第49話「帰還の峠」
第49話「帰還の峠」
ルーメリアの地下街を発つ朝、ディートリヒさんは、
一つの革袋を、僕に手渡した。
「……地下書庫の記録を、書き写しました」
ずしりと重い革袋だった。
中に羊皮紙の束が、ぎっしりと詰められていた。
「三晩、寝ずに。
地下街の字の書ける者たち、総出で。
……椎名蒼殿の記録も。
灯移しの儀の禁書も。
四人の若者の名前も。
すべて」
ディートリヒさんの澄んだ目が。
僕を見上げていた。
「原本は、地下書庫に残しておきます。
いつか、ルーメリアが、蘇ったときのために。
……ですがこの写しは、アルセリアの宮廷魔術師長殿に。
三百年前の真実を、知るべき方々に、届けてくだされ」
「……必ず届けます」
「――それと」
ディートリヒさんは、杖を灰の地面に突き立てた。
「……一つ頼みがございます」
「はい」
「……もしあなたが魔王と……結城遥殿と、
相まみえることが、あったなら」
ディートリヒさんの声が、震えた。
「……伝えてくだされ。
ルーメリアの王立書庫の一人の若い書記が。
三百年前、あなた方四人のことを、最後まで案じていたと。
……その記録を、三百年、書庫番たちが、守り続けてきたと」
ディートリヒさんは、深く頭を下げた。
「……ルーメリアを、灰にした魔王を、わしは、恨んでおります。
十年、恨み続けてまいりました。
……ですがあの地下書庫の記録を読んで。
……恨みだけでは、ないものが、胸に残りました」
荷車のあの小さな女の子が。
ディートリヒさんの、長衣の裾から顔を出した。
「……こうほのゆうしゃさま」
女の子が小さな手で、何かを差し出した。
灰色の土の中から、掘り出したのだろう。
小さな白い石。
表面に麦の穂の模様が刻まれていた。
「……むかしのルーメリアのおまもり。
むぎがいっぱいみのりますように、って」
僕は、その石を受け取った。
「……ありがとう。大事にするね」
女の子は、灰で汚れた顔で、にっと笑った。
「……またきてね。こんどは、むぎばたけ、みせてあげる」
――いつか、ルーメリアが蘇ったときに。
胸のポケットが。
温かくなった。
「……うん。約束」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ルーメリアを発って、二十日。
灰色の荒野を抜け。
南東の緑の丘陵地帯を越え。
僕たちは、リンドールの中洲の街へとたどり着いた。
リンド川の川面を、平底船が行き交っていた。
荷揚げ場の威勢のいい掛け声。
三か月前と、何も、変わらない騒々しく、生き生きとした市場の街。
マルガさんの倉庫の前に、荷馬車を止めた瞬間。
「――シロガネッ!」
倉庫の入り口から、小さな影が、弾丸のように、飛び出してきた。
ニコくん、だった。
三か月前よりも、少しだけ背が伸びていた。
頬に少しだけ肉がついていた。
その小さな体が。
シロガネの首に。
全身で。
飛びついた。
シロガネが、尾を千切れんばかりに振った。
ニコくんの顔を、ざらざらとした舌で、何度も、何度も舐め回した。
ニコくんが、声を上げて笑った。
笑いながら、泣いていた。
「……おかえり……! シロガネ……! おかえり……!」
それから。
ニコくんは、シロガネの首から、顔を上げて。
僕を見た。
「――おにいちゃんも、おかえり!」
「……ただいま、ニコくん」
「……やくそくまもってくれた!」
ニコくんは、シロガネの首から、手を離して。
今度は、僕の胸に。
飛び込んできた。
僕は、その小さな体を抱きしめた。
三か月前。
両親を失った悲しみを、ずっと口にできずに、
小さな堤の中に、閉じ込めていた男の子。
今、その子は。
笑っていた。
倉庫の入り口で。
マルガさんが、目元を前掛けで拭っていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
倉庫の奥の治療所。
二十台あった寝台は、十台に減っていた。
「……減ったの」
寝台の間を、白い前掛けの娘が、歩いていた。
後ろで一つにきつく束ねた髪。
化粧は、していなかった。
その手に木の椀を持っていた。
姫野さん、だった。
「……最初の二十人のうち、十五人は、中毒が抜けたの。
自分の家に帰っていった。
……今、ここにいるのは、新しく来た人とまだ、抜けきってない人」
