第55話「二人の勇者」
第55話「二人の勇者」
炎が呼吸をしていた。
燃え上がる大広間のその天井で。
炎は、吸っては吐き。
吐いては、吸い。
そのたびに壇の上の二つの影を赤く、
照らし出しては、また、闇の中へと沈めていた。
燃え落ちていく双頭の鷲の肖像画。
その金の額縁が熱で歪み、溶け、
金色の雫となって、壁を伝い落ちていった。
砕け散った、硝子の燭台の破片が。
大理石の床の上で。
炎を映して。
何万もの小さな、赤い星のように、瞬いていた。
その赤い星の海の真ん中で。
僕と志賀が。
向かい合っていた。
志賀の黒い剣が。
炎の光を呑み込んで。
黒く。
鈍く。
光っていた。
いや。
光っていたのでは、なかった。
剣の刃の周りに。
黒い炎が。
揺らめいていた。
赤い炎とは、違った。
光を放たない。
むしろ、周りの光を、吸い込んで喰らうような。
冷たい黒い炎。
――古き魔の黒い霧と同じ。
黄昏の神殿で、見た。
三百年前に、遥さんを呑み込んだ。
「――行くぞ、委員長」
志賀の声が。
炎の唸りの中に、響いた。
「――半年前の訓練場とは、違うぜ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
志賀が消えた。
いや。
消えたのでは、なかった。
速すぎて。
目が追いつかなかった。
半年前の決闘のときも。
志賀は、速かった。
けれど、今の志賀は。
あのときとは、比べものに、ならなかった。
黒い炎の尾が。
赤い星の海の上に。
一筋の闇の線を、描いて。
僕の懐に。
黒い剣が。
下から斜めに跳ね上がってきた。
――受けるな。
体が叫んだ。
流した。
アルベルトさんの鋼の剣の刃の上を。
黒い剣が滑っていった。
その瞬間。
剣が。
凍った。
いや。
凍ったのでは、なかった。
黒い炎が。
鋼の剣の刃に。
燃え移っていた。
冷たい。
焼けるように、冷たい。
刃から。
柄へ。
柄から指へ。
指から腕へ。
黒い炎が。
這い上がってきた。
体の中の温かいものが。
奪われていく。
黒蛇の呪印に、触れたときと同じ。
いや。
それよりも、ずっと。
深く。
冷たく。
「――ッ!」
剣を振り払った。
黒い炎が。
刃から剥がれて。
宙に散った。
けれど。
指先が。
痺れていた。
腕が。
重かった。
胸のポケットの職業札が。
熱を失いかけていた。
堂島の拳を、受け止めたときに。
仲間たちの灯を、使い果たしていた。
「――どうした委員長」
志賀が。
三歩、下がった。
黒い剣を肩に担いだ。
「――灯の候補サマの、金色の光は、どうしたよ」
志賀の唇が。
歪んだ。
「――仲間がいないと、何もできねえのか?
