↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【最終章突入】職業「勇者」って言われたのですが、一緒に転移した同級生いわく違うらしい ~正しい職業を知りたい今日この頃~  作者: 有馬 茶
第2部 ~巡礼~

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/88

第30話「暁の神殿」

翌朝、 僕は、 リンドールのマルガさんに宛てて、 手紙を書いた。


オルド村の穀物倉が焼けたこと。

この冬を越すための麦が、 半分以上、 失われたこと。

商人ギルドの力で、 麦を、 村に回してもらえないだろうか、 ということ。

代金は、 僕が、 王国から預かっている旅の路銀で、 必ず払う、 ということ。


「……マルガ殿なら、 きっと、 動いてくださいます」

エレオノーラさんが、 手紙に、 王家の紋章の封蝋を押してくれた。

「森で救われた恩を、 あの方は、 決して、 忘れないでしょう」


村の若者の一人が、 その手紙を携えて、 リンドールへと、 馬を走らせていった。


それから、 僕は、 ベンさんの前に、 膝をついた。


「ベンさん。 僕たちは、 これから、 東の山の、 暁の神殿へ行きます。 三日で、 戻ってきます」

「……神殿へ?」

「はい。 その間に、 リンドールから、 麦が届くはずです。 それと」

僕は、 振り返った。

剛と、 澪さんが、 並んで、 立っていた。

「剛と、 柚木さんが、 村に残ります。 剛は、 鉄牙猪がまた来たときのために。

 柚木さんは、 怪我をした人たちの手当てのために」


「……難しいことは分からんが。 壁は、 任せとけ」

剛が、 分厚い胸を、 拳で叩いた。

昨夜の【城壁】の反動で、 その体は、 まだ、 あちこちが、 軋んでいるはずだった。

それでも、 剛は、 笑っていた。


澪さんは、 僕の前に立った。

薬草の匂いのする、 小さな布袋を、 僕の手に、 押しつけた。

「……痛み止めと、 解毒薬と、 骨を繋ぐ薬。

 ……一人分しか、 ないから。 誰にも、 分けちゃ駄目」


「……うん」

「……三日。 約束」

「うん。 約束する」


胸のポケットが、 ふわりと、 温かくなった。


「……それと」

澪さんは、 丘の上の、 代官の館を、 ちらりと見上げた。

「……宇佐美くんのことも、 少しだけ、 見ておく。 ……昨夜、 手が、 ひどく、 震えてたから」


ベンさんが、 杖にすがって、 立ち上がった。

皺だらけの顔で、 僕を、 じっと、 見上げた。

「……あんたは、 本当に、 変わった勇者様じゃな」

それから、 深く、 頭を下げた。

「……待っとる。 村のみんなで」




◆◆◆◆◆◆◆◆◆








暁の神殿は、 東の山脈の、 その稜線の上にあった。


オルド村から、 獣道のような細い山道を、 丸一日かけて、 登った。

途中から、 道は、 岩肌に刻まれた、 古い石段に変わった。

一段一段が、 人の膝ほどの高さがあり、 その表面は、

 何百年もの風雪に削られて、 丸く、 滑らかになっていた。


僕と、 エレオノーラさんと、 古賀と、 シロガネ。

三人と一頭で、 その石段を、 黙々と、 登り続けた。


日が暮れる頃。

石段の、 最後の一段を、 上りきった。


そこに、 神殿があった。


山の稜線の、 わずかな平地に。

白い石の柱が、 円を描くように、 並んでいた。

十二本。

その柱が、 ドーム状の、 白い石の屋根を、 支えていた。

壁は、 なかった。

柱と柱の間から、 東の空が、 西の空が、 四方の空が、 吹き抜けるように、 見えていた。


屋根の下の、 円の中心に。

石の、 祭壇があった。

そして、 その祭壇の前に。

一体の、 石像が、 立っていた。


騎士の、 像だった。


人の背丈の、 倍ほどの高さ。

全身を、 古風な甲冑に包み、 両手で、 一振りの長剣を、 胸の前に、 垂直に、 構えていた。

兜の面頬が、 下ろされていて、 その顔は、 見えなかった。

石像の表面には、 苔が、 びっしりと、 張りついていた。

何百年も、 誰にも顧みられることなく、 ただ、 そこに、 立ち続けてきたのだろう。


「……守護者、 かな」

古賀が、 かすれた声で、 つぶやいた。

鑑定士の目が、 淡い光を帯びた。

そして、 すぐに、 その光が、 揺らいだ。

「……見えない」

「え?」

「鑑定が、 弾かれる。 ……何も、 読めない」


祭壇の上に、 石版が、 一枚、 置かれていた。

古い、 古い文字が、 刻まれていた。

読めないはずの文字。

けれど、 鑑定板のときと同じように、 意味だけが、 するりと、 頭の中に、 流れ込んできた。


――暁を待て。

――光の訪れとともに、 扉は開かれる。

――灯を持つ者よ、 独りで、 進め。


「……独りで」

エレオノーラさんが、 その一行を、 硬い声で、 繰り返した。


日が、 沈んだ。

西の空が、 茜色から、 紫へ、 そして、 深い藍色へと、 移ろっていった。

神殿の柱の間を、 冷たい山の風が、 吹き抜けていく。


僕たちは、 神殿の柱にもたれて、 夜明けを、 待った。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆








