に食い込んだ。
金色の光が、影の兵の盾を焼く。
焼かれた盾が、煙を上げる。
けれど。
壁は、一枚ではなかった。
一列目の後ろに。
二列目。
三列目。
四列目。
千の重さが。
剛の盾、一枚にのしかかる。
剛の足が。
石畳を削りながら。
半歩。
後ろへずれた。
「――……ッ、重てえ……ッ!」
剛の腕の血管が浮き上がる。
歯が軋む。
額から汗が、滝のように流れ落ちる。
その背中を。
エレオノーラさんが、支えた。
「――独りで背負わないでくださいまし」
志賀が支えた。
「――……盾の後ろも、悪くねえな」
古賀が。
澪さんが。
三枝さんが。
桐生が。
シロガネが。
全員が剛の背中に手を当てた。
そして、僕が。
一番、後ろから。
全員の背中に、手を伸ばした。
灯が流れる。
僕からみんなへ。
みんなから剛へ。
九つの灯が。
一枚の盾に集まって。
剛の盾が。
太陽のように、輝いた。
「――難しいことは分からんが」
剛が吠えた。
「――今の俺は、九人分だあああッ!」
盾が。
押し返した。
黒い壁がたわむ。
一列目が崩れる。
二列目が押し倒される。
三列目、四列目が将棋倒しになって。
影の兵が。
坂の上へ。
雪崩を打って、転がり落ちていった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
壁が崩れたその隙間に。
エレオノーラさんが、躍り込んだ。
金色の剣が。
闇の中で弧を描く。
一閃。
影の兵の首が、三つ飛んだ。
飛んだ兜の中から、闇が噴き出して。
灯の光に焼かれて霧散する。
二閃。
剣を振り抜いた勢いのまま。
身体を回転させて。
背後から迫っていた二体を、まとめて薙ぐ。
金色の髪が。
光の尾を引いて舞う。
「――王女の剣は、守るための剣ですわ」
エレオノーラさんが、剣を構え直した。
「――ここにいる全員を。
守り抜くための」
その隣に。
志賀が並んだ。
誠さんの剣を抜いて。
スキルはない。
魔力もない。
あるのは半年間、毎日、振り続けた身体と。
胸の奥の分かたれた灯と。
そして。
三百年前の剣士が、遺した剣。
志賀が踏み込んだ。
影の兵の剣を受ける。
受け流す。
返す刀で胴を薙ぐ。
速くは、なかった。
魔剣士だった頃の、志賀の剣の方が、ずっと速かった。
ずっと派手だった。
けれど。
その剣は。
一度も、退かなかった。
斬られかけても。
押されても。
志賀は、半歩も下がらなかった。
エレオノーラさんの隣から。
「――……っ、志賀殿」
「――何すか、王女様」
「――あなたの剣。
ずいぶんと、真っ直ぐに、なりましたわね」
志賀は、答えなかった。
ただ、影の兵を一体、斬り伏せて。
小さく呟いた。
「――……誠さんの剣が、真っ直ぐなんすよ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
城壁の上から。
矢が降ってきた。
黒い矢。
影でできた矢。
雨のように。
いや。
夜がそのまま、降ってくるように。
「――け、【結界】ッ!」
三枝さんの結界が、頭上に広がった。
金色を帯びた青白い膜。
黒い矢がそれに突き刺さる。
突き刺さって。
焼かれて。
消える。
けれど、矢は止まない。
何百、何千と。
結界の表面を叩き続ける。
結界が軋む。
「――……っ、う……ッ!」
「――三枝」
桐生が三枝さんの背後に立った。
「――矢を射ってる奴らを潰してくる」
「――え、で、でも――」
「――今度は、迷わない」
桐生は、自分の掌の灯を見せた。
「――光があるからな。
……すぐ戻る」
桐生が影に沈んだ。
金色の点が。
闇の中を走る。
城壁の根元へ。
そして、壁を這い上がって。
城壁の上で。
影の兵の列の中に。
金色の光が閃いた。
一体、倒れる。
二体、倒れる。
弓を構えた影の兵たちが。
次々と城壁から転がり落ちていく。
矢の雨が。
少しずつ弱まっていく。
三枝さんが、城壁の上を見上げた。
金色の点が。
ちかちかと瞬きながら。
城壁の上を、駆け抜けていく。
「――……戻ってきて、くださいね」
三枝さんは、小さく呟いた。
結界を張り続けながら。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
戦いは続いた。
どれだけ倒しても。
影の兵は、門の扉から湧き出してきた。
あの、扉の顔の群れ。
その開いた、口の一つ一つから。
新しい影の兵が。
ずるり、ずるりと這い出してくるのだ。
「――門が兵を生んでますぞッ!」
古賀が叫んだ。
「――あの扉、全体が一つの魔具です!
