第54話「燃える舞踏会」
大理石が、花のように、咲いた。
白い床の、その中央が。
内側から、押し上げられて。
放射状に、ひび割れて。
ひびの一本一本が、光の筋のように、大広間の四方へと、走っていった。
その、ひびの中心から。
白い大理石の破片が、花びらのように、天へと、舞い上がった。
そして。
その、白い花の、真ん中から。
赤銅色の、腕が。
突き出してきた。
オーガの、腕。
丸太のように太い、その腕が。
床の縁を、掴んだ。
指が、大理石に、食い込んだ。
大理石が、粉々に、砕けた。
腕に、続いて。
頭が。
肩が。
胴が。
一体の、オーガが。
床の、穴の中から。
大広間へと。
這い上がってきた。
二体目。
三体目。
穴が、広がった。
床が、崩れ落ちた。
その下の、暗い、地下牢の、闇の中から。
赤い目が。
何十も。
何百も。
蠢いていた。
ホブゴブリン。
灰色ゴブリン。
黒い、狼の群れ。
檻から解き放たれた、五十の魔物が。
光の海の、大広間へと。
雪崩のように。
溢れ出してきた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
悲鳴が。
大広間を、埋め尽くした。
絹と、宝石と、香水の、何百もの貴族たちが。
一斉に。
逃げ惑った。
ドレスの裾を、踏みつけて、転ぶ者。
人を、押しのけて、出口へと、殺到する者。
腰を抜かして、床に、へたり込む者。
楽団の楽器が、床に、叩きつけられて、砕けた。
銀の盆が、宙を舞った。
葡萄酒の杯が、割れて、赤い液体が、白い大理石の上に、血のように、広がった。
一体のオーガが。
逃げ遅れた、太った貴族の、その頭上に。
棍棒を。
振り上げた。
太った貴族は。
床に、尻餅をついて。
動けなかった。
さっきまで。
「魔女を、捕らえよ」と。
誰よりも、大きな声で、叫んでいた男だった。
「――【城壁】ッ!」
青い光が。
大広間に。
爆ぜた。
剛が。
太った貴族の、前に。
盾を、突き立てていた。
オーガの棍棒が。
青い光の壁に。
叩きつけられた。
轟音。
青い光の破片が。
燭台の、何千本もの蝋燭の光を、受けて。
七色に、散った。
太った貴族が。
呆然と。
剛の、銀の背中を、見上げていた。
「――ぼ、ぼさっとしてんじゃねえッ!」
剛が、叫んだ。
「――立てッ! 出口は、あっちだッ! 走れッ!」
太った貴族は。
這うようにして。
出口へと、逃げていった。
剛は。
振り返らなかった。
ただ。
盾を、握り直した。
青い光の壁が。
左右に。
大きく。
伸びていった。
大広間の、中央の、崩れた床の穴と。
出口へと逃げ惑う、貴族たちの、間に。
一枚の、長い、青い、光の壁が。
立ち上がった。
「――難しいことは、分からんがッ!」
剛の声が。
大広間の、悲鳴の嵐を、突き抜けた。
「――さっきまで、殿下を、魔女呼ばわりしてた連中だろうが、何だろうがッ!
壁の後ろにいる奴は、全員、守るッ!