……そうだろうな。
お前は、昔からそうだった。
一人じゃ、何もできない。
いつも、誰かに頼って。
誰かに助けてもらって」
志賀の黒い炎が。
さらに。
大きく燃え上がった。
「――俺は、違う。俺は一人でも強い」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
二合目。
黒い剣が。
上から。
振り下ろされた。
受けた。
流しきれなかった。
黒い炎が。
また刃に燃え移った。
冷たい。
腕が。
肩まで。
痺れた。
三合目。
横から。
薙がれた。
跳んだ。
黒い刃が足の下を通り過ぎていった。
赤い星の海の上に。
黒い炎の線が、刻まれた。
大理石が。
凍りついたように。
白く。
罅割れていった。
着地。
その着地の瞬間を。
狙われた。
四合目。
黒い剣の柄が。
僕の鳩尾に。
叩き込まれた。
息が。
止まった。
体が後ろへと。
弾き飛ばされた。
燃える壇の上を。
転がった。
背中の硝子の破片が。
さらに深く。
肉に食い込んだ。
「――白峰殿ッ!」
エレオノーラさんの声。
壇の下の炎の向こうから。
「――来ないでッ!」
叫んだ。
起き上がりながら。
「――エレオノーラさんは、花菱さんをッ! 外へッ!」
一瞬の沈黙。
それから。
「――……承知、しました」
震える声。
エレオノーラさんが。
壇の奥で泣きじゃくっていた、花菱さんの、腕を掴んだ。
炎の中を。
館の外へと。
引きずるように。
連れ出していった。
花菱さんが。
一度だけ。
振り返った。
燃える壇の上の。
僕と志賀を。
見て。
その唇が。
何かを。
叫んでいた。
炎の唸りに、かき消されて。
聞こえなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
立ち上がった。
剣を。
構え直した。
親指は、ここ。
小指で締める。
指が。
震えていた。
「――まだ立つのか」
志賀が。
黒い剣を下ろした。
その目が。
暗く。
燃えていた。
けれど。
その奥に。
何か。
揺れていた。
「――半年前と同じだな。
何回、倒されても。
何回、倒されても。
……立ち上がって」
志賀の声が。
低くなった。
「――あのときも、そうだった。
お前が何回も立ち上がるから。
……訓練場の連中が。
城下の連中が。
みんなお前を応援し始めた」
志賀の黒い剣を握る手が。
震えていた。
「――勝ったのは、俺なのに。誰も、俺を見なかった」
「……志賀」
「――今夜は、違う」
志賀が。
剣を構えた。
黒い炎が。
これまでで一番。
大きく。
燃え上がった。
志賀の顔の黒い筋が。
脈打つように。
蠢いていた。
「――今夜は。
誰も、お前を応援しない。
お前の仲間は、みんな外だ。
……灯は、灯らない」
志賀の暗い目が。
まっすぐに。
僕を見ていた。
「――今夜こそ。俺が、本物だ」
志賀が。
跳んだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
――誰も、応援しない。
――灯は、灯らない。
そうだろうか。
黒い剣が。
迫ってきた。
黒い炎の尾を引いて。
――灯は、独りでは燃えず。
暁の神殿の石版の言葉。
――真実を分かち合え。
潮の神殿の石版の言葉。
――灯は、奪えず。ただ分かつのみ。
黄昏の神殿の石版の言葉。
三つの誓約。
今。
この燃える大広間の壇の上に。
僕の隣には。
誰も、いなかった。
けれど。
――独りでは、燃えず。
その言葉は。
隣に誰かがいなければ、燃えない、という意味だったのだろうか。
違う。
峠道で。
円になって。
灯を巡らせたとき。
僕の灯は。
僕からみんなへと流れていった。
みんなから、僕へと戻ってきた。
灯は。
誰かからもらうだけのものでは、なかった。
分かち合うものだった。
――なら。
今。
僕の目の前に。
一人だけ。
いた。
黒い炎を纏って。
黒い剣を振り上げて。
一人でも、強いと叫んで。
誰も、自分を見てくれないと泣いている。
志賀が。
「――志賀ッ!」
剣を。
構えなかった。
黒い剣が。
目の前に。
迫っていた。
その黒い剣を。
――左手で。
