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【最終章突入】職業「勇者」って言われたのですが、一緒に転移した同級生いわく違うらしい ~正しい職業を知りたい今日この頃~  作者: 有馬 茶
第2部 ~巡礼~

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第40話「潮の神殿」

新月の夜明け前。

海が、 退いていった。


まだ、 星が、 空に残っていた。

月のない夜空は、 深い藍色で、 その底に、 無数の星が、 砂粒のように、 撒き散らされていた。

その星明かりの下で。

セイレンの浜辺から、 海が、 ゆっくりと、 ゆっくりと、 遠ざかっていった。


波打ち際が、 後ずさりしていく。

一歩。

また一歩。

濡れた砂が、 星明かりを映して、 黒い鏡のように、 光っていた。

その鏡の上に、 取り残された小さな蟹たちが、 慌てふためいて、 横歩きで、 海を、 追いかけていった。


潮が、 退いていく。

沖へ。

沖へ。

入り江の口を越えて。

岩礁を、 次々と、 露わにしながら。


そして。


浜辺から、 沖合いの潮見島まで。

一本の、 白い、 砂の道が。

星明かりの中に。

浮かび上がった。


幅は、 人が三人、 並んで歩けるほど。

両側は、 まだ、 黒い海だった。

その黒い海の間を、 白い砂の道が、 まっすぐに、 島へと、 伸びていた。

まるで、 海が、 自ら、 道を開けたかのように。


「……すごい」


古賀が、 掠れた声で、 つぶやいた。


浜辺に、 セイレンの人々が、 集まっていた。

オーダさん。

カイルさん。

漁師たち。

女たち。

子どもたち。

四日前、 海喰らいを沈めた朝から、 町は、 生き返ったように、 賑わっていた。

漁船が、 ふた月ぶりに、 沖に出た。

市場に、 魚が、 並んだ。

子どもたちの、 笑い声が、 戻った。


「――道が開いてるのは、 一刻だけだよ」

オーダさんが、 櫂の先で、 砂の道を、 示した。

「一刻で、 潮が、 満ち始める。 満ち始めたら、 あっという間さ。

 道は、 海の底に沈む。 ……神殿の中で、 何があろうと、 一刻のうちに、 戻ってくるんだよ」

「はい」


カイルさんが、 木の義足で、 砂を踏みしめながら、 僕の前に、 来た。


「……潮の神殿には、 昔から、 言い伝えがある」

カイルさんは、 沖の島を、 見つめた。

「神殿の中で、 潮は、 囁く、 ってな。 一番、 聞きたくないことを、 一番、 信じたくなる声で。

 ……爺さんの、 そのまた爺さんの代に、 神殿に入った漁師が、 何人か、 いたらしい。

 でも、 帰ってきた者は、 みんな、 口を揃えて、 言ったそうだ。

 『二度と、 入りたくない』って」


カイルさんは、 僕を、 まっすぐに、 見た。


「……気をつけろよ、 候補の勇者」




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




白い砂の道を、 歩いた。


僕と、 エレオノーラさんと、 剛と、 澪さんと、 古賀と。

そして、 シロガネ。


両側の、 黒い海が。

星明かりの中で、 静かに、 揺れていた。

波は、 なかった。

ただ、 黒い水面が、 呼吸をするように、 わずかに、 上下していた。

その水面の下に、 何がいるのか。

何も、 見えなかった。


砂は、 濡れて、 冷たかった。

一歩踏み出すたびに、 足の裏が、 わずかに、 沈んだ。

足跡に、 すぐに、 海水が、 滲み出してきた。


振り返ると。

浜辺の、 セイレンの人々の、 松明の灯りが。

遠く、 小さく、 揺れていた。


前を向くと。

潮見島の、 黒い影が。

星空を背にして、 少しずつ、 大きくなっていった。

その頂の、 白い神殿が。

星明かりを受けて、 ぼうっと、 淡く、 光っていた。


半刻ほど、 歩いて。