姫野さんは、寝台の一つの脇に、膝をついた。
若い冒険者の男が、横たわっていた。
その額の汗を、布でそっと拭った。
「……はい。
ゆっくり飲んで。
苦いけど頑張って。
……七日、我慢したら、甘いのを欲しいと思わなくなるから」
三か月前に、澪さんが中毒の娘に、かけていたのと、同じ言葉だった。
澪さんが。
倉庫の入り口で。
立ち尽くしていた。
姫野さんが振り返った。
澪さんを見た。
一瞬。
その顔がくしゃりと歪んだ。
それから。
木の椀を寝台の脇の卓に置いて。
立ち上がって。
澪さんの前に。
歩いてきた。
「……柚木さん」
「……姫野さん」
姫野さんは。
前掛けのポケットから。
小さな、硝子の小瓶を取り出した。
淡い若葉色の液体。
その色が。
三か月前、雨の夜に二人で作った、あの一滴の雫と、同じ色をしていた。
「……作ったの」
姫野さんの声が、震えていた。
「……浄化の工程を、ちゃんと入れて。
イルマさんに、何回も、何回もダメ出しされて。
……三十回目で、やっと合格をもらった」
姫野さんは、その小瓶を。
澪さんの手に。
押しつけた。
「……甘くない。
可愛くもない。
一日に十本しか、作れない。
……でも、ちゃんと自分の目で確かめた。
……害をなさないポーション」
澪さんは。
小瓶を両手で包み込んだ。
その目から。
涙が。
ぽろりと。
こぼれた。
「……三年って言ったのに」
澪さんが掠れた声で言った。
「……まだ三か月」
「……うん。だから、まだ一本目」
姫野さんは。
泣き笑いのような顔で。
笑った。
「……あと二年と九か月。
……もっとちゃんとしたの作れるように、なるから」
澪さんは。
何も言わずに。
姫野さんを。
抱きしめた。
三か月前。
「いらない」と突き放された手。
雨の夜に二人の光を重ね合わせた手。
その手が。
今。
しっかりと。
互いの背中に。
回されていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
リンドールを発って、十日。
王都まであと二日の距離。
街道は、北の山脈から伸びる、低い尾根を越えていた。
両側を針葉樹の森に、挟まれた細い峠道。
秋が深まっていた。
森の木々のところどころが、赤や、黄色に色づいていた。
落ち葉が峠道の上に、降り積もっていた。
夕暮れが近づいていた。
『――……坊や、聞こえるかい』
鞍の脇の水晶の欠片から、ヴェルダさんの声が、響いた。
「はい。聞こえます」
『……急ぎの話だよ。吉岡の坊やが、王都に戻ってきた』
吉岡。
『ひと月前さ。
ボロボロの格好で、王城の門の前に現れてね。
宰相に会わせろって喚いて。
……バルトロに、洗いざらい、喋ったそうだよ』
ヴェルダさんの声が、低くなった。
『志賀の坊やが、ドルマン侯爵の城に、招かれたこと。
侯爵の側近に、黒いヴェールの、得体の知れない女がいること。
……侯爵が王家に取って代わろうと、企んでいるらしいこと』
「……吉岡が」
『自分の身の安全と引き換えに、ってことらしい。
長いものには巻かれろ、だとさ。
……今度の長いものは、王家だと判断したんだろうね』
ヴェルダさんが、鼻で笑った。
『バルトロは、坊やの言うことを、そのまま鵜呑みにはしてない。
……だが、黒蛇の依頼状の封蝋の件と合わせれば。
侯爵の企みはもう、疑いようがない』
それから。
ヴェルダさんの声が。
鋭くなった。
『――坊や。
気をつけるんだよ。
侯爵は、吉岡の坊やが、王都に逃げ込んだことを、もう、知ってるはずだ。
企みが王家に漏れたと。
……なら、次に侯爵が打つ手は』
その瞬間。
シロガネが。
唸った。
鼻を。
峠道の前方の。
森の闇へと。
向けて。
銀色の毛並みが。
一斉に。
逆立った。
『――……坊や?』
水晶の光が。
消えた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
峠道の前方に。
倒木が一本。
道を塞いでいた。
いや。
倒木では、なかった。
切り倒された木、だった。
切り口が新しかった。
白い生木の断面。
「――罠だ」
エレオノーラさんが、剣を抜いた。
その声と同時に。
両側の森の闇の中から。
影が。
湧き出してきた。
十。
二十。
四十。
粗末な革鎧。
顔を布で覆っていた。