掴んだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
黒い炎が。
手のひらを。
焼いた。
冷たい。
焼けるように。
骨まで。
凍りつくように。
左手の黒蛇の短剣の傷が。
包帯の下で。
裂けた。
血が。
黒い刃を伝って。
滴り落ちた。
けれど。
離さなかった。
志賀の黒い剣を。
左手で。
握りしめたまま。
志賀の暗い目が。
すぐ目の前にあった。
大きく。
見開かれていた。
「……な……にを……」
「――志賀」
胸のポケットが。
灯った。
ほんの小さく。
金色の種火のような。
半年前に防具磨きをしていたとき。
トマスくんの言葉で、初めて灯った、あの、針の先ほどの光。
その光が。
僕の左手から。
黒い剣の刃へと。
流れていった。
「――ッ!」
志賀の体が。
硬直した。
金色の小さな光が。
黒い剣の刃の上を。
黒い炎の只中を。
這うように。
進んでいった。
刃から。
柄へ。
柄から。
志賀の手へ。
「――や、め……ろ……ッ!」
志賀の黒い炎が。
金色の光を、呑み込もうと。
渦を巻いた。
けれど。
金色の光は。
消えなかった。
小さく。
弱く。
今にも、消えてしまいそうに。
それでも。
志賀の手の中へと。
――灯は、奪えず。ただ分かつのみ。
「――志賀。……一人じゃ、ないよ」
金色の光が。
志賀の指に。
触れた。
その瞬間。
志賀の目から。
涙が。
溢れ出した。
黒い炎が。
揺らいだ。
志賀の顔の黒い筋が。
ほんのわずかに。
薄くなった。
「……なん……で……」
志賀の声が。
震えていた。
もう一つの誰かの声が。
剥がれ落ちて。
志賀自身の声だけが。
そこにあった。
「……なんで……お前は……いつも……」
「――志賀は、僕を嫌いかもしれない」
僕は。
黒い剣を握りしめたまま。
言った。
「――でも、僕は志賀のこと嫌いじゃない。
……ゼミの企画を、一番たくさん、出してくれたのは、志賀だった。
合宿の場所を、見つけてきてくれたのも、志賀だった。
桐生を助けたのも。
……全部、本当のことだ」
志賀の涙が。
黒い甲冑の胸の上に。
落ちた。
「――志賀の札の、括弧の中。一緒に見よう」
志賀の腰の。
黒い職業札が。
その瞬間。
金色の光が、触れたその衝撃で。
甲冑の留め具から。
外れて。
落ちた。
大理石の床の上に。
赤い星の海の上に。
からん、と。
乾いた音を立てて。
表を上にして。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
炎が。
札を。
照らしていた。
黒い札。
完全に黒く塗り潰された札。
その黒の表面に。
黒よりも、さらに深い闇の色で。
浮かび上がった文字。
【職業:勇者(偽)】
もう。
誰の親指も。
その括弧を。
隠していなかった。
志賀が。
その文字を。
見下ろしていた。
黒い剣を握る手から。
力が。
抜けていった。
僕は。
志賀の黒い剣から。
左手を離した。
手のひらが。
黒く。
焼け爛れていた。
志賀の黒い剣が。
その手から。
滑り落ちた。
床の上で。
黒い炎が。
消えた。
「……偽……」
志賀の唇から。
掠れた声が、漏れた。
「……偽……物……」
志賀の膝が。
崩れた。
赤い星の海の上に。
両膝をついた。
黒い札を。
両手で。
拾い上げた。
震える指で。
その括弧の中の二文字を。
なぞった。
何度も。
何度も。
まるで。
擦れば、消えると信じているかのように。
「……違う……」
志賀の声が。
嗚咽に変わった。
「……違う……違う……俺は……勇者だ……本物の……勇者なんだ……」
「……志賀」
僕は。
志賀の前に。
膝をついた。
焼け爛れた左手で。
志賀の震える肩に。
そっと。
触れた。
「……偽物、でも、いいんだよ」
志賀の肩が。
びくりと。
跳ねた。
「……僕だって候補だ。
本物かどうか、分からない。
……でも、本物か、偽物かなんて、本当はどうでもいいんだと思う」
志賀が。
顔を上げた。
涙と。
煤と。
黒い筋で。
ぐしゃぐしゃになった顔。
「……本物か、偽物かじゃなくて。
誰かの隣に、立てるかどうか、なんだと思う。
……桐生の隣に立った、高校の頃の志賀は。
ちゃんと本物だったよ」
志賀の目が。
大きく。
見開かれた。