東の空が、 白み始めた。


山脈の、 遥か向こう。

大地の果てとも思える、 その地平線の縁に。

一筋の、 金色の線が、 引かれた。


その瞬間。


神殿が、 鳴った。


いや。

鳴ったのではなかった。

十二本の白い柱が、 一斉に、 震えたのだ。

低く。

深く。

大地の底から、 響いてくるような、 長い、 長い、 共鳴。


東の空の、 金色の線が、 太くなっていく。

その光が、 柱と柱の間を抜けて、 神殿の内側へと、 差し込んできた。

一筋。

二筋。

十二本の柱の、 その影が、 床の上に、 長く、 長く、 伸びていく。

その影と、 影の間に。

光の、 道が、 生まれていた。


光の道は、 祭壇の前の、 騎士の石像へと、 まっすぐに、 伸びていた。


石像の表面の、 苔が。

光に触れた端から、 灰のように、 崩れ落ちていった。

その下から、 白い石が、 現れた。

いや。

白い石ではなかった。

光、 だった。

石像そのものが、 内側から、 淡い、 金色の光を、 放ち始めていた。


僕の胸のポケットの、 職業札も。

同じ色に、 灯っていた。


「……白峰殿」

エレオノーラさんが、 剣の柄に、 手をかけた。

「わたくしも――」


その言葉が、 終わる前に。


光の道の、 その両側に。

光の、 壁が、 立ち上がった。


透き通った、 金色の、 薄い膜。

それが、 光の道を挟むように、 左右から、 天井まで、 せり上がっていく。

エレオノーラさんと、 古賀と、 シロガネが。

膜の、 向こう側に、 取り残された。


「――白峰殿ッ!」

エレオノーラさんが、 膜に、 手を叩きつけた。

膜は、 びくともしなかった。

硝子のように硬く、 けれど、 水面のように、 揺らめいていた。

その向こうで、 エレオノーラさんの顔が、 歪んで見えた。


シロガネが、 吠えた。

膜に、 体当たりした。

弾き返された。

それでも、 何度も、 何度も、 体当たりを、 繰り返した。


――灯を持つ者よ、 独りで、 進め。


僕は、 光の道の上に、 一人で、 立っていた。


「……大丈夫」

膜の向こうの、 三人と一頭に、 声をかけた。

声が、 届いたのかどうかは、 分からなかった。

「行ってくる。 必ず、 戻るから」


光の道を、 歩き出した。


騎士の石像が、 動いた。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




それは、 石の動きではなかった。


光の、 動きだった。


石像の甲冑の、 継ぎ目という継ぎ目から、 金色の光が、 噴き出した。

胸の前に、 垂直に構えられていた長剣が、 ゆっくりと、 下ろされた。

石の剣ではなかった。

光の剣だった。

夜明けの太陽を、 そのまま、 一振りの刃に鍛え上げたような。


兜の面頬が、 上がった。


その奥に、 顔は、 なかった。


ただ、 闇が、 あった。


光り輝く甲冑の、 その中心に。

人の形をした、 深い、 深い、 闇。

光が、 その闇の輪郭を、 縁取るように、 揺らめいていた。


――汝。


声が、 響いた。


耳で聞いたのではなかった。

頭の中に。

胸の奥に。

直接、 刻み込まれるような、 声。


――何を以て、 勇者と成す。


光の剣が、 振り上げられた。


その瞬間、 僕は、 理解した。


これは、 試しだ。

けれど、 手加減は、 されない。


