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【最終章突入】職業「勇者」って言われたのですが、一緒に転移した同級生いわく違うらしい ~正しい職業を知りたい今日この頃~  作者: 有馬 茶
第1部 ~新たな出会いと別れ~

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第3話「正しい職業を知りたい今日この頃」

はじめまして。

数ある作品の中から、 この物語を開いてくださって、 ありがとうございます。


こちらはゆっくり投稿していくので、読者の皆さまも肩の力を抜いて、

ゆっくりででもついてきていただけたら嬉しいです。

ブックマークや評価、 感想が、 何よりの励みになります。

「再鑑定をお願いできないでしょうか」


僕がそう頭を下げると、大神殿の受付に立っていた若い神官は、

手にしていた羽ペンを取り落とした。


召喚から三日目の朝。

王都の中心にそびえる大神殿は、

昨日の大聖堂よりもさらに古く、さらに静かな場所だった。

高い天井の下、祈りを捧げる人々の囁きが、さざ波のように満ちている。


「さ、再鑑定、でございますか……? 勇者様の……?」

「はい。

鑑定の結果に、『候補』と出ていたので。

もしかしたら、何かの間違いかもしれないと思って」

「ま、間違い……」

神官は、助けを求めるように、僕の背後に視線を送った。


そこに立っていたのは一人の少女だった。


陽光を編み込んだような金の髪を、

今日は簡素な一本の三つ編みにまとめている。

身に纏っているのは、ドレスではなく、動きやすそうな濃紺の騎士服だった。

腰には細身の剣。

召喚の日、壇上で王の隣に立っていたあの少女だ。


「アルセリア第一王女、エレオノーラと申します」

今朝、客室の前で待っていた彼女は、そう名乗った。

「本日より勇者様の城外での行動には、わたくしが同行いたします」

「王女様が直々にですか?」

「監視役、とお考えください」

はっきりとそう言った。

「異界の方々を、わたくしはまだ信用しておりません。

特に、『勇者』という肩書きを持つ方は」

冷ややかな青い瞳が、まっすぐに僕を射抜いていた。


その監視役の王女様は今、神殿の柱の陰で、静かに腕を組んでいる。

「……本人がそう望んでいるのです。執り行って差し上げてください」

「は、はいっ!」

神官は、転がるように奥へ駆けていった。


やがて現れたのは、白い髭を胸まで垂らした老神官だった。

老神官は、僕の顔をしばらくじっと見つめてから、

祭壇の奥に安置された鑑定板の前へ、僕を導いた。

「勇者の再鑑定など、この神殿の三百年の歴史で、初めてのことですじゃ」

「すみません、ご迷惑を」

「いやいや。長生きはするものですのう」

老神官は楽しそうに笑った。


鑑定板に手を置く。

昨日と同じ、柔らかな金色の光が神殿の奥を照らした。


【職業:勇者(候補)】


「……変わりませんね」

「ふむ……」

老神官は、眉間に深い皺を寄せて、鑑定板を覗き込んだ。

指先で何度か板の表面をなぞる。

「確かに勇者の文字ですじゃ。

間違いはない。

だが、この『候補』という但し書き……。

これは、記録のどこにも見たことがない」

「間違いではないんですね」

「神の御業に、間違いはございません。

……とすれば、これは神が意図して記されたもの、

ということになりますのう」

老神官は、白い髭をしごきながら、深く考え込んでしまった。


神殿を出ると石段の上で、エレオノーラ王女が待っていた。

朝の光の中で、その金の髪がきらきらと光っていた。


「……一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」

「はい」

「勇者の称号が、それほど欲しいのですか」

王女の声は静かだった。

けれど、その奥に刃のような鋭さが潜んでいた。

「『候補』の二文字が気に入らず、

確かな勇者の称号を求めて再鑑定を望まれた。

そういうことではないのですか」


僕は少し驚いて、それから、首を横に振った。

「いえ。違います」

「では、なぜ」

「肩書きで何かが決まるとは、思っていません」

石段の下では、王都の朝が始まっていた。

荷車を引く人。

店先を掃く人。

子どもの手を引いて歩く母親。

「ただ、僕は、自分にできることを間違えたくないんです。

勇者なら勇者としてそうでないなら、

そうでない者として、ちゃんと役に立ちたい。

もし本当の勇者が別にいるなら、その人の邪魔だけはしたくない」

僕は王女に向き直った。

「だから、正しい職業を知りたいんです」


王女は何も言わなかった。

ただ、その青い瞳が、ほんのわずかに揺れた。

召喚の日に一瞬だけ見た、あの揺らぎだった。


「……変わった方ですね」

やがて、王女は小さくそう言って背を向けた。

「城下をご案内いたします。

この国が何を守ろうとしているのか。

勇者様には、見ておいていただく必要がありますので」




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




王都アルセリアの城下町は、想像していたよりも、ずっと活気に満ちていた。


石畳の大通りの両脇に、色とりどりの天幕を張った露店が並んでいる。

焼き菓子の甘い匂い。

香辛料のつんとした香り。

呼び込みの声と値切る声と子どもたちの笑い声。

国が滅びかけているとは、とても思えない光景だった。


「……皆、必死にいつもどおりを続けているのです」

僕の心を読んだように王女が言った。

「北の砦が落ちたという報せは、民にも届いています。

それでも、パンは焼かねばなりませんし、子どもは育てねばなりません。

怯えて立ち止まれば、それだけで国は死んでしまいますから」

その横顔は凛として、けれど、どこか張り詰めていた。


大通りを半ばまで歩いたところで、見覚えのある背中が目に入った。

宇佐美だった。

露店の前で、何やら台の上を凝視して固まっている。

その隣には、姫野さんの姿もあった。

二人とも、城下を見物に出てきていたらしい。


「宇佐美? どうかした?」

声をかけると宇佐美はぎぎぎ、

と音がしそうなほどぎこちなく振り返った。

「……白峰。これ、見ろよ」

宇佐美が指さした台の上には、木で作られた盤と、

白と黒に塗り分けられた丸い駒が並んでいた。

その隣には、陶器の壺に入った、淡い黄色のクリーム状のもの。


「あ、リバーシ?」

「リバーシだよ。それと、こっちはマヨネーズだ」

宇佐美の声がかすかに震えていた。

露店の主人が、にこにこと笑いながら身を乗り出してきた。

「おや、お目が高い!

 そいつは『勇者盤』と『勇者ソース』でさあ!