その涙で濡れた目の奥で。
何かが。
光った。
ほんの小さく。
金色の。
種火のような。
――灯。
「……白……峰……」
志賀の唇が。
震えた。
初めて。
「委員長」でも、「エセ勇者」でもなく。
僕の名前を。
呼んだ。
「……俺……」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「――あら、あら」
甘い声が。
炎の奥から。
響いた。
その瞬間。
志賀の目の奥の小さな金色の光が。
――消えた。
黒い霧が。
床から。
壁から。
燃える天井から。
滲み出してきた。
燃える大広間のすべての影が。
黒く。
濃く。
蠢き始めた。
壇の奥の炎の帳を割って。
黒いヴェールの女が。
ゆっくりと。
歩み出てきた。
その背後に。
二つの影が、従っていた。
ドルマン侯爵と。
その息子、ルーカス。
二人とも。
とろんと濁った目で。
人形のように。
メフィラの後ろを、歩いていた。
「――駄目よ、灯の候補」
メフィラの赤い唇が。
艶やかに。
弧を描いた。
「――その器は、わたくしのもの。
……せっかくここまで熟れさせたのに。
今さら、灯なんかで、温められては困るわ」
メフィラの白い指先が。
宙で。
弧を描いた。
黒い霧が。
志賀の体を。
包み込んだ。
「――ッ! や、め……ッ!」
志賀が。
叫んだ。
黒い霧が。
志賀の口の中へ。
鼻の中へ。
目の中へ。
流れ込んでいった。
志賀の顔の黒い筋が。
一気に。
濃くなった。
頬を。
額を。
首を。
蜘蛛の巣のように。
覆い尽くしていった。
「――志賀ッ!」
志賀の肩を、掴んでいた左手に。
力を込めた。
胸のポケットが。
燃え上がろうとした。
けれど。
黒い霧が。
僕の左手にも。
絡みついてきた。
冷たい。
重い。
灯が。
押し潰されていく。
「――無駄よ、灯の候補」
メフィラの声が。
耳元で。
囁いた。
いつの間にか。
メフィラが。
僕のすぐ隣に。
立っていた。
甘い花の香り。
その奥の。
古い墓の土の匂い。
「――今のあなたの灯は、種火ほどもない。
仲間の灯を、使い果たして。
……そんな小さな火で。
古き魔の霧を、払えるとでも?」
メフィラの赤い瞳が。
ヴェールの奥で。
僕を見下ろしていた。
「――あなたの灯は、いずれ、あの方がいただくわ。
北の果ての魔王城でね。
……でも、今夜はこの器だけで十分」
黒い霧が。
渦を巻いた。
志賀と。
ドルマン侯爵と。
ルーカスと。
そして、メフィラ自身を。
包み込んでいった。
床の上の影が。
口を開けた。
深い。
深い。
底のない闇の穴。
その穴の中へと。
四つの影が。
沈んでいった。
「――志賀ッ!」
志賀の肩を、掴んだ左手が。
黒い霧に引き剥がされそうになった。
離さなかった。
志賀の黒い筋に覆われた顔が。
闇の穴の中へと、沈んでいく。
その黒く塗り潰されていく目の。
最後の、最後に。
一筋。
涙が。
流れた。
志賀の唇が。
動いた。
声は。
出なかった。
けれど。
その唇の形が。
はっきりと。
見えた。
――たすけて。
志賀の体が。
闇の穴の中に。
完全に。
沈んだ。
僕の左手の中に。
志賀の肩の感触だけが。
残っていた。
闇の穴が。
閉じた。
床の上には。
ただ。
赤い星の海だけが。
炎を映して。
瞬いていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「――白峰殿ッ! 天井が崩れますッ!」
エレオノーラさんの声。
燃える天井の太い梁が。
軋んでいた。
「――坊主ッ! 出ろッ!」
ガルドさんの声。
僕は。
立ち上がれなかった。
赤い星の海の上に。
膝をついたまま。
志賀が沈んでいった床の上を。
見つめていた。
左手の焼け爛れた手のひらを。
見下ろしていた。
――たすけて。
桐生の手紙に、書かれていた言葉。
花菱さんの、唇が動いた言葉。
そして。
志賀の。
「――陽翔ッ!」
大きな手が。
僕の腕を掴んだ。
剛、だった。
血まみれの顔で。
砕けた銀の鎧で。
それでも。
僕の腕を掴んで。
引きずり起こした。
「――今は、出るぞッ! 志賀のことは、後だッ!」
剛の声が。
震えていた。
「――難しいことは分からんがッ!