砂の道が、 島の岩肌に、 ぶつかった。


岩肌に、 石段が、 刻まれていた。

暁の神殿と、 同じ。

人の膝ほどの高さの、 古い、 丸く削れた石段。

けれど、 その表面は、 濡れて、 海藻が、 張りついていた。

満潮のたびに、 海の底に、 沈んでいるのだろう。


石段を、 登った。


頂に、 神殿が、 あった。


暁の神殿とは、 違った。

柱は、 なかった。

壁が、 あった。

白い石の、 円い壁。

その壁が、 島の頂を、 ぐるりと、 囲んでいた。

屋根は、 なかった。

壁の上から、 星空が、 そのまま、 見えていた。


壁に、 一つだけ、 入り口が、 開いていた。


入り口の上の、 石の梁に。

古い文字が、 刻まれていた。


――潮は、 囁く。

――灯を持つ者よ、 聞け。

――そして、 信じよ。


「……信じよ」

エレオノーラさんが、 その一行を、 繰り返した。

「……何を、 信じよと、 言うのでしょう」


誰も、 答えられなかった。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




神殿の中は、 水で、 満たされていた。


円い壁の内側に、 床は、 なかった。

代わりに、 浅い、 円い池が、 あった。

池の水は、 驚くほど、 澄んでいた。

星明かりが、 その底まで、 届いていた。

池の底に、 白い石が、 敷き詰められていた。

その白い石の上に、 細い道が、 一本、 刻まれていた。

入り口から、 池の中央へと。

螺旋を描くように。


池の、 中央に。

小さな、 石の台座が、 あった。

その台座の上に、 石版が、 一枚。


「……水の中を、 歩いていけってことか」

剛が、 池の縁から、 水を、 覗き込んだ。

「深さは、 くるぶしくらいだな。 難しいことは分からんが、 歩けんことはない」


僕は、 池の中に、 一歩、 踏み出した。


水は、 冷たかった。

海水だった。

けれど、 澄んでいた。

足元の、 白い石の道が、 はっきりと、 見えた。


一歩。

また一歩。

螺旋の道を、 進んでいく。


後ろから、 エレオノーラさんが、 続いた。

剛が、 澪さんが、 古賀が、 シロガネが。


螺旋の、 一周目を、 回り終えた頃。


水が。

囁いた。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




――白峰。


声、 だった。


水面から。

いや、 水面の、 下から。

足首を浸す、 冷たい海水の、 その中から。

立ち上ってくるような。


――白峰。 お前は、 知らないだろう。


志賀の、 声だった。


足が、 止まった。


――お前の、 仲間は、 お前を、 信じてなんか、 いない。


「……っ」


振り返った。


後ろに、 エレオノーラさんが、 いた。

その後ろに、 剛が、 澪さんが、 古賀が。


けれど。


その誰もが。

立ち止まっていた。

足首まで、 水に浸かったまま。

虚ろな目で。

水面を、 見下ろしていた。


――王女は、 お前を、 利用しているだけだ。


水が、 囁いた。

志賀の声で。


――兄の代わりに、 国を守る、 都合のいい駒として。 魔王を倒したら、 お前は、 用済みだ。


――大河内は、 お前に、 嫉妬している。


――お前ばかりが、 英雄と呼ばれて。 自分は、 ただの、 壁としか呼ばれない。


――柚木は、 お前に、 疲れている。


――傷ついても、 傷ついても、 無茶ばかりするお前の、 手当てに。 もう、 うんざりしている。


――古賀は、 お前を、 観察しているだけだ。


――面白い物語の、 解説役として。 お前が、 どう転ぶか、 見物しているだけだ。


「……違う」


声が、 震えた。


――違う? 本当に、 そう言い切れるのか?


――お前は、 一度でも、 確かめたことが、 あるのか?


――信じているつもりで。 本当は、 信じたいだけなんじゃ、 ないのか?