 三百年前の勇者様がお考えになったもんで、

今じゃ王国中、どこの家にもありますぜ!」

「……三百年前」

「ええ、ええ。

王立特許院にも、ちゃあんと記録が残ってましてね。

勇者様の考えたものは、

ほかにも『勇者風呂』だの『勇者靴』だの数え切れねえほど」


宇佐美の顔から、血の気が引いていった。

「……論理的におかしいだろ。それ、俺がやるはずだったやつ……」

最後のほうは、ほとんど聞き取れないほど小さな声だった。


「えー、ウケる。宇佐美、先越されてんじゃん」

姫野さんがけらけらと笑った。

けれど、その視線はすぐに、

通りの向かいにある一軒の店へと吸い寄せられていった。

硝子の小瓶が、窓辺にずらりと並んでいる。

青や、緑や、薄紅色の液体が、陽の光を透かして宝石のように輝いていた。

「ねえねえ、あれ、ポーション屋さんじゃない? うわ、映える!」

姫野さんは、窓に顔を押しつけるようにして、店の中を覗き込んだ。

「でもさ、なんか地味じゃん。

内装とか、全然可愛くないし。

あたしならもっと可愛くできるのに。

カフェにしてさ、ポーションをドリンクっぽく出したら、絶対バズるじゃん」


宇佐美と姫野さんは、しばらくそれぞれの店の前で立ち止まっていた。

王女は、その二人の様子を、何も言わずに見ていた。


そのときだった。


「わあっ!」

背後で小さな悲鳴が上がった。

振り返ると五、六歳くらいの男の子が、石畳の上で転んでいた。

膝を擦りむいたのか、みるみるうちに顔がくしゃくしゃになっていく。

その少し先では、果物を山積みにした荷車が、坂の途中で傾きかけていた。

荷車を引いていた女性が、必死に車輪を押さえている。

転んだ男の子の母親らしかった。


僕は、男の子のそばにしゃがみ込んだ。

「大丈夫? 痛かったね」

「う、うぅ……」

「ちょっとだけごめんね」

ポケットに入れていた水筒の水で、擦りむいた膝の砂をそっと洗い流す。

それから、澪さんに持たされていたもう一枚のハンカチを、膝に巻いた。

「はい、これで大丈夫。泣かなかったね。えらいよ」

男の子は、しゃくりあげながら、こくんとうなずいた。


「ちょっと待っていてね」

僕は立ち上がって、坂の途中の荷車に駆け寄った。

「手伝います」

「え、あ、そんな……!」

女性の隣に並び、荷車の後ろに肩を入れる。

重い。

石畳の坂は、思っていたよりも急だった。

けれど、二人で押せば、動かないほどではなかった。

坂の上の店先まで荷車を運び終える頃には、

額にじっとりと汗が浮かんでいた。


「あ、ありがとうございます……! あのせめてこれを」

女性は、真っ赤に熟れた林檎のような果物を、僕の手に押しつけた。

「いえ、そんな」

「受け取ってくださいな。坊やを助けてもらったお礼です」

女性の後ろから、膝にハンカチを巻いた男の子が、ひょっこりと顔を出した。

「おにいちゃん、ありがと!」

僕は、果物を受け取って笑った。

「どういたしまして」


振り返ると王女が、少し離れたところに立っていた。

何も言わずただ、じっと僕を見ていた。

その表情は、監視役のそれとは、少しだけ違って見えた。


「……王女様も食べますか?」

僕が果物を半分に割って差し出すと、王女は、ほんの一瞬だけ目を丸くした。

それから、小さく咳払いをした。

「……いただきます」

果物は甘酸っぱくて、少しだけ元の世界の林檎に似ていた。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




剣の訓練が始まったのは、その翌日からだった。


「まずはお前たちの力を見る」

ガルドさんは、訓練場の中央に立ち、木剣を肩に担いだ。

