第57話「花菱莉愛の涙」
※今回は、花菱莉愛の視点でお届けします。
第57話「花菱莉愛の涙」
莉愛はね、ずっと選ばれたかったの。
小学校の学芸会で。
主役のお姫様の役をやりたかった。
でも、選ばれたのはクラスで一番、可愛い子だった。
莉愛は木の役だった。
舞台の端っこで、両手を広げて、ずっと突っ立ってるだけの。
中学校でも。
高校でも。
莉愛は、いつも二番目だった。
一番可愛い子の隣にいる二番目の子。
一番人気の子の友達の二番目の子。
だから。
大学に入って、サークルで、「姫」って呼ばれたとき。
嬉しかった。
本当に嬉しかった。
みんなが莉愛を見てくれる。
みんなが莉愛の名前を呼んでくれる。
莉愛が選ばれた。
――でも、本当は分かってたの。
サークルの男の子たちが、莉愛を、「姫」って呼ぶのは。
莉愛が好きだからじゃない。
莉愛がいつも笑ってて。
誰にでも優しくて。
都合がいいから。
本当の莉愛を、見てくれてる人なんて。
誰もいなかった。
だから、異世界に来て。
【魅了術師】って、出たとき。
莉愛、思ったの。
――これで本当に選ばれる。
魅了の力があれば。
誰でも、莉愛のこと、好きになってくれる。
誰でも、莉愛を選んでくれる。
王妃ルートかなーなんて、笑いながら。
本当は。
泣きたいくらい嬉しかったの。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
王城の小さな部屋の窓辺で。
莉愛は、灰の降る王都を、見下ろしていた。
両手首に銀色の枷。
細い鎖で繋がれた。
魅了を封じる枷。
もう、莉愛は。
誰の心も奪えない。
明日の朝。
莉愛は、王都を出ていく。
南の港町セイレンまで護送されて。
そこから船に乗って。
海の向こうのミレアっていう島国へ。
この国には。
もう、二度と。
戻ってこられない。
「……っ」
枷を嵌められた手を。
膝の上で握りしめた。
怖くはなかった。
ううん。
怖かった。
すごく。
でも。
それよりも。
――胸が痛かった。
昨夜。
燃える大広間で。
莉愛は見た。
白峰くんが。
燃え落ちる、硝子の燭台の下から。
莉愛を抱えて跳んだのを。
背中に硝子の破片を、いくつも刺されながら。
それから。
黒い甲冑の志賀くんと。
燃える壇の上で向かい合って。
剣を素手で掴んで。
――志賀。一人じゃ、ないよ。
その声が。
炎の中で。
聞こえた。
莉愛は。
殿下に手を引かれて、館の外へと逃げながら。
振り返って。
叫んだ。
――白峰くん、死なないで。
声は、届かなかったと思う。
でも。
叫ばずには、いられなかった。
「……なんで莉愛なんかを」
窓硝子に。
莉愛の顔が映っていた。
化粧もしてない。
髪も巻いてない。
灰色の麻の服を着た。
泣き腫らした目の。
サークルの「姫」でも。
侯爵家の次男の婚約者でもない。
ただの。
花菱莉愛の顔。
――同じゼミの仲間だから。
白峰くんは、そう言った。
――あなたは、白峰殿が隣に立つことを許した大切な人。
……ならばわたくしにとっても。
殿下はそう言った。
魅了なんか、使ってない。
使えない。
もう、莉愛には誰の心も奪えない。
なのに。
二人とも。
莉愛を。
選んでくれた。
「……っ、う……」
窓硝子の中の莉愛の顔が。
また歪んだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
部屋の扉が叩かれた。
「……花菱さん。入っても、いいかな」
白峰くんの声だった。
「……う、うん」
扉が開いた。
白峰くんが立っていた。
左手に白い包帯を何重にも巻いて。
その後ろに。
殿下と。
柚木さんと。
