↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【最終章突入】職業「勇者」って言われたのですが、一緒に転移した同級生いわく違うらしい ~正しい職業を知りたい今日この頃~  作者: 有馬 茶
第1部 ~新たな出会いと別れ~

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/91

第20話「シロガネ」

第20話「シロガネ」



「……ひびが入ってる」


治療院の片隅の寝台で、澪さんは、僕の左腕にそっと指を這わせた。

肘から手首までの骨。

その真ん中あたりを押されると、目の奥に火花が散るほどの痛みが走った。


「折れてはいない。

でも、ひびが入ってる。

二週間は、剣も盾も持っちゃ駄目」

「二週間……。でも戦が」

「……駄目」


澪さんは、乳鉢で薬草をすり潰しながら、一度も僕の顔を見なかった。

ごり、ごりと規則正しい音。

いつもより少しだけその音が強かった。


「……柚木さん」

「……」

「心配かけてごめん」

「……謝ってほしいわけじゃないって、何回、言わせるの」


澪さんの手が止まった。

乳鉢の中にぽたりと小さな雫が落ちた。


「……ちゃんと来てくれた」

澪さんは、うつむいたまま、かすれた声で言った。

「……紙に書いたとおり。

怪我したら、私のところに来てって。

ちゃんと来てくれた」

「……うん。約束だから」

「……ばか」


澪さんは、袖で目元を乱暴に拭うと、すり潰した薬草を布に塗り広げた。

それを僕の左腕に丁寧に巻きつけていく。

添え木を当てて、包帯でしっかりと固定する。

その手は、少しだけ震えていた。

けれど、いつもどおり優しかった。


寝台の足元で、銀色の大きな体が丸くなっていた。

シロガネだった。

脇腹と脚と首の周りに白い包帯が、何重にも巻かれていた。

澪さんが僕の腕を診るより先に、手当てをしてくれたのだ。


「……薬草は、獣にも、効くの。量を、体の大きさに合わせれば」

澪さんは、シロガネの頭をそっと撫でた。

シロガネは、片目だけを開けて、澪さんを見上げた。

それから、小さく鼻を鳴らして、また目を閉じた。

「……いい子」

澪さんの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。


「シロガネ、柚木さんのこと、気に入ったみたいだね」

「……白峰くんの匂いがするからだと思う」

「え?」

「……なんでもない」




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




その日の午後。

西の塔のヴェルダさんが、わざわざ、治療院まで下りてきた。


「ちょいと札を見せてごらん」


職業札を渡す。

ヴェルダさんは、皺だらけの指で札の表面をなぞった。

それから、低く唸った。


【職業:勇者(候補)】

【スキル:誓約の灯】

【誓約:銀牙狼シロガネ】


「……見たことのない欄だね」

ヴェルダさんの目が細くなった。

「テイマーが魔物を従えると、札には【使役】と刻まれる。

主と従。

上と下だ。

けれど、あんたの札は違う」

ヴェルダさんの指が、「誓約」の二文字をそっと叩いた。

「誓約、さ。

主と従じゃない。

対等な約束だよ。

あんたがあの狼に誓って、あの狼があんたに誓った。

互いに、互いを守ると」


僕は、寝台の足元のシロガネを見た。

シロガネは、いつの間にか、両目を開けて、じっと僕を見ていた。


「……首輪を外すって、約束したんです。厩舎で」

「ああ、聞いたよ」

「でも、実際に首輪を外したのは、僕じゃありません。

小田切の職業が剥奪されたからで」

「首輪が外れた後で、その狼が誰のところに来たかが大事なのさ」

ヴェルダさんは、札を僕の手に戻した。

「あんたは、首輪を外すと約束した。

そして、首輪が外れたその瞬間その狼が、

自分の意思で、あんたの前に頭を垂れた。

それで誓約は結ばれたんだよ」


シロガネが、のそりと立ち上がった。

包帯だらけの体で寝台に前脚をかける。

そして、添え木を当てた僕の左腕に、そっと鼻先を押しつけた。


「……シロガネ」

その頭を右手で撫でる。

銀色の毛並みは、澪さんが丁寧に洗ってくれたおかげで、

冬の月のような輝きを取り戻し始めていた。

「これからもよろしくね」


シロガネの尾が一度、大きく揺れた。


ヴェルダさんが、ふぇっふぇっと喉の奥で笑った。

「シロガネ、ねぇ。いい名前じゃないか。銀牙狼にぴったりだ」

それから、ふと真顔になった。

