第23話「王都大侵攻」
夜明けの最初の光が、 地平線から差し込んだ瞬間。
魔王軍の角笛が、 一斉に、 鳴り響いた。
腹の底を震わせるような、 低く、 重い音。
それは、 一万の魔物の、 鬨の声だった。
「――来るぞッ!」
ガルドさんの声が、 北の城壁に響き渡った。
四基の攻城塔が、 地響きを立てて、 迫ってくる。
その足元を、 灰色ゴブリンの群れが、 黒い波となって、 押し寄せてくる。
空堀は、 三日間の攻防で、 魔物の死骸に埋め尽くされ、 もう、 堀の役目を果たしていなかった。
攻城塔の後方で、 ゴブリンの呪術師たちが、 杖を掲げた。
百。
いや、 二百。
赤い光が、 夜明けの空を埋め尽くした。
「――結界師団、 展開ッ!」
ヴェルダさんの声と同時に、 城壁の上に、 青い光の膜が、 次々と広がった。
その中心で、 三枝さんが、 両手を、 天に掲げていた。
「け、 【結界】……っ!」
三日前よりも、 さらに大きく。
さらに、 厚く。
青い膜が、 北の城壁の上を、 端から端まで、 覆い尽くした。
二百の火の玉が、 降り注いだ。
轟音。
閃光。
熱風。
青い盾の表面で、 赤い炎が、 嵐のように弾け、 散っていく。
けれど、 一つとして、 膜を突き抜けるものはなかった。
「――持ったぞッ!」
「結界師団、 万歳!」
兵たちの歓声の中で、 三枝さんは、 歯を食いしばって、 立ち続けていた。
その足元に、 ぽたぽたと、 汗の雫が落ちていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
攻城塔が、 城壁に、 接した。
木の骨組みが、 城壁の縁に、 ぶつかる。
塔の最上段の、 跳ね橋が、 轟音とともに、 城壁の上に、 倒れ込んでくる。
その向こうから、 赤銅色の巨体が、 次々と、 姿を現した。
オーガだった。
「――迎え撃てッ!」
僕は、 剣を抜いた。
アルベルトさんの鋼で打たれた、 灯草の紋様の剣。
左腕は、 澪さんの薬で、 繋がっていた。
痛みは、 なかった。
けれど、 その奥で、 何かが、 じりじりと、 削れていくような感覚があった。
一日だけ。
跳ね橋を渡ってきた最初のオーガが、 棍棒を振り上げた。
その懐に、 飛び込む。
息を吐く。
肩の力を、 抜く。
親指は、 ここ。
小指で、 締める。
剣が、 オーガの棍棒を握る手首を、 斬り裂いた。
棍棒が、 落ちる。
オーガが、 よろめく。
「――はあっ!」
右隣から、 エレオノーラさんの剣が閃いた。
オーガの膝裏が、 斬り裂かれる。
巨体が、 膝をつく。
左隣から、 銀色の影が、 跳んだ。
シロガネの牙が、 オーガの喉笛に、 食らいついた。
オーガが、 跳ね橋の上から、 城壁の外へと、 転がり落ちていった。
「――次!」
二体目。
三体目。
跳ね橋から、 次々と、 オーガが押し寄せてくる。
僕と、 エレオノーラさんと、 シロガネは、 三人で、 一つの生き物のように、 動いた。
僕が受ける。
エレオノーラさんが斬る。
シロガネが、 とどめを刺す。
二か月の稽古と、 灰色峡谷と、 本陣での、 あの朝が。
言葉を交わさなくても、 互いの次の動きを、 教えてくれていた。
「ヴェルダ! 塔を焼け!」
ガルドさんの声が響いた。
城壁の上の魔術師たちが、 一斉に、 杖を掲げた。
油を浸した攻城塔の獣の皮に、 火の魔法が、 叩き込まれる。
一基目の攻城塔が、 炎に包まれた。
悲鳴を上げながら、 オーガたちが、 塔の上から飛び降りていく。
燃え上がる巨大な塔が、 ゆっくりと、 傾き、 崩れ落ちていった。
「一基、 落としたぞッ!」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
東門は、 北の城壁よりも、 さらに、 激しかった。
魔王軍は、 攻城塔を北の城壁に集めた。
その一方で、 東門には、 巨大な破城槌を、 送り込んできた。
大木の幹に鉄の覆いを被せ、 先端を、 鋭く尖らせたもの。
それを、 十体のオーガが抱え、 門扉に、 何度も、 何度も、 叩きつけていた。
門扉の内側で。
剛が、 盾を構えて、 仁王立ちになっていた。
「――【不動】おおおおおッ!」
破城槌が、 門扉に叩きつけられるたびに。
剛の全身が、 軋んだ。