大河内くんと。
古賀くん。
それから。
三枝さん。
桐生くん。
宇佐美くん。
小田切くん。
――みんな。
莉愛は。
息を呑んだ。
「……な、なんで……」
「見送りに来たんだ。明日の朝は、早いって聞いたから」
白峰くんは、そう言って、少しだけ笑った。
「……ゼミのみんなで」
ゼミのみんな。
鑑定の儀の日。
王城の大聖堂で。
十五人で並んでいた。
あの日から。
半年。
――十五人はもう、いない。
志賀くんは、北へ連れていかれた。
堂島くんは、治療院の奥の部屋で、まだ目を覚まさない。
吉岡くんは、厨房で皿を洗ってる。
姫野ちゃんは、リンドールで、治療所のお手伝いをしてる。
美咲ちゃんと奏ちゃんは、今夜は王城の、
夜の仕込みと、酒場の歌で、来られないって。
それでも。
莉愛の狭い部屋に。
九人が。
ぎゅうぎゅうに並んでいた。
「……し、白峰、くん……」
「……うん」
「……な、なんでみんな……莉愛なんかの……」
「――『なんか』じゃ、ない」
三枝さんが。
一歩、前に出てきた。
淡い青色の結界師団のローブ。
小柄な体。
少しだけ伸びた髪。
半年前は。
いつも、背中を丸めて。
「ご、ごめんなさい」ばかり言ってた子。
その子が。
まっすぐに。
莉愛を見ていた。
「……は花菱さんは……ゼミの飲み会で、
いつも潰れた子の介抱、してくれてた……。
わ、私がお酒、飲めなくて困ってたとき……『陽菜ちゃん、
莉愛のジュースと、交換しよっか』って……こっそり、言ってくれた……」
三枝さんの目に。
涙が滲んでいた。
「……わ、私……ずっとお礼、言えてなかった……。あ、ありがとう……」
莉愛は。
何も言えなかった。
そんなこと。
覚えてない。
ううん。
覚えてた。
でも。
そんなこと、誰も見てないと思ってた。
「――難しいことは、分からんが」
大河内くんが。
包帯だらけの体で。
頭をかいた。
「……お前が堂島の介抱してたの俺も見てたぞ。
……俺が堂島をおぶって帰るとき。
お前、いつも堂島の荷物、持ってついてきてくれたろ。
……途中の自販機で水、買ってくれて」
「――論理的に言って」
宇佐美くんが。
ひびの入った眼鏡を、押し上げた。
インクで汚れた指で。
一冊の薄い、革表紙の本を、莉愛の前に差し出した。
「……ミレアの言葉の手引きだ。
……ヴェルダ様の書庫から書き写した。
……向こうで困らないように」
宇佐美くんの頬が。
少しだけ赤かった。
「……知識は、使う者がいて、初めて意味がある。
……オルド村で学んだんだ」
「――莉愛」
小田切くんが。
厩番の作業着のまま。
髪に藁くずを付けたまま。
ぶっきらぼうに言った。
「……オレさ。
職業、なしなんだよ。
……テイマー、剥奪されて。
今は、厩舎で馬の世話してる」
小田切くんは。
少しだけ照れくさそうに、目を逸らした。
「……でも、なんか、悪くないんだわ。
……職業がなくても。
一からやり直せるっつーか」
小田切くんは。
莉愛の枷を嵌められた手を。
ちらりと見た。
「……術師見習いなんだろ。
……オレよりマシじゃん。
……向こうで頑張れよ」
「――……花菱」
桐生くんが。
部屋の一番、隅の影の中で。
腕を組んで立っていた。
前髪を短く切ったその顔が。
少しだけ。
柔らかかった。
「……俺も、罪を犯した。
……王都の水門を開けた。
子どもたちを、危険に晒した」
桐生くんは。
三枝さんを。
ちらりと見た。
「……でも、待ってるって、言ってくれた奴がいた。
……だから、俺はここにいる」
桐生くんは。
莉愛を。
まっすぐに見た。
「……お前にも、いるだろ。……待ってる奴が」
莉愛は。
部屋の中の九人の顔を。
一人、一人。