「……勇者が獣と誓約を結んだって記録は、

三百年前の従者の手記にも、なかった。

坊や、あんたは、本当に前例のないことばかりやるねぇ」




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




治療院の一番奥の寝台。

そこに小田切がいた。


怪我はほとんどなかった。

逃げようとして転んだときの膝の擦り傷くらいだった。

けれど、小田切は、寝台の上に膝を抱えて座ったまま、

朝から一歩も動いていなかった。

食事にも、手をつけていなかった。


亀裂の入った職業札を、両手で握りしめていた。

【職業:なし】。


「……小田切」

寝台の脇に立つと、小田切は顔を上げずに言った。

「……笑いに来たのかよ」

「違う」

「嘘つけ。

ざまあみろって思ってんだろ。

テンプレどおりじゃん。

調子乗ってた奴が、最後に全部失うやつ」

小田切の声は、ひどくかすれていた。

「古賀が言ってた。

こういうことする奴は、後でろくな目に遭わないって。

……その通りになったわ。

ウケる」


僕は、寝台の脇の椅子に腰を下ろした。

シロガネが、少し離れた場所で足を止めた。

小田切の姿を見ると、低く一度だけ唸った。

小田切の肩がびくりと跳ねた。


「……シロガネ。大丈夫だから」

シロガネは唸るのをやめた。

けれど、それ以上は近づかなかった。

床に伏せて、金色の瞳でじっと、小田切を見つめていた。


「……ポチ、じゃねえんだ。そいつの名前」

小田切がぽつりと言った。

「シロガネ、か。……オレがつけた名前より、百倍マシだわ」


長い沈黙が落ちた。


「……なあ、委員長」

「うん」

「なんで、止めたんだよ。あのとき」

小田切は、職業札を握る手に力を込めた。

「あいつオレのこと殺そうとしてただろ。

当たり前だよな。

オレ、二か月、あいつのことずっと、痛めつけてたんだから。

殺されたって、文句言えなかった」

「……」

「なのに、なんで、お前がオレを庇うんだよ。

お前のこと散々、馬鹿にしてきたのに。

エセ勇者って、笑ってきたのに。

なんでだよ」


僕は、少しだけ考えた。

それから、正直に答えた。


「小田切は、ゼミの仲間だから。それと」

シロガネのほうをちらりと見た。

「シロガネに、誰かを殺してほしくなかったんだ。

シロガネは痛めつけられた側だ。

その子に最後に、誰かを殺したっていう記憶を、残してほしくなかった」


小田切は何も言わなかった。

ただ、その肩が小刻みに震え始めた。


「……オレさ」

やがて、小田切が膝に顔を埋めたまま、くぐもった声で言った。

「元の世界で、何者でもなかったんだよ。

勉強もできない。

スポーツもできない。

顔も普通。

特技もない。

ゲームのガチャ引いて、神引きしたって喜んでるのが、

一番楽しい時間だった」

声が震えた。

「だから、テイマーって出たとき、マジで嬉しかったんだ。

オレでも、主人公になれるかもって。

追放されて、最強の魔物を手に入れて成り上がって。

そういう物語の主人公に」

小田切は顔を上げた。

その目は、真っ赤に腫れていた。

「でも、あいつ全然懐かなかった。

テンプレ通りなら、すぐ懐くはずなのに。

志賀たちは、どんどん強くなっていくのに、オレだけ何もできなくて。

また何者でもない奴に、戻るのが怖くて」

「……うん」

「首輪に頼った。

……分かってたんだよ。

あれがやっちゃいけないことだって。

でも、止められなかった」


小田切の目から涙が、ぼろぼろとこぼれ落ちた。


「……ごめん」

誰に向けた言葉なのか、分からなかった。

僕に向けたのか。

シロガネに向けたのか。

それとも、自分自身に向けたのか。

「ごめん……ごめん……」


僕は、何も言わずに、小田切の隣に座り続けた。


シロガネは、床に伏せたまま、じっと小田切を見つめていた。

唸りもせず。

近づきもせず。

ただ、静かに。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




日が傾く頃、小田切は、ようやく泣き止んだ。


「……委員長。一つ教えとく」

小田切は、袖で顔を拭いながら言った。

「ザイルの隠れ家。

港の三番倉庫だ。

首輪を買いに行ったとき、そこに連れていかれた。

首輪だけじゃない。

禁制の魔道具が山ほど置いてあった」

「港の三番倉庫……」

どこかで聞いたことのある言葉だった。

「それと……ザイルの奴、手首に黒い蛇の刺青があった」


黒い蛇。


第5話の、古賀の話が、頭をよぎった。

ヴェルンの裏路地で、桐生に銀貨を渡した黒い外套の男。