それが、壁だッ!」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
エレオノーラさんが。
白いドレスの、襞の中から。
細身の剣を。
抜いた。
燭台の光が。
その刃に、走った。
「――白峰殿ッ! 右の、狼の群れをッ!」
「――はいッ!」
僕も。
アルベルトさんの鋼の剣を、抜いた。
夜会に、剣は、持ち込めなかった。
けれど、剛の盾の裏に、革紐で、括りつけてあった。
ガルドさんの、知恵だった。
「罠ごと、食い破る準備をな」と。
黒い狼の群れが。
大広間の、右の壁際を、回り込んで。
青い壁の、端を。
越えようとしていた。
十頭。
先頭の一頭が。
跳んだ。
その喉元に。
剣を、流した。
二頭目。
三頭目。
狼の牙が。
礼服の、袖を、裂いた。
爪が、頬を、かすめた。
構わなかった。
――剣は、守るために振れ。
青い壁の、向こうに。
逃げ惑う、何百もの、貴族たちが、いた。
さっきまで。
エレオノーラさんを、魔女と、罵った人たち。
僕を、「候補の」と、嘲笑った人たち。
それでも。
その人たちの、中に。
母親の、ドレスの裾に、しがみついて、泣いている、小さな女の子が、いた。
老いた父親の、肩を、支えて、必死に、出口へと、歩く、若い男が、いた。
守らない、理由は。
どこにも、なかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大広間の、入り口で。
三枝さんが、両手を、掲げていた。
「――け、【結界】……ッ!」
青い光の膜が。
入り口の、大きな扉を、覆っていた。
扉の外へと、逃げ出していく、貴族たち。
その、最後尾に。
黒い狼が、一頭、追いすがっていた。
狼が。
青い膜に、激突した。
弾き返された。
「――こ、ここから先は、通さない……ッ!」
三枝さんの声が。
震えていた。
けれど、その両手は。
一度も。
下がらなかった。
その、三枝さんの、背後の、影から。
黒い外套の、細身の影が。
滲み出した。
桐生。
その手の、黒い短剣が。
三枝さんの背後に、回り込もうとしていた、灰色ゴブリンの、喉元を。
音もなく。
断った。
「――背中は、俺が、守る」
桐生が、低く、言った。
「――お前は、前だけ、見てろ」
三枝さんの、頬が。
こんな時なのに。
少しだけ、赤く、なった。
「――う、うん……ッ!」
青い膜が。
一回り。
厚く、なった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大広間の、崩れた床の、縁で。
澪さんが。
淡い、水色のドレスの裾を、引き裂いていた。
裂いた布で。
倒れた貴族の、脚の傷を、縛っていた。
オーガの棍棒に、薙ぎ払われて、骨が、折れていた。
「――大丈夫。助かります。動かないで」
澪さんの声は。
悲鳴の嵐の中でも。
静かに。
はっきりと。
響いていた。
その、澪さんの、背後に。
一体の、ホブゴブリンが。
迫っていた。
棍棒を、振り上げて。
「――柚木さんッ!」
叫んだ。
間に合わない。
狼の群れの、真ん中にいる僕には。
ホブゴブリンの棍棒が。
振り下ろされた。
その、瞬間。
大広間の、窓硝子が。
外側から。
砕け散った。
硝子の破片が。
燭台の光を受けて。
雪のように。
舞い散った。
その、硝子の雪の、中を。
銀色の影が。
飛び込んできた。
シロガネ、だった。
館の外の、王家の馬車の中で、待っていたシロガネが。
大広間の悲鳴を、聞きつけて。
窓を、突き破って。
銀色の体が。
宙を舞って。
ホブゴブリンの、棍棒を握る腕に。
牙を、立てた。
棍棒が。
澪さんの、頭上の、一寸手前で。
止まった。
シロガネが。
ホブゴブリンの腕に、牙を立てたまま。
低く、唸った。
――わたしの、薬師に、触るな。
声ではなかった。
けれど、そう、聞こえた気がした。
ホブゴブリンが。
悲鳴を上げて。
棍棒を、取り落とした。
澪さんが。
振り返った。
シロガネを、見た。
「……シロガネ」
澪さんの、目が。
潤んでいた。
「……ありがと」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大広間の、外から。
角笛が、鳴り響いた。
「――アルセリア王国騎士団、突入ッ!」
ガルドさんの声、だった。
館の、正面の扉が。
内側へと、蹴破られた。
銀の甲冑の、騎士たちが。
雪崩のように。
大広間へと、なだれ込んできた。
その先頭に。
傷だらけの顔の、岩のような巨躯。
大剣を、肩に、担いで。
その隣に。
そばかすの顔の、正騎士。
トマスくん。
そして、その後ろに。
紫色の、魔術師のローブを纏った、小柄な老婆。
杖を、掲げて。
「――宮廷魔術師団、結界を、張れッ! 貴族どもを、外へ、逃がしなッ!」
ヴェルダさんの、しわがれた声が。
大広間に、響き渡った。
騎士たちが。
魔物の群れへと、斬り込んでいった。
魔術師たちの、青い結界が。
逃げ惑う貴族たちを、包み込んで。
館の外へと、導いていった。
――罠ごと、食い破る。
ガルドさんの、言葉どおりに。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
そのとき。
大広間の、壇の、上で。
咆哮が、上がった。
魔物の、咆哮では、なかった。
人の。
いや。
人であった、何かの。
「――あ、あ、あああああああああああッ!」
堂島、だった。
壇の上で。
両手で、頭を、抱えていた。
膨れ上がった筋肉が。
皮膚の下で。
狂ったように、蠢いていた。
その、赤く濁った目から。
血の涙が。
流れていた。
「――し、志賀……さん……ッ! あ、頭が……ッ! 頭が、割れ……ッ!」
堂島の、背後に。
メフィラが、立っていた。
その、白い指先が。
堂島の、後頭部に。
そっと。
触れていた。
「――可哀想な、子」
メフィラの、赤い唇が。
艶やかに。
弧を、描いた。
「――ずっと、狂化が、解けなくて。苦しかったでしょう?