お前がここで、死んだら、志賀を助けに行けねえだろうがッ!」
剛に引きずられるようにして。
燃える壇を、降りた。
崩れた床の穴を、跳び越えた。
燃えるカーテンの、脇をすり抜けた。
背後で。
燃える天井が。
轟音とともに。
崩れ落ちた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
館の外の前庭。
満月が。
赤銅色から。
少しずつ。
銀色へと戻り始めていた。
その月の下で。
ドルマン侯爵の館が。
燃えていた。
灰色の石の壁のすべての窓から。
炎が。
竜のように。
噴き出していた。
屋根の上の双頭の鷲の旗が。
炎に呑まれて。
黒い灰となって。
夜空に散っていった。
前庭の芝の上に。
逃げ延びた貴族たちが。
へたり込んでいた。
煤にまみれて。
震えて。
燃える館を、見上げていた。
誰も。
何も。
言わなかった。
僕は。
前庭の端の石垣に、背中を預けて。
座り込んでいた。
澪さんが。
僕の左手を、両手で包み込んでいた。
焼け爛れた手のひらに。
冷たい軟膏を塗っていた。
その手が。
ひどく。
震えていた。
「……何で剣を素手で掴むの」
澪さんの声が。
掠れていた。
「……灯がなかったから」
「……ばか」
「……でも、届いたんだ」
僕は。
燃える館を、見上げた。
「……一瞬だけ。志賀の目の中に、灯が灯った」
澪さんの手が。
止まった。
「……『たすけて』って、言ってた」
澪さんは。
何も、言わなかった。
ただ。
僕の焼け爛れた手のひらを。
そっと。
自分の頬に。
押し当てた。
冷たくて。
柔らかくて。
濡れていた。
前庭の反対側で。
エレオノーラさんが。
花菱さんの隣に、膝をついていた。
純白のドレスは。
煤と灰で黒く汚れていた。
銀の冠は、どこかに落としていた。
花菱さんは。
膝を抱えて。
燃える館を、見上げたまま。
声もなく。
泣いていた。
エレオノーラさんは。
何も言わずに。
花菱さんの震える肩に。
自分の外套を。
そっと。
かけていた。
前庭の中ほどに。
鎖で縛られた巨体が。
横たわっていた。
堂島。
ヴェルダさんの紫色の光と。
三枝さんの青い結界に。
包まれたまま。
虚ろな目で。
夜空を見上げていた。
その脇に。
剛が。
血まみれの顔で。
座り込んでいた。
堂島の鎖に縛られた大きな手を。
自分の大きな手で。
握っていた。
「……帰ってこい堂島」
剛の掠れた声が。
夜風の中に。
小さく。
響いていた。
「……壁は、ここにいるぞ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
満月が。
完全に。
銀色に戻っていた。
冷たく。
白く。
燃え落ちていく、双頭の鷲の館を。
照らしていた。
僕は。
北の空を。
見上げた。
その遥か、遥か、彼方に。
魔王城がある。
三百年、一人で泣き続けている遥さんがいる。
そして、今夜。
志賀が。
そこへ。
連れていかれた。
胸のポケットから。
職業札を。
取り出した。
炎の紋様は。
ほとんど、灰色に戻っていた。
ただ、その芯に。
針の先ほどの。
金色の種火が。
かろうじて。
灯っていた。
半年前の。
あの日のように。
――たすけて。
「……約束する」
声に出していた。
燃える館に、向かって。
北の空に向かって。
「……桐生にも、約束した。
志賀を止めるって。
……蒼さんにも、約束した。
遥さんを助けるって」
左手の焼け爛れた手のひらを。
握りしめた。
痛かった。
「……志賀も。遥さんも。……必ず、助ける」
胸のポケットの、職業札の針の先ほどの種火が。
ほんのわずかに。
大きくなった。