扉を壊さない限り兵は無限に――」
「――……壊す」
澪さんが言った。
腰の袋から。
薬瓶を取り出す。
一本、二本、三本。
「――澪さん?」
「――薬師の戒律」
澪さんが僕を見た。
「――『薬は、人を生かすために』。
……あの扉の顔。
みんな生きてた人たち。
閉じ込められてる」
澪さんは、瓶の栓を抜いた。
中の液体が。
淡く光った。
「――解放する薬。
……生かすための薬」
澪さんが瓶を投げた。
一本目が扉に当たって砕けた。
光る液体が、扉の表面に飛び散る。
その飛沫が、触れた顔が。
歪んだ口が。
ゆっくりと。
閉じた。
苦悶に歪んでいた眉が。
ほどけた。
そして。
顔が扉から剥がれ落ちるように。
淡い光の粒になって。
闇の中へ昇っていった。
「――……眠らせる薬」
澪さんが呟いた。
「――ずっと叫んでたから。
……もう、眠っていい」
二本目。
三本目。
扉の顔が。
一つまた一つと。
光の粒になって昇っていく。
その分だけ。
影の兵の湧き出しが弱まっていく。
門の上で。
メフィラの顔から。
初めて笑みが消えた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「――……そう」
メフィラが呟いた。
「――雑兵では、足りないのね」
メフィラが。
両手を広げた。
その白い掌に。
黒い何かが集まっていく。
三つの黒い塊。
それが門の前の広場に落ちて。
ゆっくりと。
形を作っていく。
一つは。
岩のような、巨躯の獣。
一つは。
四本の腕を持つ剣士。
一つは。
狼の頭を持つ騎士。
僕は。
その三つの形を知っていた。
「――……グラズ」
「――ザハル」
「――……ヴォルグ」
かつて僕たちが戦った。
そして、倒した。
三人の魔将。
遥さんに温められた。
はぐれ者たち。
「――死んだ者の影を、使うのは得意なのよ」
メフィラが言った。
「――ドルマンも、ルーカスも、そうやって、使ってあげたでしょう?
この三匹も。
死んでなお、あの子のために、戦えるなら。
本望でしょうね」
三つの影が。
目を開いた。
その目は。
空洞だった。
意志も、記憶もない。
ただ、メフィラの命じるままに動く。
抜け殻。
グラズの影が咆哮した。
ザハルの影が、四本の剣を抜いた。
ヴォルグの影が、地を蹴った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
三つの影は。
強かった。
生前の魔将たちと同じ。
いや。
痛みも、恐れも迷いもない分。
生前よりも、残酷だった。
グラズの影の拳が。
剛の盾を叩く。
剛が三歩、吹き飛ばされる。
ザハルの影の四本の剣が。
エレオノーラさんと、志賀を同時に襲う。
二人がかりで受けても。
押される。
ヴォルグの影が。
シロガネに躍りかかる。
狼と狼の頭を持つ騎士。
銀と黒が。
闇の中でもつれ合う。
「――白峰氏ッ!」
古賀が叫んだ。
「――鑑定、しましたぞ!