光が、 落ちてきた。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




速かった。


ガルドさんの剣よりも。

エレオノーラさんの剣よりも。

志賀の剣よりも。

グラズの棍棒よりも。


光そのものが、 刃の形をとって、 落ちてくる。

目で追う、 という概念が、 意味をなさなかった。

見えた、 と思ったときには、 もう、 そこにあった。


体が、 動いた。

四か月の夜明けが、 四か月の素振りが、 意識よりも先に、 剣を、 掲げさせていた。


光の剣と、 アルベルトさんの鋼の剣が、 交わった。


――熱い。


衝撃ではなかった。

熱、 だった。

光の刃に触れた鋼が、 一瞬で、 白熱した。

柄を握る手のひらが、 焼けるように、 熱かった。

けれど、 手を、 離さなかった。

離せば、 次の瞬間には、 光が、 僕の体を、 両断する。


流す。

流す。

指一本分だけ、 光の向きを、 変える。


光の剣が、 僕の剣の上を、 滑った。

摩擦の音は、 しなかった。

ただ、 二つの刃が擦れ合った場所から、 金色の火の粉が、 星屑のように、 散った。


光が、 僕の右肩の、 すぐ外側を、 通り過ぎていった。

外套の、 肩の部分が。

音もなく、 消えた。

焼けたのでも、 裂けたのでもなかった。

ただ、 光に触れた部分だけが、 最初から存在しなかったかのように、 消えていた。


――冗談じゃない。


背筋が、 凍った。


光の騎士が、 剣を、 返した。

横薙ぎ。

足元を、 刈り取るように。


跳んだ。

光が、 足の下を、 通り過ぎていった。

床の白い石が、 一文字に、 溶けて、 消えた。


着地する。

その着地の瞬間を、 狙われた。

光の剣が、 上から、 斜めに、 振り下ろされる。


流しきれない。


剣を、 盾にした。

真正面から、 受けた。


――世界が、 白くなった。


衝撃が、 腕を、 肩を、 背骨を、 貫いた。

いや、 衝撃ですらなかった。

光が、 剣を通して、 僕の体の中に、 流れ込んでくるような感覚。

骨の髄まで、 白く、 焼かれるような。


膝が、 床に、 叩きつけられた。


光の騎士が、 僕を、 見下ろしていた。

兜の奥の、 闇が。


――汝。

――何を以て、 勇者と成す。


声が、 また、 頭の中に、 響いた。


「……僕は」

声が、 掠れた。

「僕は……勇者じゃ、 ない……。 候補、 だ……」


胸のポケットの職業札を、 震える手で、 握りしめた。

灯って、 いた。

けれど、 その灯は、 弱かった。

ここには、 誰の声も、 なかった。

膜の向こうの、 エレオノーラさんの声も、

 シロガネの吠える声も、 遠く、 くぐもって、 届かなかった。


灯を分けてくれる人が、 誰も、 いなかった。


――独りで、 進め。


光の騎士が、 剣を、 振り上げた。


その刃が、 夜明けの光を、 さらに強く、 吸い込んでいく。

眩しすぎて、 目を開けていられなかった。


――これで、 終わりか。


そう、 思った。


そのとき。


光の騎士の、 兜の奥の、 闇の中から。

声が、 聞こえた。


さっきまでの、 頭の中に刻み込まれるような、 重い声ではなかった。

もっと、 小さく。

もっと、 掠れて。

もっと、 ずっと、 人間らしい声。


――……どうして。


僕は、 目を、 見開いた。