見渡した。
白峰くん。
殿下。
柚木さん。
大河内くん。
古賀くん。
三枝さん。
桐生くん。
宇佐美くん。
小田切くん。
誰も。
莉愛を、「姫」とは呼ばなかった。
誰も。
莉愛に魅了されてなんか、いなかった。
それなのに。
みんな。
莉愛を。
見ていた。
本当の。
花菱莉愛を。
「……っ、う……うう……っ」
莉愛は。
枷を嵌められた両手で。
顔を覆った。
声を上げて。
泣いた。
子どものように。
学芸会で、木の役をやった日の帰り道みたいに。
声を上げて。
泣いた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
どれくらい泣いただろう。
莉愛の嗚咽が、少しずつ静まっていった頃。
「――花菱殿」
殿下が。
莉愛の前に、膝をついた。
「――一つだけ尋ねてもよろしいですか」
莉愛は。
涙で濡れた顔を上げた。
「――侯爵の城で。
あるいは、王都の侯爵邸で。
黒いヴェールの女――メフィラが、何を企んでいるのか。
……何か、聞いてはいませんか」
部屋の空気が。
少しだけ。
張り詰めた。
莉愛は。
しばらく。
考えた。
メフィラさんに、魅了されていた三か月。
頭の中に霧がかかったみたいで。
ほとんど、何も覚えていない。
でも。
「……一つだけ」
莉愛は。
枷を嵌められた手を。
膝の上で握りしめた。
「……一つだけ覚えてる。
……夜中に目が覚めたとき。
侯爵様のお城の地下から、声が聞こえて。
……メフィラさんと、侯爵様が話してた」
部屋の中の誰もが。
息を止めた。
「……メフィラさんが言ってたの。
『次の新月に、北の砦から、魔王軍が南へ下る』って。
……『その先頭には、黒き勇者を立てる』って」
白峰くんの顔が。
強張った。
「――黒き、勇者」
古賀くんが。
掠れた声で繰り返した。
「……志賀、だね」
莉愛は。
うなずいた。
「……それから。
メフィラさんが、こうも言ってた。
『四つ目の神殿は、あの方の城のその真下に、眠っている』って。
……『星の神殿』って」
「――星の神殿」
殿下の青い瞳が。
揺れた。
「……四神殿の最後の一つ」
「……それと」
莉愛の声が。
震えた。
一番、怖かった言葉。
魅了の霧の中でも。
はっきりと。
耳に残っていた言葉。
「……メフィラさんが、笑いながら、言ってたの」
――あの方が灯の候補の灯を喰らえば。
胸の空洞が埋まって。
古き魔があの方の中で、完全に目覚める。
――もし、あの方が最後の最後で、灯を喰らうことを拒んだら。
――そのときは、黒き勇者を、器にすればいい。
あの子の中に、古き魔を移し替えれば。
あの方は用済み。
「……『どちらに転んでも。この世界は、古き魔のものになる』って」
部屋の中が。
凍りついた。
誰も。
何も。
言えなかった。
白峰くんの包帯を巻いた左手が。
きつく。
握りしめられていた。
「……あの方、って」
柚木さんが。
小さく言った。
「……魔王、だよね。……結城、遥さん」
白峰くんが。
うなずいた。
「……メフィラは、遥さんの味方じゃなかったんだ。
……遥さんの中の古き魔を、目覚めさせようとしてる。
……そのために、遥さんも志賀も、道具として、使おうとしてる」
白峰くんの声が。
低く。
震えていた。
莉愛は。
白峰くんを見上げた。
「……白峰くん。……志賀くんを、助けてくれる……?」
白峰くんは。
莉愛を見下ろした。
それから。
しゃがみ込んで。
莉愛と目の高さを合わせた。
「……うん。約束する」
その瞬間。
白峰くんの胸のポケットから。
ふわりと。
温かい光が。
漏れた。
金色の。
小さな。
けれど、確かな。
「……志賀くん、ね」
