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【最終章突入】職業「勇者」って言われたのですが、一緒に転移した同級生いわく違うらしい ~正しい職業を知りたい今日この頃~  作者: 有馬 茶
第4部 ~星の神殿~ 開幕

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第72話「影の都」

第72話「影の都」



谷の底の街は、灰色の石でできていた。


九つの灯を掲げて。

僕たちは、崩れかけた門をくぐった。


門、と呼べるほどのものではなかった。

石を二本、立てて。

その上に一枚の平たい石を渡しただけの。

けれど、その平たい石には。

文字が刻まれていた。


『灯ノ里』


漢字だった。


「――……ともしびのさと」


古賀が読み上げた。

声がかすれていた。


「――日本語ですぞ。

これを刻んだのは――」


「――蒼さんだ」


志賀が言った。


「――字の癖が同じだ。

峠の窪みの、『材料がない』の字と」


確かにそうだった。

角ばった几帳面な線。

理系の学生が、ノートの隅に書くような。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆


街は静かだった。


石を積んだ低い家が、通りに沿って並んでいる。

三十軒か、四十軒か。

屋根は、ほとんどが崩れ落ちていた。

扉は朽ちて、なくなっていた。


けれど。

人が暮らしていた跡があった。


井戸。

石の竈。

壁に掘られた棚。

その棚の上に、並べられた素焼きの器。


そして。

どの家の入口の上にも。

小さな窪みがあった。


ランプを置くための窪み。


「――……この谷には光がない」


エレオノーラさんが、窪みに指を触れた。


「――それなのに、どの家にも、灯りを置く場所がある」


「――灯を分けてたんだ」


僕は言った。


自分でも、驚くほど確かな声で。


「――遥さんが。

この街の一軒、一軒に。

灯を分けて回ってたんだ」


古賀が窪みの一つを鑑定した。

そして、ゆっくりと頷いた。


「――……微かに残っていますぞ。

白峰氏の灯と同じ性質の魔力の痕跡が。

何百年も前のものですが」


三百年前。

光を喰うこの谷の底で。

遥さんは、家々に灯を分けていた。


自分の中の古き魔を抑えながら。

残ったわずかな灯を。

この街に住む誰かのために。


「――誰が住んでたんだ」


剛が言った。


その問いに答えたのは。

僕たちの誰でもなかった。


「――はぐれ者さ」


声は、通りの奥からした。


全員が振り返った。

剛が盾を構える。

エレオノーラさんが、剣に手をかける。


灯の光の縁に。

一つの小さな影が立っていた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆


老婆だった。


背が低く。

腰が曲がって。

灰色のぼろ布を、何枚も重ね着している。


その頭の両側から。

捻じれた小さな角が二本、生えていた。


魔族だった。


「――武器を下ろしな」


老婆は、杖にすがりながら言った。

しゃがれたけれど、不思議と柔らかい声だった。


「――こんな婆を、斬ったって、何の手柄にもなりゃしないよ。

それに」


老婆の白く濁った目が。

僕の掌の灯を見た。


「――その灯を持ってる者に、

牙を剥くほど、あたしは、恩知らずじゃない」


エレオノーラさんが、ゆっくりと、剣から手を離した。

剛も、盾を下ろした。


「――あなたは」


僕が聞いた。


「――オルガ。

この里の最後の住人さ。

……墓守、とも言うがね」


「――墓守」


「――ついておいで」


オルガさんは、くるりと背を向けた。

杖をつきながら、通りの奥へ歩き出す。


「――あんたたちに、会わせたい人たちがいる。

三百年、待ってた人たちだよ」


◆◆◆◆◆◆◆◆◆


通りの突き当たりに。

小さな丘があった。


丘、といっても。

谷の底のほんの少し、盛り上がった場所。

その上に。


墓が二つ並んでいた。


石の墓標。

丁寧に磨かれていた。

苔の一つも生えていない。

三百年、誰かがずっと、手入れをしてきたのだ。


その墓標に。

名前が刻まれていた。


『葛城誠 ここに眠る』


『椎名蒼 ここに眠る』


そして、二つの墓の間に。

もう一つ。

墓標のない小さな石が置かれていた。


その石には。

名前の代わりに。

一輪の花が刻まれていた。


「――……詩織さんの分」


三枝さんが呟いた。


「――亡骸は、ここにはないけれど。