山賊の格好。
けれど。
その手に握られた剣が。
揃っていた。
同じ形の。
同じ長さの。
同じ鍛え方の。
――軍の剣。
そして。
その山賊たちの先頭に。
一人の大柄な男が立っていた。
顔を布で覆っていた。
けれど、その布の上から覗く赤ら顔と。
濃い髭と。
腰の幅広の長剣。
そして。
右の手首に。
細い白い傷跡。
オルド村の坂道で。
エレオノーラさんの剣が、刻んだ。
「――ガスパル」
エレオノーラさんの声が。
冷たく響いた。
男が。
顔の布を引き剥がした。
赤ら顔が。
憎悪に。
歪んでいた。
「――覚えていていただけましたか。光栄ですな殿下」
ガスパルの右手が。
幅広の長剣を抜いた。
「――あの坂道の屈辱。片時も、忘れたことは、ございませんでした」
そして。
ガスパルの隣の。
森の闇の中から。
もう一つの影が。
滲み出してきた。
黒い外套。
目深にかぶったフード。
その袖口から覗く黒い蛇の刺青。
黒蛇の頭目。
「――言ったはずだ灯の候補」
頭目の冷たい声。
「――黒蛇は、依頼を違えない」
頭目の背後から。
さらに十の黒い影が。
現れた。
黒い外套。
両手に細い刃。
――ヴィゴと同じ構え。
「――黒蛇の刺客、十人」
古賀が震える声でつぶやいた。
「――侯爵の私兵、四十人」
剛が盾を掲げた。
峠道の前後を。
完全に。
塞がれていた。
夕日が。
西の山の端に。
沈もうとしていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「――殺せ」
頭目の一言で。
五十の影が。
一斉に。
動いた。
「――【城壁】ッ!」
剛の青い光が。
峠道に爆ぜた。
荒野の天蓋とも。
黄昏の神殿の天蓋とも。
違った。
円、だった。
剛を中心に。
僕たちをぐるりと囲むように。
青い光の円い壁が。
立ち上がった。
前からも。
後ろからも。
左右からも。
押し寄せる五十の刃を。
すべて。
受け止める。
青い光の砦。
「――四方、全部、守ってやるッ!」
剛が叫んだ。
「――難しいことは分からんがッ!
黄昏の山で覚えたッ!
壁は、横にも、上にもぐるっとも張れるッ!」
私兵たちの剣が。
青い壁に。
次々と叩きつけられた。
光の破片が。
夕日を受けて。
茜色に散った。
けれど。
黒蛇の刺客たちは。
壁に刃を叩きつけなかった。
ただ。
壁の周りを。
音もなく。
円を描くように。
走り始めた。
【影歩き】。
壁の外の森の影へ。
影から影へ。
十人の刺客が。
青い壁の周りを。
回っていた。
その姿が。
見えたり。
消えたり。
見えたり。
消えたり。
「――どこから来るか、分からないッ!」
古賀の悲鳴。
「――鑑定が追いつかないッ! 速すぎるッ!」
刺客の一人が。
壁の影の中から。
現れた。
剛の真後ろ。
壁の内側に。
――影を渡って壁の内側に。
細い刃が。
剛の首筋へ。
「――剛ッ!」
銀色の影が跳んだ。
シロガネが、刺客の腕に牙を立てた。
刃の軌道が逸れた。
剛の鎧の肩をかすめた。
刺客が。
シロガネを振り払った。
また影の中に消えた。
――壁の内側にも、影がある。
僕たちの足元に。
剛の盾の陰に。
荷馬車の車輪の下に。
夕日が沈むほどに。
影は、濃く長くなっていく。
青い光の砦のその内側が。
少しずつ。
黒蛇の領域に。
変わっていった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
二人目の刺客が。
澪さんの足元の影から。
「――柚木さんッ!」
剣で刃を受けた。
三人目が。
古賀の背後の影から。
エレオノーラさんの剣が、閃いた。
刃を弾いた。
四人目。
五人目。
影から、影から、影から。
刃が次々と湧き出してきた。
受ける。
弾く。
流す。
息が上がった。
ザハルとの一騎打ちで、開いた左肩の傷が。
包帯の下でまた、血を滲ませていた。
――このままじゃ、削られる。
一人、また一人と。
いずれ、誰かが。
そのとき。
壁の外で。
頭目の声が響いた。
「――灯の候補。一つ教えてやろう」
頭目は。
青い壁の外の。
森の縁に。
立っていた。
フードの奥の見えない目が。
僕を見ていた。
「――黒蛇の影の技は。光が、強ければ、強いほど濃くなる」
頭目の声が。
冷たく。
愉しげに。
響いた。