莉愛は。
涙で濡れた顔で。
少しだけ。
笑った。
「……昔はああじゃ、なかったの。
……ゼミの最初の飲み会で。
莉愛が一人で、隅っこに座ってたとき。
『お前、こっち来いよ』って、輪の中に入れてくれたの」
莉愛は。
窓の外の。
北の空を。
見上げた。
「……莉愛のこと、『姫』じゃなくて。
『花菱』って、呼んでくれた、最初の男の子だったの」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
翌朝。
王都の南門の前に。
一台の小さな、幌馬車が止まっていた。
その周りを。
四人の騎士が囲んでいた。
南の港町セイレンまでの護送の騎士たち。
その幌馬車の荷台に。
莉愛は座っていた。
灰色の麻の服。
両手首の銀色の枷。
膝の上に。
宇佐美くんがくれた、ミレアの言葉の手引き。
南門の前に。
みんながいた。
昨夜の九人。
それから。
美咲ちゃんと奏ちゃんも。
「――莉愛ちゃん。これ、お弁当。ちゃんと毎日、三食、食べるのよ」
美咲ちゃんが、大きな竹の皮の包みを、莉愛の膝の上に置いた。
「……船の上は、揺れるから。酔い止めの、薬草も、入れておいたからね」
「――莉愛ちゃん」
奏ちゃんが。
竪琴を抱えて。
ふわりと笑った。
「――莉愛ちゃんの歌も、作るね。
……燃える舞踏会で、最後に本当のことを、言えた女の子の歌」
奏ちゃんは、竪琴の弦を一つ弾いた。
「――いいね、それ。歌になる」
莉愛は。
もう、泣かないって決めてた。
決めてたのに。
「……っ」
また。
涙が溢れてきた。
幌馬車が。
動き出した。
ゆっくりと。
南門をくぐって。
莉愛は。
荷台の上で。
振り返った。
南門の前で。
みんなが。
手を振っていた。
白峰くんが。
殿下が。
柚木さんが。
大河内くんが。
古賀くんが。
三枝さんが。
桐生くんが。
宇佐美くんが。
小田切くんが。
美咲ちゃんが。
奏ちゃんが。
それから。
南門の少し離れた城壁の陰に。
もう一人。
立っていた。
粗末な厨房の前掛けを着て。
両手を洗い物の水で、赤く濡らしたまま。
気まずそうに。
片手を上げて。
吉岡くん、だった。
「……ま、まあまあ……」
吉岡くんの唇が。
そう、動いた気がした。
「……莉愛、元気でな」
莉愛は。
笑った。
泣きながら。
笑った。
枷を嵌められた両手を。
大きく。
大きく。
振った。
「――みんなああああッ!」
莉愛の声が。
朝の南門に。
響き渡った。
「――ありがとおおおおッ!
莉愛のこと、見てくれて、ありがとおおおおッ!」
幌馬車が。
南の街道を。
遠ざかっていった。
南門のみんなの姿が。
少しずつ。
小さく。
なっていった。
それでも。
みんなは。
ずっと。
手を振り続けていた。
見えなくなるまで。
莉愛は。
荷台の上で。
膝を抱えた。
宇佐美くんがくれた、手引きを胸に抱きしめて。
美咲ちゃんがくれた、お弁当の温もりを、膝に感じて。
空を見上げた。
灰は。
もう、降っていなかった。
秋の。
澄んだ。
青い空。
「……選ばれたかった、んじゃ、なかったんだね」
莉愛は。
小さく。
つぶやいた。
「……莉愛は、ただ。……見てほしかっただけなんだね」
南の街道のその先に。
港町セイレンがある。
その先に海がある。
その先にミレアっていう、知らない島国がある。
術師見習いの花菱莉愛として。
一から。
――怖くない。
ううん。
怖い。
すごく。
でも。
「……大丈夫」
莉愛は。
胸の手引きを、ぎゅっと抱きしめた。
「……莉愛には、待ってる人がいるもん」
幌馬車が。
南の街道を。
ゆっくりと。
進んでいった。
秋の青い空の下を。