……三人、一緒にいられるように」


オルガさんが頷いた。


「――あの方がそうしたのさ。

遥様が」


墓の前に。

花が供えられていた。


いや。

花ではなかった。


黒い石を。

花の形に削ったもの。

光のないこの谷では、本物の花は咲かない。

だから、誰かが。

石を一枚一枚、削って。

花びらを作って。


その黒い石の花は。

新しかった。


「――遥様は年に一度、ここへ来る」


オルガさんが言った。


「――詩織様が亡くなった日に。

魔王城から、たった一人で。

古き魔に身体を乗っ取られかけながら。

それでも、這うようにここへ来て。

花を一つ置いて。

歌を歌って。

……そして、帰っていく」


ノルデの村の子守唄。

玉座の足元の童謡。


その歌を。

遥さんは毎年、ここで歌っていたのだ。


三人の墓の前で。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆


オルガさんは、丘の上の平らな石に腰を下ろした。

そして、話し始めた。


三百年前のその後の話を。


「――黄昏の山で、灯を砕かれて。

詩織様を亡くして。

胸の空洞に、古き魔を抱えたまま。

遥様は、独りでこの谷に来た。

……そして、魔王になった。

古き魔を自分の中に閉じ込めて。

けれど、完全には閉じ込めきれずに。

谷は、夜に沈んだ」


オルガさんの声は、淡々としていた。

何度も、何度も、繰り返し、語られてきた物語のように。


「――誠様と蒼様は、遥様を追って谷に来た。

遥様を置いては、帰れないと言って。

魔王城のすぐ下に、この里を作った」


「――二人で」


「――最初は二人さ。

けれど、すぐに増えた」


オルガさんは、自分の角に触れた。


「――あたしみたいなはぐれ者が集まってきたのさ。

魔族の群れから追い出された者。

人間の街から追われた者。

どこにも、居場所がなかった者。

……光のない谷の底で遥様の灯だけが温かかった」


ザハル。

グラズ。

ヴォルグ。


魔将たちも、遥さんに、温められたはぐれ者だったと聞いた。

この里は。

その始まりの場所だったのだ。


「――誠様は、剣を教えてくれた。

光のない谷で、生き延びるための剣を。

蒼様は、文字を教えてくれた。

あんたたちの国の文字をね」


オルガさんは、門の方を振り返った。


「――『灯ノ里』。

あれは、蒼様が刻んだ。

あたしがまだ角の生えかけの子供だった頃さ」


僕は、息を呑んだ。


「――オルガさん、あなたは三百年――」


「――魔族は長生きなのさ」


オルガさんは、皺だらけの顔で笑った。


「――あたしは、あの二人に育てられた。

最後の一人になっちまったけどね」


◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「――二人は、方法を探し続けた」


オルガさんは続けた。


「――遥様を古き魔から解き放つ方法を。

蒼様は、昼も夜も書き物をして。

誠様は何度も、何度も、魔王城へ上っていった。

遥様に会いに。

遥様を連れ戻しに」


「――……戻ってこられたのですか」


エレオノーラさんが聞いた。


「――毎回、戻ってきたよ。

傷だらけでね。

遥様は、誠様を殺さなかった。

殺せなかったのさ。

古き魔がどれだけ命じても。

……けれど、連れ戻すこともできなかった」


オルガさんは、誠さんの墓標を撫でた。


「――誠様は七十を、過ぎるまで上り続けた。

最後に上った日。

戻ってきて、この丘で倒れて。

……あたしの膝の上で言ったよ。

『ごめん、蒼。

俺、あいつの隣に立てなかった』って」


志賀が。

ぎゅっと拳を握った。


「――蒼様はその後十年、生きた。

書き物を続けた。

最後の何年かは、目が見えなくなって。

それでも、手探りで書き続けた」


オルガさんは懐から。

古びた革の包みを取り出した。


「――これが蒼様の最後の書き物だよ」


震える手で、僕に差し出した。


「――王都の学院にある写しは。

蒼様が若い頃に、書いて、旅の商人に託したものさ。

こっちが本物の最後の分。

……読める者が、来るまで預かっておけと言われてね」


僕は、包みを受け取った。


開く。


中には。

数枚の紙があった。


ひどく乱れた字だった。

目が見えないまま、書いたのだろう。

行が重なり斜めに流れ。

ところどころ、読めなかった。


けれど。

一枚目の最初の数行だけは。

はっきりと読めた。


『次に来る誰かへ。


四つ目の誓約は、闇の中で見つけるものだと書いた。

僕は、ずっとそれが何なのか、分からなかった。