水が。

冷たく、 なっていった。


足首から。

脛へ。

膝へ。


――水が、 満ちている。


いや。

水位は、 変わっていなかった。

くるぶしまでの、 浅い水。

それなのに。

冷たさが。

這い上がってくる。

足首から、 膝へ、 腰へ、 胸へ。

心臓へ。


囁きが。

心臓に、 触れようとしていた。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




そのとき。


池の水面が、 揺らいだ。


囁きが、 途切れた。


水面に。

何かが、 映っていた。


僕の顔では、 なかった。


星空でも、 なかった。


人の、 姿だった。


四人の。


水面の向こうに。

この神殿が、 映っていた。

今と、 同じ。

白い円い壁。

澄んだ池。

螺旋の道。


けれど、 その池の中を、 歩いていたのは。

僕たちでは、 なかった。


四人の、 若者だった。


先頭を歩いているのは、 黒い髪の、 若い男。

色褪せた、 紺色の、 詰め襟の学生服。


暁の神殿の、 光の騎士の、 その中にいた。

あの、 青年だった。


その後ろに、 三人。


背の高い、 がっしりとした体つきの、 短髪の男。

同じ、 紺色の詰め襟。

長い黒髪を、 後ろで一つに束ねた、 凛とした顔立ちの、 若い女。

紺色の、 襟のついた、 制服の。

そして、 小柄な、 眼鏡をかけた、 気の弱そうな男。

同じく、 紺色の詰め襟。


四人とも、 僕たちと、 同じくらいの年だった。

四人とも、 笑っていた。


――遥(はるか)、 もうちょっと、 ゆっくり歩けよ。


背の高い男が、 先頭の青年の、 背中を、 小突いた。

声が、 水面から、 聞こえてきた。

日本語、 だった。


――誠(まこと)こそ、 足が遅いんだって。 剣道部のくせに。


先頭の青年が、 振り返って、 笑った。

その笑顔が。

暁の神殿で、 光の中に溶けていった、 あの、 寂しげな微笑みとは。

まるで、 違った。

明るくて。

屈託がなくて。

希望に、 満ちていた。


――二人とも、 静かに。 ここ、 神殿なんだから。


長い黒髪の女が、 呆れたように、 言った。


――し、 詩織さん、 そんなに怒らなくても……。


小柄な眼鏡の男が、 おずおずと、 言った。


――蒼(あおい)は、 いつも、 詩織の味方だよな。


背の高い男が、 にやりと、 笑った。

眼鏡の男が、 真っ赤になって、 うつむいた。


四人の笑い声が。

澄んだ池の水面に、 反響していた。


――三百年前。


僕は、 それを、 直感していた。


――この神殿に、 この四人が、 来たんだ。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




水面の中の、 四人が。

螺旋の道を、 進んでいった。


そして、 一周目を、 回り終えたところで。

四人の足が、 止まった。


水が、 囁き始めたのだ。


四人の顔から。

笑顔が。

消えていった。


――遥。


水面の中で、 囁きが、 聞こえた。

三百年前の、 囁きが。


――お前は、 知っている。 門のことを。


先頭の青年――遥と呼ばれた青年が。

びくりと、 肩を、 震わせた。


――暁の神殿で。 碑文の、 最後の一行を。 お前だけが、 読んだ。

 他の三人には、 読ませなかった。


遥の顔が。

青ざめていった。


――『門は、 灯を以て、 開く。 灯を持たぬ者は、 通れず』。


僕の、 心臓が。

止まった。


――灯を持つのは、 お前だけだ、 遥。 勇者は、 お前一人だ。

 他の三人は、 勇者ではない。

 ……門を通って、 元の世界に、 帰れるのは。 お前、 一人だけだ。


水面の中で。

遥の後ろの、 三人が。

ゆっくりと。

遥を、 見た。


誠と呼ばれた、 背の高い男。

詩織と呼ばれた、 長い黒髪の女。

蒼と呼ばれた、 小柄な眼鏡の男。


三人の目が。

疑いに。

揺れていた。


――遥。 今の、 本当か。


誠が、 掠れた声で、 言った。


遥は、 答えなかった。

答えられなかった。

唇が、 震えていた。


――……いつから、 知ってたの。


詩織が、 言った。


――暁の神殿から、 ずっと? ……私たちに、 黙って?


遥は、 首を、 横に振ろうとした。

けれど、 振れなかった。


――……言えなかったんだ。


遥が、 ようやく、 声を絞り出した。


――……言ったら、 みんなが、 絶望すると思った。

 帰れないって分かったら、 みんな、 旅を、 やめちゃうと思った。

 だから、 方法が見つかるまで、 黙っておこうって。

 ……みんなも一緒に帰れる方法を、 俺が、 一人で、 見つけてから、 言おうって。


――一人で?


誠の声が、 低く、 なった。


――……お前、 いつも、 そうだよな、 遥。 全部、 一人で、 抱え込んで。

 俺たちには、 何も、 言わない。


――違う、 誠、 俺は――


――俺たちを、 信じてなかったんだろ。


遥の顔が。

凍りついた。


――本当のことを言ったら、 俺たちが、 お前を裏切るって。 そう、 思ってたんだろ。


水面の中で。

四人の間に。

目に見えない亀裂が。

走っていくのが。

見えた。


――違う……! 俺は……みんなを、 守りたくて……!