……でも、もう、大丈夫。全部、解き放って、あげる」
メフィラの、指先から。
黒い霧が。
堂島の、頭の中へと。
流れ込んでいった。
堂島の体が。
弓のように。
反り返った。
膨れ上がっていた筋肉が。
さらに。
さらに。
膨れ上がった。
狂戦士の、赤い光が。
堂島の、全身から。
炎のように。
噴き出した。
その、赤い光の、中に。
黒い、霧が。
混じっていた。
「――オ、オオ、オオオオオオオオッ!」
堂島が。
吠えた。
もう、人の声では、なかった。
堂島の、赤く濁った目が。
大広間を、見渡した。
魔物も。
騎士も。
逃げ惑う貴族も。
すべて。
区別なく。
ただの。
獲物として。
堂島が。
壇から。
跳んだ。
その巨体が。
大広間の、中空を、飛んで。
剛の、青い光の壁の、その真上へと。
――落ちてきた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「――剛ッ!」
剛が。
顔を、上げた。
落ちてくる、赤い炎の塊を。
見上げた。
その顔が。
一瞬だけ。
歪んだ。
――堂島。
同じ、体育会系の。
同じ、ゼミの。
半年前、東門で、戦うはずだった。
剛は。
盾を。
頭上に。
掲げた。
「――【城壁】ッ!」
青い光の、天蓋が。
剛の、頭上に。
広がった。
堂島の、巨体が。
その天蓋に。
激突した。
――大広間が、揺れた。
天井の、巨大な、硝子の燭台が。
一斉に。
激しく。
揺れた。
何千本もの、蝋燭が。
燭台から、振り落とされて。
火の雨のように。
大広間に、降り注いだ。
その火の雨の、中で。
剛の、膝が。
大理石の床に。
めり込んでいた。
青い天蓋が。
悲鳴を、上げていた。
天蓋の、上で。
堂島が。
拳を。
振り上げていた。
赤い炎と、黒い霧を、纏った拳を。
一撃。
天蓋に、ひびが、走った。
二撃。
ひびが、広がった。
三撃。
「――ぐ、う、おおおおおおッ……!」
剛の、全身が。
軋んでいた。
鼻から。
口から。
血が、流れていた。
それでも。
剛は。
退かなかった。
「――堂島ッ!」
剛が。
叫んだ。
天蓋の、上の。
赤い炎の塊に、向かって。
「――堂島、俺だッ! 大河内だッ! 分かるかッ!」
堂島の、拳が。
一瞬だけ。
止まった。
赤く濁った目が。
天蓋の、下の。
銀の鎧の男を。
見下ろした。
「……お、おお……こう……ち……?」
「――そうだッ! 大河内だッ! ゼミで、一緒だった、大河内だッ!」
剛の声が。
震えていた。
「――ゼミの飲み会で、お前、いつも、志賀の隣で、志賀のグラスに、ビール注いでたろッ!
自分は、酒、弱いくせにッ!
志賀に、気に入られたくて、無理して、飲んで、いつも、一番最初に、潰れてたろッ!」
堂島の、赤く濁った目が。
揺れた。
「――潰れたお前を、毎回、家まで、おぶって帰ったの、俺だぞッ! 覚えてるかッ!」
「……お……ぶって……」
堂島の、拳が。
震えていた。
赤い炎が。
わずかに。
揺らいだ。
「――狂戦士の戒律、知ってるかッ! 『狂化には、帰るべき場所を持て』だッ!」
剛は。
天蓋を、支えたまま。
天蓋の上の、堂島を、まっすぐに、見上げた。
「――お前の、帰る場所は、志賀の隣じゃないッ!
志賀は、お前を、置いていくぞッ!
桐生を、置いていったみたいにッ!」
堂島の、体が。
硬直した。
「――帰ってこい、堂島ッ!
帰る場所がないなら、俺が、作ってやるッ!