「希望する者は、見習い騎士と一本勝負だ。職業の力を、好きに使っていい」


真っ先に手を挙げたのは志賀だった。

「俺がやる」

志賀は、渡された木剣を軽く振って、にやりと笑った。

相手は、二十歳前後の若い見習い騎士だった。

「始め!」


勝負は一瞬だった。


志賀の木剣に、青白い光がまとわりついた。

魔剣士の力。

剣に魔力を纏わせるのだと、後でヴェルダさんが教えてくれた。

光の尾を引いた一閃が、見習い騎士の木剣を根元から叩き折った。

見習い騎士は、何が起きたのかも分からないまま、石畳に尻餅をついていた。


訓練場がどよめいた。

「すげえ……」

「初日であれかよ……」

騎士たちのざわめきの中で、志賀は木剣を肩に担ぎ、

ゆっくりと僕のほうを振り返った。

「次、お前の番だぜ、委員長。勇者サマの力、見せてくれよ」


僕は木剣を握った。

ずしりと重い。

相手は、さっきとは別の見習い騎士だった。

「始め!」


僕は木剣を構えた。

構えたつもりだった。


次の瞬間、手首に鋭い衝撃が走り、木剣が宙を舞っていた。

からん、と乾いた音を立てて、木剣が石畳に転がる。

見習い騎士の木剣の切っ先が、僕の喉元で、ぴたりと止まっていた。


「……参りました」


一拍の沈黙の後、志賀の笑い声が訓練場に響き渡った。

「ははははっ! 見たかよ、今の! 勇者サマが見習いに瞬殺!」

「志賀さん、マジでウケるっす!」

堂島が手を叩いて笑う。

小田切も、姫野さんも、花菱さんも笑っていた。

「ほらな。言ったろ。これがエセ勇者の実力だよ」


僕は、痺れた手首をさすりながら、落ちた木剣を拾い上げた。

悔しくないと言えば嘘になる。

けれど、それ以上に当然だとも思った。

僕は、剣を握ったことすらなかったのだから。


「……ガルドさん」

「なんだ」

「基礎から教えてください。剣の握り方から」


ガルドさんは、しばらく僕を見下ろしていた。

「……勇者の職業の力は使わんのか」

「使い方が分からないんです。

それに使い方が分かったとしても、剣の握り方も知らないまま使ったら、

きっと誰かを傷つけてしまう気がします」


ガルドさんは、何も言わずに、僕の手から木剣を取り上げた。

それから、僕の両手を、大きくてごつごつした手で包み込むようにして、

木剣を握り直させた。

「親指はここだ。

小指で締めろ。

力を入れるのは、振り下ろす最後の一瞬だけだ」

「はい」

「今日から毎日、素振り千回。文句は聞かん」

「はい。ありがとうございます」


その日、僕は日が暮れるまで素振りを続けた。

志賀たちは、早々に訓練場を後にしていた。


素振りを終えた頃には腕が震えて、

木剣を持ち上げることすらできなくなっていた。

訓練場の隅では見習い騎士たちが、

汗と泥にまみれた防具を黙々と磨いていた。

僕はその輪の端にそっと腰を下ろした。

「手伝ってもいいかな」

「え、ゆ、勇者様がですか?」

「剣の握り方も知らない勇者だから。

せめて、道具の手入れくらいは覚えたくて」


見習い騎士たちは顔を見合わせた。

それから、一番年下らしいそばかすの少年が、

おずおずと布切れを差し出してくれた。

「……革の部分は油を薄くです」

「ありがとう。こうかな」

「あ、はい。そうです」


訓練場の入り口で、ガルドさんが、腕を組んでその様子を見ていた。

誰に聞かせるともなく低くつぶやく。

「……剣より先に、手入れを覚える奴は伸びる」

その声は、夕暮れの風に紛れて、僕の耳には届かなかった。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆








召喚から十日が過ぎた。


その朝、王城の謁見の間に、志賀が一枚の羊皮紙を差し出した。

「自由行動の申請だ。約束どおり、城の外で好きにやらせてもらう」


羊皮紙には、十人の名前が並んでいた。


志賀。

堂島。

宇佐美。

小田切。

姫野さん。

花菱さん。

桐生。

そして、吉岡と古賀と、三枝さん。


「吉岡、古賀、三枝さん……」

思わず声に出していた。

吉岡は肩をすくめて笑った。

「まあまあ。

長いものには巻かれろってね。

どう見たって、志賀のほうが強いだろ」

古賀は、目をそらしたまま、眼鏡を押し上げた。

「……解説役は、物語が動くほうにいないと、意味ないでしょ。お約束だよ」

三枝さんは、うつむいたまま、震える声で言った。

「ご、ごめんなさい……。

わ、私、その……志賀くんたちに誘われて……こ、断れなくて……」

「三枝さん」

「ご、ごめんなさい……」

三枝さんはそれ以上、顔を上げなかった。


玉座の王は、静かに羊皮紙を受け取った。

「……約束は、約束だ。支度金を用意させよう」

「話が早くて助かるわ、王様」

志賀は満足げに笑った。

「それともう一つ。あの厩舎の魔狼、こいつにくれよ」

志賀が顎で示すと小田切が、にやにやと笑いながら前に出た。

「テイマーの初期装備っしょ。

あの狼、処分するって聞いたし。

だったら、オレがもらっても問題ないじゃん」


宰相バルトロさんが王に何事かを囁いた。

王は、しばし瞑目してから重くうなずいた。

「……魔狼は、国境で捕らえた危険な魔物だ。

扱いきれぬゆえ、処分を検討していたのは事実。

テイマーの手に委ねるというのであれば、止める理由はない」


僕は、思わず一歩踏み出していた。

「陛下、あの魔狼は脚に怪我を――」

けれど、その先の言葉が出てこなかった。

怪我をしている。

怯えている。

だから、何だというのだろう。

僕には、あの魔狼を引き取る力も守る力もない。

処分されるよりは、生きられるほうがいいのかもしれない。

そう思ってしまった自分が、何より情けなかった。


「なんだよ、委員長。文句あんのか?」

小田切が鼻で笑った。

「……ちゃんと、手当てをしてあげてほしい。怯えてるんだ」

「は? 魔物だぞ? テイムしちゃえば関係ないっしょ」




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




昼過ぎ。

王城の正門の前に、二台の馬車と、鉄格子の檻を載せた荷車が並んでいた。


見送りに来たのは、僕と剛と澪さんと奏さんと、美咲さん。

城に残ることを選んだ五人だけだった。


「美咲ちゃん、お弁当ありがとー」

「ちゃんと三食食べるのよ。

お腹が空いたら、いつでも戻ってきていいからね」

美咲さんが、包みを一つずつ手渡していく。

花菱さんと姫野さんは、それを受け取って、少しだけ気まずそうに笑った。


「志賀」

馬車に乗り込もうとする背中に、僕は声をかけた。

志賀は、面倒くさそうに振り返った。

「なんだよ」

「本当に行くのか。

城の外は魔物が出るんだろう。

せめて、もう少し訓練を積んでからでも――」

「はっ」

志賀は鼻で笑った。

それから、ゆっくりと僕に歩み寄りその顔を、すぐ目の前まで近づけた。


「いいか、委員長。よく聞けよ」

低い声だった。

「この物語の主人公は俺だ。

お前は、序盤で退場する踏み台なんだよ。

勇者『候補』サマは、城の中で、せいぜい良い子ちゃんごっこでもしてろ」


僕は志賀の目をまっすぐに見返した。

「……志賀。これは物語じゃない」

「は?」

「この国の人たちはみんな生きてるんだ。