その手首にも、黒い蛇の刺青があったと。

そして、その男は、「その気になったら、港の三番倉庫に来い」と言ったと。


「……ありがとう、小田切。すぐに宰相さんに伝える」

僕が立ち上がると、小田切は、寝台の上でまた膝を抱えた。

「……オレ、これからどうすりゃいいんだろうな。

職業、なしだってさ。

剣も魔法も使えない。

魔物も懐かない。

本当に何者でもなくなっちまった」


僕は、少しだけ考えた。

それから、言った。


「戦が終わったら、王城の厩舎で働いてみない?」

「……は?」

「厩番のピートくんって子がいるんだ。

十三歳ですごく馬の扱いが上手いんだけど、

一人で手が足りないって、いつも言ってて」

小田切はぽかんと口を開けた。

「……オレが? 厩舎で? 十三歳の下で?」

「うん。

職業がなくても、馬の世話はできるよ。

餌をやって、体を洗って、蹄の手入れをして。

……今度は、首輪も鞭も使わずに」


小田切は長い間黙っていた。

それから、床に伏せたシロガネをちらりと見た。

シロガネは、金色の瞳で小田切を見返した。


「……考えとく」

小田切は、小さくそう言った。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




その夜。

宰相府からの命を受けた衛兵の一隊が、港の三番倉庫に踏み込んだ。


倉庫の中はもぬけの殻だった。

ザイルの姿も、禁制の魔道具も、何一つ残っていなかった。

ただ、倉庫の奥の石の壁に。

黒い塗料で、一匹の蛇の絵が大きく描かれていた。

とぐろを巻き、鎌首をもたげ、赤い舌を出した黒い蛇。


その蛇の目は、まるで王都を嘲笑うかのように、赤く塗られていた。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆








同じ夜。

王都の宿屋『黒鹿亭』の一室で、壁を殴る鈍い音が、何度も響いていた。


「――ふざけんな……! ふざけんなよ……!」


志賀の拳から血が滲んでいた。

石の壁に赤い痕がいくつも残っていた。


遊撃隊は解散させられた。

騎士団長ガルドの直々の命令だった。

『騎士団の指揮を受けぬ者の城外への出撃を、籠城の間一切禁ずる』。

グラズの首も。

王から与えられるはずの特別な褒賞も。

すべてが消えた。


そして、何よりも。


「……あのエセ勇者に……助けられた……」


志賀は、壁に額を押しつけたままうめいた。

あの瞬間。

グラズの鉄の棍棒が、頭上に振り下ろされたあの瞬間。

自分と棍棒の間に飛び込んできたあの背中。

砕けた盾。

自分の襟首をつかんで、引きずるようにして走ったあの手。

「生きて帰るんだ」と叫んだあの声。


「……ふざけんなよ……」


部屋の隅で吉岡が、気まずそうに視線をさまよわせていた。

包囲が完成する直前に、誰よりも先に逃げ出したことを、

誰も口にしなかった。

宇佐美は、寝台の上で、自分の手のひらをじっと見つめていた。

グラズの肌の上で、火の粉のように散っていった自分の魔法。

堂島は、狂化の反動で丸一日、目を覚まさなかった。


古賀は、部屋の入り口に立っていた。

鑑定士のスキルで、志賀の腰の職業札を見ていた。


【職業:魔剣士】。

その文字の曇りが、決闘の後よりも、さらに濃くなっていた。

まるで薄い墨を一滴、落としたかのように。


「……志賀」

古賀は、小さく呼びかけた。

「小田切のこと、聞いた? 職業が剥奪されたって」

「知るかよ」

志賀は、振り返りもせずに吐き捨てた。

「使えねえ奴は、いらねえ。あいつは、もう、俺のパーティーじゃねえ」


古賀は何も言わなかった。

ただ、眼鏡の奥で唇を強く噛みしめた。


そして、喉まで出かかった言葉を。

――志賀の札も曇ってるよ。

その一言を、今夜もまた飲み込んだ。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




北の城壁の上で、見張りの兵が声を上げた。


「――魔王軍の陣に動きあり!」


月明かりの下。

黒い波のその奥で。

巨大な影がいくつも、ゆっくりと組み上がっていた。


木の骨組みに、獣の皮を張った塔。

城壁と同じ高さの。

いや、城壁よりもさらに高い塔だった。


「……攻城塔だ」

ガルドさんが、城壁の上で低くつぶやいた。

「三基……いや、四基。組み上がるまで三日、といったところか」


三日。


その三日後に、王都の命運が決まる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。