「――貴様のその金色の灯。
仲間の灯を、重ねるほど、強くなるのだろう。
……ならば灯せばいい。
灯せば灯すほど、貴様の仲間の足元の影は、濃くなる。
我が刺客たちの道は広くなる」
――光が強いほど影は濃くなる。
胸のポケットの職業札を。
握りしめた。
灯せば。
仲間を危険に晒す。
灯さなければ。
削られて。
いずれ。
「――さあ、どうする。灯の候補」
頭目の声が。
嘲るように。
響いた。
夕日が。
西の山の端に。
最後の一筋を残して。
沈んだ。
峠道が。
闇に。
包まれた。
青い光の砦だけが。
闇の中に。
ぼうっと。
浮かんでいた。
その青い光が作る。
濃い。
濃い。
影の中で。
十人の刺客が。
一斉に。
刃を。
構えた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
――光が強いほど影は濃くなる。
なら。
影を消せばいい。
光で影を作らなければいい。
一方向から、光が当たれば、影は生まれる。
けれど。
――全方向から、光が当たれば。
「――みんなッ!」
叫んだ。
「――手を繋いでッ! 円になってッ!」
一瞬の戸惑い。
それから。
エレオノーラさんが、僕の右手を掴んだ。
澪さんがエレオノーラさんの手を。
古賀が澪さんの手を。
剛が盾を片手で支えたまま古賀の手を。
そして、剛のもう片方の手と、僕の左手の間に。
シロガネが。
その銀色の体を、割り込ませた。
僕の左手が、シロガネの首に。
剛の右手が、シロガネの背に。
五人と一頭の。
円。
青い光の砦のそのちょうど、真ん中で。
――灯を分かつ。
「――灯すよッ!」
胸のポケットが。
燃え上がった。
金色の光が。
僕の胸から。
両腕を伝って。
右手からエレオノーラさんへ。
左手からシロガネへ。
エレオノーラさんから、澪さんへ。
澪さんから古賀へ。
古賀から剛へ。
剛からシロガネへ。
シロガネから僕へ。
円を描いて。
巡って。
巡って。
五人と一頭の体が。
すべて。
同時に。
内側から。
金色に。
輝き始めた。
一つの光源では、なかった。
六つの光源。
円を描いて、並んだ六つの金色の光が。
互いに、互いを照らし合っていた。
エレオノーラさんの背中の影を。
澪さんの光が消した。
澪さんの足元の影を。
古賀の光が消した。
古賀の背後の影を。
剛の光が消した。
剛の盾の陰を。
シロガネの光が消した。
シロガネの腹の下の影を。
僕の光が消した。
そして、僕の影を。
エレオノーラさんの光が。
円の内側に。
影が。
一つも。
なかった。
「――な……ッ!」
影の中に潜んでいた十人の刺客が。
一斉に。
弾き出された。
影が消えたのだ。
潜む場所が、なくなったのだ。
金色の光の只中に。
十人の黒い外套の男たちが。
無防備に。
姿を晒していた。
「――今だッ!」
剛が青い砦を。
外側へと。
一気に。
押し広げた。
【城壁】が。
円を描いて。
膨れ上がった。
金色の光を、帯びた青い壁が。
十人の刺客を。
四十人の私兵を。
峠道の外側の森の中へと。
まとめて。
弾き飛ばした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
森の中で。
男たちの呻き声が上がった。
刺客たちが。
私兵たちが。
木の幹に叩きつけられ。
落ち葉の上に転がり。
起き上がれずに、いた。
頭目だけが。
森の縁に。
立っていた。
フードの奥の見えない目が。
金色に輝く、五人と一頭の円を。
見つめていた。
「……影を消したのか」
頭目の声が。
初めて。
揺れていた。
「……光で光を照らして。……影の、生まれる場所をなくしたのか」
頭目は。
しばらく。
動かなかった。
それから。
フードの奥で。
低く。
笑った。
「……三十年。
影の中で生きてきた。
……光の側の人間に、影を奪われたのは初めてだ」
頭目が。
片手を上げた。
その手のひらに。
黒い光が灯った。
――呪印の光。
けれど。
今度は。
誰の首の呪印も。
反応しなかった。
桐生の呪印は。
もう。
砕けていた。
「――……そうか」
頭目は。
手のひらの黒い光を。
見下ろした。
「……あの小僧はもう、いないのだったな」
頭目の体が。
影の中に。
溶け始めた。
【影歩き】。
けれど。
頭目の足元に。
影はなかった。