盾が、 悲鳴を上げた。
閂が、 唸った。
「大河内! まだいけるか!」
片腕を吊ったまま、 守備隊を指揮していたローデリヒさんが、 叫んだ。
「難しいことは……分からんですが……まだ……いけますッ!」
剛の額から、 血が流れていた。
鼻からも、 口からも。
それでも、 剛の足は、 一歩も、 退いていなかった。
破城槌が、 叩きつけられる。
一度。
二度。
三度。
そして、 四度目。
閂が、 折れた。
門扉が、 内側に、 大きく、 たわんだ。
その隙間から、 オーガの太い腕が、 何本も、 差し込まれてくる。
「――っ!」
剛が、 盾を捨てた。
そして、 たわんだ門扉の、 その真ん中に。
両腕を広げて、 自分の体を、 押しつけた。
「――俺が……門だあああああッ!」
剛の職業札が、 胸元で、 青く光った。
その光が、 剛の全身を、 包み込んでいく。
まるで、 剛の体そのものが、 一枚の、 巨大な石の壁に変わったかのように。
重騎士のスキル【不動】。
その先にある、 まだ誰も見たことのない力。
後に、 ヴェルダさんは、 それを、 【城壁】と名付けることになる。
差し込まれていたオーガの腕が、 弾き返された。
たわんでいた門扉が、 押し戻された。
破城槌が、 門扉に叩きつけられる。
けれど、 門扉は、 もう、 びくともしなかった。
剛が、 門扉と、 一つになっていた。
「――第二の門を閉じろッ!」
ローデリヒさんが、 叫んだ。
「大河内が持っている間に、 内側の門を閉じるんだ! 急げッ!」
守備隊の兵たちが、 東門の内側の、 二重の門へと、 駆け出していく。
宇佐美が、 宰相府に持ち込んで、 「すでにやっている」と言われた、 あの二重の門だった。
「大河内……! もう少しだ……! もう少しだけ、 持ちこたえろ……!」
「……難しい、 ことは……」
剛の声が、 かすれていた。
「分からん、 ですが……壁は……得意です……」
内側の門が、 重い音を立てて、 閉ざされた。
その瞬間、 剛の体を包んでいた青い光が、 ふっと、 消えた。
剛の巨体が、 ゆっくりと、 膝から、 崩れ落ちていった。
「――大河内ッ!」
ローデリヒさんが、 駆け寄った。
守備隊の兵たちが、 剛の体を、 内側の門の向こうへと、 引きずり込んでいく。
外側の門が、 破城槌の一撃で、 粉々に砕け散った。
けれど、 その向こうには、 もう一つの門が、 閉ざされていた。
剛は、 担架の上で、 薄く目を開けた。
「……陽翔に……伝えてくれ……」
かすれた声で、 つぶやいた。
「東門……ちゃんと……守ったって……」
それだけ言うと、 剛は、 静かに、 目を閉じた。
胸が、 ゆっくりと、 上下していた。
生きていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その頃。
西の水門の小屋の前に、 一つの影が、 立っていた。
前髪で目元を隠した、 細身の男。
その手に、 錆びた鉄の鍵が、 握られていた。
小屋の扉の鍵穴に、 鍵を差し込む。
回す。
かちり、 と、 小さな音。
小屋の中は、 薄暗かった。
壁に、 鉄の歯車と、 太い鎖が、 組み合わされた仕掛けがあった。
その中央に、 大きな把手。
これを回せば、 水路の格子が、 上がる。
男は、 把手に、 手をかけた。
――影から、 全部を操る。
――それが、 最強なんだ。
そう言ったのは、 自分だった。
鑑定の儀の日に。
十五人のゼミの仲間の前で。
把手を、 回した。
鎖が、 軋んだ。
歯車が、 回り始めた。
水路の格子が、 ゆっくりと、 水面から、 持ち上がっていく。
一尺。
二尺。
小屋の外から、 声が、 聞こえてきた。
子どもの、 歌声だった。
「――鐘が三つ鳴ったら、 南の大門へ。
赤い旗の下に、 並んでおいで。
お年寄りと子どもは、 先に船へ。
手をつないで、 走らずに、 歩いておいで――」
西区の、 避難民の天幕の間で。
南の大門へ向かう列に並んだ子どもたちが、 声を揃えて、 歌っていた。
怯えを、 紛らわせるように。
互いの手を、 しっかりと握り合いながら。
男の手が、 止まった。
格子は、 三尺ほど、 持ち上がっていた。
その隙間から、 濁った水の中を、 何かが、 ぬるりと、 くぐり抜けてくるのが見えた。