――……どうして……みんな……。


光の剣が、 振り上げられたまま、 止まっていた。

その刃が、 小刻みに、 震えていた。


――……僕は……ずっと……一人で……。

――……灯を……誰にも……渡さないで……。

――……守ろうと……したのに……。


闇の中の声は、 途切れ途切れだった。

まるで、 何百年も前に、 誰かが、 この場所で吐き出した、

 最後の言葉の、 その欠片だけが、 残響として、

  この光の中に、 閉じ込められているかのように。


――……誓約を……違えたのは……。

――……僕か……。

――……彼らか……。


光の騎士の、 輪郭が。

揺らいだ。


その、 光の甲冑の、 隙間から。

僕は、 見た。


闇の中に。

一瞬だけ。

人の、 顔が、 浮かび上がるのを。


若い、 男の顔だった。

僕と、 同じくらいの年の。

黒い髪。

黒い瞳。


――この世界の人の顔では、 なかった。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




息が、 止まった。


その顔は、 一瞬で、 また、 闇の中に、 沈んでいった。

光の剣が、 再び、 振り上げられた。

光の騎士の輪郭が、 また、 硬く、 冷たく、 光り輝いた。


――汝。

――何を以て、 勇者と成す。


あの、 重い声が、 戻ってきた。


でも。


僕は、 もう、 知っていた。


この光の騎士は、 守護者などではなかった。

少なくとも、 それだけでは、 なかった。


これは。

三百年前に、 この神殿で。

一人で、 灯を抱えて。

誰にも渡さずに。

誰も、 隣に立たせずに。

戦い続けた、 誰かの。


その、 痛みの、 残響だった。


――独りで、 進め。


石版の、 その言葉の意味が、 ようやく、 分かった気がした。


独りで進め、 と言っているのではない。


独りで進んだら、 こうなる、 と。

そう、 言っているのだ。


光の剣が、 振り下ろされた。


僕は。

剣を、 下ろした。


アルベルトさんの鋼の剣を。

床の上に、 そっと、 置いた。


そして、 両手を、 広げた。


光が、 落ちてくる。

目の前に。

額の、 すぐ上に。


「――僕は、 一人じゃない」


光の剣が。

止まった。


僕の額の、 髪の毛一本分、 上で。

夜明けの太陽そのものの熱が、 前髪を、 焦がしていた。

けれど、 刃は、 それ以上、 下りてこなかった。


「僕は、 一人じゃ、 勇者になれない」


光の騎士を、 見上げた。

兜の奥の、 闇を。

その闇の、 さらに奥の。

一瞬だけ見えた、 黒い髪の、 若い男の顔を。


「灯は、 みんなが、 分けてくれたものだ。 僕の、 ものじゃない。

 だから、 僕は、 一人では、 戦わない。 一人では、 背負わない」


胸のポケットの職業札を、 取り出した。

弱々しく、 揺らめく、 金色の灯。


「――君も、 一人じゃ、 なかったはずだ」


その瞬間。


神殿の、 光の膜の、 向こうで。


エレオノーラさんの声が、 聞こえた。


くぐもって、 遠く、 掠れて。

けれど、 確かに。


「――白峰殿ッ! わたくしは、 ここにいますッ! あなたの、 隣にッ!」


古賀の声が、 聞こえた。


「――白峰氏ッ! 戻ってこいよッ! お約束、 でしょッ!」


そして。

シロガネの、 遠吠えが。


――ウォオオオオオオオンッ!