五人と一頭の金色の光が。
森の縁まで。
照らしていた。
頭目の体が。
溶けきれずに。
その場に。
取り残された。
「――ッ!」
その瞬間。
森の背後から。
蹄の音が。
雷鳴のように。
響いてきた。
峠道の王都側から。
松明の炎が。
何十も。
何百も。
「――アルセリア王国騎士団、見参ッ!」
ガルドさんの声、だった。
峠道の向こうから。
銀色の甲冑の騎兵の列が。
松明を掲げて。
雪崩のように。
駆け下りてきた。
その先頭に。
傷だらけの顔の岩のような巨躯。
大剣を肩に担いで。
そして、その隣に。
そばかすの顔の少年が。
見習いの鎧ではなく。
正騎士の銀の鎧を纏って。
剣を掲げていた。
「――勇者様ああああッ!」
トマスくん、だった。
「――ヴェルダの婆さんから、水晶の連絡が、途切れたと聞いてなッ!」
ガルドさんが、馬上から叫んだ。
「――陛下の御命令で、迎えに来たぞ、坊主ッ!」
騎兵の列が。
森の中に倒れた私兵たちを。
刺客たちを。
次々と。
取り囲んでいった。
ガスパルが。
倒木の陰で。
腰を抜かして。
へたり込んでいた。
騎兵の槍が。
その喉元に。
突きつけられた。
「――ヴァイス男爵家私兵隊長、ガスパル」
ガルドさんの低い声。
「王女殿下を、山賊を装って襲撃した罪。
……その身柄を、王都へと連行する。
誰の命令で、ここに来たのか。
王都でゆっくりと聞かせてもらおう」
ガスパルの顔から。
すべての色が。
抜け落ちていった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
そして。
森の縁で。
頭目が。
騎兵に囲まれていた。
影に溶けきれずに。
松明の炎に照らされて。
フードの奥の顔が。
初めて。
露わになろうとしていた。
頭目が。
フードの奥で。
何かを噛んだ。
かりと。
小さな音。
「――毒だッ!」
騎兵の一人が叫んだ。
頭目の体が。
ゆっくりと。
膝から。
崩れ落ちた。
フードが。
外れた。
その下の顔は。
驚くほど。
平凡だった。
四十がらみの。
痩せた。
どこにでもいるような。
街ですれ違っても、誰も、振り返らないような。
灰色の目の男。
その灰色の目が。
最後に。
金色に輝く僕たちの円を。
見つめていた。
「……眩しいな」
男の唇が。
かすかに。
動いた。
「……三十年……影の中にいると……光の、眩しさを……忘れる……」
男の目が。
閉じられた。
黒い蛇の刺青が。
その手首の上で。
色を失っていった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
峠道の上に。
焚き火が焚かれた。
騎士団の野営だった。
僕たちの円は。
もう、解けていた。
金色の光は、消えていた。
けれど、繋いでいた手の温もりは。
まだ、手のひらに残っていた。
「――坊主」
焚き火の向こうから、ガルドさんが歩いてきた。
僕の前に立った。
大きな手で、僕の頭を乱暴にかき回した。
「……四神殿を三つ、巡ってきたそうだな」
「……はい」
「……強くなったな」
「……みんなのおかげです」
「――ふん」
ガルドさんは、鼻を鳴らした。
それから。
傷だらけの顔を。
くしゃりと。
歪めた。
「――お前の剣の隣に、立ちたい奴が。また、増えたようだな」
ガルドさんの視線の先に。
トマスくんが立っていた。
正騎士の銀の鎧。
そばかすの顔が、焚き火に照らされて、輝いていた。
「……勇者様」
トマスくんが、僕の前に進み出た。
「……ぼく正騎士になりました。
王都大侵攻の後で。
……勇者様が帰ってくるまでにもっと、
もっと上手くなるって約束したから」
トマスくんは、胸を張った。
「――いつか、勇者様の隣に立てる騎士に、なるって。
……少しだけ近づけましたか?」
僕は、トマスくんの前に立った。
半年前。
ミルスの森で、尻餅をついて、震えていた少年。
防具磨きの布切れを、おずおずと、差し出してくれた少年。
「……うん」
僕は、トマスくんの銀の鎧の肩に手を置いた。
「……今日、峠道を駆け下りてきたトマスくんを見て。
……隣に立ってほしいって思ったよ」
トマスくんのそばかすの顔が。
くしゃりと歪んだ。
「……っ、は、はいっ……!」
焚き火が。
ぱちりと爆ぜた。
王都まで。
あと一日。