鱗に覆われた、 緑色の体。
水かきのついた手足。
蜥蜴の頭。
リザードマンだった。
一体。
二体。
五体。
水路を伝って、 王都の中へと、 入り込んでいく。
その先には、 西区がある。
避難民の天幕がある。
子どもたちが、 歌っている。
「……っ」
男は、 把手から、 手を離した。
逆に、 回そうとした。
けれど、 一度上がり始めた格子の仕掛けは、 重すぎて、 一人の力では、 びくともしなかった。
男は、 小屋を飛び出した。
走った。
誰にも、 姿を見られないように。
影から、 影へ。
逃げたのか。
それとも、 誰かを、 呼びに行ったのか。
それは、 男自身にも、 分からなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「――西の水路に、 魔物!」
王城の鐘楼のてっぺんで、 古賀が、 叫んでいた。
鑑定士のスキル。
鐘楼の上から、 王都じゅうを見渡していた古賀の目に、
水路を伝って西区に入り込む、 緑色の影が、 はっきりと映っていた。
「リザードマン、 七体……いや、 十体以上! 水門の格子が、 上がってる!」
古賀の隣で、 ヴェルダさんの拡声の魔法を仕掛けた水晶が、 その声を、 西の城壁へと、 届けた。
「――なんだって!?」
北の城壁の上で、 ヴェルダさんが、 杖を握りしめた。
「水門の鍵は、 宰相府が……! ……くそっ、 内通者かい!」
ヴェルダさんは、 振り返った。
結界師団の魔術師たちは、 北の城壁の上で、 火の雨を防ぐのに、 手一杯だった。
誰一人、 持ち場を離れることはできない。
いや。
一人だけ。
「――わ、 私が、 行きます!」
三枝さんだった。
両手を掲げたまま、 汗まみれの顔で、 ヴェルダさんを見ていた。
「わ、 私の結界の分は、 ほかの方に、 少しずつ、 広げてもらえば……!
さ、 三十数える間なら、 持つはずです……!」
「嬢ちゃん……」
「に、 西区には、 避難民の人たちが、 いるんです……! こ、 子どもたちが……!」
ヴェルダさんは、 一瞬だけ、 目を閉じた。
それから、 杖で、 城壁の石を、 強く叩いた。
「――行きな! 結界師団、 三枝の持ち分を、 埋めろ!」
「は、 はいっ!」
三枝さんが、 結界を解いた。
その瞬間、 両隣の魔術師たちの膜が、 一斉に広がって、 三枝さんの抜けた穴を、 塞いだ。
三枝さんは、 走った。
城壁の石段を、 転がるように駆け下りる。
西区の路地を、 息を切らせて、 走り抜ける。
足が、 もつれた。
転んだ。
膝を、 擦りむいた。
それでも、 立ち上がって、 走った。
西区の、 避難民の天幕の前に、 たどり着いたとき。
水路の縁から、 緑色の影が、 這い上がってきていた。
リザードマン。
十体以上。
鱗に覆われた手に、 錆びた槍や、 鉈を握っている。
その爬虫類の目が、 天幕の前に並んだ、 子どもたちの列を、 捉えていた。
子どもたちの歌声が、 悲鳴に変わった。
「――け、 【結界】……ッ!」
三枝さんが、 子どもたちの列と、 リザードマンの間に、 飛び込んでいた。
両手を、 前に突き出す。
青い光が、 広がった。
半球ではなかった。
三枝さんは、 結界を、 一枚の、 平らな壁にしていた。
水路の縁に沿って、 横に、 長く、 長く、 広げていく。
十歩。
二十歩。
三十歩。
水路から這い上がろうとするリザードマンを、 押し返す、 青い光の壁。
リザードマンの槍が、 壁に、 突き立てられた。
鉈が、 叩きつけられた。
壁が、 波打つように、 揺れた。
「……っ、 う……っ」
三枝さんの膝が、 がくがくと震えた。
両腕が、 千切れそうに、 痛んだ。
息が、 苦しかった。
――吐く息で、 広げるんだよ。
ヴェルダさんの声が、 頭の中で響いた。
三枝さんは、 細く、 長く、 息を吐いた。
青い壁が、 少しだけ、 厚くなった。
「お、 お姉ちゃん……!」
背後で、 子どもの声がした。
振り返る余裕は、 なかった。
「だ、 大丈夫……! お、 お姉ちゃんが、 守るから……!」
自分の声とは、 思えなかった。
震えていたけれど。
かすれていたけれど。
それでも、 はっきりと、 そう言えた。
「み、 みんな、 歌って……!