遥が見つけたのに、選べなかったと書いた。

それは正しい。

けれど、半分だけだ。


今、ようやく分かった。

目が見えなくなってようやく。


遥は見つけた。

けれど、それを選ぶには、一人では駄目だった。

四つ目の誓約は、一人では選べない。


僕たちは、遥の隣にいるべきだった。

黄昏の山で、遥を台座に縛ったあの夜に。

そして、この谷で遥が独りで神殿へ、降りていったあの時に。


次に来る誰か。

どうか、独りで神殿に入らないで。』


◆◆◆◆◆◆◆◆◆


誰も、何も言えなかった。


暗闇の中で。

九つの灯だけが揺れていた。


独りで神殿に入らないで。


三百年前。

黄昏の山で、灯を砕かれたその後に。

遥さんは、独りで星の神殿に入った。

誠さんと蒼さんをもう、巻き込みたくなかったのか。

勇者は、独りで背負うものだと思っていたのか。


そして、四つ目の誓約を見つけて。

けれど、選べなかった。


「――……オルガさん」


志賀が口を開いた。


「――誠さんの剣。

まだありますか」


オルガさんは、志賀を見た。


長い間。

濁った目で、志賀の顔を見つめて。


それから、立ち上がった。


「――ついておいで」


◆◆◆◆◆◆◆◆◆


里の一番、大きな家。

誠さんと蒼さんが暮らしていた家。


その奥の壁に。

一振りの剣が掛けられていた。


飾り気のない片刃の剣。

鍔は小さく。

柄は、布で巻かれている。

その布は、何度も、巻き直された跡があった。


日本刀に似ていた。

いや。

誠さんが記憶を頼りに、この世界の鍛冶屋に、打たせたのだろう。

少し反りが浅くて。

少し刃が厚い。


「――誠様は言っていたよ」


オルガさんが、剣を壁から外した。


「――『次にここへ来る奴の中に。

誰かの隣に、立ちたくて、立てなかった奴がいたら。

そいつに渡してくれ』って」


オルガさんは、剣を志賀に差し出した。


「――あんたの目は。

誠様が魔王城から、戻ってきた時の目と同じだよ」


志賀は。

しばらく動かなかった。


それから。

両手で。

その剣を受け取った。


重かったのだと思う。

志賀の腕が、わずかに沈んだ。


剣の重さではなく。

三百年分の何かの重さで。


「――……俺は職業、なしだ」


志賀が言った。


「――剣士でも、何でもねえ。

この剣を持つ資格なんて――」


「――誠様も、最後は剣士じゃなかったよ」


オルガさんが言った。


「――遥様の隣に、立てなかったと言ったあの日。

誠様の札の職業は消えていた。

戒律を破ったのさ。

『剣士は退かず』。

……誠様は、最後に遥様から退いた。

遥様を斬れなかったからね」


志賀の手が震えた。


「――それでも、誠様は、最後まで剣を握っていたよ。

職業がなくても。

札に何と書いてあっても。

……隣に立ちたい誰かがいる限りはね」


志賀は。

剣を胸に抱いた。


そして。

誠さんの墓の方角に向かって。

深く、深く頭を下げた。


「――……預かります」


声が震えていた。


「――あんたが立てなかった場所に。

俺が立ちます。

……白峰と一緒に」


◆◆◆◆◆◆◆◆◆


その夜。

僕たちは、灯ノ里の誠さんと、蒼さんの家で休んだ。


家々の入口の窪みに。

一つずつ灯を置いて回った。


三百年ぶりに。

里に灯りが戻った。


小さな金色の点が。

四十の家の入口に並んで。

闇の底にぽつり、ぽつりと浮かんでいる。


オルガさんは、丘の上から、それを見下ろしていた。


濁った目から。

涙がこぼれていた。


「――……遥様に見せてやりたいね」


僕は、オルガさんの隣に立った。


「――見せます」


オルガさんが、僕を見た。


「――遥さんをここに連れてきます。

誠さんと蒼さんと詩織さんのお墓の前に。

……今度は這ってじゃなくて。

自分の足で歩いて」


オルガさんは、何も言わなかった。

ただ、皺だらけの手で。

僕の手を握った。


その手は。

小さくて。

温かかった。


谷の上の方。

闇のさらに奥に。

魔王城の影が黒々と聳えていた。


その城門の前に。

無数の黒い何かが蠢いているのが。

遠くからでも分かった。


「――メフィラだよ」


オルガさんが言った。


「――あの女が城門を固めてる。

あんたたちが、来るのを待ってるのさ」


僕は、蒼さんの最後の手紙を胸にしまった。


独りで神殿に入らないで。


「――大丈夫です」


僕は言った。


「――僕は独りじゃ、ないので」






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