王様も、騎士の人たちも、城下で果物を売ってる人も、その子どもも。

あの魔狼だって。

誰かの物語の脇役なんかじゃない」


一瞬だけ志賀の顔から笑みが消えた。

けれど、それは本当に一瞬だった。

「……くだらねえ」

志賀は、吐き捨てるように言って背を向けた。

「行くぞ」


馬車の扉が閉まる。

御者が鞭を鳴らし、車輪が石畳の上をゆっくりと回り始めた。


二台目の馬車の窓から、古賀が一瞬だけこちらを振り返った。

眼鏡の奥の目が、何かを言いたそうに揺れていた。

けれど、古賀はすぐに顔を背け、窓の帳を下ろしてしまった。


最後に鉄格子の檻を載せた荷車が、門をくぐろうとした。


檻の中の魔狼が、ゆっくりと首をもたげた。

後ろ脚には、粗末な布が巻かれていた。

十日前、僕が檻の前に置いた包帯と、同じ色の布だった。

あの夜から僕は毎晩、檻の前に通っていた。

魔狼は、一度も唸るのをやめなかった。

それでも、置いた干し肉は毎朝、必ず消えていた。


荷車が門の外へ出ていく。

その直前、魔狼は金色の瞳でじっと僕を見た。


怯えでも怒りでもない。

何かを確かめるような目だった。


荷車が見えなくなっても、僕は、しばらくその場を動けなかった。


「……陽翔」

剛が僕の肩に大きな手を置いた。

「難しいことは分からんが。お前は、間違ってない」

「……ありがとう、剛」

澪さんは何も言わなかった。

ただ、僕の隣に黙って立っていてくれた。


城に残ったのは五人。

城を出たのは十人。


十五人だったゼミはこの日、二つに分かれた。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆








その夜。


王城のバルコニーで僕は一人、夜空を見上げていた。

見知らぬ星座が静かに瞬いている。


「……眠れないのですか」

振り返ると、エレオノーラ王女が立っていた。

騎士服ではなく、柔らかな色の部屋着の上に、薄い外套を羽織っている。

「王女様」

「あの方々を、引き止められなかったことを、悔いておいでですか」

「……悔いている、というより。何もできなかったなと思って」

僕は、手すりに置いた自分の手を見た。

素振りでできたまめがいくつも潰れていた。

「志賀たちのこともあの魔狼のことも。

僕には止める力も守る力もなかった」


王女は、しばらく黙って、僕の隣で夜空を見上げていた。

やがてぽつりと言った。

「明日からわたくしが、勇者様の剣の稽古相手を務めます」

「え?」

「ガルドには、すでに話を通してあります。

あの者は騎士団長として多忙ですから。

基礎の稽古相手は、わたくしで十分でしょう」

「王女様が剣を?」

「わたくしの剣は、見習い騎士程度には鍛えてあります」

王女は、僕のほうを見ないまま続けた。

「……勇者様かどうかは、わたくしがこの目で確かめます。

神殿の鑑定板でも、異界のお仲間の言葉でもなく。

わたくし自身のこの目で」


その横顔を、月明かりが白く照らしていた。

「……はい。よろしくお願いします、王女様」

「エレオノーラで結構です」

「え」

「稽古の最中に、いちいち『王女様』と呼ばれては、間が抜けますので」

それだけ言うと、王女は――エレオノーラさんは、

外套の裾を翻して、バルコニーを去っていった。


一人残されたバルコニーで、僕はもう一度、夜空を見上げた。


職業、勇者。

ただし候補。

同級生いわく違うらしい。


本当のところは、まだ誰にも分からない。

僕自身にも。


――なら、確かめに行こう。


剣の握り方から。

一つずつ。

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