――守る?


詩織が、 言った。

その声は、 冷たかった。

けれど、 その目には、 涙が、 浮かんでいた。


――私たちは、 守られたかったんじゃない。 隣に、 立ちたかったのよ。 ……あなたの、 隣に。


水面が。

揺らいだ。


四人の姿が。

波紋の中に。

滲んで。

消えていった。


最後に、 見えたのは。

遥の顔だった。


絶望に、 歪んだ顔。


――……信じて、 ほしかった、 のは、 俺のほう、 だったのに。


その声が。

水の底に。

沈んでいった。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




水面が、 また、 僕の顔を、 映していた。


ただの、 澄んだ、 海水だった。


けれど。

囁きは、 戻ってきた。


――白峰。


志賀の声で。


――お前も、 同じだ。


――お前も、 知ってしまった。 門のことを。


――灯を持つのは、 お前だけだ。 帰れるのは、 お前、 一人だけだ。


――お前の仲間は、 誰も、 帰れない。


足首から。

冷たさが。

這い上がってきた。


――黙っておけ。


――黙っていれば、 仲間は、 お前を、 信じ続ける。

  旅を、 続けてくれる。 お前の、 隣に、 立ち続けてくれる。


――言えば。


――言えば、 お前も、 遥と、 同じことになる。


冷たさが。

胸に、 届いた。


僕は、 振り返った。


後ろに、 四人と、 一頭が、 いた。


エレオノーラさん。

剛。

澪さん。

古賀。

シロガネ。


その誰もが、 まだ、 虚ろな目で、 水面を、 見下ろしていた。

それぞれの耳に、 それぞれの囁きが、 届いているのだろう。


エレオノーラさんの唇が、 震えていた。

剛の拳が、 握りしめられていた。

澪さんの目から、 涙が、 一筋、 流れていた。

古賀の顔が、 青ざめていた。

シロガネが、 低く、 苦しげに、 喉を、 鳴らしていた。


――言うな。


――黙っておけ。


――そうすれば。


「――みんな」


声を、 出した。


囁きを、 振り払うように。

冷たさを、 押し返すように。


「――聞いてほしいことが、 ある」


四人と、 一頭の、 肩が。

びくりと、 震えた。


虚ろだった目が。

ゆっくりと。

水面から、 顔を上げて。

僕を、 見た。


「――今、 水の中に、 三百年前の、 勇者たちが、 見えた。

 四人の、 日本人だった。 そして、 一つ、 分かったことがある」


囁きが。

叫ぶように、 大きく、 なった。


――言うな! 言えば、 お前も――


「――元の世界に帰る、 古代の門は。 灯を持つ者しか、 通れない」


囁きが。

止まった。


「――灯を持ってるのは、 たぶん、 僕だけだ。

 ……もしかしたら、 僕しか、 帰れないかもしれない」


水面が。

静まり返った。


四人と、 一頭が。

僕を、 見ていた。


僕は、 一人ずつ、 その目を、 見返した。


「……三百年前の勇者は、 これを、 仲間に、 黙ってた。

 一人で、 方法を見つけてから、 言おうとした。 仲間を、 守るために。

 ……でも、 それで、 仲間との間に、 亀裂が、 入った」


胸のポケットに、 手を当てた。


「――僕は、 黙らない」


「――帰る方法は、 まだ、 分からない。

 僕だけが帰れるのかもしれないし、 みんなが帰れる方法が、 どこかにあるのかもしれない。

 何も、 分からない。 ……でも、 分からないことは、 分からないまま、 みんなに、 言う。

 一人で、 抱え込んだりしない」


声が、 震えた。


「――だから、 一緒に、 探してほしい。 みんなが帰れる方法を。 ……僕の、 隣で」




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




長い、 沈黙だった。


足首を浸す、 冷たい海水だけが。

静かに、 揺れていた。


そして。


「……難しいことは、 分からんが」


剛が、 言った。


大きな手で、 頭を、 かきながら。

その顔が。

虚ろではなく、 いつもの、 剛の顔に、 戻っていた。


「……お前が、 一人で、 帰っちまうって、 今、 水の中から、 誰かに、 囁かれてた」

剛は、 にっと、 笑った。

「――でも、 お前は、 今、 全部、 言った。 黙ってりゃ、 バレなかったのに。