光の膜を、 震わせた。


胸のポケットの職業札が。


燃え上がった。


それだけでは、 なかった。


遠く。

遥か、 遠く。

山を下った、 その先の、 オルド村から。

剛の、 「壁は、 任せとけ」という声が。

澪さんの、 「三日。 約束」という声が。

ベンさんの、 「待っとる」という声が。


さらに、 遠く。

リンドールの、 マルガさんと、 ニコくんの声が。


さらに、 さらに、 遠く。

王都の、 リゼさんの、 トマスくんの、 ガルドさんの、

 ヴェルダさんの、 王様の、 美咲さんの、 奏さんの、 三枝さんの、

  そして、 灯を分けてくれた、 十万の人々の声が。


距離を、 越えて。

山を、 越えて。

光の膜を、 越えて。


僕の胸の、 灯に。

流れ込んできた。


――誓約。


約束は、 距離では、 切れない。

信頼は、 壁では、 遮れない。


光の膜に、 亀裂が、 走った。


一筋。

二筋。

蜘蛛の巣のように、 金色の膜の全体に、 広がっていく。


そして。


膜が、 砕け散った。


光の破片が、 夜明けの神殿の中に、 雪のように、 舞った。


その破片の中を。

エレオノーラさんが、 古賀が、 シロガネが。

僕のほうへ、 駆けてくるのが、 見えた。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




光の騎士は、 動かなかった。


僕の額の上で止まった、 光の剣を、 そのままに。

ただ、 兜の奥の闇で。

駆け寄ってくる、 エレオノーラさんたちを。

僕の隣に立つ、 三人と一頭を。

じっと、 見つめていた。


そして。


光の剣が、 ゆっくりと、 下りていった。


僕の額から、 離れて。

床へと。

切っ先が、 白い石の床に、 静かに、 触れた。


光の騎士の、 甲冑が。

その継ぎ目から、 一枚、 また一枚と、 光の欠片となって、 剥がれ落ちていった。

兜が、 外れた。

胸当てが、 外れた。

籠手が、 外れた。


その、 光の甲冑の、 内側に。

闇は、 もう、 なかった。


一人の、 若い男が、 立っていた。


半ば、 透き通っていた。

朝の光が、 その体を、 通り抜けて、 向こう側の柱を、 照らしていた。

黒い髪。

黒い瞳。

見慣れない、 けれど、 どこか、 懐かしい、 顔立ち。

その身に纏っているのは、 この世界の甲冑ではなく。

色褪せた、 紺色の、 詰め襟の――。


学生服、 だった。


「……君は」


声が、 震えた。


男は、 何も、 答えなかった。

ただ、 僕を見て。

僕の隣に立つ、 エレオノーラさんを見て。

古賀を見て。

シロガネを見て。


それから。

ふっと、 笑った。


寂しそうな。

けれど、 どこか、 安堵したような。

三百年分の、 何かを、 ようやく、 下ろすことができたような。


男の唇が、 動いた。


声は、 なかった。

けれど、 その言葉は、 光とともに、 僕の胸の奥に、 まっすぐに、 届いた。


――灯を、 独りで、 抱えるな。


男の体が、 朝の光の中に、 溶けていった。


指先から。

髪の先から。

金色の、 細かな光の粒となって。

神殿の、 十二本の柱の間を抜けて。

東の空へと。

昇りゆく太陽へと。

吸い込まれるように、 消えていった。


最後に残った、 その微笑みまでが。

光の中に、 溶けて、 消えた。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




神殿が、 静まり返った。


床の上に、 光の剣が、 一振りだけ、 残されていた。

いや。

光の剣ではなかった。

光が、 消えた後に残っていたのは。

錆びた、 ぼろぼろの、 一振りの鉄の剣だった。

刃は、 ところどころ、 欠けていた。

柄に巻かれた革は、 擦り切れて、 ほとんど、 残っていなかった。


祭壇の、 石版の文字が、 変わっていた。


――暁を越えし者へ。

――第一の誓約を、 ここに記す。

――灯は、 独りでは、 燃えず。


そして、 その下に。

もう一行。

明らかに、 別の手で、 刻まれた、 拙い文字。

この世界の文字ではなかった。


石の上に、 刃物か何かで、 必死に、 刻みつけたような。


『ごめん みんな』


僕は、 その文字を、 指先で、 なぞった。