……壁は、誰かが帰ってくる場所を、守るためにあるんだッ!」
一瞬。
堂島の、赤く濁った目に。
光が。
戻りかけた。
「……お、おお、こう……ち……」
堂島の、唇が。
震えた。
「……お、俺……帰り……た……」
――その、瞬間。
壇の上で。
メフィラが。
白い指先を。
小さく。
鳴らした。
堂島の、体の中の、黒い霧が。
爆発した。
「――ガ、アアアアアアアアアアアッ!」
堂島の目から。
光が。
消えた。
赤い炎と、黒い霧が。
渦を、巻いて。
堂島の、全身を。
呑み込んだ。
拳が。
振り下ろされた。
剛の、青い天蓋が。
砕けた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「――剛ッ!」
剛の体が。
大理石の床に。
叩きつけられた。
銀の鎧が。
砕けた天蓋の破片の中に。
埋もれていった。
堂島が。
剛の上に。
跨っていた。
拳を。
もう一度。
振り上げて。
「――させるかッ!」
狼の群れを、振り切って。
走った。
堂島の、振り上げた拳の、前に。
体ごと。
飛び込んだ。
剣を、立てた。
拳が。
剣に。
叩きつけられた。
――重い。
グラズの棍棒と、同じくらい。
いや。
それよりも。
腕が。
肩が。
背骨が。
軋んだ。
膝が。
床に、落ちた。
けれど。
剣は。
折れなかった。
拳を。
受け止めた。
剛の、頭の、わずか一尺上で。
「――陽……翔……」
背後で。
剛が。
掠れた声で、呻いた。
「……堂島……あいつ……今……帰りたいって……言った……」
「……うん」
僕は。
堂島の拳を、剣で、受け止めたまま。
歯を、食いしばった。
「……聞こえた」
堂島の、赤く濁った目が。
すぐ、目の前に、あった。
その、赤と、黒の、渦の、奥の、奥で。
何かが。
叫んでいた。
――帰りたい。
胸のポケットが。
燃え上がった。
剛の灯。
澪さんの灯。
エレオノーラさんの灯。
古賀の灯。
シロガネの灯。
三枝さんと、桐生の灯。
そして。
大広間に飛び込んできた、ガルドさんと、トマスくんと、騎士たちと、ヴェルダさんと、魔術師たちの。
――灯を、分かつ。
剣が。
金色に。
燃え上がった。
その光が。
堂島の、拳を。
押し返した。
堂島の巨体が。
後ろへと。
よろめいた。
「――今だッ! 押さえろッ!」
ガルドさんの声。
騎士たちが。
四方から。
堂島に、飛びかかった。
鎖が。
投げつけられた。
堂島の、腕に。
脚に。
胴に。
何本もの鎖が、絡みついた。
堂島が。
吠えた。
鎖を、引き千切ろうと、暴れた。
「――【結界】ッ!」
三枝さんの、青い光が。
鎖の上から。
堂島の体を、包み込んだ。
「――ふぇっ、年寄りの力も、貸してやるよッ!」
ヴェルダさんの、杖から。
紫色の光が。
迸った。
堂島の、全身を覆っていた、赤い炎と、黒い霧が。
少しずつ。
少しずつ。
押さえ込まれていった。
堂島の巨体が。
大理石の床の上に。
崩れ落ちた。
赤く濁った目が。
天井の、揺れる燭台を。
虚ろに。
見上げていた。
「……か……え……り……」
掠れた、声。
それきり。
堂島は。
動かなくなった。
胸が。
ゆっくりと。
上下していた。
生きていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大広間が。
燃えていた。
燭台から、振り落とされた、何千本もの蝋燭の火が。
床に、こぼれた葡萄酒に。
引き裂かれたカーテンに。
壁の、金の額縁の、肖像画に。
燃え移っていた。
双頭の鷲の、肖像画が。
一枚、また一枚と。
炎に、呑まれていった。
魔物の群れは。
騎士たちに、次々と、斬り伏せられていた。
貴族たちは。
魔術師たちの結界に、守られて。
館の外へと、逃げ出していた。
けれど。
壇の、上に。
まだ。
一つの影が、残っていた。
純白の、ドレス。
花菱さん、だった。
壇の上に、へたり込んだまま。
動けずに、いた。
その、頭上で。
天井の、巨大な、硝子の燭台が。
軋んでいた。
堂島の、天蓋への激突で。