さ、 さっきの歌、 歌いながら、 南の大門へ、 歩いて……!
は、 走らずに、 手をつないで……!」
一瞬の沈黙。
それから、 子どもたちの、 震える歌声が、 聞こえてきた。
「――か、 鐘が三つ鳴ったら、 南の大門へ……」
「赤い旗の下に、 並んでおいで……」
歌声が、 少しずつ、 遠ざかっていく。
手をつないで。
走らずに。
歩いて。
三枝さんは、 青い壁を、 支え続けた。
十数えた。
二十数えた。
三十数えた。
四十。
五十。
「――結界師殿、 よく持ちこたえたッ!」
背後から、 甲冑の擦れる音が、 押し寄せてきた。
西の城壁の守備隊だった。
槍を構えた兵たちが、 三枝さんの青い壁の両脇から、 水路の縁へと、 駆け込んでいく。
リザードマンが、 一体、 また一体と、 槍に貫かれ、 水路の中へと、 押し戻されていく。
「水門の格子を、 下ろせッ! 力自慢を、 小屋に回せッ!」
守備隊長の声を聞いた瞬間、 三枝さんの膝から、 力が抜けた。
青い壁が、 ぱちんと、 弾けるように消えた。
石畳の上に、 へたり込む。
肩で、 息をした。
両腕が、 痺れて、 感覚がなかった。
擦りむいた膝から、 血が滲んでいた。
それでも。
南の大門の方角から、 子どもたちの歌声が、 まだ、 かすかに、 聞こえていた。
「……ま、 守れた……」
三枝さんは、 空を見上げた。
「わ、 私……守れた……」
涙が、 あふれてきた。
けれど、 それは、 これまでに流したどの涙とも、 違う味がした。
ふと、 視線の端で、 何かが動いた。
水門の小屋の、 屋根の上。
黒い影が一つ、 屋根から屋根へと、 跳び移っていくのが見えた。
細身の体。
前髪で、 目元を隠した横顔。
「……き、 桐生、 くん……?」
影は、 振り返らなかった。
次の瞬間には、 西区の屋根の向こうへと、 消えていた。
見間違いだったのかもしれない。
三枝さんは、 しばらく、 影の消えた屋根の向こうを、 見つめていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
北の城壁の上で。
三基目の攻城塔が、 炎に包まれて、 崩れ落ちていった。
「――あと一基!」
ガルドさんの声が響いた。
僕は、 肩で息をしていた。
剣を握る右手が、 震えていた。
左腕の奥で、 何かが、 じりじりと削れていく感覚が、 少しずつ、 強くなっていた。
それでも、 まだ、 動けた。
右隣のエレオノーラさんも、 肩で息をしていた。
左隣のシロガネの銀色の毛並みが、 魔物の返り血で、 赤黒く染まっていた。
――いける。
そう思った、 そのときだった。
鐘楼のてっぺんから、 古賀の声が、 拡声の魔法に乗って、 城壁じゅうに響き渡った。
「――東門! 外側の門が、 破られた! 大河内氏が、 倒れた!」
心臓が、 止まるかと思った。
「――内側の門は、 まだ持ってる! でも……グラズが……!」
古賀の声が、 震えた。
「グラズが、 動いた! 東門に向かってる! 一人で、 内側の門を、 壊す気だ……!」
城壁の上の、 すべての兵が、 東の方角を見た。
三日間、 一歩も動かなかった鉄角の魔将が。
魔王軍の黒い波を、 真っ二つに割るようにして。
まっすぐに、 東門へと、 歩を進めていた。
その一歩ごとに、 大地が、 揺れていた。
「――剛ッ!」
僕は、 走り出していた。
「白峰殿!」
エレオノーラさんの声が、 背中を追ってきた。
シロガネが、 僕の隣を、 並んで駆けた。
城壁の上を、 東へ。
北の城壁から、 東の城壁へと続く、 長い石の回廊を。
左腕が、 悲鳴を上げていた。
一日だけの骨が、 軋んでいた。
それでも、 走った。
東門で、 剛が倒れた。
僕らの、 最高の支柱であり『壁』が。
僕の、 友が。
そして、 その先には、 東区がある。
城壁の回廊の、 その先で。
東門の、 内側の門が、 鉄角の魔将の、 最初の一撃を、 受けていた。
轟音が、 王都じゅうに、 響き渡った。