 ……そんな奴が、 俺たちを置いて、 一人で帰るわけ、 ねえだろ」


「――わたくしは」


エレオノーラさんが、 一歩、 僕に、 近づいた。

その頬に、 涙の跡が、 あった。


「……あなたが、 わたくしの、 国を守るための、 駒に過ぎないのではないかと。

 そう、 囁かれていました。 わたくしが、 あなたを、 利用しているのだと」

エレオノーラさんの声が、 震えた。

「……でも、 今、 分かりました。

 あなたは、 自分が帰れないかもしれないという、

 一番、 恐ろしい真実を、 隠さずに、

 わたくしたちに、 差し出した。

 ……そんな方を、 駒として扱えるほど。

 わたくしは、 器用では、 ありません」


「……私は」


澪さんが、 袖で、 涙を、 拭った。


「……白峰くんに、 疲れてるって。 もう、 うんざりしてるって。

 そう、 囁かれてた。

 ……少しだけ、 本当かもしれないって、 思った」


澪さんは、 顔を、 上げた。

「……でも、 違う。 疲れてなんか、 ない。

 ……白峰くんが、 一人で、 全部を背負おうとするのが、 怖いだけ。

 ……今、 全部、 言ってくれた。 それなら、 怖くない」


「……俺は」


古賀が、 眼鏡を、 外した。

シャツの裾で、 レンズを、 拭った。

その手が、 震えていた。


「……白峰氏を、 面白い物語の主人公として、 観察してるだけだって。

 そう、 囁かれてた。

 ……正直、 最初は、 ちょっと、 そうだった」


古賀は、 眼鏡を、 かけ直した。

「……でも、 今は、 違う。

 ……俺は、 白峰氏と、 一緒に、 帰りたい。

 ……白峰氏が、 一人で帰るのを、 解説役として見送るなんて。 そんなお約束、 くそくらえだ」


シロガネが、 僕の足元に、 来た。

銀色の頭を、 僕の膝に、 押しつけた。

金色の瞳で、 僕を、 見上げた。


――独りで、 進むな。


胸のポケットが。

燃え上がった。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




池の水が。

光った。


足元の、 白い石の螺旋の道が。

一筋の、 金色の光となって。

池の中央の、 石の台座へと。

導くように、 輝き始めた。


僕たちは、 その光の道を、 歩いた。


五人と、 一頭で。

並んで。


台座の、 前に、 立った。


石版の文字が、 光を帯びて、 浮かび上がった。


――潮を越えし者へ。

――第二の誓約を、 ここに記す。

――真実を、 分かち合え。

――灯は、 信じる者に、 還る。


そして、 その下に。

暁の神殿と、 同じ。

明らかに、 別の手で、 刻まれた、 拙い文字。

日本語、 だった。


『本当のことを 言えばよかった』


僕は、 その文字を、 指先で、 なぞった。


三百年前の、 遥さん。

この台座の前で、 一人で、 この文字を、 刻んだのだろう。

仲間との間に、 亀裂が入った、 その後で。


――言えばよかった。


「……言ったよ、 遥さん」


声に、 出していた。


「……あなたの代わりに、 とは言えないけど。

 ……あなたが、 言えなかったことを。 僕は、 言えた。 あなたが、 ここに、 残してくれたから」


胸のポケットの職業札に。

新しい欄が、 一行、 増えていた。


【職業:勇者(候補)】

【スキル:誓約の灯】

【誓約:銀牙狼シロガネ】

【暁の印:灯は、 独りでは、 燃えず】

【潮の印:真実を、 分かち合え】




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「――白峰氏ッ! 潮がッ!」


古賀の叫び声で、 我に返った。


神殿の、 入り口の向こうから。

音が、 聞こえていた。


波の、 音。


寄せては、 返す。

寄せては、 返す。


その間隔が。

少しずつ。

短く、 なっていた。


「――一刻が、 過ぎるッ!」


神殿を、 飛び出した。


石段の上から、 見下ろした。


島から、 浜辺へと続く、 白い砂の道。

その両側の、 黒い海が。

道へと。

迫ってきていた。


波が、 道の縁を、 舐めていた。

一つ。

また一つ。

白い泡が、 砂の上に、 広がっていた。


「――走れッ!」


石段を、 駆け下りた。

砂の道に、 飛び降りた。


走った。


足の下で、 砂が、 沈んだ。