読めた。

意味が、 頭に流れ込んできたのではない。

最初から、 知っている文字だった。


ひらがなと、 カタカナと、 漢字で、 書かれた。

僕たちの世界の、 僕たちの国の、 文字だった。


「……白峰氏」

古賀が、 震える声で、 言った。

眼鏡の奥の目が、 大きく、 見開かれていた。

「……それ、 日本語、 だよね」

「……うん」

「三百年前の勇者って……」

古賀は、 最後まで、 言わなかった。

言えなかったのだろう。


リバーシ。

マヨネーズ。

活版印刷。

複式簿記。

輪作農法。

上下水道。

手押しポンプ。


三百年前の勇者が、 この世界に残していったもの。

宇佐美が、 「論理的に、 おかしいだろ。 三百年前の勇者は、 何者だったんだよ」と、 嘆いたもの。


その答えが。

今、 目の前の、 石版の上に、 刻まれていた。


胸のポケットの職業札が、 温かかった。

取り出すと、 その表面に、 新しい欄が、 一行、 増えていた。


【職業:勇者(候補)】

【スキル:誓約の灯】

【誓約:銀牙狼シロガネ】

【暁の印:灯は、 独りでは、 燃えず】


「……白峰殿」

エレオノーラさんが、 僕の隣に、 膝をついた。

その手が、 そっと、 僕の、 焼けた手のひらに、 重ねられた。

「……手が」

「大丈夫です。 柚木さんの薬が、 あるから」

「……あなたは、 また、 剣を、 下ろしたのですね。 あの光の刃の前で」

エレオノーラさんの声が、 震えていた。

「わたくしは、 膜の向こうで、 それを、 見ていることしか、 できなかった。

  ……三年前と、 同じように」

「でも、 エレオノーラさんの声は、 届きました」

僕は、 エレオノーラさんの手を、 握り返した。

「膜を割ったのは、 僕の灯じゃありません。 エレオノーラさんたちの声です」


エレオノーラさんは、 しばらく、 黙って、 僕の手を握っていた。

それから、 小さく、 けれど、 確かに、 微笑んだ。

「……隣に、 立てましたか」

「はい。 ずっと」


シロガネが、 床に残された、 錆びた鉄の剣の匂いを、 嗅いでいた。

それから、 その剣の脇に、 静かに、 伏せた。

まるで、 誰かの墓を、 守るように。


神殿の、 十二本の柱の間から。

朝日が、 一斉に、 差し込んできた。


暁が、 来ていた。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆








錆びた鉄の剣を、 布に包んで、 背負った。

置いていくことは、 できなかった。

いつか、 この剣の持ち主の名前が、 分かったら。

その人が、 帰りたかった場所に、 返してあげたかった。


神殿を後にして、 石段を、 下り始めた。


ヴェルダさんにもらった水晶の欠片に、 話しかけようとした、 そのときだった。


「――白峰氏ッ!」


先を歩いていた古賀が、 石段の途中で、 立ち止まっていた。

山の稜線の、 その西側。

眼下に広がる、 裾野の、 丘陵地帯を、 指さしていた。


その指の先。

段々畑の、 刻まれた丘。

オルド村の、 方角。


煙が、 上がっていた。


一筋ではなかった。

二筋。

三筋。

黒い煙が、 朝の、 澄んだ空に向かって、 何本も、 何本も、 立ち昇っていた。


穀物倉の、 焼け跡の煙ではなかった。

あれは、 もう、 消し止められている。


もっと、 大きな。

もっと、 たくさんの。


「……村が」

エレオノーラさんの顔から、 血の気が、 引いた。


古賀が、 鑑定士の目を、 細めた。

遥か遠くの、 煙の、 その根元を、 見つめた。

その唇が、 震えていた。


「……燃えてるのは、 丘の上だ」


古賀が、 かすれた声で、 言った。


「……代官の、 館が、 燃えてる」


僕は、 走り出していた。


膝ほどの高さの石段を、 一段飛ばしに。

二段飛ばしに。

背中の、 錆びた剣が、 がしゃりと、 鳴った。

シロガネが、 僕の隣を、 銀色の風となって、 駆け下りていった。


剛と、 澪さんが、 村にいる。

ベンさんがいる。

村の人たちがいる。


そして。


丘の上の、 あの館には。

宇佐美が、 いる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。