あの三体、中身は空っぽです!
ただ、影の表面に。
ほんのかすかに。
……白峰氏の灯と、同じ、魔力の痕跡が残っています!」
僕は、はっとした。
遥さんの灯。
三人の魔将は。
遥さんに温められた。
遥さんの灯を、分けてもらって。
光のない谷で生きてきた。
その灯の残り火が。
まだ。
影のどこかに。
「――……覚えてるんだ」
僕は呟いた。
「――意志は、なくても。
記憶は、なくても。
灯は。
覚えてる」
僕は駆けた。
グラズの影の前へ。
剛を吹き飛ばした巨大な拳の前へ。
「――白峰ッ!」
剛の叫び。
グラズの影が。
拳を振り上げた。
僕は、止まらなかった。
止まらずに。
両腕を広げた。
剣も抜かずに。
盾も構えずに。
拳が。
落ちてきた。
その拳に。
僕は。
灯を差し出した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
拳が。
止まった。
僕の額のすぐ手前で。
金色の灯の光が。
グラズの影の拳を照らしていた。
いや。
照らしているのでは、なかった。
拳の内側から。
光が。
滲み出していた。
遥さんの灯の残り火が。
僕の灯に呼ばれて。
目を覚ましたのだ。
グラズの影の空洞の目に。
小さな光が灯った。
それは。
三百年前の光だった。
光のない谷の底で。
群れから追い出された一頭の魔獣が。
初めて温かいと感じた光。
『――……あったけえ』
声がした。
グラズの声だった。
影の中から。
遠い、遠いどこかから。
『――……ああ。
……このあったかさだ。
……あいつの灯と同じだ』
グラズの影が。
拳を下ろした。
そして。
ゆっくりと。
崩れていった。
黒い影がほどけて。
金色の光の粒になって。
『――……ありがとよ、灯の坊主。
……あいつを頼む』
光の粒が昇っていく。
闇の天井へ。
まるで夜空に、還っていく星のように。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ザハルの影にも。
ヴォルグの影にも。
僕は、灯を差し出した。
ザハルの影は。
四本の剣を、一本ずつ下ろして。
最後に深く頭を下げて。
光になった。
『――我が剣は、あの方のために。
……今度こそ、あの方を救える剣に委ねる』
ヴォルグの影は。
シロガネと、もつれ合ったまま。
灯の光を浴びて。
動きを止めた。
シロガネが。
ヴォルグの影の狼の頭に。
そっと鼻先を寄せた。
ヴォルグの影が。
目を閉じた。
『――……銀牙の狼よ。
……群れを持てたのだな。
……よかった』
そして。
光になった。
三つの光の柱が。
門の前の広場から。
闇の天井へ。
まっすぐに昇っていった。
その光に照らされて。
残っていた影の兵たちが。
次々と崩れていく。
まるで。
将が去ったことを知った兵のように。
広場が。
静かになった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
門の上で。
メフィラが、立ち尽くしていた。
紅い唇が。
震えていた。
「――……あの子の灯」
メフィラが呟いた。
「――あんな残り火が。
まだ残っていたというの。
三百年も。
あんなはぐれ者どもの中に」
僕は、門を見上げた。
「――灯は、奪えない」
僕は言った。
「――あなたが三人の影を奪っても。
遥さんが分けた灯だけは。
奪えなかった」
メフィラの目が。
僕を見た。
その目から。
何かが剥がれ落ちていくのが、分かった。
美しい女の仮面が。
「――……いいわ」
メフィラの声が。
変わった。
一人の女の声ではなく。
何百、何千という声が、重なり合ったような。
低く。
深く。
谷の底から、響いてくるような。
『――ならば教えてあげる。
灯の候補』
メフィラの黒いドレスが。
裂けた。
その裂け目から。
闇が溢れ出した。
『――私が何なのか』