濡れた砂は、 重く、 足を、 掴んで、 離さなかった。

一歩ごとに、 足首まで、 沈み込んだ。

引き抜いて、 また、 踏み出した。


両側から。

黒い海が。

迫ってきた。


波が、 砂の道を、 越え始めた。

足首を、 濡らした。

冷たい。

神殿の池と、 同じ、 冷たさ。


脛まで。


浜辺の、 松明の灯りが。

まだ、 遠かった。


膝まで。


水の重さが、 脚に、 絡みついた。

走れなく、 なってきた。


「――澪ッ!」


剛の叫び声。


振り返った。


澪さんが、 膝まで水に浸かって、 立ち止まっていた。

薬草の木箱が、 重すぎて。

小柄な体が、 波に、 押し戻されそうに、 なっていた。


「――木箱を、 捨てろッ!」

「――いやッ!」

澪さんが、 叫んだ。

「――これがないと、 誰かが怪我したとき、 治せないッ!」


剛が、 引き返した。

澪さんの木箱を、 自分の肩に、 担ぎ上げた。

それから、 澪さんの手を、 掴んだ。


「――なら、 俺が、 持つッ! 手を、 離すなッ!」


エレオノーラさんが、 古賀の手を、 掴んでいた。

古賀が、 剛の、 もう片方の手を、 掴んだ。


僕は、 エレオノーラさんの、 空いた手を、 掴んだ。


シロガネが、 僕の、 もう片方の手首を、 そっと、 咥えた。


五人と、 一頭が。

一本の、 鎖のように。

手を、 繋いでいた。


腰まで。


波が、 来た。


大きな、 波だった。

黒い海が、 盛り上がって。

白い泡を、 頂に、 戴いて。

横から。

僕たちの、 鎖を。

押し流そうと。


「――離すなああああッ!」


誰の声だったか。

剛か。

僕か。

それとも、 全員か。


波が、 僕たちを、 呑み込んだ。


冷たい。

暗い。

上も、 下も、 分からない。

塩辛い水が、 鼻に、 口に、 なだれ込んできた。


けれど。


手は。

離れなかった。


右手に、 エレオノーラさんの手。

左手首に、 シロガネの牙の、 温かさ。

その向こうに、 古賀の手。

剛の手。

澪さんの手。


繋がっていた。


胸のポケットが。

燃えた。


――灯は、 信じる者に、 還る。


金色の光が。

繋いだ手と、 手の間を。

走った。


僕から、 エレオノーラさんへ。

エレオノーラさんから、 古賀へ。

古賀から、 剛へ。

剛から、 澪さんへ。

そして、 シロガネへ。


五人と、 一頭が。

金色の光の、 一本の鎖になった。


波が。

引いた。


足の下に。

砂が、 あった。


顔を、 上げた。

水が、 胸まで、 退いていた。


鎖は。

まだ、 繋がっていた。

金色に、 光っていた。


「――あと、 少しだッ!」


歩いた。

胸まで、 水に、 浸かったまま。

手を、 繋いだまま。

一歩。

また一歩。


浜辺の、 松明の灯りが。

近づいてきた。


腰まで。

膝まで。

脛まで。


そして。


足の下の砂が。

乾いた。


浜辺、 だった。


五人と、 一頭が。

繋いだ手を、 離さないまま。

乾いた砂の上に。

崩れ落ちた。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




背後で。

白い砂の道が。

黒い海の底に。

沈んでいった。


東の空が。

白み始めていた。


浜辺の、 セイレンの人々が、 駆け寄ってきた。

オーダさんが。

カイルさんが。

漁師たちが。


「――帰ってきた!」

「――全員、 帰ってきたぞ!」


僕は、 乾いた砂の上に、 仰向けに、 倒れていた。

空が、 藍色から、 淡い紫へと、 変わっていくのが、 見えた。


右手は、 まだ、 エレオノーラさんの手を、 握っていた。

エレオノーラさんも、 まだ、 僕の手を、 握っていた。

二人とも、 離すのを、 忘れていた。


「……白峰殿」

エレオノーラさんが、 砂の上に、 仰向けに倒れたまま、 言った。

「……もし、 本当に、 あなたしか、 帰れないのだとしたら」

「……」

「……そのときは、 わたくしは」


エレオノーラさんは、 その先を、 言わなかった。


ただ。

握った手に。

ほんの少しだけ。

力を、 込めた。


僕も。

握り返した。


朝日が。

水平線から。

顔を、 出した。

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