燭台を吊るす、太い鎖の、その付け根が。
ひび割れていた。
鎖が。
一つ。
また一つと。
環が、外れていった。
燭台が。
傾いた。
花菱さんの、真上で。
「――花菱さんッ!」
走った。
崩れた床の、穴を、跳び越えた。
燃える、カーテンの、脇を、すり抜けた。
壇の、階段を、駆け上がった。
鎖の、最後の環が。
外れた。
巨大な、硝子の燭台が。
落ちてきた。
何百本もの、燃える蝋燭を、載せたまま。
光の、塊が。
花菱さんの、頭上へと。
花菱さんの、体を。
抱きかかえた。
純白のドレスごと。
壇の、奥へと。
跳んだ。
背後で。
轟音。
硝子の燭台が。
壇の上に。
叩きつけられた。
硝子が。
砕け散った。
何万もの、破片が。
炎の光を受けて。
燃える、雪のように。
大広間に、舞い散った。
燃える蝋燭が。
四方に、飛び散った。
僕は。
壇の、奥の、床の上に。
花菱さんを、抱きかかえたまま。
転がっていた。
背中に。
硝子の破片が。
いくつも。
刺さっていた。
熱い。
痛い。
けれど。
腕の中の、花菱さんは。
無事、だった。
「……し、白峰……くん……?」
花菱さんが。
僕の、腕の中で。
震えていた。
その、光を取り戻した目が。
大きく。
見開かれていた。
「……な、なんで……? ……莉愛……殿下に……ひどいこと……言ったのに……」
僕は。
花菱さんを、抱き起こした。
「……怪我は、ない?」
「……え……」
「……よかった」
花菱さんの、目から。
涙が。
溢れ出した。
「……なんで……っ」
花菱さんの声が。
嗚咽に、変わった。
「……なんで……助けるの……っ」
僕は。
少しだけ、考えた。
それから。
答えた。
「――同じゼミの、仲間だから」
花菱さんは。
僕の、礼服の胸に。
顔を、埋めた。
純白のドレスの、肩が。
激しく。
震えていた。
声を上げて。
子どものように。
泣いていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
そのとき。
炎の、向こうから。
足音が、した。
重い。
硬い。
鉄の、足音。
一歩。
また一歩。
燃える、大広間の、炎の帳を、割って。
黒い甲冑が。
現れた。
志賀、だった。
黒い剣を。
抜いていた。
その刃が。
炎の光を、映して。
黒く。
赤く。
光っていた。
首筋の、黒い筋が。
顔にまで。
這い上がっていた。
頬に。
こめかみに。
黒い、血管のような、筋が。
蜘蛛の巣のように。
広がっていた。
その目が。
暗く。
暗く。
燃えていた。
「――よお、委員長」
志賀の声が。
炎の、唸りの中に。
響いた。
もう一つの、誰かの声と。
完全に。
重なって。
「――また、誰かを、助けてんのか」
志賀の、暗い目が。
僕の、腕の中の。
泣きじゃくる、花菱さんを。
見下ろした。
「……花菱、か」
志賀の唇が。
歪んだ。
「――使えねえ奴を、拾って。……また、歌にでも、してもらうのか」
僕は。
花菱さんを、そっと、床の上に、下ろした。
立ち上がった。
背中の、硝子の破片が。
肉を、抉った。
構わなかった。
アルベルトさんの鋼の剣を。
拾い上げた。
志賀と。
向かい合った。
燃える、大広間の、壇の上で。
炎が。
二人を、囲んでいた。
燃え落ちていく、双頭の鷲の、肖像画。
砕け散った、硝子の燭台。
大理石の床の上に、燃え広がる、葡萄酒の、赤い炎。
「――決着を、つけようぜ」
志賀が。
黒い剣を。
構えた。
「――あの決闘の、続きだ。
……今度こそ。お前が、偽物で。俺が、本物だって。……証明してやる」
炎の、向こうで。
黒いヴェールの女が。
燃える壇の、その奥に。
静かに。
立っていた。
赤い唇で。
艶やかに。
笑いながら。
僕は。
アルベルトさんの鋼の剣を。
構えた。
親指は、ここ。
小指で、締める。
「――志賀」
声が。
炎の中に。
響いた。
「――僕は、志賀と、戦いたくない」
志賀の、暗い目が。
揺れた。
「――でも。志賀を、止めるためなら」
息を。
吐いた。
「――剣を、振る」
炎が。
大広間の、天井を。
舐めた。




